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長男が私に「けっこう筋肉付いてきたでしょ!」と筋肉自慢をしてくるようになりました。週1ぐらいの感じで、私に筋肉を見せてきます。やっぱり男子は筋肉好きだよな!と思います。男だったら強くなりたい!筋肉を付けたい!カッコイイ身体になりたい!と言う願望は少なからずでも必ずやあると思います。強い人は声を大にしては言わないけれど、強い事や力がある事や筋肉がある事で人生得する事ってけっこういっぱいあります。けっこうどころか、かなりあると私は思います。右に倣えで生きるより人がやらない事や人が出来ない事がもし自分に出来るのならば、そこを頑張ってみるのも1つの手だと思います。私は皆が受験勉強している時に水泳を頑張ったから特待生で高校にも行けましたし、皆が就職して働いている時に空手を頑張ったから今こうして空手でご飯を食べる事が出来ていています。ちょっと強引かもしれませんが、筋肉も鍛えて見れば得する事はたくさんありますと言う話です。筋肉に興味がある人は騙されたと思って頑張って見て下さい。いつかその意味がわかる日が必ず来ます。
「ROOKIES」を全話見終わりました。不良と言うものを肯定してはいけないと思いますし、美化し過ぎてはいけないと思います。人生はやり直す事は出来ませんし、やってしまった事はなくなる事はありません。取り返しがつかないのが人生です。でも取り返しがつかなくても、ケジメを付けたり、罪を償う事は出来ます。そして自分を変える事も出来ます。夢や目標は人を変えてくれます。夢や目標は人生を輝かせてくれます。夢や目標は毎日をドキドキするぐらい楽しくさせてくれます。子供達にそんな事を話しながらこの作品を見ました。そして子供達に夢や目標を与え、礼儀や挨拶や、人として素晴らしい生き方を教えるのが先生と言う仕事だと思っています。素晴らしい先生とは生徒達と一緒に汗を流し一緒に笑い一緒に泣いてあげることも出来る人だと思います。そう考えると川藤先生という先生は限りなく理想に近い先生だと思います。
最近、子供達と野球をよく見ています。この年齢になって、今まで好きじゃなかった物を好きになるなんて思ってもいませんでした。野球がこんなに面白かったなんてって感じです。応援している球団は巨人です。私の父も巨人が好きでした。なんで父が野球を見ていた時に一緒に好きになれなかったのだろうと思います。父には申し訳ないなと思います。子供のためになら好きじゃなかったものでも好きになれるのが親と言うものなのかもしれません。秋広、菅野、岡本、坂本、小林、少しずつ選手も覚えています。今度、実家に帰ったら父と一緒にビールを飲みながら野球観戦したいと思います。
昨日の日記で好きな物を書きましたが、1つ忘れていたものがありました。子供の頃、私は大相撲が好きでした。家族で大相撲を必ず見ていました。好きだった力士は千代の富士、若島津、北天佑、北勝海、双羽黒、朝潮、でした。特に千代の富士対若島津、千代の富士対北天佑などは声を出して応援して見ていました。子供心にこれは自分達とは違う世界で行われているもの、選ばれた者だけができるものとして捉えていたと思います。ボクシングとかも好きでしたが、何故かあれはやろう思えばいつでも出来ると思っていましたし、やればあのぐらいにはなれそうだなと思っていました。たぶんプロボクサーは見た目も周りの大人と変わらないし、もっと言えば周りの大人より小さいし、子供同士の喧嘩で同じような事はしていたので、勝手なやれると思ったんだと思います。プロレスラーや力士とは身体や見た目が違うので人を超えた神々しい存在に見えたんだと思います。ジャイアント馬場さんを目の前で見た時は本当に大きくて神話の中の人に見えました。でもその後、マイク・タイソンを見て自分の価値観がひっくり返る事になります。ちなみに今でも全盛期のマイク・タイソンは最強にもっとも近かったと思っています。
