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2024年08月31日(土) 青い春

自分の中で青春と呼べる時代は3回ありました。先ずは中学生までの水泳をやっていた時代、15歳で学校を退学になって高校に入学し直し、1度休学し、その次の年に改めて1年生からやり直すまでの2年間とそこから3年間の高校生活、そして東京に来て、自分の道場を出すまでの9年間です。たぶんここまでが私の青春でした。将来や自分の身体や経済的な事など気にもせず、その日その日を自分が向上するために、その日その日を楽しむために、その日その日を謳歌するために行きていました。まさしく青い春でした。29歳からは自分で道場を出して道場の運営や経営や自分より年上の保護者とのやり取りの中で社会を学び少し大人になりました。そして36歳で結婚し37歳で子供が出来てから本当の部分で大人になった気がします。でも今でも思う事はつまらない大人にだけはなりたくないと思っています。ちゃんと人生を楽しめている人間でいたいと思っています。毎日をドキドキしてワクワクして過ごしていたいと思っています。そう考えるとまだ青春は続いているのかもしれせん。


2024年08月30日(金) マンハッタン奇譚クラブ

スティーブンキングの「スタンド・バイ・ミー」に収録されている「マンハッタン奇譚クラブ」を読み終えました。この「スタンド・バイ・ミー」は本当は恐怖の四季と言う4つの短編集の1つの作品です。春・夏・秋・冬編の短編集の1つです。スタンド・バイ・ミーは秋でマンハッタン奇譚クラブは冬の作品です。春は刑務所のリタ・ヘイワースでこの作品は「ショーシャンクの空に」と言う題名で映画になっています。夏はゴールデン・ボーイで秋がスタンド・バイ・ミーで冬がマンハッタン奇譚クラブです。私はゴールデン・ボーイ以外は全ての作品が大好きです。マンハッタン奇譚クラブはとても奇妙で奇跡的な出産をする女性とその赤子を取り出す医師の話が出てくるのですが、私はとても感動します。読むたびに感動します。自分に子供が出来てからはさらに感動が深まりました。私を産んでくれた母や、子供達を産んでくれた妻と姿が重なると涙が出て来てしまいます。


2024年08月29日(木) 親子の絆

長男が妻に反抗している姿を最近良く見かけます。私にも反抗してくる事もありますが、妻にほどではありません。それは何故かと言えばこれは簡単な事で、先ずは妻との方が関わる事も多いし、関わる時間も多いです。日々、朝起こしたり、ご飯を食べろと言ったり、私の何十倍も長男に関わっているので、長男もそれを素直に素早く出来るタイプじゃ無いので、自然とぶつかるようになります。それでも母親は子供に関わらないわけにはいかないので大変だと思います。あともう一つはやはり愛情だろうと思います。長男も妻には気を許して甘えているのだろうし、妻も愛情が深いからほっとくわけには行きません。妻と長男のやり取りを見ていると私には立ち入れない部分があると思います。父親は少し子供に気を使われて、少し離れているぐらいで丁度良いのかもしれません。昨日、長男と次男が夜遅くまで2人で青鬼オンラインと言うゲームをしていたので、私が少しキツく怒ると長男に「イラついてるからってイキナリ怒鳴らないでよ。」と言われました。確かに少し機嫌が悪かったのは事実です。もう頭ごなしに怒って言う事を聞かせるのは難しいんだなと思います。まあでもちゃんと言えばやる事はやるので仕方がないかと思います。


2024年08月28日(水) 子供達との時間

長男と次男と一緒に多摩川浅間神社に行きました。この神社は妻が病気の時に長男を連れてサイクリングしている時に見つけた場所です。長男はその時は3歳でした。そこにたけくらべの碑があり身長を計ることが出来ます。初めて来た時は長男は、たけくらべの「べ」にも届かない身長でした。それが今は「た」のところまで身長がありました。長男はもう170センチありました。次男も152センチありました。私は172センチなので長男にはあと1〜2年で抜かれますね。でもたぶん次男が1番大きくなりそうです。そうすると3人で1番私が背が小さくなってしまいます。時が経つのは本当にあっという間です。長男を抱っこして神社の階段を登ったり、どんぐりを拾ったり、お菓子を食べたりした事も昨日のようです。子供達のおかげで私の人生は10倍は楽しくなりました。そして子供達のおかげで私も父親らしくなる事が出来ました。帰りに3人で野球をやりました。こうやって子供達と遊べるのもあと何年だと思うので、その時間を大切にしたいと思います。


2024年08月27日(火) 進化出来る

私がウエイトトレーニングで1番筋肉痛になり難い場所は肩です。ショルダープレスはもともと強いので肩の三角筋前部もなかなか筋肉痛にならないのですが、1番筋肉痛にならないのは三角筋中部です。サイドレイズという種目で鍛えるのですが、筋肉がパンパンになるぐらいに追い込んでトレーニングしても次の日に筋肉痛になる事はほぼほぼありませんでした。なので肩の横の筋肉が1番発達していない気がします。ですがここ最近、三角筋中部のトレーニングが上手くなり、しっかりと効かせられているので、トレーニングの次の日にしっかり筋肉痛になるようになりました。まだ明らかに肩の筋肉が大きくなっているとは言えませんが、これを半年続けていけば見るからに筋肉が大きくなっているのが分かるぐらいになっていると思います。何歳になっても進化は出来ると言う事だと思います。肩が強くなった事でフック系のパンチが凄く打ちやすくなりました。これからも頑張って行こうと思います。


