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2024年02月02日(金) 51歳2日目

51歳の2日目が終わりました。昨日に少し疲れを観じたので、今日はゆっくりとした朝を過ごして、床屋に行きました。そのまま道場へ行き、柔軟体操をしてからジムへ移動して背中のトレーニングを1時間10分ほど行いました。自分の身体がどんどん強くなっている事を感じます。ほぼほぼ毎回少しずつ重さを上げたり回数を上げたりして、記録を向上させています。45歳にウエイトトレーニングを再開させた時の自分に、今の自分は想像出来なかったと思います。一念発起した45歳の自分に感謝です。ジムに入会する時に次男も連れていました。次男は3歳でした。その次男があと8日で10歳になります。そう考えると決して6年は短くはありません。でもあの日に決断し一念発起しなければ、もしかしたら今もトレーニングをしていないかもしれません。あの時に一念発起して始めたから6年後の今があり、6年なんてあっという間だと言う事も出来ます。でももし今もトレーニングしていなかったとしたら、この6年をもっとあっという間に感じていたのかもしれません。私は何かを始めるのに遅いなどと言う事はないと思っています。45歳になって何を求めてウエイトトレーニングなんて始めるの?何のために45歳にもなってそんな必死こいてるの?と言う人もいました。その人達に今の私の姿を見せたいです。そして「こうなりたかったからだよ!」と言いたいです。私はやって損する事もやって後悔する事もないと思っています。やって結果が悪かったとしても後悔はしません。どんなに悪い結果が出ても頑張ったのだから諦めがつきます。後悔する事はやらなかった事です。そして人生は自分が満足すれば良いのだと思います。もう私も51歳です。好きなように生きたいと思います。なりたい自分にならせて頂きます。でもこれだけは守りたいと思います。自分がカッコ悪いと思う事だけは絶対にしません。家族や道場生を裏切るような事だけは絶対にしません。


2024年02月01日(木) 誕生日

今日は誕生日でした。たくさんの方々からお祝いのメッセージを頂きました。本当にありがとうございます。朝起きて家族と会っても誰も私に何も言う事はなく、私は少しガッカリして家を出ました。道場へ行き、朝の指導をし、ウエイトトレーニングをやり、夕方の少年部の時にアキラとレオが「誕生日おめでとうございます!」と言ってくれました。私に直接おめでとうを言ってくれた第1号はアキラでした。何歳になってもおめでとうと言われれば嬉しいです。私の誕生日を覚えていてくれた事が嬉しいです。夜の稽古の指導を終え、家に帰宅すると夕食がステーキでした。ちゃんと誕生日を覚えていてくれたんだと思いました。食後にアップルパイでお祝いをしていただきました。妻の手作りのアップルパイはとても美味しいです。プレゼントにサウナハットとクローズのキャラクターの角住賢一のフィギュアをもらいました。好きな物だらけで胃も心もお腹いっぱいになりました。51歳の1日目は最高の1日でした。今日のトレーニングは足と腹と首でしたが全ての種目で記録が伸びました。51歳にして、まだまだ前進しています。51歳も悪くないよ!歳を取りたくないと思っている人もいると思いますが、私は今が1番幸せです!本当に歳を取るのも悪くないです。


