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2024年04月08日(月) 妻の誕生日

4月8日は妻の誕生日です。4月8日はお釈迦様の誕生日でもあるのですが、お釈迦様には申し訳ありませんが、4月8日は妻がこの世に生まれたと言う事が、私にとってはとてもとても大切な事です。妻がこの世に生まれなければ、長男にも次男にも会えなかったのですから、妻がこの世に誕生した日は私にとって尊い日です。妻と出会って約20年で、一緒に誕生日を祝うようになって17回目となりました。妻には尊敬と感謝の気持ちしかありません。押忍の精神には忍耐の気持ちが足りませんが、私は妻といて忍耐などと言う気持になった事はありません。申し訳ないとは思いますが、忍耐の方は妻が受け持ってくれていると思います。私はなかなか頑固で人見知りで融通の効かない人間なので、妻はかなりストレスもあるんだろうなと思います。妻の笑顔があれば、どんな事も頑張れると思っているので、いつまでも隣りにいて笑っていて欲しいと思っています。


2024年04月07日(日) 妻の誕生日

今日は朝早く起きて大森道場へ行き、1時間しっかりと柔軟体操をして身体と心をしっかりと温めてから個人レッスンを5回5時間30分行いました。生徒達と一緒に身体を動かして指導出来る喜びを感じながら、その道場生に必要な事や教え方を、自分の今までの経験と知識をフル活動させてその方法を導き出して指導しました。道場生も頑張ってくれたおかげで良い指導が出来ました。生徒達も普段の稽古より大きく前進したと思います。その後は六本木に移動して妻の誕生日会をトニー・ローマと言うお店で行いました。家族が美味しいと喜んで食べている姿を見るのが私の幸せです。だからこれは自分のためにやっていることでもあります。妻は私の身体や道場の経営や仕事が大変な状態なのが分かっているので、「今回の誕生日は家で何か食べよう」と妻から言われました。でもやっぱりここは大切にしたいし、ここを大切に出来ないなら、いったい僕は何のために頑張っているんだと思い、やはりお店で妻のお祝いをする事に決めました。そして妻と出会った頃に一緒に食事をした六本木のトニー・ローマを選びました。妻と出会ってから20年後に家族4人でこのお店で食事を出来た事は私にとってとても大切な事でした。妻と初めて出会った場所も通り、そこで子供達に「パパとママはここで初めて会ったんだよ!」と教えました。六本木から東京タワーを見ながら赤羽橋駅まで歩きました。そこから大江戸線で大門まで行きました。ちょうど浜松町駅のところで次男に「スキビティトイレがね!」と話しかけられた時に、次男の顔がとても可愛くて、今という瞬間があった事に心から感謝しました。その時にこの幸せな瞬間があったという事は、今までの自分の人生は本当に本当にこれで良かったんだな!と思いました。言葉では分かっていた事ですが、感覚としてその事を味わう事が出来ました。本当に幸せな瞬間でした。私は妻と子供達のおかげで本当に本当に楽しい時間を過ごす事が出来ています。本当に本当に感謝しています。


