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2007年12月23日に妻と六本木ヒルズの屋上から夜景を見た事を昨日の日記に書きました。また妻とそこに行きたいと思い、六本木ヒルズのウェブサイトで屋上に登れるかを調べて見たら、もう屋上には入れなくなってしまっていました。とても残念です。いつか再開されたら行って見たいと思います。私が見た景色で思い出に残っている事を書きたいと思います。先ずは2007年に妻と見た六本木ヒルズの屋上からの景色、次は東京に来た次の日に東京タワーから見た景色、妻と父と母とで富士山の頂上から見た御来光の景色と8合目から夜に見た夜景と7合目で昼に見た雲に富士山の影が写っていた景色、夜に山小屋から出ると雲の下に花火大会をやっているのが見えました。天上人になった気分でした。次は妻と付き合う前に2人で見た霊山の紅葉の景色、次は妻と付き合った頃に見た猪苗代湖の景色、猪苗代湖がキラキラと光っていました。最後に私が高校を退学になり、友達も仕事を首になった時に土手に2人で寝転がって、これからの事を話し合った時に見た星空です。あの景色はたぶんあの時にしか見る事が出来なかった物だと思います。たぶん今、そこに行ってそれを見たとしても少し色褪せているような気がしています。
今日が終わり、あと12日で今年の活動も終わります。街でもクリスマスソングが流れています。私の好きなクリスマスソングはWHAMのラスト・クリスマス、マライヤ・キャリーのAll I Want For Christmas Is You、山下達郎のクリスマス・イブ、です。なかでもマライヤ・キャリーのAll I Want For Christmas Is Youを聴くとクリスマスに何かが起きそうでウキウキしてしまいます。クリスマスでの1番の思い出はクリスマス当日ではないのですが2007年の12月23日に妻と六本木のフライデーズで食事をし六本木ヒルズの屋上から東京の夜景を一緒に見た時に、妻に「この景色を一緒に見た事を一生忘れないでね」と言われた事が1番の思い出です。その次は2010年の12月24日のクリスマス・イブの朝に長男が生まれ、私は始発の新幹線で福島に向かいました。新幹線の中から見た朝日が長男の誕生を祝福してくれているように見えました。クリスマス・イブに長男を抱っこした事はやはり一生の思い出です。
私が運営する極真会館東京城南京浜支部の2024年冬季昇段昇級審査会および冬季極真ルール組手競技支部内交流支部が無事終了しました。2024年を締めくくる最後の昇段昇級審査会と支部内交流試合を無事故で無事終了した事、とても良い審査会と支部内交流試合を行う事が出来た事を神棚に礼をして帰って来ました。今日は6時に起きてご飯を食べ身支度をし7時に家を出て鷲神社に参拝し、今まで道場を無事に運営して来れた事にお礼を言って、今日の審査会と支部内交流試合を無事故で無事に終了出来る事と生徒達が自分の力を発揮出来るようにお願いしました。道場に7時30分に着いて神棚に二礼二拍手一礼をし手を合わせて、柔軟体操をしました。自分の心と身体を整えてから審査会に臨もうと思い柔軟体操をしました。スタッフをしてくれた中村、中山、廣田さん、深野さん、平澤、浜田さん、松村さんには本当に感謝しています。本当にありがとうございました。道場に協力してくれる皆さんのおかげで道場を運営する事が出来ている事を心から感謝しています。今日は一般部の組手を数年ぶりに行いました。深野さんは私が26歳の時に指導していた道場に入門し、私の先生が極真会館を脱退した時も、その道場を退会して私の道場に来てくれました。とても嬉しかったのを今でも覚えています。そしてこれない時期も10年以上あったのに道場を退会せずいてくれました。極真空手と私との繋がりを大切にしてくれたのだと思い本当に感謝しています。その感謝を伝えるために私も10人組手の相手をしました。私が生徒の10人組手の相手をするのはこれが最後です。深野さんと拳を交換しながらいろいろな思いがこみ上げて来ました。深野さんは57歳ですが本当に一生懸命に頑張って稽古して来ました。今日は本当に良い審査会と試合を行う事が出来ました。特に素晴らしいと思ったのは国際親善や極真祭で入賞する瞭と旭は途中で負けてとても悔しかったと思いますが、負けたあとも仲間を一生懸命に応援してあげていました。空手を通して正しい成長をしてくれたんだなと本当に頼もしく思いました。人の本性は負けた時に表れます。だからこそ瞭と旭は素晴らしいと思いました。これが伝統になって私がいつか居なくなった時も続いていて欲しいと心から思いました。