子供と言うものは好きな物がどんどん変わって行くものです。もちろん私も子供の頃は好きな物が変わりました。でもその中で、一貫していた事もあります。それは戦うもの強いものが好きだったと言う事でした。ウルトラマン、仮面ライダー、ブルース・リー、スター・ウォーズ、ジャッキー・チェン、プロレス、ボクシング、空手、マンガもキン肉マン、リングにかけろ、北斗の拳、あしたのジョー、など戦うものが好きでした。その中でも初めてプロレスを観に行った事は衝撃でした。全日本プロレスでは、ザ・ロード・ウォリアーズ、ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセン、ジャンボ鶴田、新日本プロレスでは、アンドレ・ザ・ジャイアント、アントニオ猪木、前田日明を間近で見て、テレビの中ではなく、この人達は実在していて本当に強い、自分もこんなふうに強くなりたいと心から思いました。でも私は身長が小さかったのでプロレスラーにはなれません。自分の身長で大きい人や外国人と戦えるのが極真空手でした。その夢も半分は叶い、自分より大きい190センチの人との試合に勝ったり、自分より体重が重い100キロ以上ある選手に勝つ事が出来たり、外国人選手と試合をして勝ったりする事が出来ました。おまけにロシアまで試合に行く事も出来ました。心の中はロッキー4でした。自分の試合でもプロレス的な試合が好きです。お互いに良い技を入れあって真っ向から殴り合うみたいなお互いの力をフルで出し合い受け合う、まさしくどっちが強いか?みたいな試合が印象に残っています。私のベストバウトはやはり野地竜太戦と住谷統戦と沢田秀男戦と小沼隆一戦と清水健吾戦と松本勇三戦です。今でも強くなりたい気持ちがありますし、強いものが好きです。
桜が散り始めています。卒業式が終わり、入学式もほぼほぼ終わって、新しい生活が始まっています。春が過ぎればゴールデンウィークがあり、そこから一気に夏に向かって行きます。気を抜いていたら時間にどんどん流されて行ってしまいます。気が付いたら時間だけが過ぎていたなんていうのは私はゴメンです。しっかりと計画を立て自分の足で前に進んで行きたいと思います。道場も今、とても良い流れになっているように感じます。この勢いを止めないよう私自身も頑張って行こうと思います。
今日も病院をハシゴして左耳の突発性難聴の治療をしました。んーなかなか良くならないもんですねー!と言うのが今の感想です。もうだいぶ長く薬も飲んでいますし、点滴も4日間終わりました。今現在は目眩も少しあり、耳鳴りも治らず、左耳の聴こえも悪い状態は変わりません。このあと高気圧酸素治療をしますが、とても高額で時間がかかります。週に2〜3回やって10以上はやって欲しいと言われたのですが、それだと治療費が月に10万以上になってしまいますし、1回の治療に行くのに何やかんやで3時間は取られてしまいます。そんなに時間を取る事は難しいです。なので取り敢えず高気圧酸素治療を1回やって聴力検査をして効果を見て、あまり効果がなければ高気圧酸素治療は止めたいと思います。そんなにお金と時間をかけてまで治さなくては行けないほどの事とは私には思えません。ただやはり聴力よりも耳鳴りと目眩は治したいと思うので、その事を今後相談して行きたいと思っています。今回の治療で点滴を受けるために血液検査をしました。血糖値や尿酸値は良かったのですが、少しコレステロールが高く出てしまいました。健康のために左耳よりこちらを早急に改善しなければと思います。やはり少し太り過ぎかなと思います。でも体調は凄く良いです。柔軟体操をしていてもとても良いし、スパーリングやミットやシャドーなんかをやっていても身体は軽く感じています。でもやはり体重は減らしたいと思います。妻にも「毎日、卵食べすぎだよ!あんなに卵ばっかり食べてたら、コレステロール高くなるの当たり前じゃん。」と言われてしまいました。食物も気を付けたいと思います。
4月8日は妻の誕生日です。4月8日はお釈迦様の誕生日でもあるのですが、お釈迦様には申し訳ありませんが、4月8日は妻がこの世に生まれたと言う事が、私にとってはとてもとても大切な事です。妻がこの世に生まれなければ、長男にも次男にも会えなかったのですから、妻がこの世に誕生した日は私にとって尊い日です。妻と出会って約20年で、一緒に誕生日を祝うようになって17回目となりました。妻には尊敬と感謝の気持ちしかありません。押忍の精神には忍耐の気持ちが足りませんが、私は妻といて忍耐などと言う気持になった事はありません。申し訳ないとは思いますが、忍耐の方は妻が受け持ってくれていると思います。私はなかなか頑固で人見知りで融通の効かない人間なので、妻はかなりストレスもあるんだろうなと思います。妻の笑顔があれば、どんな事も頑張れると思っているので、いつまでも隣りにいて笑っていて欲しいと思っています。
