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私は極真空手を始めてからは自分の行く道は自分で決めて来ました。なので今の自分が今の自分なのは誰のせいでもなく自分のせいです。ですが今の自分が今の自分なのはたくさんの方々のおかげです。心からそう思っています。心から感謝しています。そして今の自分になれて本当に良かったと思っています。自分の人生にこれ以上の欲はありません。もっと欲を持った方が良いと言う人もいるかもしれませんが、今の自分が本当に自分らしく生きていると思うので、これ以上の欲はありません。毎日の稽古が楽しくて、道場生に空手を教えて行けて、週末には家族とビールを飲みながら妻が作った美味しいご飯を食べて家族で楽しく話をしてと言う毎日があれば、これ以上何も望むものはありません。昨日もそんな週末を過ごす事が出来ました。そんな時間は嫌な事も苦しい事も全部忘れる事が出来ます。少し偏屈で暗くて変なところに真面目で、ゆとりのない私を妻と子供達が、私を笑わせて心を緩めてくれます。自分が子供の頃に思い描いていた自分の十倍は幸せになれています。だから本当に今の自分で良かったと思っています。
めずらしく長男と次男が個人レッスンを受けに来ました。スパーリングとウエイトトレーニングを習いたいと言う事でした。前半はスパーリングをして悪い所をミットで稽古して、後半はベンチプレスとチンニングとショルダープレスとアームカールを行いました。そのあと3人でお昼ご飯を食べました。いつも少食の長男も身体を動かしてお腹が空いたようでたくさん食べていました。自分の持っている可能性や才能を最大限に引き出して欲しいと思います。
ゴールデンウィークの不摂生で103キロだった体重が、やっと100キロを切りました。しっかり筋肉の量は増えたので、ここから脂肪を落としてパワーがあって素速く動けるカッコイイ身体にして行こうと思います。51歳には見えないと言われるように頑張ろうと思います。筋肉の量を増やしてから体重が簡単に落ちるようになったと思います。食事制限なしで1週間ウエイトトレーニングのあとに20分エアロバイクで有酸素運動をしただけで3キロ落ちたので、前よりかなり体重が落ちやすくなったと思います。たぶん筋肉の量が増えた事で基礎代謝が上がったのだと思います。最強の60歳を目指して頑張って行こうと思います。
次男は本当に優しい子です。今日の夕食は次男が作ったそうです。肉野菜炒めと味噌汁も次男が作ってくれました。お世辞じゃなく本当に美味しかったです。自分にこんなに幸せな未来が待っていたなんてって思ったら感動で涙が出そうになりました。でもまた泣くと子供達にウザがられるので我慢しました。本当に生まれて来て良かったし、本当に生きていて良かったと思います。次男には本当に感謝しています。「僕にいつも笑いと幸せをくれて本当にありがとう!」いつか次男がこの日記を見てくれたら嬉しいです。
私は10代の頃は時間にとてもルーズな人間でした。なので福島時代の中学校や高校の友達や後輩には私は時間にルーズだとずっと言われていました。35歳を過ぎた頃からやっとそのイメージは払拭されました。なので1度悪いイメージが出来てしまうとそれを払拭するには15年ぐらいはかかると思ってよいのだと思います。私が時間に厳しくなったのは東京に上京してからです。私は東京に上京し極真会館城西支部阿佐ヶ谷道場に移籍をしました。その道場は格闘マシーンと言われた黒澤浩樹先生の道場でした。私は黒澤先生に気に入られて一緒にトレーニングさせて頂いていました。黒澤先生と待合せをする事があり、私は時間の5分くらい前に到着しましたが、そこに黒澤先生がもう到着していました。私は黒澤先生に「先生よりあとに来るとはどう言う事だ!」と叱られぶん殴られました。黒澤先生は絶対に時間に遅れない人でした。それから私は黒澤先生と待合せをする時は30分から1時間は早く到着するようになりました。そして誰と待合せをしても絶対に時間に遅れない人間になりました。友達や後輩や生徒と待合せをしても私1番早く到着するようになりました。その後、時間に厳しい事でたくさん得をしているので黒澤先生には本当に感謝しています。私の妻も子供達も私と待ち合わせする時は遅れないようピリピリするそうです。道場生も最初は遅刻をしてしまう子もそのうち遅刻をしないようになっています。時間に遅れると本当に損をします。極真空手をやって良かったと思う事の1つは時間を厳守出来る人になった事です。
