DiaryINDEX過去の日記未来の日記
2024年03月03日(日) 家族への思い

3月3日はひな祭りですが、家は男2人なのでひな祭りにお祝いはしません。妻に似た女の子を育てて見たいなと思った事もありましたが、私にとって妻の身体と健康が大切なので、もう2人で十分です。自分の身体を危険にさらして苦しい思いをして、元気で可愛い男2人を生んでくれた事に感謝しています。妻と2人の息子がいる事で私の心と幸せは100%満たされています。もしあとは何が起きてもボーナスだし、悲しい事や苦しい事があったとしても生まれて来なければ良かったとか、自分に生まれた事を後悔するとか、自分の生き方を後悔するとかは絶対にありません。妻と出会い子供達が生まれた事で自分の命と自分の人生を心から全て肯定する事が出来ました。だから妻と息子達には感謝しかありません。しかも自分のやりたい事を家族が応援してくれる事を本当に感謝しています。


2024年03月02日(土) TIGER&DRAGONのライブ

長男がお友達と組んでいるバンドのTIGER&DRAGONでライブをしました。なかなかカッコ良かったです!ステージでギターを弾いている長男は少し違って見えて、ちょっと遠くにいる感じがしました。家にいる時は、勉強はしないし、言う事は聞かないし、悪い事はするし、弟と喧嘩ばかりしてるし、っていう感じの長男ですが、ギターを弾いている姿は輝いて見えました。感動しました。何かを真剣に一生懸命頑張っている姿は人の心を動かします。これからも頑張って行って欲しいと思います。長男はギターのプロになってギターでご飯を食べて行くと行っています。音楽の世界の事は分かりませんが、そんなに甘い世界ではないと思います。でもそんな言葉は私が夢を目指している時に、周りの大人にたくさん言われた言葉です。それでも私は諦めずに頑張って、今では本当に空手でご飯を食べています。長男は今のところ私の良い所は1つも受け継いでいないように感じます。でももしかしたら私の諦めの悪さを受け継いでいるのかもしれません。何歳まででも良い、情熱を持って真剣に一生懸命に頑張って夢を諦めないで追い続ければ何者かにはなれるはずです。自分が納得するまで頑張って欲しいと思います。私も出来る限り応援してあげたいと思っています。死ぬ時に後悔しないよう、思いっきり青春して人生を楽しく生きて欲しいと思います。


2024年03月01日(金) 閏年じゃない年の2月29日生まれの人の誕生日はいつ祝う?

昨日は2月29日だったのですが、少し気になった事がありました。閏年の2月29日に生まれた人は閏年以外の年は誕生日は何日にやるのかな?と言う事でした。気になって調べて見たら、どうやら2月28日に1歳、歳を取りその日に誕生日をやるようです。1年は365日ではなく正確には365日6時間なので、4年経つと24時間となり1日ズレてしまうので閏年だけ366日にして調節しているようです。なんともややこしいですね。でも閏年の2月29日に生まれた人はとてもスペシャルで得な気がします。誕生日を絶対忘れられないと思います。閏年の人の誕生日の祝い方を考えました。閏年は普通に2月29日に誕生日をして、次の年は28日の朝の6時に誕生日をして、その次の年は28日のお昼の12時に誕生日をして、その次の年は28日の夕方の18時に誕生日をすれば正確なのだと思います。もし私の妻や子供達が閏年の2月29日生まれだったらそうしてあげたかったな!と勝手に思ったりしました。閏年の2月29日生まれの奥さん、子供、友達など大切な人がいたら是非、この案を考えてみてもらえたらと思います。そしたら毎年誕生日がとてもとてもスペシャルな物になるんじゃないかな?!と思います。


