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5月10日で長男は極真空手を始めてから10年が経ちました。10年何かを続ける事はなかなか難しいです。私は道場を21年運営していますが、ちゃんと継続して稽古していて10年続けた道場生は片手で数えられるぐらいしかいません。それだけ難しい事です。長男は4歳からは試合にも定期的にしっかり出ているので、それもすごい事だと思います。長男は極真空手を始めた記憶は微かにあるようです。ですがハッキリと覚えている訳ではありません。そりゃあ3歳では自分の意志もまだハッキリとは無かったと思います。ようは極真空手の稽古を見学してお父さんが空手をやってるから格好良く見えて、そこに「どう極真空手をやってみる?」と聞かれ、「うん」と答えたんだと思います。それを自分の意志とされて、自分で決めたのだから最後まで頑張れと言われ、辛い時も辞めたい時もたくさんあったと思いますが、頑張って続けて来た訳です。だからこそ今まで頑張って来た事は本当に凄いと思います。私は100%自分の意志で始め、辞めろと言う人はいても、続けろと言う人はいなかったので、自分が100%やりたくてやって来ただけです。たぶん長男はそうでは無いので、なかなか大変だったと思います。でも私は長男に稽古にしろ試合にしろ無理強いをした事はありませんし、稽古も試合も強制したり、出ないからと怒ったりした事もありません。長男が極真空手を続けて来れたのは、たぶん私との絆や仲間との絆やご父兄様との絆や道場との紲を繋げたいと思ったからだと思います。長男が極真空手を始めた事で私と長男の会話が増えましたし、絆も深まったと思いますし、1番は父親として尊敬と信頼を得る事が出来たと思います。極真空手の試合はなかなかキツイです。極真空手は殴る蹴ると言う技で3分間フルに戦い、たったの3分間で結果を出されてしまいます。だから自分の全てを3分間で出さなくてはいけません。そしてその反面に3分間、相手の技をフルに受けなくてはなりません。格闘技は格好良く見えますが、格好良いだけでは終われません。これは野球を見るようになって思う事です。格闘技や武道はスポーツではありません。どちらかと言えば闘牛や闘鶏や剣闘や昔コロッセオで行われていた物と近い物です。そういう物をブラッドスポーツと言うそうです。社会的にやってはいけない殴る蹴ると言う行為を誰かの立会のもとに人が見ている前でやるわけですから、命の危険も感じるでしょうし、勝てば制服感があり、負ければ敗北感が強くあります。打撃系格闘技を殴る蹴る倒す物と捉える人もいると思いますが、逆に言えば打撃系格闘技は殴られる蹴られる倒される物です。だから試合前の恐怖や緊張感は半端なものではありません。相手を憎まずにはやっていられない、勝ったら喜ばずにはいられない、負けたら落ち込まずにはいられないのだと思います。でも自分の本性が出たその時に自分で自分の心をコントロールして、自分を保っていられる強い人になって欲しいと思います。だから私はどんなに普段は謙虚にして笑っていても、試合場で見せる顔や態度がその人の根本にある本当の本性だと思っています。長男には本当に強い人間になって欲しいから極真空手をやらせました。そしてその自分の得た力や技術や精神力や経験で自分や周りの人を幸せにして欲しいと思っています。長男が20歳になったら、道場でガチの組手をしてあげようと思っています。たぶん私は負けるでしょう。その時にはビールで乾杯して成人の祝をしてあげようと思っています。
どんな人にでもその人その人が持っているよいところや才能が必ずあると私は思います。それはたくさんの子供達と接する空手の先生という仕事をしてみて思う事です。1時期良く聴いた、子供はみんな天才だと言うのは少し言い過ぎだとは思いますが、必ず良いところや才能は持っています。そして1人1人に必ず個性と言うものがあります。その良いところや才能や個性を活かせる物や向いている物や好きな物を見つける事が出来たら、人生は楽しくなると思います。そしてその自分の良いところや才能や個性を活かせる物や向いている物を見つけたならば、その道で生きて行けるよう、どんな犠牲を払ってでも石にかじりついてでも頑張って努力して欲しいと思います。私は勉強して良い学校に行って良い会社に入って高い給料をもらって家を買って車を買って会社を退職する時には退職金をもらって年金をもらってと言うレールからはドロップアウトした人間ですが、自分の好きな事をして生きています。好きな事をして生きて行けるようになるまためには努力をしました。私ももう51歳です。これからは無理をする事や自分が嫌いな事や自分が苦しくなる努力をするのはもう止めようと思います。