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2021年01月06日(水) 空手道の起源


最近私がハマっている事は、空手道が日本の本土に入ってくる前、言って見れば空手道となる前の沖縄が沖縄ではなく琉球と言われた頃、空手ではなく手と言われた頃の事を調べる事です。
言って見れば空手道の起源を調べると言っても良いかもしれません。
これは本当に楽しいです。
私が調べた結果、琉球で手と呼ばれた拳法は、大きく分けて、首里手、那覇手、泊手、上地流、があり、首里手は佐久川寛賀、松村宗混、その系譜を継ぐ知花朝信が作った小林流、喜屋武朝徳の系譜を継ぐ島袋善良の作った少林流、喜屋武朝徳の系譜を注ぐ長嶺将真が松村宗混と泊手の松茂良興作の松の字を取り作った松林流、
首里手には糸洲安恒、安里安恒、本部朝基、船越義珍など優れた武術家がたくさんいます。
日本の本土に初めて空手を伝えたのは船越義珍でその雅号の松濤から松濤館となりました。

那覇手は東恩納寛量から宮城長順に継ぎ宮城長順が剛柔流としました。

糸東流は首里手の糸洲安恒と那覇手の東恩納完量に学んだ摩文仁賢和が二人の師の名を取り糸東流としました。

泊手は松茂良興作から仲宗根正侑から渡嘉敷唯賢と継がれました。
上地流は、中国人の周子和から学んだ上地完文が上地流としました。
と言うのが主な流派なようです。
ただ琉球では手の稽古はいろいろな事情があり隠れるようにして夜中に行われた事や人前で手の技を見せる事を禁じていた事や、あまり誰がどのようにして手を伝えたか?などの文献が残っていない為、諸説たくさんあるので何が正確かは分かりません。
そして、まだまだ私も知らない事がたくさんあります。

いつになるかは分かりませんが、いつか必ず沖縄に行き、いろいろな先生を訪ね歩いて見たいと思います。


2021年01月05日(火) 極真空手の黒帯とは

私は極真空手に人生を変えてもらいました。多くの師範、先生、先輩、仲間達に自分の人生を変えて頂きました。私も、私の道場に入門した道場生には、極真空手を始めた事がキッカケでその人の人生が輝いて、その人の人生が幸せになり、極真空手をやった事が社会で役に立ち人から重宝され、自分の周りにいる人も幸せにし、社会に貢献する人間になって欲しいと言う気持ちで指導をしています。そしてそれが出来る可能性のある人に黒帯を締めてもらい、後から来る後輩達の模範となり、後から来る後輩達の憧れとなって、自分の後ろ姿で後輩達を良い方向に導いて欲しいと思っています。


2021年01月04日(月) 道場の中で一番偉い人は

私が今まで空手を続けてくるなかでいつも私を支えてくれた言葉があります。その言葉は私の師匠である廣重毅師範が仰っられていた言葉でした。それは「道場に入れば、道場の外での地位などは何の上下の関係にはならず、道場の中では一生懸命に稽古に励んでいる人が1番偉いんだ」と言う言葉でした。私はその言葉を信じて稽古に励んで来ました。今でもそう信じています。道場に入れば外での地位は関係なく、道場に先に入った人が先輩となる訳です。道場での上下関係や礼節は大切ですが、私は先生だ先輩だ何十年空手をやっている、今日空手を始めた、そんな事も関係がないと思っています。今現在、空手に情熱を持って1番一生懸命に稽古している人が道場の中では1番尊いんだと思っています。私はいつもその時々の今を情熱を持って一生懸命に稽古して道場の中では1番尊い人間でいたいと思っています。


2021年01月03日(日) 夢を半分叶えた私の思い

私は夢を半分叶え、夢を半分叶えられませんでした。なのであまり大きな事は言えないのですが、夢を半分叶えた先輩として、どうして夢を半分叶え、今こうして好きな事を生業として生活が出来ているか?を書きたいと思います。私は本当に運が良かったと思います。15歳の時に、友達から電話をもらい「テレビを見てみろ!お前が好きそうなテレビがやっているよ!」と言われテレビを付けたら、極真空手の第4回世界大会がやっていました。その時の決勝戦が松井章奎館長とアンディ・フグ選手の試合でした。そして松井章奎館長が勝利し世界チャンピオンになりました。日本武道館を包む歓声や日本選手団や松井館長の仲間達が涙しながら胴上げをしているのを見て、私の魂は衝撃を受け、私の心は感動し私の中で何かが爆発し自分の中で革命が起きました。
あの試合を偶然見れた私は本当にラッキーでした!
これがやりたい!そうハッキリと思い私の中で情熱が生まれました。
その時の衝撃と感動と爆発と革命は今でも私の中に変わらずにあります。
今まで苦しい事も辛い事も悲しい事もあり何度も挫折しそうになりましたが、それでもその時の衝撃と感動と爆発と革命は私の中から消える事なく情熱を持ち続けてくる事が出来ました。
最大の夢である世界チャンピオンにはなれませんでしたが、気が付いたら道場を出して、大好きな空手を生業として生活が出来るようになっていました。そして今まで極真空手を修行するなかで師範、先生、先輩、仲間達とのたくさんの出会いがあり、それが財産となりました。そして今までの空手人生を振り返ると素晴らしい思い出がたくさん出来ていました。
大切なのは初めてそれをやりたいと思った時の衝撃と感動と爆発と革命と情熱を失わずに毎日を頑張る事なのだなと改めて思います。
私は人生のなかでそんな物に出会えたのだから本当に本当にラッキーだったと思います。