2024年02月29日(木) 4年に1度の日

今日は4年に1度の2月29日です。閏年でオリンピックの行われる年しか2月29日はありません。そのせいかFacebookの今日の思い出に投稿が1つもありませんでした。Facebookは12年はやっているのですが2月29日に投稿した事はないようです。なのであえて投稿しておきました。4年後の2月29日にFacebookにその日の思い出の投稿として出てくると思います。その時は私は55歳になっているのだから、あっという間に時は過ぎますね。今日は2月最後の1日なので頑張って稽古にトレーニングに励みました。今日は妻と長男は髪を切っていました。長男はずっとギターを弾いていました。新しいエフェクターを買ったと言っていました。昨日、私が雑色道場に行く時に、長男と長男の友達がギターを担いで小学校にいるのを見ました。小学校の先生にライブのチケットを渡しに行っていたそうです。2人の周りには小学生がたくさん集まっていて、2人ともカッコつけて振る舞っていました。でも私が見てもギターを担いでいる2人の姿は少しカッコ良く見えました。次男は私が帰宅したらもう寝ていました。頭が痛くて早くに寝たそうです。次男がいないと家が少し静かに感じました。昨日、食パンを食べたいと言っていた次男のために食パンを買って来たのに次男が寝ていて残念でした。


2024年02月28日(水) 親離れのカウントダウン?

子供の小さい頃の写真を見てるとなんか不思議な気持になります。動画を見れば「あ〜あ、こんな時があったな〜」と思い出すのですが、写真だといまいちその時の子供達の姿を思い出す事が出来ません。今の子供達の姿が自分の中でのイメージの全てになっている感じです。なので子供達の動画を見たりするとこの子達はこんなに可愛かったのか?と思います。もちろんその時も子供達を可愛いと思い心から愛していたのですが、やはりもっともっと抱っこすれば良かったなとか、もっともっとこの時を大切にすれば良かったなと思います。これからはもっともっと子供達と一緒にいる今を大切にしなければいけないなと思います。長男はもういっぱしの大人になろうとしています。話せば全然子供ですが、もう自分の考えや意見を持ち、それを私にぶつけて来る時もあります。私の思い通りになんてとうてい行きません。私と他の大人を比べたり、私の考え以上の物を他から聞いてきて、それを私に話したりします。もう親離れのカウントダウンが始まっていると思います。だから子供達と一緒にいる時間を大切にして行きたいと思います。まあ子供達に教えられる事はほぼ全て私の生き方と言葉で伝え教えたと思っています。それを今は分からなくても、心には残っているはずです。いつか子供達が私の教えを思い出してくれると思っています。いつかその事を考える日が来ると思っています。その時にじっくりと答えを出してくれれば良いと思っています。


2024年02月27日(火) 今日の稽古メニュー

今日は、朝は柔軟体操と呼吸法と型を1時間30分行ってからジムに移動して腕のトレーニングを1時間10分行いました。お昼ご飯を食べて休憩し、指導の前に砂袋や鉄柱に正拳、裏拳、手の甲、脛、足の甲、中足と言う部分を打ち付けて部位鍛錬を約1時間行いました。夕方の指導と夜の指導の合間にランニング30分と縄跳びとシャドーを3分2ラウンドずつ行い、夜の稽古では士道しながら生徒達に混ざって下段廻し蹴りの蹴り込みを左40本、右40本行い、スパーリングをしました。スパーリングでも身体がやっと自分の思うように動いて来ました。感もだいぶ戻って来て、良いタイミングで技が入り、相手の技を受けたり返したりカウンターを取ったり出来るようになって来ました。心肺機能も強くなって来てスタミナも付いて来ました。もっともっと稽古して自分を研ぎ澄まして行きたいと思います。


2024年02月26日(月) 6ヶ月後の検診

股関節を人工股関節にする手術から6ヶ月後の検診でした。医師にはとても良好だと言われました。開脚が出来る事、正座が出来る事、膝が胸に付くまで上げる事が出来る事、胡座で座る事が出来る事、走る事が出来る事、スクワットが出来る事などを話すと、医師にも「良かったね」と喜んで頂けました。本当に本当に感謝です。また8月の終わりに1年後の検診があるのでその日まで健康に気を付けて行こうと思います。昨日、体重を計ったら100キロになっていました。体重が90キロを切るまで禁酒したいと思います。せっかく治してもらった身体を壊してしまったら申し訳がないのでしっかりと健康に気を付けたいと思います。私は45歳を過ぎてから、止めた事があります。それはラーメンやうどんや蕎麦などのスープを飲まない事です。醤油なども極力かけないように気を付けています。子供達のために70歳までは仕事をしなければならないので頑張りたいと思います。


