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考える、感じる、思う、同じような言葉ですが、何が違うような気がします。何が違うというより、私の中では全く違います。この考える、感じる、思うを、辞書で調べると、考えるは「知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせること。」感じるは「感覚器官の刺激を通して情報を得ること、知覚すること。」思うは「心の働きの対象とすること。」と書いてあります。私は毎日、同じ稽古をするのですが、その同じ稽古の中で、いつも同じ事をするのではなく、必ず考えること、感じること、思うこと、を大切に稽古するようにしています。私の中では、考えるは脳で、感じるは身体で、思うは心で、というふうに認識しています。私が1番大切にしているのは思うです。その次は感じるです。最後は考えるです。考えるは稽古の前や稽古の後が多いので最後になりました。稽古中は自分のいろんな思いを思い巡らせ、自分の身体の感覚を確かめながら稽古しています。毎日、自分は変化して行きます。自分の脳も身体も心も変化して行きます。その変化を察知しながら、その変化を進化にして行けるよう、毎日自分が思い描いた理想の動きを追い求めて稽古しています。稽古すれば稽古するほど稽古しなくてはいけない事が見つかります。だから稽古はとても楽しくとても辛いです。でも稽古をすればするほど情熱と言う私の魂から起こる爆発は大きくなって行きます。明日も魂から出る情熱を爆発させて稽古に励みたいと思います。
自分の身体と51年付き合って来ました。空手を始めてから36年が経ちました。ウエイトトレーニングを始めてから34年です。20歳から28歳ぐらいまでは重いのを上げようと重さにこだわってトレーニングしていました。28歳から34歳までは試合で勝つために身体を維持するトレーニングをしていました。そこからはトレーニングしている時期があったりなかったりという感じであまり真面目にトレーニングしていませんでした。45歳にジムに入会しトレーニングを始めました。最初は怪我を治すのが目的でした。怪我をしないようマシンで軽くトレーニングしていました。そこから2年ぐらいした頃に少しずつ身体も良くなって来てだんだんいろんなトレーニングが出来るようになり、フリーウエイトも出来るようになりました。トレーニングも空手の稽古と一緒で、やればやるほど身体の動かし方が上手になり、新しい感覚で身体を動かす事が出来るようになります。人と自分の身体は微妙に違うので自分に最適な方法を見つけるにはそれなりに時間がかかります。ある一定期間そのやり方でトレーニングして効果を検証して、また新たなやり方をして見なければいけません。そんな事を繰り返し、自分に最適なトレーニング方法を見つけて行きます。私はここ最近では肩の三角筋の効かせ方と足の大腿四頭筋の効かせ方が、とても上手になりました。自分の身体がどんどん強くなっている実感があります。効果が大きくなってくるとトレーニングは楽しくなってきます。空手の稽古もトレーニングもやればやるほど楽しくなって来ます。
長男が日曜日に多摩川でハゼを捕まえて来ました。水槽に砂をたくさん入れて大きな石を置いてあげたようです。ハゼを入れたからか?ネオンテトラが死んでしまいました。生き物を買うのは私はあまり好きではありません。やっぱりどんな生き物だって一緒に生活していれば、それなりに情という物が生まれるものです。死んた時は寂しいものです。私は小学1年生の時にベニコンゴウインコを飼っていました。名前は「コンスケ」でした。私が中学1年生の時まで生きていました。コンスケが死んだ時に私は死んだ者には2度と生き返らない、もう2度と会えないと言う事を心から実感し絶望して泣きました。コンスケが死ぬ数週間前に家族でピクニックに行った時に、父と母と姉と妹は「コンスケを一緒に連れて行こう」と言ったのですが、私は「飛んで逃げてしまったら嫌だから連れて行かない」と1人で反対し、コンスケをピクニックに連れて行ってあげませんでした。その時のことを私はずっと後悔しています。コンスケをおもいだせば「ヒデタカ!バカ!」と言っているコンスケの声が私の心にハッキリと響きます。ヒマワリの種を食べている姿や踊っている姿もハッキリと覚えています。