51歳にもなれば、自分の身体の事はだいたい把握しています。得意な動き、不得意な動き、自分の身体の柔らかさ、自分の身体の硬さ、自分の身体の限界、筋肉の発達しやすい箇所、筋肉の発達しにくい箇所、疲労を抜く方法、食事法、常に身体の事を考えているので、身体の事についてはかなり理解していると思います。ですが自分の身体は毎日変わって行きますし、毎月変わって行きますし、毎年変わって行きます。なので自分の身体に対する理解も変えていかなくてはいけません。なのでトレーニングの仕方も変えていかなければ自分の身体が発達したり良くなる前に、トレーニングをした事によって自分の身体を壊してしまったり体調を崩してしまったりします。その辺も考えてトレーニングして行かなくてはいけません。私は背中よりは胸が発達しやすく、腕は二頭筋よりは三頭筋の方が発達しやすいです。大腿四頭筋、脹脛なんかも発達しやすいです。1番発達がしにくいのは僧帽筋と三角筋、2番目が広背筋です。でも最近はその筋肉の発達しにくい所がとても良くなっています。なぜ良くなったかは、重さに拘らずに回数とフォームを良くしたからだと思います。あとはやり過ぎない事が出来るようになったからだと思います。重さに拘るとフォームが崩れテクニックであげているので筋肉が発達せず怪我もしやすくなります。やり過ぎると披露の回復が遅れ次のトレーニングに影響してしまい結局筋肉の発達は遅れてしまいます。何かを一生懸命にやるといろんな気付きがあってとても楽しいです。
サーティワンのレギュラーサイズ6個買えるギフト券を頂きました。その券で明日、サーティワンにアイスを買いに行くと言う事になったのですが、私の家族は4人なので2個余ります。なので2人はアイスを2個食べる事が出来ます。その2人をジャンケンで決めようと言う事になりました。妻が「アイスを2個食べたい人ー!?」と言ったら長男と次男は「ハーイ!」と手を上げました。私は「じゃあ、1つでイイや」と言うと、妻に「それじゃ面白くないじゃん!」と言われて、私も「ハーイ!」と手をあげる事になりました。どうせやるなら真剣にと言うのが私の信条なので、真剣にジャンケンをやる事になりました。2回アイコになり、妻が勝ち1抜けしました。長男と次男と私でやり、長男が負けました。私と次男でやり、2回アイコになり、次男が勝ち、妻と次男がアイスを2個食べる権利を得ました。家族4人で真剣にジャンケンしてる時間はなかなか楽しいものでした。楽しい事には乗っかると言う事を学びました。私はナッツトゥーユーを食べようと思います。
左耳の突発性難聴の治療をここで終わろうと思います。今の左耳の現状は耳鳴りは全くなりました。目眩もほぼほぼ収まりました。左耳の聴力はもう自分では気になりません。そんなに改善はされていないのですが、慣れたせいなのか最初の頃に比べれば、格段に良くなった気はしています。これ以上薬を飲み続けると肝臓とか身体にも負担をかけてしまうと思いますし、これ以上は改善はしないと思います。高気圧酸素治療は高額なので、もうやるつもりはありません。生きて行く事に不便は有りませんし、空手の指導や自分の稽古にも支障はありません。51歳らしく身体が衰えたと思えば苦ではありません。皆様のお気遣いのおかげで前よりは断然良くなりました。本当に本当に感謝しております。自分の身体に何が起ころうと強く生きて行きたいと思います。
昨日は両親から送って頂いたお金で食事をしに行きました。長男と次男にと両親が送ってくれたお金なので、長男と次男にどこに行きたいと聞いたら「くら寿司が良い」と言うので、川崎にあるくら寿司に行きました。私は普段あまり知らないお店には入らないですし、決まった物しか食べないので、回転寿司は苦手です。何を選ぶかに頭がフル回転して会話が出来なくなってしまいます。お店のシステムになれるまでに時間がかかってしまいます。なので考えているうちにお腹がいっぱいになりあまり食べる事が出来ませんでした。次男が1番食べて2番が妻で私は3番でした。少食の長男はビリでした。でもとても美味しかったです。長男も次男も大喜びでした。両親には本当に感謝しています。今日は個人レッスンの合間に次男と大森駅で待ち合わせて妻へ母の日のプレゼントを買いに行きました。次男が土曜日の夜に私に「ママへ母の日のプレゼントを買うから一緒に行ってくれる?」と言ってきました。本当は次男がお金も出すと言っていたのですが、そこは私が出してあげました。大森道場から電車で帰る時に、いつかこのお店でママにプレゼントを買ってあげようと思っていたそうです。プレゼントはネックレスだったのですが、「これが可愛いね!」と言って次男が選びました。次男は本当に優しい子です。その良さを無くさないで欲しいと思います。個人レッスンのあとは神宮球場にヤクルト対巨人を観に行きました。外野の三塁側の席だったのでさが、次男は秋広選手が好きなのですぐ近くに秋広選手が守っていて、凄く喜んでいました。次男は前回の観戦で秋広選手のタオルを買って、今回は秋広選手のTシャツを買っていました。