2024年04月06日(土) 自分の命と身体

自分の命と身体を大切にしたいと思います。でもしっかりと使い切りたいと思っています。この世を去る時にはもうヘトヘトに疲れていて、もう十分生きた、もう休みたいと思えるようになっていたいです。身体もボロボロでこれは人生で自分の身体をしっかりと使い切りましたね。と言われるようになっていたいです。何故、この命と身体を大切にしなければ行けないと思ったかと言うと、たくさんの生物やたくさんの偶然やたくさんの人達にこの命と身体を繋いで頂きました。1番は私の両親が私を生んでくれ私を大切に育ててくれました。自分の命と身体を大切に使い切らなければ、私に命と身体を繋いでくれた方々や、偶然なのか運命なのか奇跡なのか分かりませんが、私が生まれるまでに起きた出来事や、私を命と身体を何よりも大切に思って育ててくれた両親に申し訳が立ちません。だから私は私を大切にしたいと思います。そのうえで私は私よりも大切な人が3人います。それは妻と長男と次男です。生まれて初めて自分より大切なものをこの世で見つけました。本当に本当に幸せな事です。たぶん私が子供達を思うように父と母も私の事を思ってくれていたんだろうと思います。私が父と母に1番感謝している事は私が何度道を踏み外そうと私を見守ってくれ、私に立ち直るチャンスをくれ、私を助けてくれました。本当に本当に感謝しています。私は父と母の子供に生まれなければ、社会からこぼれ落ちた存在で一生を終えてしまったかもしれません。私がどうしようもない時に、母に言われた言葉があります。その言葉は自分の子供可愛さ故にだいぶ私を間違って捉えていた言葉ではありますが、その言葉が私を支えてくれたかもしれません。母は私が誰に何と否定されようと酷い言葉を言われようと「この子は優しい子です。」と言ってくれました。私もその時はすぐには立ち直れませんでしたが、その言葉はずっと心の中に残り、そうあらなければ母を悲しませる。と思いそうするように心がけるようになりました。私も子供達にそうありたいと思っています。


2024年04月05日(金) 突発性難聴の治療

左耳の突発性難聴の治療が続いています。2回目の薬を飲み終わり、病院で聴力検査をしましたが、改善されません。耳鳴りも変わらず、目眩は少し良くなった気がします。今日から点滴治療が始まりました。本日から金・土・月・火と4回行います。高気圧酸素治療も行う事になりました。それでどのぐらいの効果があるのかは分かりませんが、やれる事はやって見たいと思っています。高気圧酸素治療は1回の治療が高額なのと時間が2時間ぐらいかかるのでなかなか大変です。そんなに何回もは出来ないかな?と思っています。まあでも左耳の聴こえが悪いぐらい死ぬ訳ではないですし、集中していれば耳鳴りも気になりませんし、目眩も集中している時はあまり気になりませんので、ある程度治療したら、その先をどうするかは、また改めて考えようと思います。


2024年04月04日(木) 最高に幸せ

今日は「呪術廻戦」の26巻と「チェンソーマン」の17巻が発売されました。好きなマンガの2位と3位の作品の新刊が同時に発売されるなんて最高に幸せです。今日は足のトレーニングをしました。レッグエクステンションもレッグカールもヒップアブダクションも全て回数が上がりました。もちろん20代の頃に上げていた記録には程遠いですし、その頃より伸びは遅いですが、少しでも自分が前に進めている実感はあります。心も身体も20代の頃よりは弱くなったぶん優しく穏やかになっていると思います。人間としては自分が肉体的に絶頂だった頃より成長していると思っています。あと少しで波平さんの歳になりますが、その頃も元気に子供達を「馬鹿もーん!」と怒鳴っていたいと思います。


2024年04月03日(水) 親離れ

次男と一緒にいるとずっと話しかけて来てくれるのでとても楽です。学校での話やゲームの話やアニメの話などいろいろ話してくれます。次男はまだ私にも妻にも甘えてくるのでとても可愛いです。長男はもうあまり私には話しかけて来なくなって来ました。でもどこかに行こうと誘えば一緒に行ってくれる時もあるので心は通じていると思っています。長男は妻には甘えたりするようですが、反抗もするようになりました。自分の方が背が高くなり力が強くなった事で、妻が何か強く言うと、反抗します。力で来るなら来てみろと言う感じなのだと思います。1度長男が妻に力で抵抗したと妻から聞いたので、長男を呼んで「お前が正しかろうが、弥生ちゃんが悪かろうが、もし手を出したら、お前を絶対に許さない。」と話しました。どうやらその後はそんな事はないようです。長男もたぶんあと少しで親離れします。家を出て一人暮らしをしたいなんて言うかもしれません。今は4人揃って家族なので、1人欠けただけで、とんでもなく寂しい気持になります。そんな日もそう遠くないと覚悟はしておきたいと思っています。