2024年01月31日(水) 50歳最後の日

今日で50歳が終わります。今は23時35分なので、もう間もなく私の50歳の1年は終わり51歳に突入します。少しだけ50歳の1年を振り返りたいと思います。50歳の1年最大の出来事は股関節を人工股関節にした手術です。手術中は私は出血のため本当に危険な状態になりました。手術室に入る前に私は「自分の人生に悔いはない、手術が終わり生きていたら、自分の身体がどんな状態になっていようと全力で生きよう。」そう思い手術室に入りました。麻酔で意識が無くなる前に親と兄弟のこと、極真空手のこと、長男と次男のこと、最後は妻のことをずっと思っていました。目が覚めた時に私は「生きていたんだ。頑張って生きて行こう。」そう思いました。そして妻と子供達と両親に感謝と愛情の気持でいっぱいでした。手術後は苦しみと痛みとの戦いでした。その戦いで私は人に対する愛情と感謝の気持を持ち、自分の弱さと向き合い、人の弱さに優しく出来る人になりたいと思いました。そして50歳はたくさんの人との出会いや再会がありました。本当に生きている事に感謝しています。そして50歳はどんな1年だったか?と言うと、50歳は自分が思っていたより悪くなかった。と思いました。40歳になる時に「あ〜40歳だ〜」とため息をついた自分を拳骨してやりたいです。50歳はそんなに悪くありません。とても楽しい50歳の1年でした。かけがえのない貴重で大切で特別な1年でした。歳を取ることはぜんぜん悪くないです。60歳の時にもそのセリフを言えていたら?と思います。なにはともあれあと10分ほどで51歳になります。一生懸命に生きた1年でした。私を生んでくれた両親と共に育った兄弟と、極真空手の関係者と道場生とご父兄様には本当に本当に感謝しています。最後に私の人生を本当に幸せにしてくれている長男と次男と妻に感謝したいと思います。明日から51歳を元気に生きて行きます。皆様、どうぞよろしくお願い致します。


2024年01月30日(火) かけがえのない貴重で大切で特別な1日

明後日には51歳になります。明日が50歳の最後の日となります。こう書くと明日はとてもとても貴重で大切で特別な物に感じます。でも本当は生まれた日から今まで生きて来た毎日がとてもとても貴重で大切で特別な物だったのです。生まれた日も、運動会の日も、水泳大会の日も、全国大会の日も、高校入試の日も、全日本空手道選手権大会の日も、ロシアンカップで戦った日も、好きな子に告白した日も、結婚した日も、子供が生まれた日も、高校を退学になった日も、選手を引退した日も、風邪で寝込んだ日も、好きな子に振られた日も、全て私にとってかけがえのない貴重で大切で特別な1日だったのです。50歳にもなるとそれを心から深く感じるようになりました。これからもいろんな事が起こるでしょう。人生は楽しい事もたくさんありますが、受け入れ難い事もたくさん起こります。でもたぶん自分がこの世から去る日には全てを愛おしく想うのではないかと思います。どんなに最悪な1日もかけがえのない貴重で大切で特別な1日だったと愛おしく想うはずです。そうなっていたいと思います。だからこれからも何があってもこの1日はかけがえのない貴重で大切で特別な1日だと思って過ごしたいと思います。今日は朝は代官山道場で行われている剛柔流の稽古会に参加して、午後から大森道場で柔軟体操と呼吸法と型をやり腹筋背筋をトレーニングし、指導して、指導の合間にランニングを40分やりました。最後の一般部は深野さんと柔軟体操、基本稽古、型と突きと蹴りの打ち込みをやりました。最高の1日でした。50歳の最後の1日も思いっきり楽しんで過ごしたいと思います。


2024年01月29日(月) 人工股関節

私の両股関節は人工股関節になりました。もうその事を忘れるぐらい動けるようになりました。ミットも普通に蹴る事が出来るし、スパーリングも普通に出来ます。とは言っても昔のように多角度な蹴りを出す事は出来ません。なので前よりは少ないカードでトランプをしている感じでスパーリングしています。でも前はいろいろ出来すぎたせいで技の組立に工夫が少なかったような気がします。なので今も少ないカードでいろんな組立を考えてスパーリングしているので、いろいろと工夫があり楽しいです。私の両足の人工股関節は私が死んでしまって火葬されても残るそうです。人工股関節はチタン合金とコバルトクロム合金で出来ているので、熱に強いので火葬されてもはそのまま残るそうです。1つは長男に1つは次男にあげる約束をしています。私の心は妻にと思っています。お墓はいらないですし戒名もいらないので、骨は共同墓地にでも入れてくれればと思っています。


