DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
私が定期的に見る映画を紹介したいと思います。「ゴットファーザー」「ゴットファーザーPart2」「スタンド・バイ・ミー」「スター・ウォーズ」「ラ・ラ・ランド」「ショーシャンクの空に」「今を生きる」「セント・オブ・ウーマン」「七人の侍」「ベン・ハー」「キッズ・リターン」「グレイテスト・ショーマン」なとです。ブルース・リー作品やジャッキーチェン作品やターミネーターやエイリアンやマトリックスやジブリ作品など、書けばもっともっとあるのですが、このぐらいにしておきたいと思います。映画は心を豊かにしてくれます。時には生きる勇気をくれたり、何かの大切さを気付かせてくれたりします。そして1番は楽しみや感動や笑いを与えてくれます。何度見ても色褪せず飽きない映画は最高の映画です。
妻の体調が悪かったので稽古が終わってから長男と次男と3人で外でごはんを食べて、銭湯でお風呂に入って帰りました。長男も次男もよく食べるようになりました。子供達の食べている姿を見てると、とても幸せな気分になり、とても安心します。3人でいろんな話をしながらごはんを食べたりお風呂に入ったりして、とても楽しかったです。
私はトレーニングする時には必ず、1.日時、2.何時から何時までトレーニングしたか、3.トレーニングした種目、4.重さと回数を記録しながらトレーニングします。トレーニングの前には必ず同じ種目をトレーニングした日の記録に目を通して、その日の種目と重さと回数の目標を決めます。トレーニングとトレーニングの間のインターバルは2分取ります。そしてそのインターバル中にも前回と前々回のトレーニングの記録に目を通して、必ず重さか回数を上げるように頑張ってトレーニングします。身体の異変やその日のコンディションなども書いておくようにしています。このトレーニングの記録を付ける事で自分のトレーニングが毎回コンテニューされて、次にどんどん繋がって行き、効率よく自分が成長して行く事が出来ます。そして後でそのトレーニングの記録を見る事で自分の成長を正確に知る事が出来ます。トレーニングの記録を付けるか付けないかで自分の成長は大きく変わって行きます。トレーニングの記録を取っていない人と取っている人では、1年2年経った時には大きな差が出ると思います。そしてトレーニングの記録を取っていると目標をもてるのでトレーニングのモチベーションも大きくアップすると思います。
東京にも雪が降りました。雪が降らない早い時間に家を出て大森道場で稽古とトレーニングを行いました。51歳まだまだ進化しています。今日もトレーニングで記録が上がりました。大森道場の指導から雑色道場への移動は電車で蒲田駅、そこから自転車で雑色道場に行きました。一般部の時間に稽古に来た生徒は雪が積もっていましたし、けっこうな量の雪が降っていたので、なかなか大変だったと思います。でも3名の中学生が稽古に参加しました。本当に可愛い奴らだなと思いました。雪の中を歩いて稽古に来たのだから、相当な気持があったのでしょう。雪道は危ないので無理はして欲しくはありませんし、休むと決めた事は悪い事ではありません。でもやはりこんな日に稽古に来た事は必ず力になります。雪の日に苦労して稽古に行った事は自分の魂が覚えています。自分がしんどい時に必ず力を与えでくれると思います。私も出来る所まで彼らと一緒に稽古をしました。私も大雪の日に譲と駿斗と光と三人で稽古した事は一生忘れないと思います。何年後かは分かりませんが大雪が降った日に今日の事を思い出すど思います。
父の80歳と母の77歳のお祝いを森下のみや古と言うお店で行いました。11時50分に錦糸町にある母方の先祖のお墓がある法恩寺で待ち合わせて、皆でお墓参りをする予定でしたが、私達は9時30分に家を出て蒲田駅から京浜東北線で秋葉原、総武線に乗り換え秋葉原から錦糸町へ行く予定でした。私達が改札に入ろうとした時に京浜東北線が止まっていると駅員さんからアナウンスがありました。私達は大きく迂回をし、池上線で五反田へ行き、山手線で五反田から浜松町まで行き、大江戸線で大門から森下へ行きました。10時20分に出発して森下に到着したのは12時過ぎでした。でも不幸中の幸いでした。