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2024年04月02日(火) 子供達との時間

今日は長男と次男と3人で多摩川の土手をサイクリングがてらお花見に行きました。まだ土手の桜は残念ながらあまり咲いていませんでした。多摩川浅間神社まで行き参拝しました。この神社は長男が3歳の時に妻が体調を崩した時に長男を自転車に乗せてサイクリングした時に見つけました。そのあと「シン・ゴジラ」のタバ作戦の場所にもなり、毎年恒例のように多摩川浅間神社に来るようになりました。この神社にたけくらべと言う石碑があり、身長を計ることが出来ます。始めてきた時は上から書いてある「たけくらべ」の字の「べ」にもみたないほど小さかった長男が、今は「た」の下の方まで来ていました。長男の身長は165センチあります。中1でその身長だから、このまましっかりと運動してご飯を食べて正しく成長していけば、私の172センチの身長はあと2〜3年で追い越されることでしょう。長男がたけくらべの石碑の前に立った時に長男が小さかった頃の事を思い出し、ちょっと泣きそうになりました。でも泣くと長男と次男にうざがられるので我慢しました。私にとっては、2人は何よりも大切な可愛い子です。まだ長男もたまには私と行動してくれます。でももうあと何年の事だと思うので、子供達との時間は大切にしなければ行けないと思います。


2024年04月01日(月) 季節

4月ですね。道場に行く途中に桜が咲いているのを見ました。「あ〜もう桜が咲く季節か〜?」と思いました。1年の3分の1が終わり、新しい年度が始まりました。卒業や入学や入社や転勤や転職や引越などなど、人がいろいろな場所へ移動して行く時期です。なかには何かに区切りを付けたり、何かを諦めたり、一念発起して何かを始めたり、いろいろな決断をする時期であったりもします。そのためもあり出会いと別れが多い時期となります。出会いの時も別れの時も笑顔でいたいと思っています。別れの寂しさに負けないで素晴らしい出会いに胸をときめかせて毎日を過ごしたいと思います。


2024年03月31日(日) ナンジャタウン

甥っ子が東京に遊びに来たので、長男と次男と甥っ子と4人で池袋のサンシャインシティにあるナンジャタウンに行って来ました。お化け屋敷「呪縛忍者からの逃走」と言うアトラクションは2回やりました。牢獄にいると死影と言う忍者が現れて、散々脅かして行き、死影が去っていない時間に牢獄から出て、謎を解くと言うアトラクションなのですが、死影が現れるまでに牢獄に入らないと死影に捕まってしまいます。子供はなかなか怖いと思います。ここは1つ子供達をさらに怖がらせて面白くしてやろうと思い、私は1回目に死影が去ったあとに牢獄に入らず隠れていると、死影が現れ「牢獄から出て隠れている奴がいるな〜!」と言い、私を探し、私の付けているタスキを切り、死影は去り、私はアトラクションの外に出されてしまいました。子供達はメチャメチャビビっていました。そして子供達3人だけがアトラクションの中に残されています。アトラクションの中から死影が現れるたびに子供達の悲鳴や叫び声が聞こえていました。アトラクションが終わり、子供達が出で来るとみんな怖くて大興奮でした。お化け屋敷の怖さを3倍は楽しめたのではないかな?と思います。私は遊ぶ時は子供達と馬鹿になって遊びます。子供達にたくさん思い出を作ってあげたいと思います。


2024年03月30日(土) 幕末

司馬遼太郎の「幕末」を読んでいます。この作品はたぶん3〜4回は読んでいます。幕末に関わる話12個からなる短編集なのですが、私はその中で「桜田門外の変」が好きです。幕末の始まりは、黒船来航や安政の大獄や大塩平八郎の乱ではないか?とかいろいろありますが、その是非は私には計りかねる事でありますが、私はこの桜田門外の変が幕末の始まりだと思っています。一介の武士が世の中を変える行動を世の中や時代に先駆けて起こした事が、このあとに殿様ではなく、一介の武士が力を合わせて世の中を変えて行く幕末と言う時代を作ったのだと思います。その時代や世の中を先駆けて起こした桜田門外の変をどんな人がどんな思いで起こしたのか?が描かれているこの作品が


2024年03月29日(金) 自分の道

突発性難聴と診断され、9日間薬を飲みました。今日、また病院で聴力検査を受けました。やはり聴力の回復は見られませんでした。諦めずもう少し薬を飲んで治療を続けたいと思います。左耳はほぼほぼ聴こえないのですが、まあそれにもだんだん慣れて来ました。そしてもう左耳が聴こえない事は充分受け入れています。ですが両親から頂いた大切な身体ですし、耳の聴こえが悪い事で、何度も聴き返したりして家族をイラつかせたりしているので、最後まで足搔かなければと思っています。今日は背中のトレーニングをしました。3年前のトレーニング日誌を見たら、今の自分がどれだけ凄くなったかが分かりとても嬉しくなりました。そして51歳のいまの自分がどれだけ頑張っていたか?と言う事をしっかりと残しておきたいと思います。毎日、自分が生きた証を残して行きたいと思いトレーニング日誌を書いています。こんな歳になっても頑張っているんだから僕は本当に空手が好きなんだと思います。36年頑張って来たのだから自分の生き方は絶対に曲げたくありません。そして自分の正しいと思う道のど真ん中を胸を張って堂々と歩いて行きたいと思っています。


