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休みの日は思いっきり遊ぼうと言う事で、午前中は子供達とバッティングセンターで遊びました。長男は菅野選手の投球のバッティングに挑戦してから、140キロのバッティングに挑戦していました。140キロは3回ボールに当てていました。次男は70キロに挑戦して、3〜4回ボールに当てていました。長男はそのあとストラットアウトをやっていました。3つパネルを落としました。お昼ご飯を雑色のマクドナルドで食べてから、川崎のTOHOシネマズに映画を観に行きました。私と次男は「ゴジラVSコング2」妻と長男は「変な家」を観ました。
2024年春季通い強化合宿2日目、中学生の譲、琥白、蕗生、光、斗夢が手伝いなどもしてくれて本当に良く頑張ってくれました。一般部は深野さんが頑張って参加してくれました。稽古とは面白いもので、みんなで稽古する方が稽古は苦しくなります。1人で階段ダッシュをするよりも皆で階段ダッシュをする方が競い合うので3倍は苦しくなります。でも皆でやるからその苦しい稽古も最後まで頑張る事が出来ます。初日の午前の稽古は池上本門寺までの往復のランニング、階段ダッシュは中学生と希望者は10本、長距離坂道ダッシュ1本、短距離坂道ダッシュ5本を行いました。途中で気持ち悪くなったり、もう出来ませんと言う人は1人もいませんでした。午後は左のパンチ4種類を中心に稽古をしました。2日目の午前の稽古は型の稽古をしました。三戦と鉄騎その一を行いました。午後は補強を行いました。腕立て伏せ30回×3、腹筋50回×3、背筋50回×3,足上げ腹筋1分×3を交代で行いました。みんな本当に良く頑張りました。
私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2024年春季通い強化合宿でした。もともとこの合宿は私が現役時代にやっていたものです。もう18年も前になりますが、6月に全日本ウエイト制大会があるので、5月のゴールデンウィークは自分で1日8時間の強化合宿を大森道場に泊まって行っていました。朝は池上本門寺まで走り、階段ダッシュや坂道ダッシュなどをみっちりやり込みました。階段ダッシュは最大で20本、長距離の坂道ダッシュは3本、中距離の坂道ダッシュは6本、短距離の坂道ダッシュは20本、行いました。ランニングで大森道場に帰ってきて、お昼ご飯を食べて、午後からウエイトトレーニング、そして最後は夜にミットやスパーリングをやりました。それを毎年3〜4日間行っていました。道場生も朝の稽古だけとか、1日だけとか、夜のミットとスパーリングだけと謂う感じで私に協力してくれました。寺沢裕樹とか前橋妙子さんとかが頑張っていました。本当にあの頃は良く稽古をしていました。日本一稽古している自負があったぐらいでしたが、日本一にはなれませんでした。その稽古を道場生の皆さんに体験してもらっています。今回の合宿には18名の道場生が参加してくれました。みんな良く頑張っていました。
妻と2人で錦糸町にある母方の先祖のお墓参りに行きました。2人でどこかに行くなんて本当に久しぶりなので、少し照れくさい感じです。2人で歩きながら子供達の話などいろんな話をしました。お墓参りのあと錦糸町駅の虎視坦々と言うお店で担々麺を食べました。私は決まったお店で決まった物しか食べない人間ですが、妻と2人だと初めてのお店も開拓出来るのでたのしいです。私も妻も麻婆担々麺を食べましたがとても美味しかったです。妻は山椒が入っていてとても好きな味だと言っていました。妻はビールを飲んでいましたが、私はトレーニングがあったのでビールは我慢しました。駅のホームで隣にいる妻をふと見た時に、まだ付き合う前にもこうして2人で電車を待っていた事があった事を思い出し不思議な気持ちになりました。夕方から柔軟体操とウエイトトレーニングをしました。
国際親善大会初日の4月27日で前橋妙子初段が亡くなって8年が経ちました。国際親善大会に18名も出場するぐらい後輩達は頑張っています。3名の入賞者が出ましたよと報告しました。この東京城南京浜支部を始めたのは私です。でもこの東京城南京浜支部は私のものではありません。道場生の皆さんは大山倍達総裁の弟子です。私は大山倍達総裁の孫弟子として、松井章奎館長に認可を頂いて、道場生の皆さんを預からせて頂いています。そして東京城南京浜支部は私が死んだら終わりという道場ではありません。100年先の未来に必ず繋がっている道場です。私が退いても必ず誰かが引き継いでいきます。そして東京城南京浜支部で頑張った人達の意志が次の世の中に繋がって行きます。必ずそうしてみせます。前橋妙子初段にそう話した日から私の意志は揺らいでいません。何があってもこの東京城南京浜支部を残して見せます。
