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2024年05月17日(金) いつも笑いと幸せをくれる次男

次男は本当に優しい子です。今日の夕食は次男が作ったそうです。肉野菜炒めと味噌汁も次男が作ってくれました。お世辞じゃなく本当に美味しかったです。自分にこんなに幸せな未来が待っていたなんてって思ったら感動で涙が出そうになりました。でもまた泣くと子供達にウザがられるので我慢しました。本当に生まれて来て良かったし、本当に生きていて良かったと思います。次男には本当に感謝しています。「僕にいつも笑いと幸せをくれて本当にありがとう!」いつか次男がこの日記を見てくれたら嬉しいです。


2024年05月16日(木) 極真空手をやって良かったこと

私は10代の頃は時間にとてもルーズな人間でした。なので福島時代の中学校や高校の友達や後輩には私は時間にルーズだとずっと言われていました。35歳を過ぎた頃からやっとそのイメージは払拭されました。なので1度悪いイメージが出来てしまうとそれを払拭するには15年ぐらいはかかると思ってよいのだと思います。私が時間に厳しくなったのは東京に上京してからです。私は東京に上京し極真会館城西支部阿佐ヶ谷道場に移籍をしました。その道場は格闘マシーンと言われた黒澤浩樹先生の道場でした。私は黒澤先生に気に入られて一緒にトレーニングさせて頂いていました。黒澤先生と待合せをする事があり、私は時間の5分くらい前に到着しましたが、そこに黒澤先生がもう到着していました。私は黒澤先生に「先生よりあとに来るとはどう言う事だ!」と叱られぶん殴られました。黒澤先生は絶対に時間に遅れない人でした。それから私は黒澤先生と待合せをする時は30分から1時間は早く到着するようになりました。そして誰と待合せをしても絶対に時間に遅れない人間になりました。友達や後輩や生徒と待合せをしても私1番早く到着するようになりました。その後、時間に厳しい事でたくさん得をしているので黒澤先生には本当に感謝しています。私の妻も子供達も私と待ち合わせする時は遅れないようピリピリするそうです。道場生も最初は遅刻をしてしまう子もそのうち遅刻をしないようになっています。時間に遅れると本当に損をします。極真空手をやって良かったと思う事の1つは時間を厳守出来る人になった事です。


2024年05月15日(水) 自分の身体

51歳にもなれば、自分の身体の事はだいたい把握しています。得意な動き、不得意な動き、自分の身体の柔らかさ、自分の身体の硬さ、自分の身体の限界、筋肉の発達しやすい箇所、筋肉の発達しにくい箇所、疲労を抜く方法、食事法、常に身体の事を考えているので、身体の事についてはかなり理解していると思います。ですが自分の身体は毎日変わって行きますし、毎月変わって行きますし、毎年変わって行きます。なので自分の身体に対する理解も変えていかなくてはいけません。なのでトレーニングの仕方も変えていかなければ自分の身体が発達したり良くなる前に、トレーニングをした事によって自分の身体を壊してしまったり体調を崩してしまったりします。その辺も考えてトレーニングして行かなくてはいけません。私は背中よりは胸が発達しやすく、腕は二頭筋よりは三頭筋の方が発達しやすいです。大腿四頭筋、脹脛なんかも発達しやすいです。1番発達がしにくいのは僧帽筋と三角筋、2番目が広背筋です。でも最近はその筋肉の発達しにくい所がとても良くなっています。なぜ良くなったかは、重さに拘らずに回数とフォームを良くしたからだと思います。あとはやり過ぎない事が出来るようになったからだと思います。重さに拘るとフォームが崩れテクニックであげているので筋肉が発達せず怪我もしやすくなります。やり過ぎると披露の回復が遅れ次のトレーニングに影響してしまい結局筋肉の発達は遅れてしまいます。何かを一生懸命にやるといろんな気付きがあってとても楽しいです。