2024年01月28日(日) 長男

親バカかもしれませんご、長男を見ていて、フトした姿に「こいつカッコイイな!」と思う事があります。色が白くて髪がサラサラで手足が長くてヒョロっとしていて、ロックンロール体形でカッコイイなと思います。足を組んでギターを弾いている姿なんてなかなかさまになっています。でも残念ながら話し出すと馬鹿な奴だなと思ってしまいます。大人と子供の狭間にいるんだろうなと思います。あと3年もしたら、もう自分の道を歩き出すのだと思います。親離れしてしまうのだと思います。友達や知り合いもどんどん増えて、自分の世界も広がって行くのだから、忙しくて親と一緒になんていられないと思います。私は初ライブは最前列で見たいなという親バカな希望を抱いては楽しんでいます。


2024年01月27日(土) 入門者

私の中学校の同級生が極真空手を始めました。私の友達は道場まで電車で1時間ぐらいかかる遠隔地に住んでいるので、近くにも道場はあるよと言ったのですが、私の道場を選んでくれました。51歳にして新しい事を始めるのですから大したものだなと思います。頑張って欲しいと思います。私も自分の空手人生で学んだ事を一生懸命に伝えて行こうと思います。


2024年01月26日(金) ギター馬鹿

長男は妻と恵比寿にあるライブハウスに「シンガーズハイ」と言うバンドのライブに行きました。長男がライブから帰って来て、私が「ライブどうだった?生で見たプロはやっぱり凄かったか?」と聞くと「んー凄かったけど、ライブを見て、百瀬先生の凄さが分かったよ。」と言っていました。百瀬先生と言うのは長男のギターの先生なのですが、その先生の凄さが分かったそうです。続けて「プロになれそう?」と聞いたら「んーなれんじゃねー。」って言っていました。長男はいま、その人達の曲を練習しているので、それを踏まえて言っているのだと思うので、全くあてずっぽうな答えではないのだと思います。これは親バカの意見ですが、長男もギターを始めて3年近くなるので、そろそろ頭打ちになる時期ですが、その時期にプロの人を見て、その答えが言えるなら、まあまあ良いかな?と思います。そこで「やっぱプロはスゲー!」とか言っていたり、圧倒されて熱烈なファンになっていたら、もうダメだなと思います。始める前にプロに慣れるとは誰でも言えます。大体の人が、それをやってみて3年ぐらいして自分の才能や可能性が分かって来た頃に勢いがなくなっていきます。そして諦めて行きます。私も根拠はないけど全日本とかには出れる選手には普通になれると思っていました。本気で信じていなかったら途中で挫折するか、親の跡を継ぐか、就職するか、していたと思います。私はチャンピオンにはなれなかったからあまり偉そうな事は言えないけど、この道でそれなりになった人間だから分かります。長男は第一関門は突破したかな?と思います。そして長男はライブから帰って来たら、すぐにギターを弾いていました。長男がどこまでギター馬鹿を貫けるか?見ていてあげたいと思います。期待はしないで見ていてあげたいと思います。


2024年01月25日(木) 読書

湊かなえ著の「人間標本」を読み始めました。ここ最近、本を読む事がおっくうになってしまい、本を読む事を止めてしまっていました。これをキッカケにまた本を読むようにしたいと思います。


2024年01月24日(水) 同じ行動

私は毎日だいたい同じ行動をします。何時に起きて何時に家を出て、どこの自動販売機でどのコーヒーを買ってとか、どのコンビニによって何を買うとか、お昼ご飯は何を食べるとか、ほぼほぼ同じ行動をします。そうじゃないとなんか変な感じがします。なので稽古も何時に始めて何をすると言うのも1週間のスケジュールを決めて、その通りに進めて行きます。なので空手家には向いているのかな?と思います。毎日同じ事をしているから自分の変化が良く分かります。そして少しずつ前に進んで行き、自分が進化している事が実感として分かります。生きている以上、やはり前に進んで行きたいし、自分を高めて行きたいです。あと7日で私も51歳になります。51歳になる時に自分は何を思っているのだろう?


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