2024年04月02日(火) 子供達との時間

今日は長男と次男と3人で多摩川の土手をサイクリングがてらお花見に行きました。まだ土手の桜は残念ながらあまり咲いていませんでした。多摩川浅間神社まで行き参拝しました。この神社は長男が3歳の時に妻が体調を崩した時に長男を自転車に乗せてサイクリングした時に見つけました。そのあと「シン・ゴジラ」のタバ作戦の場所にもなり、毎年恒例のように多摩川浅間神社に来るようになりました。この神社にたけくらべと言う石碑があり、身長を計ることが出来ます。始めてきた時は上から書いてある「たけくらべ」の字の「べ」にもみたないほど小さかった長男が、今は「た」の下の方まで来ていました。長男の身長は165センチあります。中1でその身長だから、このまましっかりと運動してご飯を食べて正しく成長していけば、私の172センチの身長はあと2〜3年で追い越されることでしょう。長男がたけくらべの石碑の前に立った時に長男が小さかった頃の事を思い出し、ちょっと泣きそうになりました。でも泣くと長男と次男にうざがられるので我慢しました。私にとっては、2人は何よりも大切な可愛い子です。まだ長男もたまには私と行動してくれます。でももうあと何年の事だと思うので、子供達との時間は大切にしなければ行けないと思います。


2024年04月01日(月) 季節

4月ですね。道場に行く途中に桜が咲いているのを見ました。「あ〜もう桜が咲く季節か〜?」と思いました。1年の3分の1が終わり、新しい年度が始まりました。卒業や入学や入社や転勤や転職や引越などなど、人がいろいろな場所へ移動して行く時期です。なかには何かに区切りを付けたり、何かを諦めたり、一念発起して何かを始めたり、いろいろな決断をする時期であったりもします。そのためもあり出会いと別れが多い時期となります。出会いの時も別れの時も笑顔でいたいと思っています。別れの寂しさに負けないで素晴らしい出会いに胸をときめかせて毎日を過ごしたいと思います。


2024年03月31日(日) ナンジャタウン

甥っ子が東京に遊びに来たので、長男と次男と甥っ子と4人で池袋のサンシャインシティにあるナンジャタウンに行って来ました。お化け屋敷「呪縛忍者からの逃走」と言うアトラクションは2回やりました。牢獄にいると死影と言う忍者が現れて、散々脅かして行き、死影が去っていない時間に牢獄から出て、謎を解くと言うアトラクションなのですが、死影が現れるまでに牢獄に入らないと死影に捕まってしまいます。子供はなかなか怖いと思います。ここは1つ子供達をさらに怖がらせて面白くしてやろうと思い、私は1回目に死影が去ったあとに牢獄に入らず隠れていると、死影が現れ「牢獄から出て隠れている奴がいるな〜!」と言い、私を探し、私の付けているタスキを切り、死影は去り、私はアトラクションの外に出されてしまいました。子供達はメチャメチャビビっていました。そして子供達3人だけがアトラクションの中に残されています。アトラクションの中から死影が現れるたびに子供達の悲鳴や叫び声が聞こえていました。アトラクションが終わり、子供達が出で来るとみんな怖くて大興奮でした。お化け屋敷の怖さを3倍は楽しめたのではないかな?と思います。私は遊ぶ時は子供達と馬鹿になって遊びます。子供達にたくさん思い出を作ってあげたいと思います。


2024年03月30日(土) 幕末

司馬遼太郎の「幕末」を読んでいます。この作品はたぶん3〜4回は読んでいます。幕末に関わる話12個からなる短編集なのですが、私はその中で「桜田門外の変」が好きです。幕末の始まりは、黒船来航や安政の大獄や大塩平八郎の乱ではないか?とかいろいろありますが、その是非は私には計りかねる事でありますが、私はこの桜田門外の変が幕末の始まりだと思っています。一介の武士が世の中を変える行動を世の中や時代に先駆けて起こした事が、このあとに殿様ではなく、一介の武士が力を合わせて世の中を変えて行く幕末と言う時代を作ったのだと思います。その時代や世の中を先駆けて起こした桜田門外の変をどんな人がどんな思いで起こしたのか?が描かれているこの作品が


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