もし少し前の電車に乗っていたら電車に閉じ込められ父と母のお祝いに行けなくなってしまうところでした。父と母のお祝いには姉と姉の旦那さんと姉の長女と長男と長男の奥さん、妹と妹の三男、私と妻と長男と次男が参加しました。久しぶりに皆で集まる事が出来ました。父も母も孫に囲まれて嬉しそうでした。次男は父と母に手紙を書いて渡してくれました。父が80歳、母が77歳、姉が53歳、私が51歳、妹が48歳ですから、みんなそれなりに歳を取ってしまいました。家族5人で暮らしていたのも遠い昔のようにも感じます。姉には面倒を見てもらいいろいろ世話になりました。部屋の片付けなどは姉にやってもらっていたので私は片付けが出来ない大人になってしまいました。両親がいない時はご飯も作ってもらいました。感謝しています。妹には本当に迷惑をかけてしまいました。いつも子分のように接してしまっていました。ブルース・リーごっこをやらせたり、スター・ウォーズごっこをやらせたり、小さい頃は私の好きなごっこに付き合わせていました。妹に怪我をさせてしまった事もあります。本当に申し訳なく思っています。姉と妹がいてくれたから子供時代を楽しく過ごす事が出来ました。本当に本当に感謝しています。父と母にも感謝しています。本当に生まれて来て良かったと思っています。生まれて来たから今までの喜びや幸せや感動がありました。何か一つ違っていれば私はこの世に存在していなかった訳で、私が存在していなかったら長男と次男も存在していなかった事になります。本当に本当に感謝しています。あともう少し皆で仲良く楽しい時間を過ごせたら良いなと思っています。
1週間が終わるのが本当に早いです。年が明けてから怒涛のように1週間が過ぎて行っている感じがしています。頑張って一生懸命に生きて行きたいと思います。
51歳の2日目が終わりました。昨日に少し疲れを観じたので、今日はゆっくりとした朝を過ごして、床屋に行きました。そのまま道場へ行き、柔軟体操をしてからジムへ移動して背中のトレーニングを1時間10分ほど行いました。自分の身体がどんどん強くなっている事を感じます。ほぼほぼ毎回少しずつ重さを上げたり回数を上げたりして、記録を向上させています。45歳にウエイトトレーニングを再開させた時の自分に、今の自分は想像出来なかったと思います。一念発起した45歳の自分に感謝です。ジムに入会する時に次男も連れていました。次男は3歳でした。その次男があと8日で10歳になります。そう考えると決して6年は短くはありません。でもあの日に決断し一念発起しなければ、もしかしたら今もトレーニングをしていないかもしれません。あの時に一念発起して始めたから6年後の今があり、6年なんてあっという間だと言う事も出来ます。でももし今もトレーニングしていなかったとしたら、この6年をもっとあっという間に感じていたのかもしれません。私は何かを始めるのに遅いなどと言う事はないと思っています。45歳になって何を求めてウエイトトレーニングなんて始めるの?何のために45歳にもなってそんな必死こいてるの?と言う人もいました。その人達に今の私の姿を見せたいです。そして「こうなりたかったからだよ!」と言いたいです。私はやって損する事もやって後悔する事もないと思っています。やって結果が悪かったとしても後悔はしません。どんなに悪い結果が出ても頑張ったのだから諦めがつきます。後悔する事はやらなかった事です。そして人生は自分が満足すれば良いのだと思います。もう私も51歳です。好きなように生きたいと思います。なりたい自分にならせて頂きます。でもこれだけは守りたいと思います。自分がカッコ悪いと思う事だけは絶対にしません。家族や道場生を裏切るような事だけは絶対にしません。