2024年03月28日(木) 黒澤浩樹先生を偲んで

3月25日は黒澤浩樹先生の命日でした。私は黒澤浩樹先生の道場(当時東京城西支部阿佐ヶ谷道場)に1年とちょっと所属させて頂きました。1年ちょいでしたが、黒澤先生ととても深く関わらせて頂きご指導を頂きました。とは言っても黒澤先生が指導している一般稽古に参加して、指導を受けたのは1回です。ではどうやって指導を受けていたのか?と言うと先生の付き人のような感じで、帯研でミットやスパーリングを一緒にやらせて頂き、あとはウエイトトレーニングを一緒にやらせて頂来ました。なのでほぼ毎日、先生と一緒にいる感じでした。月・水・木がスパーリングで、火・金・日はウエイトトレーニングでした。第10回全日本ウエイト制空手道選手権大会と第25回全日本空手道選手権大会は黒澤先生のセコンドに付いて試合中の先生の身の回りの事をやらせて頂きました。自分が試合に出るようになってからその経験は本当に役に経ちました。黒澤先生はとても怖かったです。もう近くにいるだけで緊張して冷や汗が出てしまいます。どんなに調子が悪くてダルくても先生の前に出たら身体がピシッとしてしまうぐらいの緊張です。黒澤先生のおかげで人に気を使う事が出来るようになりました。先生といてとてもキツかったのは絶対に稽古やトレーニングを休めない事と絶対に遅刻が出来ない事と先生のやる事を先に気が付いてやらないといけない事でした。あんな経験は人生の中でなかなか出来る物ではありません。黒澤先生と一緒にいた時間は1年ほどなのに思い出はたくさんあります。それだけ濃い1年だったのだと思います。稽古に対する厳しさを黒澤先生に教えて頂きました。本当に本当に感謝しています。今でも私の中では最高に怖くて、最高にカッコイイ姿が目に焼き付いています。先生の偲ぶ会で先生の道着と帯から黒澤先生のオーラのような物を感じました。恐れ多くて道着と帯に触れる事が出来ませんでした。あの道着と帯に先生の魂が焼き付いて残像のような物が宿っているのだなと思いました。


2024年03月27日(水) 菅野家のムードメーカー

次男は終業式の日に同じクラスだった女の子から手紙をもらったそうです。その手紙には、いつも笑わせてくれてありがとう。と書いてあったそうです。次男は本当に明るい性格で、私や妻の事もたくさん笑わせてくれます。菅野家のムードメーカーです。その明るさは妻から受け継いだ物だと思います。今日は次男は歯医者で歯を抜歯したそうです。歯医者に入るなり次男は「あ〜歯を抜くの怖いな〜!」と言ったそうです。歯医者にいた人はみんな笑ってしまったそうです。そしてみんなに「大丈夫だよ!」と励ましてもらったそうです。いざ抜歯をされる時に椅子を倒される時も次男は「怖いな〜!」と言っていたそうです。私がその場にいても笑ってしまったと思います。いつも明るくて、自分の嫌な事でも人を笑わせてしまう次男は本当に可愛い子です。そう言えば空手の試合でも、次男はみんなを笑わせていた時がありました。いつまでもその明るい性格で人を笑わせてその場を和ませて欲しいと思います。


2024年03月26日(火) ラーメン二郎

今日は春休み初日という事で中学生や高校生に声をかけ道場生の子供達とラーメン二郎本店に行きました。雨が降っていたのですが朝8時に待ち合わせました。集まったメンバーは、琥白、光、蕗生、斗夢、真白の5人でした。けっこう量が多いのですが、琥白以外は全員完食しました。1位真白、2位斗夢、3位蕗生、4位光でした。蕗生は小さい頃から合宿などでご飯を食べているのを見ていましたが、本当によく食べるようになったなーと思い、とても嬉しく思いました。ラーメン二郎を完食出来ればよく食べる方だと言えると思います。子供達の成長を見れて幸せな気持になりました。


2024年03月25日(月) あの時の恐怖が頭をよぎる

朝もバシッと目覚めて、しっかりと稽古に励みました。今日もしっかりと前に進んだ実感があります。でもちょっと無理をしすぎたのか?左の脹脛に痛みを感じました。一昨年右のアキレス腱を切っているので、その時の恐怖が頭をよぎりました。ウォーミングアップをしている時に痛みが来たので、そこで止める事が出来た事は本当に不幸中の幸いでした。しっかり身体を休める事も大事だなと思いました。あとは少し体重落とさないとヤバイです。


2024年03月24日(日) 次のステージでも

今日は私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2024年春季昇級審査会、2024年春季極真ルール組手競技支部内交流試合が行われました。この時期は新しいステージに移動する生徒が何名かいます。今年は2名が高校生になり、1名が中学生になります。この忙しい時期に頑張って試合に出場した事を尊敬します。高校生になる理音と洋志は受験であまり稽古できていませんでしたが、しっかり試合に出場した事に感動しました。次のステージでも2人共頑張って欲しいと思います。中学生になる雄斗もよく頑張りました。一生懸命に頑張る事は素晴らしい事です。逃げずに勇気を出して挑戦する事は素晴らしいです。それは人生の中でもっとも素晴らしい事だと私は思っています。次のステージでも皆で頑張って行けたら素晴らしいと思います。


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