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夜、寝る時に次男が妻に「死ぬのが怖い」と言って泣いたそうです。私も子供の頃から死ぬ事がとても怖かったです。母の兄がお坊さんと言う事もあり、母が仏教に熱心だった事もあり。生きる事や死ぬ事に対して考えさせられる機会がたくさんありました。20代の頃に死を強く意識する出来事があり、死ぬ時に悔いや後悔がないように一生懸命に生きようと思いました。その事もあり、20代、30代、40代はあまり死を怖く感じる事はありませんでした。50歳になり股関節の手術をし、死を身近に感じる体験をし、また今まで生きた時間より、これから生きる時間が少なくなった事から、死を怖いと強く感じるようになりました。でも不思議なのは、手術室に入る時は全く死に対する恐怖を感じる事はありませんでした。試合場に上がる感じでした。もう1度、死という事にしっかりと向かい合いたいと思います。そしてこの死に対する恐怖を克服する事が自分の最後の修行かなと思っています。この死に対する恐怖を克服して答えを出して、子供達に伝えて行きたいと思います。死ぬ事はそんなに怖くないと自分の身を持って教えたいと思います。
ゴールデンウィークが終わりました。休み中も国際親善大会があったり、通い強化合宿があったり、自分のトレーニングはしていたりはしたのですが、やはり気持は少し緩むものです。朝も雨が降っていたので、休みを満喫しすぎた人は仕事や学校に行く事が億劫だったのではないかと思います。そういう私も少し家を出るのが億劫でしたが、始める時が肝心なので、朝家を出て大森道場で柔軟体操をしてからジムに移動しウエイトトレーニングをして、電車で渋谷まで行き代官山道場で技術委員会に参加し、大森道場で指導をし、指導の合間に腹筋や背筋をしました。ゴールデンウィーク初日にしっかりと自分に鞭を入れたので、もう心も身体もしっかりと元に戻りました。
ついにゴールデンウィークも最後の日となりました。午前中にトレーニングをして午後からはゆっくりと過ごしました。4日の土曜日に巨人対阪神戦を見たあと長男が私の両親に電話をして野球の話をしていました。私はあまり両親とうまく話す事が出来ないので、長男が電話していろいろ話してくれてとても嬉しいです。父と母も巨人対阪神戦を見ていたので、野球の話で盛り上がっていました。長男が野球選手で誰が好き?と聞くと父は岡本選手と言っていました。私が長男に今までの選手で1番好きな選手は誰か?聞いてもらうと父は王選手と長嶋選手と言っていました。話し下手の父と話し下手の私が長男のおかげで少し会話が出来た感じがしました。長男には感謝しています。私もここのところはずっと野球中継を見ていたので、けっこう選手も覚えて来ました。巨人の小林選手、丸選手、長野選手、大城選手、阪神の西選手、森下選手、ヤクルトの村上選手、けっこう野球選手の名前を覚えて来ました。
休みの日は思いっきり遊ぼうと言う事で、午前中は子供達とバッティングセンターで遊びました。長男は菅野選手の投球のバッティングに挑戦してから、140キロのバッティングに挑戦していました。140キロは3回ボールに当てていました。次男は70キロに挑戦して、3〜4回ボールに当てていました。長男はそのあとストラットアウトをやっていました。3つパネルを落としました。お昼ご飯を雑色のマクドナルドで食べてから、川崎のTOHOシネマズに映画を観に行きました。私と次男は「ゴジラVSコング2」妻と長男は「変な家」を観ました。
2024年春季通い強化合宿2日目、中学生の譲、琥白、蕗生、光、斗夢が手伝いなどもしてくれて本当に良く頑張ってくれました。一般部は深野さんが頑張って参加してくれました。稽古とは面白いもので、みんなで稽古する方が稽古は苦しくなります。1人で階段ダッシュをするよりも皆で階段ダッシュをする方が競い合うので3倍は苦しくなります。でも皆でやるからその苦しい稽古も最後まで頑張る事が出来ます。初日の午前の稽古は池上本門寺までの往復のランニング、階段ダッシュは中学生と希望者は10本、長距離坂道ダッシュ1本、短距離坂道ダッシュ5本を行いました。途中で気持ち悪くなったり、もう出来ませんと言う人は1人もいませんでした。午後は左のパンチ4種類を中心に稽古をしました。2日目の午前の稽古は型の稽古をしました。三戦と鉄騎その一を行いました。午後は補強を行いました。腕立て伏せ30回×3、腹筋50回×3、背筋50回×3,足上げ腹筋1分×3を交代で行いました。みんな本当に良く頑張りました。
