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2026年05月11日(月) 母の事をもう少し

母との思い出をもう少し書いて見ようかと思います。書いてみようかと思いますと言ってみたものの書ける事と書けない事があるので、そこを結婚考えて書かなくてはいけないのでけっこうネタに悩みます。書けない事が多いと言う事は、それだけ親不孝をしたという事なんだと思います。私は小さい頃から母とばかり話している子供だったとは思いますが、母と1番会話が多かった時期は、私が水泳をやっていた小学4年生から中学3年生までだったと思います。小学5年生の時に私がライバルに負けた時は、母に数を数えてもらい毎日、腕立て伏せをしていました。私が泳げるようになったのは母に川に落とされた事でした。大人が高い所から飛び込めるような深い所でしたが、怖がって飛び込めない私を見て、母が私を後から押して、私は河に落ち、向こう岸まで泳がなくては死ぬと思い、必死で向こう岸まで泳ぎました。それがきっかけで私は泳げるようになり、そこからどんどん泳ぐのが上手くなり、気づいた時には人より速く泳げるようになっていました。母は東京の中野で生まれ東京の中野で育った人なので、周りのお母さん達より、チャキチャキして人にハッキリと物を言う人だったと思います。私が悪い事ばかりしているから私が悪いのですが、いつも私を怒ってばかりいる先生達が家庭訪問の時に母の勢いに押されて私の悪い所の三分の一も話せずに帰って行くのを見て痛快に思っていました。私が先生に呼び出されたり、私を警察に引き取りに来た時も、先生や警察の方が「お母さん、落ち着いて下さい。」と言うぐらい怒って泣いていました。本当に申し訳ない事をしたと思っています。私が極真空手の全日本空手道選手権大会に出場するようになってからは、私を応援しに東京体育館や大阪府立体育館まで来てくれました。母は私が出場した試合のパンフレットや私が載った雑誌は全部持っていて保管してくれています。本当に親というものはありがたいものです。感謝しています。


2026年05月10日(日) 母の日なので

今日は母の日です。もちろん母にも妻にも贈り物をしました。母とのおそらく1番古いだろうと思う記憶が2つあります。1つは私が3歳か4歳の時に夜中に具合が悪くなった時に母に抱っこされてタクシーで病院に行った記憶です。私はタクシーのなかでも吐いてしまい、母のコートを汚してしまいましたが、母は怒りもせず、とても優しく私に「大丈夫?」と言いました。もう1つは私が悪い事をして家の外に出されてしまった時の事です。とても寒い日でした。どのぐらいの時間外にいたのかは分かりませんが、私は寒くて寒くて震えていました。少し時間が経った頃、母が外に出てきたので、怒られるのかな?と思ったら、母が優しくジャンバーを着せてくれて、そのまま2人で近くのスーパーに買物に行った事です。その時のジャンバーが薄い紫のフワフワな感触だった事も覚えています。それは母がそのジャンバーを着せてくれたあと私を優しく抱いてくれたからです。とても温かく感じました。本当に大切に育ててもらったのに、私は道を踏み外してしまった時期がありました。私が中学校で問題を起こして母は学校に呼び出されたり、私が怪我をさせてしまった人の家に一緒に謝りに行ってくれたり、私が高校を退学になった時も先生にもう1度チャンスをあげて欲しいと言ってくれました。警察に私を引き取りに来たり、母と一緒に裁判所に行ったりもしました。母は裁判所からの帰りにとても落ち込んでいて、スーパーによった時に車にサイドブレーキをかけるのを忘れて、車のなかで待っていた私は車と共に坂を下り国道の真ん中で止まってしまいました。もしかしたら母は私をサジ投げて殺そうとしたのではないか?と思い、母に聞いたら、母は笑って「そうかもね!」と言っていました。私が友達と遊んで朝方に帰ると母は家の電気を付けて起きて私を待っていました。私が悪い事をすると先生や友達の親や警察の前では母はいつも私をこっぴどく叱りましたが、同時に少し庇ってもくれました。私を守るために怒ってくれていたのだろうと今は思っています。東京に来てからも、私はお金を使いすぎて、たびたびお金がなくなってしまい、母に電話してお金を何度も送ってもらったりしました。お金も食べる物も無くなった時のために、固形燃料で作れる釜飯を母が大量に送ってくれました。お金も食べる物も無くなった時はその釜飯を食べていました。母には本当に迷惑をかけたと思います。私が水泳や空手の試合に出ていた時も大きな声で応援してくれました。極真空手の全日本のビデオにも判定の時に「赤ー!」とハッキリと母の声が入っているぐらいです。私の人生はいろいろあり、本当に人に迷惑をかけました。これは一生許される事ではないと思っています。ですが立ち止まって、また頑張って生きて行く事が出来たのは母が私を見捨てないでいてくれたからだと思っています。子供3人分ぐらいの苦労を母にはかけたと思います。私がラッキーだった事は母の子供に生まれた事だと思っています。母には本当に感謝しています。母はまだクルマを運転して東京に来たりもするので、まだまだ元気です。私ももう53歳ですが、何歳になっても母には長生きして欲しいと思っています。