今日は朝早く起きて大森道場へ行き、1時間しっかりと柔軟体操をして身体と心をしっかりと温めてから個人レッスンを5回5時間30分行いました。生徒達と一緒に身体を動かして指導出来る喜びを感じながら、その道場生に必要な事や教え方を、自分の今までの経験と知識をフル活動させてその方法を導き出して指導しました。道場生も頑張ってくれたおかげで良い指導が出来ました。生徒達も普段の稽古より大きく前進したと思います。その後は六本木に移動して妻の誕生日会をトニー・ローマと言うお店で行いました。家族が美味しいと喜んで食べている姿を見るのが私の幸せです。だからこれは自分のためにやっていることでもあります。妻は私の身体や道場の経営や仕事が大変な状態なのが分かっているので、「今回の誕生日は家で何か食べよう」と妻から言われました。でもやっぱりここは大切にしたいし、ここを大切に出来ないなら、いったい僕は何のために頑張っているんだと思い、やはりお店で妻のお祝いをする事に決めました。そして妻と出会った頃に一緒に食事をした六本木のトニー・ローマを選びました。妻と出会ってから20年後に家族4人でこのお店で食事を出来た事は私にとってとても大切な事でした。妻と初めて出会った場所も通り、そこで子供達に「パパとママはここで初めて会ったんだよ!」と教えました。六本木から東京タワーを見ながら赤羽橋駅まで歩きました。そこから大江戸線で大門まで行きました。ちょうど浜松町駅のところで次男に「スキビティトイレがね!」と話しかけられた時に、次男の顔がとても可愛くて、今という瞬間があった事に心から感謝しました。その時にこの幸せな瞬間があったという事は、今までの自分の人生は本当に本当にこれで良かったんだな!と思いました。言葉では分かっていた事ですが、感覚としてその事を味わう事が出来ました。本当に幸せな瞬間でした。私は妻と子供達のおかげで本当に本当に楽しい時間を過ごす事が出来ています。本当に本当に感謝しています。
自分の命と身体を大切にしたいと思います。でもしっかりと使い切りたいと思っています。この世を去る時にはもうヘトヘトに疲れていて、もう十分生きた、もう休みたいと思えるようになっていたいです。身体もボロボロでこれは人生で自分の身体をしっかりと使い切りましたね。と言われるようになっていたいです。何故、この命と身体を大切にしなければ行けないと思ったかと言うと、たくさんの生物やたくさんの偶然やたくさんの人達にこの命と身体を繋いで頂きました。1番は私の両親が私を生んでくれ私を大切に育ててくれました。自分の命と身体を大切に使い切らなければ、私に命と身体を繋いでくれた方々や、偶然なのか運命なのか奇跡なのか分かりませんが、私が生まれるまでに起きた出来事や、私を命と身体を何よりも大切に思って育ててくれた両親に申し訳が立ちません。だから私は私を大切にしたいと思います。そのうえで私は私よりも大切な人が3人います。それは妻と長男と次男です。生まれて初めて自分より大切なものをこの世で見つけました。本当に本当に幸せな事です。たぶん私が子供達を思うように父と母も私の事を思ってくれていたんだろうと思います。私が父と母に1番感謝している事は私が何度道を踏み外そうと私を見守ってくれ、私に立ち直るチャンスをくれ、私を助けてくれました。本当に本当に感謝しています。私は父と母の子供に生まれなければ、社会からこぼれ落ちた存在で一生を終えてしまったかもしれません。私がどうしようもない時に、母に言われた言葉があります。その言葉は自分の子供可愛さ故にだいぶ私を間違って捉えていた言葉ではありますが、その言葉が私を支えてくれたかもしれません。母は私が誰に何と否定されようと酷い言葉を言われようと「この子は優しい子です。」と言ってくれました。私もその時はすぐには立ち直れませんでしたが、その言葉はずっと心の中に残り、そうあらなければ母を悲しませる。と思いそうするように心がけるようになりました。私も子供達にそうありたいと思っています。
kanno
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