DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
小学2年生の時にコンビを組んでいた友達が亡くなっていた事を昨日知りました。亡くなったのは5年前だったそうです。私が福島第3小学校から岡山小学校に2年生のはじめに転校してから仲良くなった友達でした。お楽しみ会ではいつも2人で皆を笑わせていました。2人でドリフの真似をしたり、ハクション大魔王の真似をしたり、アニメの歌を歌ったり、そんな持ちネタでみんなを笑わせて人気者となっていた馬鹿コンビでした。その友達が他のクラスの子に殴られたと聞けば、その子達のいる公園へ仲間を集めて殴り込みに言って喧嘩をしたりもしました。私が「あしたのジョー」にハマった時は一緒にボクシングごっこをして、その子に鼻血を出させ、私は休み時間は職員室で過ごす事になりました。学校が終わるといつも一緒に帰っていました。鬼親父の家を2人でピンポンダッシュをして私が鬼親父に捕まり、家に監禁されて怒られた時も一緒でした。2人で長い棒を見つけ、人の家の柿の木から柿を取り食べていて、見つかって逃げた時も一緒でした。お互いの家に遊びに行き、いつも一緒に悪い事ばかりしていました。33歳の時に再会し、また一緒に飲むようになりました。その友達が飲み屋の子を好きになって、みんなでその店に何度も飲みに行き、なんとかその子とくっつけようと頑張りましたが、見事に撃沈していました。かわいそうだったけど、見事過ぎて、あれは笑ったなー!37歳の時に癌になり、お見舞いに何度か行きました。元気に退院したあたりから、その友達もお酒が飲めなくなり、私達の集にも顔を出さなくなり、少しずつ疎遠になって行ってしまいました。何度か喧嘩もしましたが、見事なまでに全部私が勝ちました。その友達は、仲は良かったけど、秀行と絡んで良い思い出はあんまりないなと言っていたそうです。まあそうだろうなと思います。でもまあ私は一緒にいて楽しませてもらいました。もう話したり出来ないのは寂しいけど思い出も笑い話をたくさんあるから、次にみんなで集まったら君の話して盛り上がりたいと思います。君の馬鹿なエピソードをみんなで思い出し腹を抱えて笑いたいと思います。
中学生の同級生が道場を訪ねて来てくれました。稽古を見学して、その後一緒に飲みに行きました。会うのは33年ぶりです。彼の結婚式に参加したのが会った最後になりました。1番一緒にいた時期は私とその友達ともう一人の友達全員が高校を退学して、ぷらぷらしていた約半年かなと思います。やっぱり同級生とは話が尽きないです。先ずはお互いがどう生きて来たのかを話、お互いの友達の情報交換から、「俺、あいつの電話番号知ってるよ」となり「ヨシッ電話しよう!」とあちこちに電話をし、当時の思い出話しは、話しても話しても尽きず、結局2人で6時間飲みました。2人で6時間飲めるなんて事は、なかなかです。友達って本当に良いですね。30年以上会っていなくても瞬間で昔に戻る事が出来て意気投合出来る。やっぱりそんな友達は10代の頃しか作れないと思います。この再開を機会に末永く付き合って行きたいと思います。友達は私にとって1番大切な財産です。
夜中にYouTubeで私が2002年にモスクワで行われたロシアンカップ2002に出場した時の映像を見つけました。その映像は当時にロシアで放映された映像のようでした。私はその試合の映像は帰りの飛行機で誰かが撮ってくれた8ミリビデオで見ただけで、その後その試合の映像を見る事はありませんでしたし、そのロシアで放映された映像も見た事がありませんでした。約22年ぶりにその時の映像を見て、夜中に熱い気持になりました。大した事はないけれど生きた証を少しは残したかな?と思いました。妻と長男に見せたら、2人とも、私が今、戦ってるぐらい熱い気持で見てくれていました。私が顔を何発か殴られている映像を見て、妻が「殴り返せば良かったのに!」って興奮して言っていました。それは反則だからダメだけど、22年前の私の試合を見て、そんなに感情移入してくれた事は嬉しかったです。自分で言うのも何ですが29歳の私は頑張っていました。29歳の私はカッコ良かったです。その頃の自分に負けないように今を頑張りたいと思いました。29歳の時の自分に「ありがとう」と言いたいです。
