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私の両股関節は人工股関節になりました。もうその事を忘れるぐらい動けるようになりました。ミットも普通に蹴る事が出来るし、スパーリングも普通に出来ます。とは言っても昔のように多角度な蹴りを出す事は出来ません。なので前よりは少ないカードでトランプをしている感じでスパーリングしています。でも前はいろいろ出来すぎたせいで技の組立に工夫が少なかったような気がします。なので今も少ないカードでいろんな組立を考えてスパーリングしているので、いろいろと工夫があり楽しいです。私の両足の人工股関節は私が死んでしまって火葬されても残るそうです。人工股関節はチタン合金とコバルトクロム合金で出来ているので、熱に強いので火葬されてもはそのまま残るそうです。1つは長男に1つは次男にあげる約束をしています。私の心は妻にと思っています。お墓はいらないですし戒名もいらないので、骨は共同墓地にでも入れてくれればと思っています。
親バカかもしれませんご、長男を見ていて、フトした姿に「こいつカッコイイな!」と思う事があります。色が白くて髪がサラサラで手足が長くてヒョロっとしていて、ロックンロール体形でカッコイイなと思います。足を組んでギターを弾いている姿なんてなかなかさまになっています。でも残念ながら話し出すと馬鹿な奴だなと思ってしまいます。大人と子供の狭間にいるんだろうなと思います。あと3年もしたら、もう自分の道を歩き出すのだと思います。親離れしてしまうのだと思います。友達や知り合いもどんどん増えて、自分の世界も広がって行くのだから、忙しくて親と一緒になんていられないと思います。私は初ライブは最前列で見たいなという親バカな希望を抱いては楽しんでいます。
私の中学校の同級生が極真空手を始めました。私の友達は道場まで電車で1時間ぐらいかかる遠隔地に住んでいるので、近くにも道場はあるよと言ったのですが、私の道場を選んでくれました。51歳にして新しい事を始めるのですから大したものだなと思います。頑張って欲しいと思います。私も自分の空手人生で学んだ事を一生懸命に伝えて行こうと思います。
長男は妻と恵比寿にあるライブハウスに「シンガーズハイ」と言うバンドのライブに行きました。長男がライブから帰って来て、私が「ライブどうだった?生で見たプロはやっぱり凄かったか?」と聞くと「んー凄かったけど、ライブを見て、百瀬先生の凄さが分かったよ。」と言っていました。百瀬先生と言うのは長男のギターの先生なのですが、その先生の凄さが分かったそうです。続けて「プロになれそう?」と聞いたら「んーなれんじゃねー。」って言っていました。長男はいま、その人達の曲を練習しているので、それを踏まえて言っているのだと思うので、全くあてずっぽうな答えではないのだと思います。これは親バカの意見ですが、長男もギターを始めて3年近くなるので、そろそろ頭打ちになる時期ですが、その時期にプロの人を見て、その答えが言えるなら、まあまあ良いかな?と思います。そこで「やっぱプロはスゲー!」とか言っていたり、圧倒されて熱烈なファンになっていたら、もうダメだなと思います。始める前にプロに慣れるとは誰でも言えます。大体の人が、それをやってみて3年ぐらいして自分の才能や可能性が分かって来た頃に勢いがなくなっていきます。そして諦めて行きます。私も根拠はないけど全日本とかには出れる選手には普通になれると思っていました。本気で信じていなかったら途中で挫折するか、親の跡を継ぐか、就職するか、していたと思います。私はチャンピオンにはなれなかったからあまり偉そうな事は言えないけど、この道でそれなりになった人間だから分かります。長男は第一関門は突破したかな?と思います。そして長男はライブから帰って来たら、すぐにギターを弾いていました。長男がどこまでギター馬鹿を貫けるか?見ていてあげたいと思います。期待はしないで見ていてあげたいと思います。
湊かなえ著の「人間標本」を読み始めました。ここ最近、本を読む事がおっくうになってしまい、本を読む事を止めてしまっていました。これをキッカケにまた本を読むようにしたいと思います。
私は毎日だいたい同じ行動をします。何時に起きて何時に家を出て、どこの自動販売機でどのコーヒーを買ってとか、どのコンビニによって何を買うとか、お昼ご飯は何を食べるとか、ほぼほぼ同じ行動をします。そうじゃないとなんか変な感じがします。なので稽古も何時に始めて何をすると言うのも1週間のスケジュールを決めて、その通りに進めて行きます。なので空手家には向いているのかな?と思います。毎日同じ事をしているから自分の変化が良く分かります。そして少しずつ前に進んで行き、自分が進化している事が実感として分かります。生きている以上、やはり前に進んで行きたいし、自分を高めて行きたいです。あと7日で私も51歳になります。51歳になる時に自分は何を思っているのだろう?
