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2024年03月27日(水) 菅野家のムードメーカー

次男は終業式の日に同じクラスだった女の子から手紙をもらったそうです。その手紙には、いつも笑わせてくれてありがとう。と書いてあったそうです。次男は本当に明るい性格で、私や妻の事もたくさん笑わせてくれます。菅野家のムードメーカーです。その明るさは妻から受け継いだ物だと思います。今日は次男は歯医者で歯を抜歯したそうです。歯医者に入るなり次男は「あ〜歯を抜くの怖いな〜!」と言ったそうです。歯医者にいた人はみんな笑ってしまったそうです。そしてみんなに「大丈夫だよ!」と励ましてもらったそうです。いざ抜歯をされる時に椅子を倒される時も次男は「怖いな〜!」と言っていたそうです。私がその場にいても笑ってしまったと思います。いつも明るくて、自分の嫌な事でも人を笑わせてしまう次男は本当に可愛い子です。そう言えば空手の試合でも、次男はみんなを笑わせていた時がありました。いつまでもその明るい性格で人を笑わせてその場を和ませて欲しいと思います。


2024年03月26日(火) ラーメン二郎

今日は春休み初日という事で中学生や高校生に声をかけ道場生の子供達とラーメン二郎本店に行きました。雨が降っていたのですが朝8時に待ち合わせました。集まったメンバーは、琥白、光、蕗生、斗夢、真白の5人でした。けっこう量が多いのですが、琥白以外は全員完食しました。1位真白、2位斗夢、3位蕗生、4位光でした。蕗生は小さい頃から合宿などでご飯を食べているのを見ていましたが、本当によく食べるようになったなーと思い、とても嬉しく思いました。ラーメン二郎を完食出来ればよく食べる方だと言えると思います。子供達の成長を見れて幸せな気持になりました。


2024年03月25日(月) あの時の恐怖が頭をよぎる

朝もバシッと目覚めて、しっかりと稽古に励みました。今日もしっかりと前に進んだ実感があります。でもちょっと無理をしすぎたのか?左の脹脛に痛みを感じました。一昨年右のアキレス腱を切っているので、その時の恐怖が頭をよぎりました。ウォーミングアップをしている時に痛みが来たので、そこで止める事が出来た事は本当に不幸中の幸いでした。しっかり身体を休める事も大事だなと思いました。あとは少し体重落とさないとヤバイです。


2024年03月24日(日) 次のステージでも

今日は私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2024年春季昇級審査会、2024年春季極真ルール組手競技支部内交流試合が行われました。この時期は新しいステージに移動する生徒が何名かいます。今年は2名が高校生になり、1名が中学生になります。この忙しい時期に頑張って試合に出場した事を尊敬します。高校生になる理音と洋志は受験であまり稽古できていませんでしたが、しっかり試合に出場した事に感動しました。次のステージでも2人共頑張って欲しいと思います。中学生になる雄斗もよく頑張りました。一生懸命に頑張る事は素晴らしい事です。逃げずに勇気を出して挑戦する事は素晴らしいです。それは人生の中でもっとも素晴らしい事だと私は思っています。次のステージでも皆で頑張って行けたら素晴らしいと思います。


2024年03月23日(土) 団体競技も

子供達が野球が好きになった事から私も野球を見るようになり、子供達とドラマの「ROOKIES」を見ています。酒のツマミには最高のドラマです。思いっきり笑えて思いっきり泣けて、酒も進みます。私は団体競技をやった事がないので、「ROOKIES」を見ていて、団体競技もやってみれば良かったなと思ったりします。人の人生は1度なので、あれもこれもやっていたら全て中途半端になり、結局本当の感動を得られる事はないと思うので、やっぱりそれは無理だったと思いますし、別に後悔しているわけではありません。それに空手も稽古ではお互いが助け合い励まし合い競い合って切磋琢磨して試合に臨んで、仲間達が応援してくれるので、団体競技と言えば団体競技ではあります。ただ人生が2回あるのなら団体競技もやって見たかったな、と言う感じです。


