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2024年06月21日(金) 私のウエイトトレーニング

私は週に6回ウエイトトレーニングをしています。月曜日は胸、火曜日は腕、指導の合間に首と腹筋と背筋、水曜日は肩、木曜日は足、金曜日は背中、土曜日は腹筋と背筋、と言う感じです。トレーニングの種目とトレーニングをする順番とインターバルの時間はあまり変えないようにしています。でもトレーニングのフォームや重さや回数は常に進化して行けるように変化を加えています。トレーニングを始める時間も同じ時間にするようにしています。同じ時間にトレーニングをする事はとても大切だと思います。同じ時間にトレーニングをしていると1日のサイクルも1週間のサイクルもしっかり出来て行きます。何時に起きて何時に家を出て、仕事を何時までに終わらせ、何時にトレーニングを始め、何時に食事をし、としっかりと1日のサイクルが出来て、心も身体もそれをやる時間にはそれをやる心と身体になります。そして同じ事を同じサイクルでしっかりやっていると自分の心と身体の状態をしっかりと把握出来るようになります。自分の変化や進化にもしっかりと気付けるようになります。自分のダメなところにも気付く事が出来ます。人間は緩やかに自分に甘えて行き、緩やかにルーズになり、緩やかに下って行きます。気付いた時には時すでに遅し、というぐらい自分がダメになっていたりします。そうならないよう気を付けて生きて行きたいと思っています。


2024年06月20日(木) 次男のこと

次男は裁縫とか料理とかが好きなようです。この前も近所のおじさんと釣りに行き、釣って来た魚を自分で捌いて料理して食べさせてくれました。今日も自分の水泳パンツに名札を自分で縫い付けていました。学校の家庭科でも女子より早く裁縫などをやってしまうと言っていました。次男の作ってくれたお寿司も凄く美味しいです。


2024年06月19日(水) 私の思うカッコイイ試合

私が思うカッコイイ試合は、自分より身体が大きくて実績も実力も上の相手に一歩も引かずに必死に打ち合い、最終的に気持で相手に勝ち、勝ったあとも謙虚な気持ちを忘れず、表情も変えず、礼をして試合場を降りて行く、そんな試合です。アンディ・フグ対ブランコ・ シカティック、数見肇対グラウベ・フェイトーザ、数見肇対フランシスコ・フィリョ、黒澤浩樹対ピーター・スミット、とかは良く観て興奮していました。いつか自分もそんな試合がしたいと思い稽古に励みました。そのせいもあって私はけっこう身長の高い選手と戦って勝つ事が沢山ありました。やっぱり思った事は実現するのだと思います。そして自分がイメージした通りの試合を2試合経験する事が出来ました。私の宝物です。


2024年06月18日(火) ビッグミット

ビッグミットを2分2回、出来るようになりました。空手をやっていない人はよく分からないと思いますが、なかなか苦しい稽古です。ビッグミットと言う大きいミットをパートナーに担いでもらい、そのミットに試合のような感じで突き蹴りを全力で出す稽古です。これはやってみなければ分かりません。とても苦しい稽古です。普通の人は30秒ぐらいで失速して行き、1分を過ぎた当たりで動きがスローになり息がゼーゼーしてしまいます。私はまた2分2回、全力で止まらず行けるところまでは行っていませんが、自分のペースで最後まで強い突き蹴りを最後まで出せるぐらいにはなりました。かなり息があがって苦しかったので、たぶん心拍数は160は行っていると思います。そのビッグミットを現役時代は3分2分2分、間のインターバル15秒、一瞬も諦める事なく最後まで強い突き蹴りを出す事が出来ました。終わったあとは死にそうなくらい苦しかったです。それを週5日やっていたのだから凄いことです。まあそれも稽古の1部でそれから補強やミットやスパーリングやガンダムがあったのですが、久しぶりにビッグミットをやってみて、本当に自分は凄い事をやっていたんだなと思います。もうあんな事は絶対に出来ません。でもまた生まれ来る事が出来るなら、またあんな熱い青春をしてみたいと思っています。


2024年06月17日(月) ゲームを辞める

スマホで簡単に出来るキャンディークラッシュと言うゲームにここ1ヶ月ほどハマっていました。きっかけはYouTubeで広告を見て、簡単にダウンロードして出来るので、暇潰しに良いなと思い、気軽に始めました。それがハマって来て、お風呂の中や寝る前にもやるようになってしまい、自分のスケジュールに支障をきたすようになって来ました。ゲームに自分の大切な時間を奪われるのは良くないと思い、そのゲームをアインストールしました。ゲームをやっているぐらいなら本を読んだ方が良いですし、ゲームをやるぐらいならYouTubeを見て自分の知りたい情報を手に入れた方が良いです。結構頑張ってゲームを進めてきたので迷いましたが、思い切ってアインストールしました。