外野席は攻撃の時はみんな立ち上がって応援歌を歌って応援するので、盛り上がってとても楽しかったです。長男と妻は野球が好きなので凄く盛り上がっていました。妻は自分の高校が野球部がが甲子園に行ったので、チアで甲子園に行ったので野球が好きになったそうです。長男と次男は野球のゲームをやり始めて野球が好きになりました。私は家族が野球が好きなので、1人で嫌いだと言っていたらつまらないので、もう乗っかって好きになってやれ!という感じで好きになりました。岡本のホームランを観れたので良かったです。先発投手だった高橋礼選手、吉川選手、佐々木選手、萩尾選手、小林選手、重信選手、今日もかなり選手な名前を覚えました。巨人ファンデビューしたばかりなので、まだこんな感じです。野球観戦は本当に面白いです。ビールを飲みながら美味しい物も食べて最高ですね。観戦してる人の譲り合いやマナーも良いし、ヤジも無いし、応援も温かく、負けても相手が良かったんだなって感じで、誰も傷つかないのが良いです。次に観戦に行くまでに応援歌を覚えようと思っています。丸選手、岡本選手、小林選手、秋広選手、あたりから覚えようと思います。
5月10日で長男は極真空手を始めてから10年が経ちました。10年何かを続ける事はなかなか難しいです。私は道場を21年運営していますが、ちゃんと継続して稽古していて10年続けた道場生は片手で数えられるぐらいしかいません。それだけ難しい事です。長男は4歳からは試合にも定期的にしっかり出ているので、それもすごい事だと思います。長男は極真空手を始めた記憶は微かにあるようです。ですがハッキリと覚えている訳ではありません。そりゃあ3歳では自分の意志もまだハッキリとは無かったと思います。ようは極真空手の稽古を見学してお父さんが空手をやってるから格好良く見えて、そこに「どう極真空手をやってみる?」と聞かれ、「うん」と答えたんだと思います。それを自分の意志とされて、自分で決めたのだから最後まで頑張れと言われ、辛い時も辞めたい時もたくさんあったと思いますが、頑張って続けて来た訳です。だからこそ今まで頑張って来た事は本当に凄いと思います。私は100%自分の意志で始め、辞めろと言う人はいても、続けろと言う人はいなかったので、自分が100%やりたくてやって来ただけです。たぶん長男はそうでは無いので、なかなか大変だったと思います。でも私は長男に稽古にしろ試合にしろ無理強いをした事はありませんし、稽古も試合も強制したり、出ないからと怒ったりした事もありません。長男が極真空手を続けて来れたのは、たぶん私との絆や仲間との絆やご父兄様との絆や道場との紲を繋げたいと思ったからだと思います。長男が極真空手を始めた事で私と長男の会話が増えましたし、絆も深まったと思いますし、1番は父親として尊敬と信頼を得る事が出来たと思います。極真空手の試合はなかなかキツイです。極真空手は殴る蹴ると言う技で3分間フルに戦い、たったの3分間で結果を出されてしまいます。だから自分の全てを3分間で出さなくてはいけません。そしてその反面に3分間、相手の技をフルに受けなくてはなりません。格闘技は格好良く見えますが、格好良いだけでは終われません。これは野球を見るようになって思う事です。格闘技や武道はスポーツではありません。どちらかと言えば闘牛や闘鶏や剣闘や昔コロッセオで行われていた物と近い物です。そういう物をブラッドスポーツと言うそうです。社会的にやってはいけない殴る蹴ると言う行為を誰かの立会のもとに人が見ている前でやるわけですから、命の危険も感じるでしょうし、勝てば制服感があり、負ければ敗北感が強くあります。打撃系格闘技を殴る蹴る倒す物と捉える人もいると思いますが、逆に言えば打撃系格闘技は殴られる蹴られる倒される物です。だから試合前の恐怖や緊張感は半端なものではありません。相手を憎まずにはやっていられない、勝ったら喜ばずにはいられない、負けたら落ち込まずにはいられないのだと思います。でも自分の本性が出たその時に自分で自分の心をコントロールして、自分を保っていられる強い人になって欲しいと思います。だから私はどんなに普段は謙虚にして笑っていても、試合場で見せる顔や態度がその人の根本にある本当の本性だと思っています。長男には本当に強い人間になって欲しいから極真空手をやらせました。そしてその自分の得た力や技術や精神力や経験で自分や周りの人を幸せにして欲しいと思っています。長男が20歳になったら、道場でガチの組手をしてあげようと思っています。たぶん私は負けるでしょう。その時にはビールで乾杯して成人の祝をしてあげようと思っています。
kanno
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