2026年05月09日(土) 城南支部での思い出

内弟子の頃にとてもお世話になっていたのは、現千葉県中央支部の支部長竹石修先輩です。竹石先輩は本当に後輩の面倒見が良い先輩で、城南支部で1番常識があり優しい先輩でした。竹石先輩が誰かをイジメたり悪口を言っていたりしたのを見た事がないぐらいですし、竹石先輩を嫌いだと言っている後輩を見た事がありません。私は竹石先輩を天才だと思っています。たぶんウエイトトレーニング、走る、柔軟性、身体の使い方の上手さ、技の当てる感覚、受けの上手さ、トータルで見たら城南支部の先輩の中で1番だったのではないかなと思います。出会った時から現在まで30年以上、竹石先輩とお付き合いさせて頂いていて、先輩の悪い所を見つけた事がありません。そして竹石先輩は指導がとても上手です。理論的で丁寧で優しく教えてくれます。そして研究熱心なので、自分が今稽古している事の最先端を指導してくれます。竹石先輩は気遣いも良く出来るので、たぶん先輩にも好かれると思います。竹石先輩の背中の力と技のキレは本当に凄かったと思います。全関西大会の1回戦での竹石先輩のミドルキックのキレと相手に当たった時のパチーン!と言う音は本当に凄かったです。もちろんそのミドルキック1発で相手が倒れて一本勝ちでした。相手の方には本当に申し訳ないのですが、その映像を何度も見返して、竹石先輩のミドルキックのあまりの凄さに笑ってしまいました。その日の夜に兵庫県神戸市にある鈴木先輩の実家に泊めて頂いたのも凄く良い思い出です。


2026年05月08日(金) まだ強くなりたいの?

私が今でも「まだ強くなりたいの?!」と聞かれる事があります。本当は「当たり前じゃー!」と言いたいところですが、ちゃんと何故まだ強くなりたいあという理由を説明しています。まだ強くなりたい?の「まだ」の意味が私には分かりません。私は自分が求めた強さをまだ手にしていません。誰かと比べたら、そりゃ少しは私も強いのかもしれませんが、それは私の求めている強さとは程遠いものです。「じゃあ求めている強さって何なの?」と聞かれたら、それは形として人には見せられない物もあります。その1つを言えば、それは人にやれと言われてやるわけでもなく、お金のためにやるわけでもなく、仕方なくやるわけでもなく、自分で決めたから毎日やり続けているという強さも、私にとっての1つの強さです。なので私は国際親善大会の日も大会後にトレーニングをしていました。休み中だって私はトレーニングしています。それが出来る事も強さです。私は精神的な強さを求めています。でも精神的な強さは、肉体的な強さの後に来る物だと思っています。肉体を鍛えるためには辛さや苦しさや痛さを経験します。その辛さや苦しさや痛さから精神が強くなり、毎日何かを頑張っている自信から気が充満して、自分から強さが出てくる物だと思っています。自分を毎日、鍛えていない人に強さを語る資格はありません。昔の経験だけではネタはいつか尽きてしまいます。世界チャンピオンになった方や達人の方は別ですが、私は世界チャンピオンにもなっていませんし、達人でもありません。だから毎日、自分を鍛えて、自分が強くなるように努めているのです。