2024年05月14日(火) 家族でアイスを2個食べる権利を得るジャンケンをする

サーティワンのレギュラーサイズ6個買えるギフト券を頂きました。その券で明日、サーティワンにアイスを買いに行くと言う事になったのですが、私の家族は4人なので2個余ります。なので2人はアイスを2個食べる事が出来ます。その2人をジャンケンで決めようと言う事になりました。妻が「アイスを2個食べたい人ー!?」と言ったら長男と次男は「ハーイ!」と手を上げました。私は「じゃあ、1つでイイや」と言うと、妻に「それじゃ面白くないじゃん!」と言われて、私も「ハーイ!」と手をあげる事になりました。どうせやるなら真剣にと言うのが私の信条なので、真剣にジャンケンをやる事になりました。2回アイコになり、妻が勝ち1抜けしました。長男と次男と私でやり、長男が負けました。私と次男でやり、2回アイコになり、次男が勝ち、妻と次男がアイスを2個食べる権利を得ました。家族4人で真剣にジャンケンしてる時間はなかなか楽しいものでした。楽しい事には乗っかると言う事を学びました。私はナッツトゥーユーを食べようと思います。


2024年05月13日(月) 左耳の状態

左耳の突発性難聴の治療をここで終わろうと思います。今の左耳の現状は耳鳴りは全くなりました。目眩もほぼほぼ収まりました。左耳の聴力はもう自分では気になりません。そんなに改善はされていないのですが、慣れたせいなのか最初の頃に比べれば、格段に良くなった気はしています。これ以上薬を飲み続けると肝臓とか身体にも負担をかけてしまうと思いますし、これ以上は改善はしないと思います。高気圧酸素治療は高額なので、もうやるつもりはありません。生きて行く事に不便は有りませんし、空手の指導や自分の稽古にも支障はありません。51歳らしく身体が衰えたと思えば苦ではありません。皆様のお気遣いのおかげで前よりは断然良くなりました。本当に本当に感謝しております。自分の身体に何が起ころうと強く生きて行きたいと思います。


2024年05月12日(日) くら寿司と母の日のプレゼントと野球観戦

昨日は両親から送って頂いたお金で食事をしに行きました。長男と次男にと両親が送ってくれたお金なので、長男と次男にどこに行きたいと聞いたら「くら寿司が良い」と言うので、川崎にあるくら寿司に行きました。私は普段あまり知らないお店には入らないですし、決まった物しか食べないので、回転寿司は苦手です。何を選ぶかに頭がフル回転して会話が出来なくなってしまいます。お店のシステムになれるまでに時間がかかってしまいます。なので考えているうちにお腹がいっぱいになりあまり食べる事が出来ませんでした。次男が1番食べて2番が妻で私は3番でした。少食の長男はビリでした。でもとても美味しかったです。長男も次男も大喜びでした。両親には本当に感謝しています。今日は個人レッスンの合間に次男と大森駅で待ち合わせて妻へ母の日のプレゼントを買いに行きました。次男が土曜日の夜に私に「ママへ母の日のプレゼントを買うから一緒に行ってくれる?」と言ってきました。本当は次男がお金も出すと言っていたのですが、そこは私が出してあげました。大森道場から電車で帰る時に、いつかこのお店でママにプレゼントを買ってあげようと思っていたそうです。プレゼントはネックレスだったのですが、「これが可愛いね!」と言って次男が選びました。次男は本当に優しい子です。その良さを無くさないで欲しいと思います。個人レッスンのあとは神宮球場にヤクルト対巨人を観に行きました。外野の三塁側の席だったのでさが、次男は秋広選手が好きなのですぐ近くに秋広選手が守っていて、凄く喜んでいました。次男は前回の観戦で秋広選手のタオルを買って、今回は秋広選手のTシャツを買っていました。外野席は攻撃の時はみんな立ち上がって応援歌を歌って応援するので、盛り上がってとても楽しかったです。長男と妻は野球が好きなので凄く盛り上がっていました。妻は自分の高校が野球部がが甲子園に行ったので、チアで甲子園に行ったので野球が好きになったそうです。長男と次男は野球のゲームをやり始めて野球が好きになりました。私は家族が野球が好きなので、1人で嫌いだと言っていたらつまらないので、もう乗っかって好きになってやれ!という感じで好きになりました。岡本のホームランを観れたので良かったです。先発投手だった高橋礼選手、吉川選手、佐々木選手、萩尾選手、小林選手、重信選手、今日もかなり選手な名前を覚えました。巨人ファンデビューしたばかりなので、まだこんな感じです。野球観戦は本当に面白いです。ビールを飲みながら美味しい物も食べて最高ですね。観戦してる人の譲り合いやマナーも良いし、ヤジも無いし、応援も温かく、負けても相手が良かったんだなって感じで、誰も傷つかないのが良いです。次に観戦に行くまでに応援歌を覚えようと思っています。丸選手、岡本選手、小林選手、秋広選手、あたりから覚えようと思います。


