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指導が終わり家に帰宅すると長男が「今日は巨人が勝ったよ!しかも坂本が打ったんだよ!菅野も凄かったよ!」とハイテンションで言って来ました。そして私にプラスチックで出来たボールを投げてみせ「俺の球、速くねー!俺プロになれんじゃねー!」と言って来ました。野球もやっていないのにプロ野球選手になれるわけねーだろ!普通の大人はそう言うのでしょうが、私は「お前がそう思うのならなれるのかもな。」と言いました。これはお世辞で言っている訳ではありませんし、呆れて言っている訳でもありませんし、適当に答えてる訳でもありません。その人がなれると信じているのなら可能性はあると私は本気で思っています。せっかく若いのですから、思いっきり夢を見て、思いっきり夢を追いかけて、思いっきり青春して欲しいです。叶う叶わないは関係ありません。夢を見て夢を追いかけて損をする事なんて絶対にありません。たとえ夢が叶わなかったとしても夢は絶対に持った方が良いです。夢を追いかける道中でたくさんの物を得る事が出来るからです。そこで得た物が一生の財産になります。若者の特権は夢を持つ事が出来る事です。夢を追いかける事が出来る事です。そして可能性が無限大だと言う事です。そして夢を追いかける道中、思いっきり青春して楽しんで欲しいと思います。だからどんな馬鹿な夢でも、どんな不可能に近い夢でも、どんな小さな夢でもいいから夢を持って欲しいと思います。そして自分がそう思うなら恥ずかしがらずに口に出すべきです。口に出した瞬間に夢に一歩近づきます。長男は夢の話をたくさんしてくれるので、話していると本当に幸せな気持になります。
私は自分に自信がない人間でした。それもそのはずで私は小さい頃は頭も身体も発達が遅く、そのせいで頭も身体も人より弱く劣っていました。そのせいで心まで人より弱くなってしまい、自分は弱い人間だ自分はダメな人間だと思っていました。なので何をやるにも人より劣っていました。初めてやる事も人より上手く出来るはずがないと思っていたので、自然と何をやるにも自分に自信が持てない人間になってしまいました。では何故、自分を変える事が出来たのか?それは強いヒーローが好きで、自分もいつかそうなりたいと言うヒーロー願望があったからです。自分が弱いから強いヒーローに、人より強い憧れを持ち、自分が弱いから憧れのヒーローのような強い人になりたいと、人より強く思ったのだと思います。強くなりたい!弱かった自分がそう思った瞬間に、私の身体の中に小さいけれど、とても熱い火が生まれました。その時に付いた火は何が起きても消える事はありませんでした。それどころかさらにさらに大きな熱い火となって行きました。今も私の中でその火は消えていません。私の中では、強さとカッコ良さはイコールでした。強い人はみんなカッコ良く見えました。今でもそれは変わっていません。だからもっと強くなって、もっとカッコ良くなりたいと思っています。肉体的にも技術的にも精神的にも人間的にも強くなりたいです。そして優しい人間になりたいと思っています。
股関節を人工股関節にした手術から約12時間足を固定され、手術中に20%の血液が出血してしまったため頭を起こす事が出来ず、身体にも力が入りませんでした。ヘルニア持ちなので腰が凄く痛くなってしまいました。腰と手術した場所が激痛で痛いのですが、出血のため血圧が80以下に下がってしまい、強い痛み止めが使えませんでした。そして水が飲めないため喉も乾き、身体も火照って熱くなり、ジトーっとした脂汗が出るほどでした、痛みと乾きで一睡もできず12時間、暗闇の中でずっと苦しみと戦っていました。12時間後の朝の6時に水が飲めるようになり、足を固定から外してもらい、楽にはなりましたが、そこからまた2日間、眠れない程の痛みと戦いました。その時に心身にかかったストレスで私は髪の毛のもみあげの所が真っ白に白髪になり、左耳が突発性難聴になりました。これで終わりかと思いきや、その時の心身にかかったストレスで私はもう一つ病気を抱える事になりました。私は楽観的なので全然気にしていません。病院でその診断がされた時はショックを受けましたし、その病気の事は誰にも知られたくないと思いました。