私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2024年春季通い強化合宿でした。もともとこの合宿は私が現役時代にやっていたものです。もう18年も前になりますが、6月に全日本ウエイト制大会があるので、5月のゴールデンウィークは自分で1日8時間の強化合宿を大森道場に泊まって行っていました。朝は池上本門寺まで走り、階段ダッシュや坂道ダッシュなどをみっちりやり込みました。階段ダッシュは最大で20本、長距離の坂道ダッシュは3本、中距離の坂道ダッシュは6本、短距離の坂道ダッシュは20本、行いました。ランニングで大森道場に帰ってきて、お昼ご飯を食べて、午後からウエイトトレーニング、そして最後は夜にミットやスパーリングをやりました。それを毎年3〜4日間行っていました。道場生も朝の稽古だけとか、1日だけとか、夜のミットとスパーリングだけと謂う感じで私に協力してくれました。寺沢裕樹とか前橋妙子さんとかが頑張っていました。本当にあの頃は良く稽古をしていました。日本一稽古している自負があったぐらいでしたが、日本一にはなれませんでした。その稽古を道場生の皆さんに体験してもらっています。今回の合宿には18名の道場生が参加してくれました。みんな良く頑張っていました。
妻と2人で錦糸町にある母方の先祖のお墓参りに行きました。2人でどこかに行くなんて本当に久しぶりなので、少し照れくさい感じです。2人で歩きながら子供達の話などいろんな話をしました。お墓参りのあと錦糸町駅の虎視坦々と言うお店で担々麺を食べました。私は決まったお店で決まった物しか食べない人間ですが、妻と2人だと初めてのお店も開拓出来るのでたのしいです。私も妻も麻婆担々麺を食べましたがとても美味しかったです。妻は山椒が入っていてとても好きな味だと言っていました。妻はビールを飲んでいましたが、私はトレーニングがあったのでビールは我慢しました。駅のホームで隣にいる妻をふと見た時に、まだ付き合う前にもこうして2人で電車を待っていた事があった事を思い出し不思議な気持ちになりました。夕方から柔軟体操とウエイトトレーニングをしました。
国際親善大会初日の4月27日で前橋妙子初段が亡くなって8年が経ちました。国際親善大会に18名も出場するぐらい後輩達は頑張っています。3名の入賞者が出ましたよと報告しました。この東京城南京浜支部を始めたのは私です。でもこの東京城南京浜支部は私のものではありません。道場生の皆さんは大山倍達総裁の弟子です。私は大山倍達総裁の孫弟子として、松井章奎館長に認可を頂いて、道場生の皆さんを預からせて頂いています。そして東京城南京浜支部は私が死んだら終わりという道場ではありません。100年先の未来に必ず繋がっている道場です。私が退いても必ず誰かが引き継いでいきます。そして東京城南京浜支部で頑張った人達の意志が次の世の中に繋がって行きます。必ずそうしてみせます。前橋妙子初段にそう話した日から私の意志は揺らいでいません。何があってもこの東京城南京浜支部を残して見せます。
次男は国際親善大会に57キロで登録していたのですが、5日前に61.7キロでした。3キロ以上体重が違うと失格になってしまうので、そこから5日間で2キロのダイエットが始まりました。頑張って毎日身体を動かして食事制限をしたら試合当日は58.6キロまで落ちていました。よく頑張ったと思います。今日はトレーニングをしてから夕方に子供達と土手で野球をしました。子供達と野球をするのは初めてです。たぶん最後に野球をしたのは高校の球技大会以来だと思います。私はボールを投げるのも取るのも打つのも下手ですが、頑張って子供達と野球をしました。なかなか楽しかったです。
私は空手の道場を先生であり経営者です。でもその前に私は空手の求道者です。空手でご飯を食べている訳ですが、別に空手で大金持になろうとしているわけではありません。自分が空手の稽古が出来て、道場をしっかりと運営出来て家族が幸せにご飯を食べて行けるぐらいの生活が出来るぐらいのお金があれば、それ以上の望みはありません。なので私は自営業の社長や経営者とは思っていません。空手の先生とは強く思っています。子供達の成長を見ることが出来るこの空手の先生と言う仕事が出来ている事に幸せを感じています。人の成長に関わる事が出来るこの仕事が私はとても好きです。生徒達から力をもらう事もたくさんあります。生徒達から喜びや幸せをもらう事もたくさんあります。やっぱり自分はこれをやるために生まれて来たんだろうなと思います。というよりこれ以外に自分がこの社会で役に立つ事はありません。だから私はずっとこの道を行きます。今日は次男が、ダウンタウンのガキの使いでやっていた、ききハンバーグをやりたいと言うので、レトルトハンバーグを7種類買って来てやって見ました。次男と長男と私は見事に外し、妻は当てました。「私が食べたのは〜ハンバーグではございません。」と言う時にちょっと笑ってしまいます。長男がハンバーグが好きだと言ってたくさん食べていました。長男はあまり食べないので、食べている姿を見るととても幸せな気持ちになります。
kanno
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