2024年03月22日(金) 菅野日記は

この「菅野日記」は2003年12月5日から始まりました。なのでもう21年書いている事になります。2014年からは1日も休まず書くようになりました。休まず書くようになってから10年が経った事になります。休まず書くようになったキッカケは私の母から、毎日読んだ人のカウントが増えていると言うことは、毎日読んでくれている人がいるのだから、毎日ちゃんと日記を書いた方が良いと言われたからでした。自意識過剰になって申し訳ありませんが、確かに毎日読んでいるものが更新されていなかったら自分もガッカリするよなと思い、毎日書くようにしました。それから毎日書きたい事がちゃんとあるように1日を頑張って生きようと思うようになりました。この日記を毎日書くようになってから、日記を書きながら1日を振り返ったり、自分の思いや考えを確認したり、自分との対話になったりしていると思います。続けると言う事の大切さもこの日記から学びました。今ではこの日記を書かないと1日が終われない感じになります。この日記は自分の生きた証ですし、その時その時の道場の思い出もつまっています。1番は自分が忘れずに残しておきたいと思う事を書いています。道場生や子供達へのメッセージ的な思いもあります。この日記を書くようになって本当に良かったと思っています。


2024年03月21日(木) 野球ファンになろう!

長男が何故か野球にハマっています。私は野球は好きではありません。私の父が野球が好きで、父が家にいる時は、夜はずっと巨人戦を父が見ているので、私達は好きなテレビを見る事は出来ませんでした。夏休みの高校野球の時期なんて、昼は高校野球、夜はプロ野球を父が見ているので最悪でした。そして私は野球が下手でした。父とキャッチボールをしている時に、私が下手すぎて父が怒って私にボールを投げて、家に帰ってしまいました。そんな事もあり私は野球は好きではありませんし、野球を見る事はありません。その悪夢が蘇るように長男が野球にハマってドジャース戦を2日間観ています。子供の見たいテレビぐらいは見せてあげたいので、私は我慢して一緒に野球を観ています。でもやっぱり大谷選手やダルビッシュ選手や松井選手が出ると気にして見ます。妻も高校野球のチアガールで甲子園に行っているので、野球が好きで長男と熱くなって観ています。もうこうなったら私も一緒に野球を好きになって楽しんでやろうか!?と思っています。51歳から野球ファンになって見ようかな?!と思っています。


2024年03月20日(水) 突発性難聴

左耳が突発性難聴になりました。何処が起点だったか?医師と話した結果はおそらく股関節を人工股関節にした手術のあとだったのではと言う事です。心身に大きなストレスがかかった事が原因になる事が多いそうです。確かに手術のあと頭がクラクラしていましたし、そこから目眩が始まりました。それが少しずつ進んで行ったように思います。手術のあと痛みと苦しみで3日間眠れず食事もほぼ出来ませんでした。そしてこれからの不安と戦っていたのですから、やはり心にも身体にも相当なストレスがかかったのだと思います。まあ生きるか?死ぬか?を経験したのだから、心にも身体にも負担はかかったのでしょう。そこを起点としたら聴覚が戻る確率は絶望的な感じです。おそらく私は左耳の聴力をほぼほぼ失ってしまいました。一生失う事となりました。若い頃は得る事の連続でした。歳を取ると失う事の連続です。でもそれに耐えれるだけの心と身体を持っているつもりです。極真空手を通して困難に負けないだけの心と身体を作って来たつもりです。だから私はこの出来事を悲観してはいません。当たり前に歳を取っているんだなと思っています。でもそのぶん人に与えられる物も多くなるので、歳を取るのは悪くありません。子供達や生徒達にたくさんの感動をもらっています。まあ何がどうなろうと自分は自分です。頂いた命と身体を使い切って最後までしっかり生ききりたいと思います。