本当は誰にも話さないつもりでしたが、良く考えて妻にだけは話す事にしました。妻がそれを知っていなければ、私の身体に異変が起きた時に対処出来ないですし、自分の人生を私に預けてくれた妻にだけは話しておかなければ行けないと思いました。妻は黙って私の話を聞いてくれました。あとは誰にも話すつもりはありません。子供達にも話していませんし、両親や兄弟にも話すつもりはありません。まあある意味では死に近付く程の体験をしたわけですし、自分の限界に近い人生最大の苦しみを体験したわけですから、それはそれなりの後遺症が心身に出るのは仕方の無い事だと思います。でも私は自分の心身に起きた事をしっかり受け入れて、しっかり付き合って生きて行こうと思います。今日もたくさん薬を病院でもらって来ました。もう少し頑張って治療をして行こうと思います。そして今日も思いっきり稽古をしました。思いっきり稽古をして汗を流し、大きな声で気合いを入れれば心身共に元気になるものです。私はいたって元気です。ある意味では手術の前より元気です。神様に少し50歳らしくなるようにしてもらったと思っています。
左耳が突発性難聴になった事をこの日記で報告させて頂いた事で、たくさんの道場生やご父兄様にご心配頂きました。あたたかい言葉をかけて頂いたり、耳に良いと言う品を頂いたりしました。本当に本当に感謝しています。聴こえない事に慣れてきたのか?耳の聴こえも良くなっている気がしますし、耳鳴りはほぼほぼなくなりました。目眩はまだ少しありますが、自分的には思っていたより良くなっている気がしています。道場生、ご父兄様の期待に応える指導が出来るようにしっかり身体を良くして頑張りたいと思います。
長男も次男ももう一丁前になって来ました。まだまだ可愛い癖して一丁前に反抗してきたり、一丁前に憎まれ口をたたいて来たりします。そんな口が聞けるぐらいの歳まで元気に成長したのだからと思いながら、長男と次男の言葉を「可愛いな!君たちの声を僕が受け止めてあげるよ。苦しゅうない!」と言う気持ちで聴いています。もちろん頭に血が登る程に腹が立つ日もあります。今、長男が歯を磨き寝室に行く時に「パパおやすみ!」と言って通って行きました。その一言で私は今日一日がとても幸せな一日となります。寝室から妻と長男と次男の笑い声が聴こえて来ます。それだけで私は今日を幸せな一日と思う事が出来ます。個人レッスン5回やって、ゆっくりお風呂に入ってビールを飲みながら家族で食事を出来た今日という日は最高の一日でした。
朝、大森道場へ自転車で行く道中で、私が股関節を人工股関節にする手術をした時に入院していた病院に、入院していた方を見かけました。今も少しびっこを引いて歩いていました。歩いている格好から頑張ってリハビリしているように見えました。入院中その方は私と同じぐらい痛みに耐えているように見えました。お互いにあの時は大変だったと思います。でも今はお互いに退院して元気になったので良かったなと思います。その方はまだリハビリ中のようだったので頑張って欲しいと思います。きっと元気に元に戻ると思います。その方の横を通り過ぎる時にそう祈らせて頂きました。
今日の筋トレクラスで生徒達とベンチプレスをやりました。ベンチプレスは肩を痛めるのでもう半年ぐらいはやっていません。何故かインクライベンチプレスは出来るので、それをやっています。少し前にも生徒達に混ざってベンチプレスをやったのですが、100キロを1回出来ました。今日は100キロを1セット目は4回、2セット目は3回出来ました。火曜日はみんなチンニングが出来ないので、チンニングを10回2セットやって見せました。ウエイトトレーニングをしっかりとやっているので、私の体重は100キロなのですが、自分の体重をベンチプレスで4回、チンニングで10回、スクワットで10回出来るようになりました。51歳にしてはなかなかやる方だと思います。無理をすると怪我をするので、怪我には気を付けてトレーニングして行こうと思います。ウエイトトレーニングも柔軟体操も嘘をつきません。嘘をつきませんと言うより、嘘をつく事が出来ません。努力をしていないと出来ないので、その場で上手くとりつくる事は出来ません。