お酒を止めてから48日が経ちました。体重を計ったら体重がぐっと落ちて93.7キロになりました。今日は胸のトレーニングをしましたが、記録が上がっていたので、筋肉量はほぼ落ちていないと思います。と言う事はしっかりと脂肪が落ちていると言う事だと思います。48日で体重を6.3キロ落としました。筋肉を落とさないために稽古以外は有酸素運動をせずにウエイトトレーニングと食事制限でゆっくりゆっくりと体重を落としました。12月21日までダイエットを続けようと思っています。出来たらあと0.8キロ落として93キロを切りたいと思っています。
今日は13日の金曜日でした。帰り道にジェイソンが出るんじゃないか?とドキドキしていましたが、ジェイソンが出る事はありませんでしたし、悪い事も起こらないどころか、とても素晴らしい1日を過ごす事が出来ました。13日の金曜日が何故不吉な日と言われるのかを調べてみました。「キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことから、13は不吉な数とされた。ま た、キリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13日の金曜日が不吉であるとされるようになった」とありました。13日の金曜日と言う不吉な日を無事過ごせた事を感謝したいと思います。特にずっと稽古を休んでいた生徒が稽古に来た事我とても嬉しかったです。それと今日は背中のトレーニングの日だったのですが、記録が少し伸びたのでとても嬉しかったです。最後に妻が作ってくれたお弁当がとても美味しかったです。特に卵焼きが最高でした。と言う感じで私の今日は本当に素晴らしい1日でした。
あと1ヶ月と少しで私も52歳になります。歳を取ると自分の歳を忘れると言う言葉を聞いた事がありますが、私は自分が何歳かを忘れた事はないので、「自分の歳を忘れるなんて事あるのかい!」と思っていましたが、人から最近、歳を聞かれた時に「50歳です」と言ってしまいました。なんか自分が50歳なんだか?51歳なんだか?あやふやになってしまっていました。論語では「子の曰く、吾れ 十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順がう。 七十にして心の欲する所に従って、 矩を踰えず。」とありますが、私は孔子のような人間ではないので、かなり右葉曲折をしましたが、15歳で極真空手を始めました。29歳で道場を開設して独り立ちしました。40歳の時までに極真会館の分裂や先輩が脱退したりといろいろありましたが、自分の志が揺れる事はありませんでした。50歳の前には自分が何をするためにこの世にいるか?は悟っていましたので、孔子のような崇高な生き方では無いにしろ、私は孔子より先に先に進んでいると思います。六十にして耳順ごうは、六十歳に達すると、他の意見や考えを受け入れる余裕を持つようになりました。と言う事ですが、まだまだそこには行き着いていないかも?と思う事もあるので60歳までにはそうなっていたいものです。私は何歳まで生きるのか?は死ぬ時にならないと分かりません。60歳まで生きている保証はありません。だから毎日を大切に生き急いで生きたいと思っています。今まで生きて来た時間よりこれから生きる時間のほうが短い、その残された時間を大切に一生懸命に生きよう、そんな事を考えて、瞑想をしてから稽古に入っています。そう考え瞑想すると全てがありがたく感じます。稽古する事も、ご飯を食べる事も、妻といる時も、子供達といる時も、生徒達に指導している時も、全てがスペシャルな事になります。毎日がスペシャルになります。2024年の残りを一生懸命に生きて52歳なる日まで一気に駆け抜けて行きたいと思います。
私は最近、毎日楽しみな事があります。それは妻が作ってくれるお弁当です。とても美味しくて栄養のバランスもとても良いです。タンパク質も多く摂れるよう考えて作ってくれています。栄養バランスが良くて美味しい料理を作ってくれる妻には本当に感謝しています。妻の作ってくれたお弁当を食べる前には心を込めて「いただきます」と言うようにしています。毎日本当にありがとうございます!