2026年05月07日(木) 感動

2026年国際親善大会が終わりました。この大会で2つ嬉しい事がありました。1つ目は小学生の頃から頑張って試合に出て頑張っていた、長恵里花が成人し一般部の試合に出場した事でした。ここ何年かは試合に出ていませんでしたが、何か思う所があったのか?頑張って国際親善大会の一般部に出場しました。私は副審をしていましたが、試合場に上がって来た恵里花の姿を見て、恵里花が子供の頃に頑張って試合に出ていた姿を思い出しました。恵里花が一生懸命に戦っている姿を見て危うく泣きそうになりました。審判なので頑張って冷静に試合を見るよう務めましたが、審判じゃなかったら泣いていたと思います。恵里花が頑張っている姿から感動をもらいました。2つ目は以前東京城南京浜支部に所属していた下村涼太郎が一般部の試合に出場して入賞していた事でした。涼太郎もここ数年は試合で見ていなかったのですが、一般部まで空手を続けてくれていて、とても嬉しかったです。涼太郎のセコンドが高校生まで東京城南京浜支部に所属していた寺澤裕樹だったのを見て、「2人とも元東京城南京浜支部じゃねーかーっ!」と笑ってしまいました。涼太郎は引っ越しで移籍をし、裕樹は就職で1度は空手を辞めてしまいましたが、自分の子供と一緒に空手を始めました。その2人が違う道場で一緒に稽古する事になっていたとは本当に面白いものだと思います。これが極真空手の良さだと思います。この極真空手の世界に長くいるから起こる感動だと思います。


2026年05月06日(水) 明日から

2026年国際親善大会最終日が終わりました。試合に出場した皆さんは本当にお疲れ様でした。怪我があれば怪我を治し、疲れがあれば癒し、心と身体を1度解してから、またこの結果を元に空手の強さだけではなく、素晴らしい人間に成長出来るよう精進して、また明日から生きて行きましょう。ご父兄様には、子供達を試合に出場させて頂いた事、いつも道場にご協力頂いている事、本日も長丁場のなかご協力頂いた事を心から感謝を申し上げます。私も子供達が良い成長をして素晴らしい人間になれるよう指導して行きます。今後とも変わらぬご協力のほどよろしくお願い致します。本日は本当にお疲れ様でした。1日スタッフをして頂きました深野さんと中山には心から感謝しております。


2026年05月05日(火) 2026年国際親善大会初日

5月5日は子どもの日ですが、本日は2026年国際親善大会初日でした。型の審判から始まり、組手の審判となかなか大変でした。なおかつ本日の最後の試合の主審でした。もうヘトヘトですが、選手達の頑張りを見て、私も刺激を受け大森で電車を降りてトレーニングをしてから帰りました。本当にみんな良く頑張りました。ご父兄様も本当にお疲れ様でした。スタッフをしてくれた廣田さん、本当にありがとうございました。


2026年05月04日(月) 休みなんかねー!