2024年03月19日(火) 私が私に生まれて来て良かったと思う理由

自分はこの世に生まれてくることが出来て、本当に良かったと思います。生まれて来たからたくさんの人達に出会え、いろんな体験が出来ました。もちろん生きていれば楽しい事ばかりではないけれど、やはり自分は生まれてくることが出来て良かったと思いますし、今までの人生で良かったと思います。その気持を今日は言葉にしてみたいと思います。自分に生まれて来て良かったと思う事、自分の人生が今までの人生で良かったと思う事が心から出来たのは、長男が生まれた時でした。自分と言う人間に生まれ、今までの人生があったからこの子に出会う事が出来たんだなと思い、自分と言う人間と自分の今までの人生を全部肯定する事が出来ました。そして考えました。自分と妻が結婚したのはこの子が生まれてくるためだったのではないか?私と妻は歳も10歳違いますし、性格も全然違います、出会った頃なんて、お互いにこの人と結婚するどころか恋愛をするとも思っていなかったと思います。なのに何故、こんな偶然と言える事が起きたのか?何故、こんな奇跡とも言える事が起きたのか?それは運命だったからなんじゃないか?と思ったのです。偶然も奇跡も運命も起きたから、そう言える事なのですが、この子が生まれてくるために私と妻は生まれて来て今までの人生を生きて来て、出会い、奇跡のような恋愛をし、奇跡のような結婚をしたのではないのか?これが運命だったからこの偶然があり、この奇跡が起きたのだと思ったのです。そう考えたら自分の今までの人生を全て肯定する事が出来たのです。私の父と母も偶然に出会い、奇跡のような恋愛をし結婚したのは、私と言う人間が生まれて来ると言う運命のためだったのではないのか?そう考えて行くと途方も無いのですが、私のところまで命が繋がってくれたこと、妻のところまで命が繋がってくれたことに感謝しますし、この頂いた奇跡とも言える命を、長男と次男に繋げる事が出来た事に感謝しています。私はこの世の中でたくさんの人に守られて生きて来ました。たくさんの素晴らしい体験をさせて頂きました。生きていることはとても楽しいです。この世はとてもとても美しいです。だから子供達にも頂いた命を大切に一生懸命に人生を楽しんで、素晴らしい人と出会って大恋愛して結婚して、命を誰かに繋いで欲しいと思います。その時にきっと自分に生まれた事や自分の人生を素晴らしいかったとこれで良かったと全部肯定出来ると私は思っています。


2024年03月18日(月) 何もかも憂鬱な夜に

中村文則さんの「何もかも憂鬱な夜に」を読みました。熊谷へ向かう電車の中とホテルでと帰りの電車の中でと昨日の入浴中と今日の入浴中に読み、最後まで読み終えました。この作品を読むのは3回目なのですが、読むたびにいろんな事を感じ、いろんな事を考えさせられます。今回、この作品を読んで心に残り深く考えさせられた文章を載せておきたいと思います。その1は、「お前は…アメーバみたいだったんだ。わかりやすく言えば」「温度と水と、光とか…他にも色々なものが合わさって、何か、妙なものができた。生き物だ。でもこれは、途方もない確率で成り立っている。奇跡といっていい。何億年も前の」「その命が分裂して、何かを生むようになって、魚、動物…わかるか?そして人間になった。何々時代、何々時代、を経て、今のお前に繋がったんた。お前とそのアメーバは、一本の長い長い線で繋がってるんだ」「これは凄まじい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には、無数の生き物と人間がいる。どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。いいか、よく聞け」「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、何億年の線という、奇跡の連続は、いいか?全て今のお前のためだけにあった、と考えていい」と言う施設長の言葉です。その2は、「お前は、何もわからん」「ベートーヴェンも、バッハも知らない。シェークスピアを読んだこともなければ、カフカや安部公房の天才も知らない。ビル・エヴァンスのピアノも」「黒澤明の映画も、フェリーニも観たことがない。京都の寺院も、ゴッホもピカソだってまだだろう」「お前は、まだ何も知らない。この世界に、どれだけ素晴らしいものがあるのかを。俺が言うものは、全部見ろ」「お前は、本当にわかってない」と言う施設長の言葉です。最後は「自分以外の人間が考えたことを味わって、自分でも考えろ」「考えることで、人間はどのようにでもなることができる。…世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる」この3つの言葉が今回は心に響きました。私も十代の頃、どうにも出来ない自分に悩み腹が立ち、でもどうしていいか分からない苛立ちと、自分の未来と自分がどうなるのかという不安にどうしようもなくなく、1人でいるのが辛く憂鬱に過ごした夜がありました。その時にこの言葉を言ってくれる大人がいたら、またこの作品を読んで、この言葉に出会えたら、どんなに自分は楽になっただろうと思います。でも私はこの作品を読んで自分の今までの人生がこれで良かったと言う事を言葉にする事が出来るようになりました。それを明日の日記で書いて見ようかな?と思います。


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