今年も残すところ21日です。今年を少し振り返ってみたいと思います。2024年はいろんな事がありました。年の始めに左耳が聴こえなくなり病院に行ったら突発性難聴と言う事で3ヶ月薬を飲んで治療しましたが、大きな成果はありませんでした。耳鳴りと目眩が無くなったので左耳の聴こえが悪いのは今はあまり気にならなくなりました。今年は年始から小学生の頃にコンビを組んでいた友達の訃報があり、叔母が亡くなり、従兄弟が亡くなりと身近に不幸がありました。もうそんな事が増えて行く歳なのだと思います。人生の始めは得る物ばかりでしたが、40歳を過ぎたあたりからは失う物が増えて来ました。年を追う事に増えて行きます。それでも私は強く生きて生きたいと思っています。歳を取れば人との戦いが減って行きますが、そのぶん自分との戦いが増えて行きます。生きる事は戦いだと本当に感じさせられます。でも私は自分との戦いは得意です。私の道場のキャッチコピーは「己に克つ」この言葉は私の人生のテーマです。敵はいつも自分の中にいます。弱い自分、挫けそうになる自分、諦めそうになる自分、投げ出しそうになる自分、泣きたくなる自分、ズルしたくなる自分、悪い事をしたくなる自分、その全ての自分が私の敵です。自分の中の敵に勝てないようでは困難を乗り越える事も出来ません。そう思って辛い時も落ち込んだ時も忙しい時も頑張って来ました。そして私を支えてくれたのは妻の笑顔と長男と次男の元気な姿です。家族が居てくれるから私は強くいる事が出来ました。本当に感謝しています。今年もあと少しですが気を抜かないで頑張りたいと思います。年末に会う故郷の仲間達に「俺は頑張ったよ!」と報告出来るようにしたいです。
私は昨年、股関節を人工関節にする手術を受けました。その手術する前日の夜、病室で一人でボーッとしている時に、ふと明日はついに手術の日か?なんて考えていました。万が一と言う事も頭に浮かび自分の人生を少し振り返って見ました。人は切羽詰まった時には自分に嘘がつけず本当に純粋になるものです。その時に思った事は嘘も偽りもなく強がりや見栄でもなく、明日もし自分の人生が終わる事になろうと自分の今までの人生には1つも悔いは無いということでした。いやいや悔いぐらい1つや2つあるだろう?!嘘つくなよ!と言われそうですが、これは本当なんです。じゃあなんで今までの自分の人生に悔いがないと思ったかと言うと、それは自分の生き方や進む道を自分で決めて来たからと言う事と、自分が本当に好きな事や自分が本当にやりたい事を自分で決めて生きてきたからだと思います。もちろんたくさん失敗もしましたし、たくさん恥ずかしい事もありましたし、情けない事もありました。あの時にもう少し頑張っていればとか、あの時にああしていればと言う事だってあります。でもそれもこれも全部、誰にやらされた訳でもなく、自分が好きで自分で決めた事だから、それは誰のせいにも出来ないので、自分の生きて来た道には納得も満足もしていると言う事です。そして元々の自分の事を考えれば自分は良く頑張って生きて来たな!と思えました。何度も番狂わせを起こしましたし、何度も大金星を上げました。自分で言うのも何ですが、大出世したと言っても過言では無いと思っています。自分が大好きな人にも好きになってもらい結婚できたのだから、自分は奇跡を起こしたと思っています。そして可愛い子供も2人生まれてくれました。もう充分に生きた証は残せたな!と思ったのです。だから私は誰かにもし「人生で1番大切な事は何だと思いますか?」と聞かれたら、迷わず「自分の本当に好きな事をやる事、自分の行く道は自分で決めること」と答えます。私が行きたい道を行かせてくれた両親には本当に感謝しています。私がやりたい事を助けてくれた方々に本当に感謝しています。私の人生で出会ってくれた方々に本当に感謝しています。私がこの世から消える時にもそう言えるよう、また明日からしっかりと生きて行こうと思います。私に関わって頂いている方々、どうぞ明日からもよろしくお願い致します。
私は稽古中や普段に摂る水分はお茶でしたが、それを止めて水にしました。お茶とコーヒーは1日に1杯にしています。まだ始めて1週間なので身体に変化は感じていません。少しの間続けようと思います。
kanno
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