2024年08月26日(月) あと4週で終わる

遂にあと4週で呪術廻戦が最終回になるそうです。大きな楽しみがまた1つ減ります。最後を早く見たい気持ちと終わって欲しくない気持ちとでとても複雑です。何度かこの日記に呪術廻戦の好きなキャラクターを書いたので、最終回が近くなった今、もう一度書きたいと思います。1位夏油傑、2位五条悟、3位乙骨憂太、4位東堂葵、5位釘崎野薔薇、6位禪院真希、7位七海建人、8位九十九由基、9位与幸吉、10位虎杖悠仁、です。虎杖悠仁は主人公なので好きなのは当たり前すぎて10位でした。最終回を見て好きなキャラクターがまた変わるかもしれません。最後はみんな救われて欲しいと思っています。1番救われて欲しいのは伏黒恵です。虎杖悠仁が絶対に救ってくれると信じています。最終回を見たら感想を書きたいと思います。


2024年08月25日(日) 私と次男は演武、長男と妻はライブ

雑色商店街サマーフェスティバルで演武を行いました。昨年は私は手術だったので、演武に参加する事は出来ませんでしたし、この3年ほど身体が悪かったせいで、私自身が演武をする事も出来ませんでした。今回は私もバット折りと瓦割りを行いました。生徒達も一生懸命に演武をしていました。前の日にステージを視察して知ってはいたのですが、演武のステージの位置が変わったりした事もあり、少しバタバタしてしまいました。私も忘れていた事があったので、そのあたりをしっかりと改善して来年の演武に臨みたいと思います。長男は朝の7時に出発してギターのライブに妻と行きました。なかなか良い演奏が出来ていました。


2024年08月24日(土) 京都から

型競技全日本空手道選手権大会とセミコンタクトルール全国交流大会の主審を務めました。自分で言うのも何だけど、型競技もセミコンタクトルールも支部内でしっかりと試合を開催しそこで審判をする事で、自分自身の審判技術も上がり、本日の試合でも良いジャッジが出来たと思います。試合が終わり雑色サマーフェスティバルの舞台の位置が変わったと妻から連絡があったので、京都から帰って来たその足でサマーフェスティバルの舞台を見に行きました。すごく盛り上がっていました。明日、この舞台で演武が出来ることに感謝しました。明日はしっかりと頑張りたいと思います。


2024年08月23日(金) 京都へ

セミコンタクトルールと型競技の全日本大会のため京都へ出張でした。せっかくなので朝6時発の新幹線に乗り京都へ向かいました。京都から奈良線で宇治まで行ったのです5事故のため電車が1時間止まるアクシデントのため、いろいろ行く計画でしたが、それを止めて宇治を楽しもうと言うプランに変更しました。ちょうど宇治に着いたのが9時50分だったので、14年ぐらい前に妻と行った中村銘茶と言うお店に並び10時の開店と共に店に入り生茶そばとまるとパフェを食べました。美味しい物を1人で食べているとこれを妻や子供達にも食べさせてあげたいなと思い、少し申し訳ない気持になります。そのあと平等院鳳凰堂に行きました。鳳凰堂は極楽浄土の宮殿をモデルにしていて本尊に阿弥陀如来坐像があります。とても神々しい空間でした。そのあと宇治川の中洲にある宇治川の戦い先陣の碑に行き、宇治神社と宇治上神社に参拝しました。京都府立体育館には13時過ぎに着いて、審判講習会と全国支部長会議と型講習会で20時までスケジュールはいっぱいでした。そのあと鈴木先輩にお誘い頂き、2人でビールを飲みながら食事をしました。とても楽しい有意義な1日でした。


2024年08月22日(木) 妻のこと

股間の手術から昨日で1年が経ちました。私は今、43歳で試合に出た頃ぐらいの身体能力を取り戻しました。私は自分で奇跡を起こしたと思っています。でももし仮に今の私が股関節が良くならずに車椅子になっていたとしても杖をついて歩くようになってしまったとしても、しっかりとそれを受け入れて、頂いた自分の命と頂いた自分の身体を大切に、自分の出来る事を一生懸命に、今と言う時間を精一杯しっかりと生きていると言う自信はあります。それは何故そう思うのかと言うと、私は手術の後のリハビリで自分の足を持ち上げられない事に驚愕し1度は心が折れる音が自分の中でしました。たぶんそこから努力をしなければ本当にまともには動けなくなっていたかもしれません。でも面会に来てくれた妻の笑顔を見た時に自分の身体がどうなろうと自分は精一杯生きよう、せっかく頂いた残りの人生を楽しく生きようと決めたのでさ。私が手術が終わり面会に来てくれた時に見た妻の顔と私がリハビリをしている時に妻が来て、リハビリのあとに見た妻の顔は私にとっては天使に見えました。長男と次男も何度もテレビ電話で私を笑わせてくれました。自分1人のためだったら私は頑張れなかったかもしれません。妻と長男と次男がいつも私にパワーをくれたから私はひと踏ん張りする事が出来ました。本当に本当に感謝しています。妻はいつもポジティブに笑顔でいてくれました。私が最悪な状況になるのでは?と私にしっかりと話してくれ、私が絶望せず明るく考えられるようにしてくれました。たぶん私の手術のあとの状況や最初のリハビリの姿を普通の人が見たら、これから自分の生活はどうなってしまうのだろうと悲観してしまったり、それこそ私の姿を見て絶望して泣いてしまったかもしれません。あんな時に明るく振る舞えるなんてなかなか出来る事ではありません。私は妻の事を強い人だなと思いました。もしかしたら僕より強いんじゃないか?と思ったぐらいです。そして私は自分の弱さと直面しました。自分の弱さをしっかりと受け入れて、これからの人生でさらに自分を成長させて行きたいと思います。今日も全力で稽古をしました。今の自分が生きている事に心から感謝しています。


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