昨日の稽古の組手で初めて長男に顔を蹴られたのですが、その事をもう少し書きたいと思います。稽古が終わり帰宅してご飯を食べお風呂に入り、お風呂の中でいろんな事を考えました。長男を初めて抱っこした日の事や長男が空手を始めた日の事や今までのあれこれを思い出しました。長男は空手のセンスがあるか?ないか?で言えば、ハッキリ言って空手のセンスと言うと身体も硬いですし、身体を動かすセンスも無い方だと思います。それは私もセンスが無いからだと思います。天才の子はだいたい天才か、天才までいかなくてもそれなりのセンスはあります。私は小学生低学年までは運動のセンスは全くありませんでした。私の身に付けた能力はほぼほぼ努力して身に付けたものです。だから長男も運動のセンスはないのだと思います。私の子供に生まれたからセンスはなかったけど、3歳で誘導され自分の意志で始めたような感じでなかば強制的に空手を始める事となったわけです。人より早く始めたのに同じ学年の子が30人以上は入門して来て、どんどん追い抜かれ、試合にも勝てず、なかなか苦しい思いもしたと思います。長男は天性の明るさがあるので自分が勝てない事や人より劣っている事を悲観せずに前に進む事が出来ました。よく卑屈にならずに曲がらないで来たなと思います。自分の子供だけどそこは尊敬します。これから長男がどうなるか?分かりませんが、せっかくここまで頑張って来たのだから、私を追い抜くまで空手を続けて欲しいと思います。出来たら自分のために死ぬまで空手を続けて欲しいと思います。極真空手を続けて自分を高め自分を見つめ直し自分を良くして生きて行って欲しいと思います。そしてその力で自分と自分の周りにいる人を幸せにして行って欲しいと思います。いつかこの日記を長男が読む事を期待して、私の素直な気持を言葉にしておこうと思います。「昨日の右の上段回し蹴りは全然見えなかったよ!悔しいけど完全にやられたって思ったよ!君は身体も硬くセンスもないのに良くその蹴りを身に付けたね!10年頑張ればどんな人間でも強くなれるんだなと改めて君に教えられたよ!今までよく頑張ったね!おめでとう!」
今日の稽古で長男と組手をして長男に右のブラジリアンキックで顔を蹴られました。もちろん私もそれでは終わらせず、そのあとお返しに左上段回し蹴りで長男の顔を蹴りました。長男に顔を蹴られた時の気持ちは悔しかったけど悪い気持ではありませんでした。遂にこんな日が来たか?!と言う気持ちでした。長男も空手を始めて10年が経ちました。長男は3歳で空手を始めました。同世代の仲間の中では2番目に早く空手を始めたのに、あとから入って来た子達にずっと抜かれ続けて来ました。ずっと試合で勝てなかった時期もありました。空手を辞めたいと言った事もありました。でも頑張って続けて来たから今日という日があったのだと思います。面と向かっては言えなかったけど「おめでとう!よくここまで頑張ったね!」と言ってあげたい気持でした。長男は家に帰って来て妻に「パパに言うと不機嫌になるから言わないでね。今日、パパの顔蹴ったよ!」と喜んで言っていたそうです。私も頑張って鍛えて行かないと長男が20歳になる前に追い越されてしまいます。長男が20歳になるまで、あと7年です。それまでは踏ん張って壁になってやろうと思っています。
久しぶりに次男と矢口区民プールに行きました。2人で1kmぐらい泳ぎました。次男にバタフライを教えました。25メートルをクロールで全力で泳いでみました。私が16秒で次男は35秒でした。股関節を人工股関節にしてから初めて泳いだのですが、平泳ぎの足は怖くて強く蹴る事が出来ませんでした。あとは全て違和感なく泳ぐ事が出来ました。クロールで泳ぐと少し右肩が痛いので、バタフライが1番泳ぎやすかったです。昼過ぎから巨人戦を観て、お風呂に入って、夜ご飯を食べながらビールを飲んで最高の休日でした。
股関節を人工股関節にしてから9ヶ月18日が経ちました。やっとミットを蹴ってもビシッと音がして持っている人がキツイぐらいの蹴りを出せるようになりました。人工股関節になって自分の股関節の開く角度が大幅に変わってしまったので、ねじらずにひねらずにスムーズに力を伝える蹴りを研究して稽古して来ました。少し自分で納得出来る蹴りを蹴れるようになって来ました。出来ない事が増えると新しい身体の使い方が見つけられるので、それはそれで楽しかったりします。これからも諦めず精進して行こうと思います。