自分の心地よいこの場所で生きて行こうと思います。今までこの顔でこの身体でこの性格で生きて来たのだから、やっぱり私は私だと思います。努力をして無理をして手に入れられる物だったらとうの昔に手に入れているはずです。自分を変えられるぐらいだったら、もうとっくの昔に変えられているはずです。もちろん若いうちは自分を変えようと最大限努力して、なりたい自分や、こうなりたいという未来を作って行って欲しいと思います。でも歳をとったらそんな事は止めてもいいのではないか?と私は思っています。自分の心地よい場所や自分の心地よい仕事や自分の心地よい人達が必ずいるはずです。そこを見つけて行けば良いのではないかと思います。そのためにはもちろん捨てなければならない物もあるでしょうし、贅沢ばかりは言っていられなくなるかもしれません。でも結局は人間は最後には自分の得た物を全て捨ててこの世を去らなければいけません。生きている間に人生を楽しまなかったら、生まれた事が勿体ないと思います。だから私はもう好きな事のために自分の心地よい場所を守るためにだけ頑張って、好きな人達と美味しい物を食べて美味しいお酒を飲んで楽しい時間をたくさん増やしたいと思っています。
今年で東京に来て31年が経ちました。本当に紆余曲折でした。困らずに自分の力でご飯が食べる事が出来るようになったのなんて30歳を過ぎてからの事です。私の人生は、いつもお金が無くて困っていました。空手で生きて行くと決めたのだから、それは仕方の無い事だと思っています。今日、私の両親から荷物が届きました。私と妻が好きなお菓子と、子供達に好きな物を食べさせて下さい、とお金が入っていました。昔の事を思い出しました。お金が無くてどうしても困ってしまった時に母に電話してお金を送ってもらった事を思い出しました。お母さんというのは本当に有り難いもので、私が電話をするとお金を送ってくれました。人間は弱っている時には人の優しさが心に染みるものです。お金が届くとコンビニに走りお弁当を買って食べました。どんな物より美味いと思うお弁当でした。子供達の好きな物をお腹いっぱい食べに行きたいと思います。父が私にこう言った事がありました。「ご飯を食べる事は贅沢ではないよ。食べた物は自分の身体になるし、美味しいと幸せを感じて楽しい時間を過ごせるんだから。でも賭事をしたり、無駄に高い車や服を買う事は贅沢になり、お金が無くなってしまった時に、そのお金がもしいま有ればと後悔するよ。」と、今この歳になって本当にその言葉が心に響きます。だから両親に送って頂いたお金を無駄にしないよう、両親に感謝して子供達と美味しい物を食べて来ようと思います。
夜、寝る時に次男が妻に「死ぬのが怖い」と言って泣いたそうです。私も子供の頃から死ぬ事がとても怖かったです。母の兄がお坊さんと言う事もあり、母が仏教に熱心だった事もあり。生きる事や死ぬ事に対して考えさせられる機会がたくさんありました。20代の頃に死を強く意識する出来事があり、死ぬ時に悔いや後悔がないように一生懸命に生きようと思いました。その事もあり、20代、30代、40代はあまり死を怖く感じる事はありませんでした。50歳になり股関節の手術をし、死を身近に感じる体験をし、また今まで生きた時間より、これから生きる時間が少なくなった事から、死を怖いと強く感じるようになりました。でも不思議なのは、手術室に入る時は全く死に対する恐怖を感じる事はありませんでした。試合場に上がる感じでした。もう1度、死という事にしっかりと向かい合いたいと思います。そしてこの死に対する恐怖を克服する事が自分の最後の修行かなと思っています。この死に対する恐怖を克服して答えを出して、子供達に伝えて行きたいと思います。死ぬ事はそんなに怖くないと自分の身を持って教えたいと思います。
ゴールデンウィークが終わりました。休み中も国際親善大会があったり、通い強化合宿があったり、自分のトレーニングはしていたりはしたのですが、やはり気持は少し緩むものです。朝も雨が降っていたので、休みを満喫しすぎた人は仕事や学校に行く事が億劫だったのではないかと思います。そういう私も少し家を出るのが億劫でしたが、始める時が肝心なので、朝家を出て大森道場で柔軟体操をしてからジムに移動しウエイトトレーニングをして、電車で渋谷まで行き代官山道場で技術委員会に参加し、大森道場で指導をし、指導の合間に腹筋や背筋をしました。ゴールデンウィーク初日にしっかりと自分に鞭を入れたので、もう心も身体もしっかりと元に戻りました。