まあ基本稽古や型だって自分で稽古していなければ出来なくなりますし、下手になりますし、酷い場合は型を忘れて間違う事になるので、見る人が見れば分かりますが、それ以上にスタミナや柔軟体操や筋力は努力していない事が顕著に現れてしまいます。空手の先生だって、この人は努力をしていないなと生徒にすぐバレてしまいます。そうならないよう私は努力して行きたいと思っています。私が好きな言葉で座右の銘にしている言葉があります。武者小路実篤の言葉です。「才能で負けるのはまだ言い訳が立つ、しかし誠実さや、勉強、熱心、精神力で負けるのは人間として恥のように思う。」努力しない事が原因で負ける事や、努力しない事が原因で出来ないと言う事は、今自分が頑張って学んでいる事や修行している事に対して、コツコツ努力をする誠実さや、コツコツ努力する勉強(無理にでも努力して励むこと。学んでいる事に精を出すこと。)さや、コツコツ努力する熱心さや、コツコツ努力する精神力が足りないと言う事で、それは人間として、とても恥ずかしい事だ。と言う、とてもとても厳しい言葉です。私には才能が無いと認めた時に、この言葉を胸に頑張ろうと思った言葉です。もちろん私は普通の人よりは才能はあります。でも全日本チャンピオンになる、世界チャンピオンになるという志を持った人間と比べると、才能が足りません。それは仕方の無い事です。でもその夢を諦める事が出来ないから、その言葉を胸に頑張りました。今もこの言葉を胸に頑張っています。
今日は私の師匠である廣重毅師範の命日でした。私は4人の先生の元で修行をしましたが、1番指導を受けたのは廣重師範ですし、自分の人生観や空手観と言う物を与えてくれたのは廣重師範ですし、私の今があるのは廣重師範のおかげだと思っています。廣重師範には本当に本当に感謝しています。師範の厳しい顔も優しい顔も目を瞑ればハッキリと頭に浮かびます。私の中で廣重師範は生きています。師範に教えていただいた事を道場生に伝えて行きます。
私は何故、強くなりたいのか?武道とは何なのか?何を目指しているのか?と言う事を書いて見たいと思います。何故、強くなりたいのか?最初は喧嘩が強くなりたかったからです。純粋に強い人がカッコよく見えたからです。強くなれば自分も自分の大切な人も助ける事が出来る、自分が弱いために人に屈伏したくない、負ける事が1番の屈辱だったからです。強くなれば人に屈伏したり、負ける屈辱を味合わなくてすむと考えたからです。私の中の最大の価値観は強い事でしたので、人間の価値は強さで決まるとさえ思っていました。だから自分も強くなりたいと思いました。今も基本的な考えは変わりませんが、少しは社会人として変化しました。私が今、求めている強さは肉体的な強さ、技術的な強さ、精神的な強さ、人間的な強さです。じゃあそれは何かと言ったら、あらゆる困難や恐怖に打ち克つ強さです。人から受けるストレス、社会から受けるストレス、金銭的なストレス、自分の思い通りにならないストレス、大切な何かを失う恐怖、死に対する恐怖、あらゆるストレスという困難や恐怖に打ち克つ人間になるために自分を鍛えています。自分の身体を酷使して鍛える事で自分の弱さと向かい合い、本当の自分を常に見つめて行く事で、自分の心や精神や魂も研ぎ澄まされて行きます。武道とはあらゆる恐怖や困難に打ち克つ心を身に付けるために、自分の身体を鍛えて、自分の技を磨き、自分の心を正して行くものだと思います。そして自分を高めて行くものだと思います。この世で頂いた身体と命を死ぬ瞬間まで高めて行きたいと思っています。そして死ぬ時までに死の恐怖を克服し、死を受けいれられる人間に成長していたいと思っています。それが私が今、求めている強さです。
7年前の今日、国際親善大会のマスターズクラスで準優勝しました。44歳でした。それがフルコンの最後の試合です。その頃までは身体は絶好調でした。そこから7年、膝の手術、脊柱菅狭窄症、アキレス腱の手術、股関節の人工股関節の手術、突発性難聴と、紆余曲折ありましたが、今は左の上段回し蹴りをバシバシ当てる事が出来るまでになりました。しかも若い頃とは違う新しい感覚で左の上段回し蹴りを正確に相手に当てる事が出来ます。51歳で新しい感覚を身に付ける事が出来るなんて本当に人生は面白いです。継続は力なりです。
kanno
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