今日は、朝起きて朝ごはんをしっかり食べて、大森道場へ行き、神棚の榊の水を替え、礼をし、生徒達が国際親善大会で自分の力を発揮出来るように祈願して、柔軟体操をし、ジムへ移動しトレーニングをしてから、2026国際親善大会の審判講習会と全世界支部長会議のため東京体育館に行きました。世間はゴールデンウィーク真っ只中ですが、私は国際親善大会がある事もあり、ゴールデンウィークの実感がないぐらい自分のトレーニングに仕事に追われています。「俺に休みなんかねー!」と言う「ヒーローに休みなんかねー!」みたいな嬉しい悲鳴をあげています。とカッコイイことを言いましたが、自分が好きな事をやっているので、毎日が休みといえば休みです。明日からバシバシに審判に入っているので選手のためにもよいジャッジをしたいと思います


2026年05月03日(日) 親友からの紹介

私の親友に紹介を受けて、ある方と一緒に飲みました。その方はもともと東京の大森生まれで大森育ちなのですが、10年ほど福島に転勤になり、その時に私の親友と知り合ったそうです。その後、いろいろな所で仕事をされているそうですが、ゴールデンウィークで東京に帰って来られたとの事で、一緒に飲む事となりました。その話を事前に家族に話したら、長男と次男から「女の人じゃねーだろーなー!」と言われました。私も「そんなわけねーだろー!バカヤロー!」と返しました。と言うわけで、はじめましてから始まり、お互いの年齢や仕事の話や共通の友達である私の親友の話などでお互いの距離を測り、少しずつお互いの趣味の話などに入って行って、この話題で話が広がると感じたもので話を進めて、だんだんとお互いの距離を縮めて行きました。とても礼儀が正しく相手に気遣いができる方で、とても気持ち良く一緒に飲む事が出来ました。2014年まで東京の大森にいたという事なので、とても近いところにお互いがいたという事になります。面白いもので福島の友達を介して出会う事となりました。この日は私も大森道場で個人レッスンをしていたのですが、その方が大森に住んでいるとは知らなかったので、蒲田で待ち合わせにしてしまいました。でも「あー大森で飲めば良かったですねー!」と1つ笑いが出来たので良かったのかもしれません。因みにお互いの共通の趣味はトレーニングでした。トレーニングの話でかなり盛り上がりました。その方も気を使って、いろいろ話題を広げてくれたので、とても楽しい時間を過ごせました。その方に大森で福島出身の方がやっている中華料理屋を教えて頂いたので、今度行ってみたいと思います。出会いって本当に面白いなと思います。


2026年05月02日(土) あの時のあの感じって何だったのだろう?

「〜になりたい!」そう思った時に自分の中で何かが生まれた、あの時のあの感じっていったい何だったのだろうと、あれから39年経った今もそれを考えます。その感覚はそれまでにも無く、それからも無いからです。自分の中で何かが爆発したような、自分の中にある火山が噴火したような湧き上がる熱い感情はいったい何だったのだろう?あの時に起きた爆発で自分の中に湧き上がった熱い感情は、今までの私を動かして来ました。そしてその熱い感情は今もなお私の中で消えずに私を突き動かします。たぶん私はそれを情熱と言う物なのではないか?と思っています。その時に見たものは極真空手の第4回全世界空手道選手権大会でした。松井章圭館長、アンディ・フグ選手、増田章選手、マイケル・トンプソン選手、黒澤浩樹選手、ニコラス・ダ・コスタ選手、アデミール・コスタ選手、七戸康博選手、緑健児選手、ピーター・スミット選手、ミッシェル・ヴェーデル選手、ジェームス北村選手、ジェラルド・ゴルドー選手、アデリーノ・シルバ選手、橋爪秀彦選手、三明広幸選手、ジェフリー・セベクル選手、桑島保浩選手、たくさんの試合が頭にハッキリと残っています。あんなふうになりたい、世界大会に出たい、あんな観客がたくさんいる会場で戦ってみたい、強くなりたい!極真空手をやりたい!そう思ったのです。その夢は半分は叶い、半分は叶いませんでした。夢を半分叶えた私だから言える言葉があります。夢を半分叶えられなかった私だから言える言葉があります。この情熱は私だけの物ではあるのですが、その情熱で道場生達に指導して行きたいと思います。


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