次男は国際親善大会に57キロで登録していたのですが、5日前に61.7キロでした。3キロ以上体重が違うと失格になってしまうので、そこから5日間で2キロのダイエットが始まりました。頑張って毎日身体を動かして食事制限をしたら試合当日は58.6キロまで落ちていました。よく頑張ったと思います。今日はトレーニングをしてから夕方に子供達と土手で野球をしました。子供達と野球をするのは初めてです。たぶん最後に野球をしたのは高校の球技大会以来だと思います。私はボールを投げるのも取るのも打つのも下手ですが、頑張って子供達と野球をしました。なかなか楽しかったです。
私は空手の道場を先生であり経営者です。でもその前に私は空手の求道者です。空手でご飯を食べている訳ですが、別に空手で大金持になろうとしているわけではありません。自分が空手の稽古が出来て、道場をしっかりと運営出来て家族が幸せにご飯を食べて行けるぐらいの生活が出来るぐらいのお金があれば、それ以上の望みはありません。なので私は自営業の社長や経営者とは思っていません。空手の先生とは強く思っています。子供達の成長を見ることが出来るこの空手の先生と言う仕事が出来ている事に幸せを感じています。人の成長に関わる事が出来るこの仕事が私はとても好きです。生徒達から力をもらう事もたくさんあります。生徒達から喜びや幸せをもらう事もたくさんあります。やっぱり自分はこれをやるために生まれて来たんだろうなと思います。というよりこれ以外に自分がこの社会で役に立つ事はありません。だから私はずっとこの道を行きます。今日は次男が、ダウンタウンのガキの使いでやっていた、ききハンバーグをやりたいと言うので、レトルトハンバーグを7種類買って来てやって見ました。次男と長男と私は見事に外し、妻は当てました。「私が食べたのは〜ハンバーグではございません。」と言う時にちょっと笑ってしまいます。長男がハンバーグが好きだと言ってたくさん食べていました。長男はあまり食べないので、食べている姿を見るととても幸せな気持ちになります。
国際親善大会が終わりました。東京城南京浜支部からは18名が出場し3名の入賞者を出す事が出来ました。みんな本当に頑張りました。3人の勝利はみんなの勝利です。みんなで頑張って来たから勝つ人が生まれた訳です。そして勝った人はいつも一緒に稽古している仲間やお父さんお母さんや大会を作ってくれた極真会館の関係者にも感謝して欲しいと思います。負けた人は次は自分が輝いて見せるんだと言う気持で次に繋げて努力して行って欲しいと思います。私も子供達の頑張っている姿に感動させられましたし、力をたくさんもらいました。その力をまた生徒達に返して行きたいと思います。私は型は第7コートの主審を務め、組手は第3コートの主審を務めました。試合を裁きながら、勉強になる事やこれからの稽古のヒントをたくさん見つけました。通い合宿ではそれをホットなうちに指導して行こうと思います。
本日は国際親善大会初日が行われました。みんな本当によく頑張りました。私の長男も出場しました。1回戦で敗けてしまいましたが、3歳から空手を始めて、幼稚園生の時からずっと国際親善大会に出場しているので大したものだと思います。敗けたとしても、健康に育って空手を辞めずに試合に出て頑張っている姿を見せてくれているのだから、本当に親孝行な子供だと思っています。それだけで私は十分に満足しています。長男が試合に出る事でどれだけ私が熱い気持ちになって楽しませてもらっているか分かりません。本当に本当にありがとう!と思っています。次男はわんぱく相撲の大会でした。初めて1回勝ったそうです。良く頑張ったと思います。長男にも次男にもこの結果をこれから先の人生の糧にして頑張って欲しいと思います。この結果にいつか感謝出来るように明日からまた頑張って生きて欲しいと思います。
今日から戦いが始まります。朝は7時30分に起きて、8時40分に矢口渡のトレーニングジムで背中のトレーニングをし、帰宅してストレッチをして、ご飯を食べてから、東京体育館で行われる審判講習会に行くために、自転車で蒲田駅まで行きましたが、駐輪場がどこもいっぱいのため大森道場まで自転車で行き、大森駅から千駄ヶ谷まで行きました。大森道場まで自転車で行ったため30分以上のロスタイムがありましたが、12時50分には東京体育館に着きました。13時30分から15時まで全世界の支部長で審判講習会をし、池袋のメトロポリタンホテルで行われる大山倍達総裁の三十年慰霊祭と国際空手道連盟極真会館創立60周年記念パーティーに参加するため池袋に行きました。大山倍達総裁の三十年慰霊祭と国際空手道連盟極真会館創立60周年記念パーティーに参加出来た事はとても光栄でした。最初は極真空手をテレビで見て、極真空手を始めて、チケットを買って大会を観戦していた自分が大山倍達総裁の三十年慰霊祭と国際空手道連盟極真会館創立60周年記念パーティーという節目の場にいる事は自分の夢が叶い続けている証です。自分が人生をかけるほど好きになった極真空手を未来に繋ぐ事が出来る仕事が出来ている事に幸せを感じます。70周年80周年の時も自分がその場にいる事が出来るように頑張って行きたいと思います。
kanno
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