2024年06月16日(日) 呼吸法

頑張って稽古をすれば身体だけではなく心も強くなります。身体が強くなれば心が強くなるだけではなく、気力も充実し自分の中にある気も高まり、魂の力も充実して行きます。私は呼吸を大切にしています。ウエイトトレーニングでも鼻で息を吸い口で息を吐き腹式呼吸をすると丹田に力が集まり、身体の中でパワーが起こり筋肉が力を出し重いものが持ち上がります。呼吸は身体と心と気と魂を熱くして力を出してくれたり、冷静にしてくれたり、元の場所に戻してくれたりします。私は火の呼吸で激しい呼吸をし、瞑想と立禅で静かな呼吸をし、三戦の型で息吹と言う爆発させるような強い呼吸を行います。毎日それをやっているから体調が良いのではないかと思っています。


2024年06月15日(土) 次男のこと

次男の通う小学校の運動会でした。かけっこもソーラン節も頑張っていました。次男が健康で一生懸命に頑張っている姿を見せてくれるだけで私は幸せです。それ以上のものは何も望むものはありません。次男は私に似ている部分をたくさん持っていると思います。次男は優しくて家族をたくさん笑わせてくれます。次男が大人になって一緒にお酒を飲めたら楽しいだろうと思います。


2024年06月14日(金) 稽古をする時に

考える、感じる、思う、同じような言葉ですが、何が違うような気がします。何が違うというより、私の中では全く違います。この考える、感じる、思うを、辞書で調べると、考えるは「知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせること。」感じるは「感覚器官の刺激を通して情報を得ること、知覚すること。」思うは「心の働きの対象とすること。」と書いてあります。私は毎日、同じ稽古をするのですが、その同じ稽古の中で、いつも同じ事をするのではなく、必ず考えること、感じること、思うこと、を大切に稽古するようにしています。私の中では、考えるは脳で、感じるは身体で、思うは心で、というふうに認識しています。私が1番大切にしているのは思うです。その次は感じるです。最後は考えるです。考えるは稽古の前や稽古の後が多いので最後になりました。稽古中は自分のいろんな思いを思い巡らせ、自分の身体の感覚を確かめながら稽古しています。毎日、自分は変化して行きます。自分の脳も身体も心も変化して行きます。その変化を察知しながら、その変化を進化にして行けるよう、毎日自分が思い描いた理想の動きを追い求めて稽古しています。稽古すれば稽古するほど稽古しなくてはいけない事が見つかります。だから稽古はとても楽しくとても辛いです。でも稽古をすればするほど情熱と言う私の魂から起こる爆発は大きくなって行きます。明日も魂から出る情熱を爆発させて稽古に励みたいと思います。


2024年06月13日(木) トレーニング方法

自分の身体と51年付き合って来ました。空手を始めてから36年が経ちました。ウエイトトレーニングを始めてから34年です。20歳から28歳ぐらいまでは重いのを上げようと重さにこだわってトレーニングしていました。28歳から34歳までは試合で勝つために身体を維持するトレーニングをしていました。そこからはトレーニングしている時期があったりなかったりという感じであまり真面目にトレーニングしていませんでした。45歳にジムに入会しトレーニングを始めました。最初は怪我を治すのが目的でした。怪我をしないようマシンで軽くトレーニングしていました。そこから2年ぐらいした頃に少しずつ身体も良くなって来てだんだんいろんなトレーニングが出来るようになり、フリーウエイトも出来るようになりました。トレーニングも空手の稽古と一緒で、やればやるほど身体の動かし方が上手になり、新しい感覚で身体を動かす事が出来るようになります。人と自分の身体は微妙に違うので自分に最適な方法を見つけるにはそれなりに時間がかかります。ある一定期間そのやり方でトレーニングして効果を検証して、また新たなやり方をして見なければいけません。そんな事を繰り返し、自分に最適なトレーニング方法を見つけて行きます。私はここ最近では肩の三角筋の効かせ方と足の大腿四頭筋の効かせ方が、とても上手になりました。自分の身体がどんどん強くなっている実感があります。効果が大きくなってくるとトレーニングは楽しくなってきます。空手の稽古もトレーニングもやればやるほど楽しくなって来ます。


2024年06月12日(水) ベニコンゴウインコのコンスケ

長男が日曜日に多摩川でハゼを捕まえて来ました。水槽に砂をたくさん入れて大きな石を置いてあげたようです。ハゼを入れたからか?ネオンテトラが死んでしまいました。生き物を買うのは私はあまり好きではありません。やっぱりどんな生き物だって一緒に生活していれば、それなりに情という物が生まれるものです。死んた時は寂しいものです。私は小学1年生の時にベニコンゴウインコを飼っていました。名前は「コンスケ」でした。私が中学1年生の時まで生きていました。コンスケが死んだ時に私は死んだ者には2度と生き返らない、もう2度と会えないと言う事を心から実感し絶望して泣きました。コンスケが死ぬ数週間前に家族でピクニックに行った時に、父と母と姉と妹は「コンスケを一緒に連れて行こう」と言ったのですが、私は「飛んで逃げてしまったら嫌だから連れて行かない」と1人で反対し、コンスケをピクニックに連れて行ってあげませんでした。その時のことを私はずっと後悔しています。コンスケをおもいだせば「ヒデタカ!バカ!」と言っているコンスケの声が私の心にハッキリと響きます。ヒマワリの種を食べている姿や踊っている姿もハッキリと覚えています。


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