昨年の8月の手術の前ぐらいに肩を悪くしてからベンチプレスが出来なくなってしまいました。今年に入ってから少しずつ肩が良くなり、何故かインクラインベンチプレスなら出来るようになりました。なので胸の種目はインクラインベンチプレスとペクトラルフライとケーブルクロスオーバーとディップスとダンベルプルオーバーを行っていました。でも何故か肩の調子が良くなって来たので、月曜日の胸のトレーニングの日に加え、金曜日の筋トレの時間に道場生達とベンチプレスだけ一緒にやるようにしていました。今日は1セット目は100キロを5回、2セット目は100キロを3回、3セット目は90キロを5回、上げることが出来ました。20代の頃は170キロを上げていたので、その頃の記録にはまだまだ及びませんが、51歳の自分の成長を楽しく感じています。今年の終わりには100キロを10回上げれるよう頑張りたいと思います。若い頃に出来ていた事の半分ぐらいの事が今は半分しか出来ないのに、それを一生懸命にやるなんて馬鹿らしいと思う人もいるかもしれませんが、私は自分が降って行く景色を楽しんで生きて行きたいと思っています。全てをポジティブに考えて全てを自分が楽しめる事にして行きたいと思っています。長男が初めてチンニングを1回出来るようになったそうです。自分に向いている事や出来る事をもっと出来るようにする事よりも、自分に向いていない事や出来ない事を少しでも出来るようにする事の方が困難です。でもだからこそそれは素晴らしい事です。
私は老いという物は年齢から来る物ではないのではないか?と思っています。情熱や挑戦する気持がなくなり、自分の可能性に限界を感じもうこのぐらいで良いと諦めたり満足したり、毎日をワクワクしてドキドキして楽しく過ごせなくなった時に老いてしまうのではないかなと思います。情熱は何故なくなってしまうのだろう。1番の敵は何なのだろうと考えてみました。それは時間と慣れだと思います。時間が経てば火も消えてしまいます。時間が経てば飽きてしまいます。時間が経てば慣れてしまいます。時間が経てばダラけてしまいます。でもみんな同じ時間を経過しています。時間が経っても情熱を持ち続けていられる人は情熱に常に新しい情熱を付け足して行ける人だと思います。何かを諦めたり辞めてしまう原因と言うか1番の的は大きな壁に打ち当たって挫折する事ではありません。以外に飽きてしまう事や慣れてしまう事だと思います。そしてそれ以上の楽しみを見つけてしまう事だと思います。私は極真空手を始めてから、先輩や仲間や後輩や道場生が辞めていくのをたくさん見てきました。もちろんみんなそれなりに出来ない理由があったのだと思います。だから笑顔で送り出します。でも心のなかでは「男だったら決めた事は最後までやろーぜ!」って思います。
ここ3年以上、ギックリ腰になっていません。それまでは1年に1〜2回は必ずギックリ腰になっていました。それも毎日1時間は入浴し、1時間はストレッチをし月に2〜3回は針治療をしていたのに、毎年必ず1〜2回はギックリ腰になっていたのです。それがこの3年間は全くギックリ腰になっていません。毎日の入浴とストレッチは続けていますが、今は針治療には全く行っていません。何が原因なのか?を考えてみましたが分かりません。思い付く事は膝やアキレス腱や股関節を悪くした事でギックリ腰になるほどの運動が出来なくなった。もしくはギックリ腰の原因になっていた動きが出来なくなった。でも今は怪我以前のように動けているので、この可能性は薄いと思います。45歳からウエイトトレーニングを始めてしっかりと筋肉が付いて来たのでギックリ腰にならなくなった。確信はありませんが、この可能性は凄く高いと思います。特に腹筋と背筋と首はしっかりと鍛えているので、背骨周りの筋肉がしっかりと付いて来てギックリ腰にならなくなったような気もします。もう針治療は2年は行っていないと思います。
kanno
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