2024年05月11日(土) 長男は極真空手を始めて10年になりました

5月10日で長男は極真空手を始めてから10年が経ちました。10年何かを続ける事はなかなか難しいです。私は道場を21年運営していますが、ちゃんと継続して稽古していて10年続けた道場生は片手で数えられるぐらいしかいません。それだけ難しい事です。長男は4歳からは試合にも定期的にしっかり出ているので、それもすごい事だと思います。長男は極真空手を始めた記憶は微かにあるようです。ですがハッキリと覚えている訳ではありません。そりゃあ3歳では自分の意志もまだハッキリとは無かったと思います。ようは極真空手の稽古を見学してお父さんが空手をやってるから格好良く見えて、そこに「どう極真空手をやってみる?」と聞かれ、「うん」と答えたんだと思います。それを自分の意志とされて、自分で決めたのだから最後まで頑張れと言われ、辛い時も辞めたい時もたくさんあったと思いますが、頑張って続けて来た訳です。だからこそ今まで頑張って来た事は本当に凄いと思います。私は100%自分の意志で始め、辞めろと言う人はいても、続けろと言う人はいなかったので、自分が100%やりたくてやって来ただけです。たぶん長男はそうでは無いので、なかなか大変だったと思います。でも私は長男に稽古にしろ試合にしろ無理強いをした事はありませんし、稽古も試合も強制したり、出ないからと怒ったりした事もありません。長男が極真空手を続けて来れたのは、たぶん私との絆や仲間との絆やご父兄様との絆や道場との紲を繋げたいと思ったからだと思います。長男が極真空手を始めた事で私と長男の会話が増えましたし、絆も深まったと思いますし、1番は父親として尊敬と信頼を得る事が出来たと思います。極真空手の試合はなかなかキツイです。極真空手は殴る蹴ると言う技で3分間フルに戦い、たったの3分間で結果を出されてしまいます。だから自分の全てを3分間で出さなくてはいけません。そしてその反面に3分間、相手の技をフルに受けなくてはなりません。格闘技は格好良く見えますが、格好良いだけでは終われません。これは野球を見るようになって思う事です。格闘技や武道はスポーツではありません。どちらかと言えば闘牛や闘鶏や剣闘や昔コロッセオで行われていた物と近い物です。そういう物をブラッドスポーツと言うそうです。社会的にやってはいけない殴る蹴ると言う行為を誰かの立会のもとに人が見ている前でやるわけですから、命の危険も感じるでしょうし、勝てば制服感があり、負ければ敗北感が強くあります。打撃系格闘技を殴る蹴る倒す物と捉える人もいると思いますが、逆に言えば打撃系格闘技は殴られる蹴られる倒される物です。だから試合前の恐怖や緊張感は半端なものではありません。相手を憎まずにはやっていられない、勝ったら喜ばずにはいられない、負けたら落ち込まずにはいられないのだと思います。でも自分の本性が出たその時に自分で自分の心をコントロールして、自分を保っていられる強い人になって欲しいと思います。だから私はどんなに普段は謙虚にして笑っていても、試合場で見せる顔や態度がその人の根本にある本当の本性だと思っています。長男には本当に強い人間になって欲しいから極真空手をやらせました。そしてその自分の得た力や技術や精神力や経験で自分や周りの人を幸せにして欲しいと思っています。長男が20歳になったら、道場でガチの組手をしてあげようと思っています。たぶん私は負けるでしょう。その時にはビールで乾杯して成人の祝をしてあげようと思っています。