2024年02月25日(日) 生きやすく

心と身体は比例しています。歳を取ると身体が弱くなるので、身体と共に心も弱くなって行きます。身体と心は繋がっています。厳しい心を持っていれば身体も厳しくあるはずです。心が緩ければ身体も緩くなり、心がダラしなければ身体もダラしなくなってしまいます。だから私はそれなりには自分に厳しくしようと思っています。歳を取って気持が弱くなるのは心と身体が弱くなるからです。だから私はいつも自分に厳しくして身体を強くしようと心がけてきました。でも最近は弱くなる事も悪くはないかな?と思うようになりました。弱くなったぶん優しくなれるのなら、それも悪くはないと思うようになりました。私は10代20代の時は短気でした。30代の時も尖っていましたし、40代も自分が正しいと思ったら誰とぶつかろうと意見を言う人間でした。今51歳となり死を身近に感じるような体験もし、人が恋しくなり、別に負ける事もそれで円満になるのなら悪くはないと思えるようになりました。妻に対しても子供達に対しても、自分が折れれば円満に済む事であれば、自分が折れようと思えるようになりました。歳を取って生きやすくなっていると思っています。


2024年02月24日(土) 死生観が変わる

昨年の股関節を人工股関節にした手術から半年が経ちました。あの経験は私の人生観に大きな影響を与えました。入院中に100歳の方と同じ部屋でした。人生で初めて100歳の人を見ました。同じ部屋の方々は100歳、86歳、80歳でした。みんな立つ事も出来なく、歩く事も出来ない方々でした。それを見て「あ〜僕もこの歳まで生きていたらこうなっているのか〜?それどころか、この自分の身体がどこまで動くように戻るのだろう?」と思い、いろいろな事を考え悩みました。生きるという事は大変な事だと初めて感じました。死にたいわけではありませんが人に迷惑をかけてしまうようになったら生きていたくはありません。何歳まで自分は人に迷惑をかけないように生きて行けるのだろう?70歳なのか?80歳なのか?90歳なのか?そう考えると自分の人生はそんなに長くない事に気が付き、恐怖を感じました。私は20代の頃は試合で死ねるならそれで本望と思っていました。自分なりの死生観を持って生きて来たつもりです。いつ死んでも悔いのないように生きて来たつもりです。でも私は今、死ぬ事が怖いです。今が1番幸せだから、この幸せをずっと抱きしめていたいです。この幸せを失う事や死ぬ事が本当に怖いです。50歳になりリアルに死を感じてそう思っています。でも今、それに気付いて良かったと思っています。その事でこれからの人生を大切に大切に生きようと心から思う事が出来ました。若い頃は自分の身体がぶっ壊れても自分の思う人生が生きれるなら良いと思っていました。今は歳を取ってから人に迷惑をかけないように自分の身体を大切にして少しでも長生きをしたいと思っています。子供達の孫を抱っこしてあげたいと思います。人間の人生は欲が尽きません。死ぬ時には静かに死ねるよう日々一生懸命に精進して、思いっきり楽しんで馬鹿もやって生きて生きたいと思っています。


2024年02月23日(金) 新聞配達

私は中学年の時に新聞配達をやっていました。田舎だったので、なかなか大変でした。約200軒配達していましたが、次の家まで1kmあったり、坂道の上に配達する家があったりしました。雨の日や雪の日は本当に大変でした。新聞が濡れないよう1部1部ビニール袋に入れて配達をしました。4時は起きて新聞屋まで行き、配達が終わるのは6時ぐらいでした。今の長男の歳にはそれをやっていたんだから、なかなか頑張っていたなと思います。根性はあったと思います。


kanno

My追加