ついにゴールデンウィークも最後の日となりました。午前中にトレーニングをして午後からはゆっくりと過ごしました。4日の土曜日に巨人対阪神戦を見たあと長男が私の両親に電話をして野球の話をしていました。私はあまり両親とうまく話す事が出来ないので、長男が電話していろいろ話してくれてとても嬉しいです。父と母も巨人対阪神戦を見ていたので、野球の話で盛り上がっていました。長男が野球選手で誰が好き?と聞くと父は岡本選手と言っていました。私が長男に今までの選手で1番好きな選手は誰か?聞いてもらうと父は王選手と長嶋選手と言っていました。話し下手の父と話し下手の私が長男のおかげで少し会話が出来た感じがしました。長男には感謝しています。私もここのところはずっと野球中継を見ていたので、けっこう選手も覚えて来ました。巨人の小林選手、丸選手、長野選手、大城選手、阪神の西選手、森下選手、ヤクルトの村上選手、けっこう野球選手の名前を覚えて来ました。
休みの日は思いっきり遊ぼうと言う事で、午前中は子供達とバッティングセンターで遊びました。長男は菅野選手の投球のバッティングに挑戦してから、140キロのバッティングに挑戦していました。140キロは3回ボールに当てていました。次男は70キロに挑戦して、3〜4回ボールに当てていました。長男はそのあとストラットアウトをやっていました。3つパネルを落としました。お昼ご飯を雑色のマクドナルドで食べてから、川崎のTOHOシネマズに映画を観に行きました。私と次男は「ゴジラVSコング2」妻と長男は「変な家」を観ました。
2024年春季通い強化合宿2日目、中学生の譲、琥白、蕗生、光、斗夢が手伝いなどもしてくれて本当に良く頑張ってくれました。一般部は深野さんが頑張って参加してくれました。稽古とは面白いもので、みんなで稽古する方が稽古は苦しくなります。1人で階段ダッシュをするよりも皆で階段ダッシュをする方が競い合うので3倍は苦しくなります。でも皆でやるからその苦しい稽古も最後まで頑張る事が出来ます。初日の午前の稽古は池上本門寺までの往復のランニング、階段ダッシュは中学生と希望者は10本、長距離坂道ダッシュ1本、短距離坂道ダッシュ5本を行いました。途中で気持ち悪くなったり、もう出来ませんと言う人は1人もいませんでした。午後は左のパンチ4種類を中心に稽古をしました。2日目の午前の稽古は型の稽古をしました。三戦と鉄騎その一を行いました。午後は補強を行いました。腕立て伏せ30回×3、腹筋50回×3、背筋50回×3,足上げ腹筋1分×3を交代で行いました。みんな本当に良く頑張りました。
私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2024年春季通い強化合宿でした。もともとこの合宿は私が現役時代にやっていたものです。もう18年も前になりますが、6月に全日本ウエイト制大会があるので、5月のゴールデンウィークは自分で1日8時間の強化合宿を大森道場に泊まって行っていました。朝は池上本門寺まで走り、階段ダッシュや坂道ダッシュなどをみっちりやり込みました。階段ダッシュは最大で20本、長距離の坂道ダッシュは3本、中距離の坂道ダッシュは6本、短距離の坂道ダッシュは20本、行いました。ランニングで大森道場に帰ってきて、お昼ご飯を食べて、午後からウエイトトレーニング、そして最後は夜にミットやスパーリングをやりました。それを毎年3〜4日間行っていました。道場生も朝の稽古だけとか、1日だけとか、夜のミットとスパーリングだけと謂う感じで私に協力してくれました。寺沢裕樹とか前橋妙子さんとかが頑張っていました。本当にあの頃は良く稽古をしていました。日本一稽古している自負があったぐらいでしたが、日本一にはなれませんでした。その稽古を道場生の皆さんに体験してもらっています。今回の合宿には18名の道場生が参加してくれました。みんな良く頑張っていました。
妻と2人で錦糸町にある母方の先祖のお墓参りに行きました。2人でどこかに行くなんて本当に久しぶりなので、少し照れくさい感じです。2人で歩きながら子供達の話などいろんな話をしました。お墓参りのあと錦糸町駅の虎視坦々と言うお店で担々麺を食べました。私は決まったお店で決まった物しか食べない人間ですが、妻と2人だと初めてのお店も開拓出来るのでたのしいです。私も妻も麻婆担々麺を食べましたがとても美味しかったです。妻は山椒が入っていてとても好きな味だと言っていました。妻はビールを飲んでいましたが、私はトレーニングがあったのでビールは我慢しました。駅のホームで隣にいる妻をふと見た時に、まだ付き合う前にもこうして2人で電車を待っていた事があった事を思い出し不思議な気持ちになりました。夕方から柔軟体操とウエイトトレーニングをしました。
kanno
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