日曜日に次男にラーメンを作ってもらいました。とても美味しかったです。次男は料理が好きなようで、今日も味噌汁を作ってくれました。次男は「朝に味噌汁を飲むと元気が出るよね!」と言っていました。長男は毎日ギターを弾いています。座って足を組んで原曲に合わせてギターを弾いている姿は少しカッコよく見えます。この前の土曜日に友達と飲んで家に帰って来て、私は長男と次男とコンビニに買い物に行ったそうです。買い物に行く時に私がフラフラしているから次男が私と手を繋いでくれたそうです。私はかなり酔っ払っていて、アイスクリームとメロンパンを買っていたそうです。私は普段は甘い物は我慢しているので、何かのタガが吹っ飛んでいたようです。そして長男と次男に抱っこさせてと言って、何度も抱っこしていたそうです。私は酔っ払うと寂しくなってしまいます。長男も次男も素直に抱っこさせてくれたそうです。厳格な父親を演じきれないほど寂しくなってしまったのかな?と思います。家族みんなで私を支えてくれるから、どんなに悲しい事や辛い事があっても頑張れます。
1週間が過ぎて行くのがとても早く感じます。今は日曜もトレーニングをしているので、毎日身体を動かしている感じです。ウエイトトレーニングのスケジュールは日曜に胸、月曜に腕、火曜に腹筋、背筋、首、水曜に肩、木曜の午前に足、夜に腹筋、背筋、首、金曜に背中、土曜に腹筋、背筋、首、と言う感じです。月、火、水、金、土にランニングをやっています。火曜と木曜に拳や足を鍛える部位鍛錬をします。柔軟体操と呼吸法と型は毎日やります。50歳でこれだけ稽古している人もなかなかいないだろうと思っています。
小学2年生の時にコンビを組んでいた友達が亡くなっていた事を昨日知りました。亡くなったのは5年前だったそうです。私が福島第3小学校から岡山小学校に2年生のはじめに転校してから仲良くなった友達でした。お楽しみ会ではいつも2人で皆を笑わせていました。2人でドリフの真似をしたり、ハクション大魔王の真似をしたり、アニメの歌を歌ったり、そんな持ちネタでみんなを笑わせて人気者となっていた馬鹿コンビでした。その友達が他のクラスの子に殴られたと聞けば、その子達のいる公園へ仲間を集めて殴り込みに言って喧嘩をしたりもしました。私が「あしたのジョー」にハマった時は一緒にボクシングごっこをして、その子に鼻血を出させ、私は休み時間は職員室で過ごす事になりました。学校が終わるといつも一緒に帰っていました。鬼親父の家を2人でピンポンダッシュをして私が鬼親父に捕まり、家に監禁されて怒られた時も一緒でした。2人で長い棒を見つけ、人の家の柿の木から柿を取り食べていて、見つかって逃げた時も一緒でした。お互いの家に遊びに行き、いつも一緒に悪い事ばかりしていました。33歳の時に再会し、また一緒に飲むようになりました。その友達が飲み屋の子を好きになって、みんなでその店に何度も飲みに行き、なんとかその子とくっつけようと頑張りましたが、見事に撃沈していました。かわいそうだったけど、見事過ぎて、あれは笑ったなー!37歳の時に癌になり、お見舞いに何度か行きました。元気に退院したあたりから、その友達もお酒が飲めなくなり、私達の集にも顔を出さなくなり、少しずつ疎遠になって行ってしまいました。何度か喧嘩もしましたが、見事なまでに全部私が勝ちました。その友達は、仲は良かったけど、秀行と絡んで良い思い出はあんまりないなと言っていたそうです。まあそうだろうなと思います。でもまあ私は一緒にいて楽しませてもらいました。もう話したり出来ないのは寂しいけど思い出も笑い話をたくさんあるから、次にみんなで集まったら君の話して盛り上がりたいと思います。君の馬鹿なエピソードをみんなで思い出し腹を抱えて笑いたいと思います。
中学生の同級生が道場を訪ねて来てくれました。稽古を見学して、その後一緒に飲みに行きました。会うのは33年ぶりです。彼の結婚式に参加したのが会った最後になりました。1番一緒にいた時期は私とその友達ともう一人の友達全員が高校を退学して、ぷらぷらしていた約半年かなと思います。やっぱり同級生とは話が尽きないです。先ずはお互いがどう生きて来たのかを話、お互いの友達の情報交換から、「俺、あいつの電話番号知ってるよ」となり「ヨシッ電話しよう!」とあちこちに電話をし、当時の思い出話しは、話しても話しても尽きず、結局2人で6時間飲みました。2人で6時間飲めるなんて事は、なかなかです。友達って本当に良いですね。30年以上会っていなくても瞬間で昔に戻る事が出来て意気投合出来る。やっぱりそんな友達は10代の頃しか作れないと思います。この再開を機会に末永く付き合って行きたいと思います。友達は私にとって1番大切な財産です。
kanno
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