今日は誕生日でした。たくさんの方々からお祝いのメッセージを頂きました。本当にありがとうございます。朝起きて家族と会っても誰も私に何も言う事はなく、私は少しガッカリして家を出ました。道場へ行き、朝の指導をし、ウエイトトレーニングをやり、夕方の少年部の時にアキラとレオが「誕生日おめでとうございます!」と言ってくれました。私に直接おめでとうを言ってくれた第1号はアキラでした。何歳になってもおめでとうと言われれば嬉しいです。私の誕生日を覚えていてくれた事が嬉しいです。夜の稽古の指導を終え、家に帰宅すると夕食がステーキでした。ちゃんと誕生日を覚えていてくれたんだと思いました。食後にアップルパイでお祝いをしていただきました。妻の手作りのアップルパイはとても美味しいです。プレゼントにサウナハットとクローズのキャラクターの角住賢一のフィギュアをもらいました。好きな物だらけで胃も心もお腹いっぱいになりました。51歳の1日目は最高の1日でした。今日のトレーニングは足と腹と首でしたが全ての種目で記録が伸びました。51歳にして、まだまだ前進しています。51歳も悪くないよ!歳を取りたくないと思っている人もいると思いますが、私は今が1番幸せです!本当に歳を取るのも悪くないです。
今日で50歳が終わります。今は23時35分なので、もう間もなく私の50歳の1年は終わり51歳に突入します。少しだけ50歳の1年を振り返りたいと思います。50歳の1年最大の出来事は股関節を人工股関節にした手術です。手術中は私は出血のため本当に危険な状態になりました。手術室に入る前に私は「自分の人生に悔いはない、手術が終わり生きていたら、自分の身体がどんな状態になっていようと全力で生きよう。」そう思い手術室に入りました。麻酔で意識が無くなる前に親と兄弟のこと、極真空手のこと、長男と次男のこと、最後は妻のことをずっと思っていました。目が覚めた時に私は「生きていたんだ。頑張って生きて行こう。」そう思いました。そして妻と子供達と両親に感謝と愛情の気持でいっぱいでした。手術後は苦しみと痛みとの戦いでした。その戦いで私は人に対する愛情と感謝の気持を持ち、自分の弱さと向き合い、人の弱さに優しく出来る人になりたいと思いました。そして50歳はたくさんの人との出会いや再会がありました。本当に生きている事に感謝しています。そして50歳はどんな1年だったか?と言うと、50歳は自分が思っていたより悪くなかった。と思いました。40歳になる時に「あ〜40歳だ〜」とため息をついた自分を拳骨してやりたいです。50歳はそんなに悪くありません。とても楽しい50歳の1年でした。かけがえのない貴重で大切で特別な1年でした。歳を取ることはぜんぜん悪くないです。60歳の時にもそのセリフを言えていたら?と思います。なにはともあれあと10分ほどで51歳になります。一生懸命に生きた1年でした。私を生んでくれた両親と共に育った兄弟と、極真空手の関係者と道場生とご父兄様には本当に本当に感謝しています。最後に私の人生を本当に幸せにしてくれている長男と次男と妻に感謝したいと思います。明日から51歳を元気に生きて行きます。皆様、どうぞよろしくお願い致します。
明後日には51歳になります。明日が50歳の最後の日となります。こう書くと明日はとてもとても貴重で大切で特別な物に感じます。でも本当は生まれた日から今まで生きて来た毎日がとてもとても貴重で大切で特別な物だったのです。生まれた日も、運動会の日も、水泳大会の日も、全国大会の日も、高校入試の日も、全日本空手道選手権大会の日も、ロシアンカップで戦った日も、好きな子に告白した日も、結婚した日も、子供が生まれた日も、高校を退学になった日も、選手を引退した日も、風邪で寝込んだ日も、好きな子に振られた日も、全て私にとってかけがえのない貴重で大切で特別な1日だったのです。50歳にもなるとそれを心から深く感じるようになりました。これからもいろんな事が起こるでしょう。人生は楽しい事もたくさんありますが、受け入れ難い事もたくさん起こります。でもたぶん自分がこの世から去る日には全てを愛おしく想うのではないかと思います。どんなに最悪な1日もかけがえのない貴重で大切で特別な1日だったと愛おしく想うはずです。そうなっていたいと思います。だからこれからも何があってもこの1日はかけがえのない貴重で大切で特別な1日だと思って過ごしたいと思います。今日は朝は代官山道場で行われている剛柔流の稽古会に参加して、午後から大森道場で柔軟体操と呼吸法と型をやり腹筋背筋をトレーニングし、指導して、指導の合間にランニングを40分やりました。最後の一般部は深野さんと柔軟体操、基本稽古、型と突きと蹴りの打ち込みをやりました。最高の1日でした。50歳の最後の1日も思いっきり楽しんで過ごしたいと思います。
kanno
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