2021年01月02日(土) 2021年、今年の目標

今年の目標を書きたいと思います。今年の目標は先ずは膝の手術をし、膝の改善に体重を減らすため体重が80キロになるまでお酒を止めてダイエットする事、身体が動かないぶん空手の研究や型の研究をする事、身体が動かないからこそ今まで以上に心と目を配って一人一人に声をかけながらきめの細かい指導して行きたいと思います。膝が治ったら、またこの情熱を爆発させるよう稽古に励む事、そして来年は昇段審査に挑戦したいと思います。来年の目標まで書いてしまいましたが、この目標をしっかり達成し来年に繋げたいと思います。


2021年01月01日(金) 2020年から2021年の年越し

今年の年越しは、例年行っていた年越し稽古をしませんでした。長男も次男も年越しまで起きていると頑張っていたので、では初めて家族全員で年越しのカウントダウンをしようという事で、家族全員で年越しのカウントダウンをし、みんなで「明けましておめでとうございます」と言って年越しをしました。昼からは家族みんなで土手に行きました。空は晴れて暖かく富士山が見えて、年の初めには最高の景色でした。子供達はお友達と遊び、私達はビールを飲んだりしながら過ごしました。こんなのどかなお正月を過ごすのも、新型コロナウィルスが生んだ副産物のおかげかもしれません。どんな世の中になろうとその状況の中で楽しみを見つけて行けると思いました。


2020年12月31日(木) 2020年ありがとう

2020年最後の日なので、午前中に子供達と自主トレをし夕方からジムでトレーニングをしました。夕食は家族でガキ使を見ながらカニを食べました。家族で笑いながら食事をして年を越せる事は本当に幸せな事です。自分の人生の中でたぶん今が1番幸せだと思っています。自分の好きな事だけを頑張っていた頃の自分も好きだし、その頃の自分を尊敬しているし、その頃に過ごした毎日もかけがえのないものだったけど、やっぱり今が1番幸せです。でもあの頃の自分があったから今の自分の幸せがあるので、その頃の自分がしんどい毎日を踏ん張ってくれたから今があるので、その頃の自分には本当に感謝しています。始めて家族全員で12時を迎え2021年になる瞬間を過ごしました。


2020年12月30日(水) 通い合宿のメニュー

今日は来年の通い合宿で教えようと思っている事を自分で稽古してみました。長男と次男にも実験台になってもらいました。通い合宿のメニューも完全に決まったので安心して年を越せます。


2020年12月29日(火) 子供達と

子供達と「ポケモン」の映画を観に行きました。子供のアニメでもなかなか良い内容で感動しました。帰りにお正月に遊ぶタコと長男のギターのピックと次男のオモチャを買いました。マクドナルドでハンバーガーを食べたいという次男のリクエストでマクドナルドで食事をしました。長男は最近、よく食べるようになりました。頑張ってたくさん食べて大きくなって欲しいと思います。


2020年12月28日(月) 空手の事を考える

一緒に稽古をさせて頂いた先輩方と空手の話しをしました。私は20歳で東京に出て来てからは、自分の人生の全てを賭けるつもりで空手をやって来ました。23歳で黒帯になり内弟子になり指導するようになってからは、空手が生業となり、あらゆる事を犠牲にし、まさしく空手に人生を賭けて来ました。自分の人生がかかっているからこそ頑張ったし、自分の生活がかかっているからこそ頑張って来ました。だから何か他に仕事を持ち片手間に空手を教えている人には空手に対する想いは絶対に負けません。それに今は自分だけの事ではなく、家族の命もかかっていますから、自分の命をかけて空手に取り組みたいと思います。自分の生徒の極真空手に対する想いに応えられるように命をかけて指導して行きたいと思います。先ずは膝を治して、来年からまた熱い思いで指導して行きたいと思います。身体が動かなくたって32年、今まで空手をやる中で培ってきた経験と、全日本選手権大会で戦い学んだ事や、そこに臨むまでの稽古での経験や、24年間指導する中で学んできた経験や、私の空手に対する知識があります。ある意味では身体が動かなくなってからこそ、今までの経験が活きてくるのかもしれません。今日も一日中、空手の事を考えていました。生徒達の熱い眼差しに応えられるよう、私の指導を理解して自分のお子さんを預けて頂いているご父兄様の期待を裏切らないよう、来年からさらにさらに空手道に邁進し指導して行きたいと思います。


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