2024年05月10日(金) 自分を活かす生き方と自分の心地よい生き方

どんな人にでもその人その人が持っているよいところや才能が必ずあると私は思います。それはたくさんの子供達と接する空手の先生という仕事をしてみて思う事です。1時期良く聴いた、子供はみんな天才だと言うのは少し言い過ぎだとは思いますが、必ず良いところや才能は持っています。そして1人1人に必ず個性と言うものがあります。その良いところや才能や個性を活かせる物や向いている物や好きな物を見つける事が出来たら、人生は楽しくなると思います。そしてその自分の良いところや才能や個性を活かせる物や向いている物を見つけたならば、その道で生きて行けるよう、どんな犠牲を払ってでも石にかじりついてでも頑張って努力して欲しいと思います。私は勉強して良い学校に行って良い会社に入って高い給料をもらって家を買って車を買って会社を退職する時には退職金をもらって年金をもらってと言うレールからはドロップアウトした人間ですが、自分の好きな事をして生きています。好きな事をして生きて行けるようになるまためには努力をしました。私ももう51歳です。これからは無理をする事や自分が嫌いな事や自分が苦しくなる努力をするのはもう止めようと思います。自分の心地よいこの場所で生きて行こうと思います。今までこの顔でこの身体でこの性格で生きて来たのだから、やっぱり私は私だと思います。努力をして無理をして手に入れられる物だったらとうの昔に手に入れているはずです。自分を変えられるぐらいだったら、もうとっくの昔に変えられているはずです。もちろん若いうちは自分を変えようと最大限努力して、なりたい自分や、こうなりたいという未来を作って行って欲しいと思います。でも歳をとったらそんな事は止めてもいいのではないか?と私は思っています。自分の心地よい場所や自分の心地よい仕事や自分の心地よい人達が必ずいるはずです。そこを見つけて行けば良いのではないかと思います。そのためにはもちろん捨てなければならない物もあるでしょうし、贅沢ばかりは言っていられなくなるかもしれません。でも結局は人間は最後には自分の得た物を全て捨ててこの世を去らなければいけません。生きている間に人生を楽しまなかったら、生まれた事が勿体ないと思います。だから私はもう好きな事のために自分の心地よい場所を守るためにだけ頑張って、好きな人達と美味しい物を食べて美味しいお酒を飲んで楽しい時間をたくさん増やしたいと思っています。


2024年05月09日(木) 母に送ってもらった物

今年で東京に来て31年が経ちました。本当に紆余曲折でした。困らずに自分の力でご飯が食べる事が出来るようになったのなんて30歳を過ぎてからの事です。私の人生は、いつもお金が無くて困っていました。空手で生きて行くと決めたのだから、それは仕方の無い事だと思っています。今日、私の両親から荷物が届きました。私と妻が好きなお菓子と、子供達に好きな物を食べさせて下さい、とお金が入っていました。昔の事を思い出しました。お金が無くてどうしても困ってしまった時に母に電話してお金を送ってもらった事を思い出しました。お母さんというのは本当に有り難いもので、私が電話をするとお金を送ってくれました。人間は弱っている時には人の優しさが心に染みるものです。お金が届くとコンビニに走りお弁当を買って食べました。どんな物より美味いと思うお弁当でした。子供達の好きな物をお腹いっぱい食べに行きたいと思います。父が私にこう言った事がありました。「ご飯を食べる事は贅沢ではないよ。食べた物は自分の身体になるし、美味しいと幸せを感じて楽しい時間を過ごせるんだから。でも賭事をしたり、無駄に高い車や服を買う事は贅沢になり、お金が無くなってしまった時に、そのお金がもしいま有ればと後悔するよ。」と、今この歳になって本当にその言葉が心に響きます。だから両親に送って頂いたお金を無駄にしないよう、両親に感謝して子供達と美味しい物を食べて来ようと思います。


2024年05月08日(水) 次男が死を怖がる

夜、寝る時に次男が妻に「死ぬのが怖い」と言って泣いたそうです。私も子供の頃から死ぬ事がとても怖かったです。母の兄がお坊さんと言う事もあり、母が仏教に熱心だった事もあり。生きる事や死ぬ事に対して考えさせられる機会がたくさんありました。20代の頃に死を強く意識する出来事があり、死ぬ時に悔いや後悔がないように一生懸命に生きようと思いました。その事もあり、20代、30代、40代はあまり死を怖く感じる事はありませんでした。50歳になり股関節の手術をし、死を身近に感じる体験をし、また今まで生きた時間より、これから生きる時間が少なくなった事から、死を怖いと強く感じるようになりました。でも不思議なのは、手術室に入る時は全く死に対する恐怖を感じる事はありませんでした。試合場に上がる感じでした。もう1度、死という事にしっかりと向かい合いたいと思います。そしてこの死に対する恐怖を克服する事が自分の最後の修行かなと思っています。この死に対する恐怖を克服して答えを出して、子供達に伝えて行きたいと思います。死ぬ事はそんなに怖くないと自分の身を持って教えたいと思います。


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