柔軟体操で開脚もほぼほぼ180度、脚が開くようになりました。ランニングも30分走れるようになりました。基本稽古で全ての蹴りの種目を蹴れるようになりました。型もしっかりとした足の広さと腰を落として出来るようになりました。ミットもバシッと回し蹴りで蹴れるようになりました。スパーリングも出来るようになりました。もう完全復活と言って良いと思います。医学の進歩に感謝です。これであと19年しっかり稽古が出来ます。そのために股関節を人工股関節にしたのです。でもせっかく治して頂いた身体なので大切に使いたいと思います。自分の為だけではなく、家族のため、生徒のため、極真会館のために使いたいと思います。
51歳まで、あと2週間となりました。50歳になったと思ったら、もう51歳になるなんて・・・です。1歳、歳を取ると言う事は大きな事です。それは25歳の時に思った事です。25歳の時に初めて強い選手に勝つ事が出来て、その試合でも優勝したのですが、怪我をしてしまいました。治るまでにほぼ1年かかりました。そして試合が出来ずに1年が経ち、1歳、歳を取ってしまいました。自分の人生で自分の身体が1番良い時に1年を無駄にして1歳、歳を取ってしまったのです。1年を無駄にしてしまったからこそ、1年の大切さをその時に学びました。そして私は50歳です。人生50年と言われていた事を考えれば、これからの1年1年は本当に本当に大切にして生きて行かなければいけないと思います。70歳までは元気に稽古して指導するつもりなので、残っている時間は20年、2週間後には19年となります。こう考えるとどれだけ時間を無駄に出来ないか?を実感する事が出来ます。そしてたぶん20年後には、人工股関節の再手術をする事になり、その後はそれなりにお祖父ちゃんになって行くのだろうと思います。
今週からランニングマシーンでのランニングを始めました。ずっと有酸素運動は止めていたのですが、年末年始の暴飲暴食のため体重が増えてしまったので、健康のために体重を少し落としたいと思いランニングを始めました。毎日20分のランニングを目標に頑張ろうと思います。
先週はいろんな事がありました。長男が部活でやっているバドミントン部を辞めたいと言い出し、次男も相撲を辞めたいと言い出しました。そんな時、私は投げっぱなしの言葉を子供達に言います。結論はおそらく妻と話して考えると思うからです。子供達を1番近くで見ている妻を私は信用していますし、父親が詰めて話をして結論を出させても子供達に不満が残ると思います。だから自分はこう思う、自分はこうして来たと言う事を一方的に話して聞かせて終わりにします。あとは妻に全て任せます。それで出した答えに私は文句は言いません。そして長男も次男も辞めずに続ける事になりました。やはり妻に任せて正解だったと思います。
本当に時間が過ぎるのは早いです。昨年末の興奮冷めやらぬと言う感じで時間が過ぎて、気が付けばもう月の半分が過ぎようとしています。目的を持たず、仕方ないからと働いたり、ただいたずらに時間を過ごしたりする事がないように生きたいと思っています。いつかどこかで誰かに会うかもしれません。その時に自分がみったくない生き方をしていないようにしたいと思っています。友達と久しぶりにあって「ずいぶん老けたね」とか「なんか覇気がなくなったね」とか「つまらない大人になった」なんて言われないように、しっかりと生きて行きたいと思っています。毎日を一生懸命に楽しんで自分の人生をしっかりと生きていれば、歳を取っても人間的な魅力はどんどん上がって行くと思います。そうありたいと思っています。
長男がお年玉でギターのエフェクターを買って来ました。自分1人で楽器屋に行って、店員さんに相談して買って来たそうです。「メタルゾーン」と言うエフェクターで音を歪ませるために使うエフェクターだそうです。自分のお年玉を使って買うんだから、やはりそうとうギターが好きなんだと思います。長男は、勉強しろって言ってもやらないし、補強をやれって言ってもやりませんが、ギターはよく弾いています。やっぱり好きは物の上手なれで、その人が好きならそれを自然とやるようになるのだと思います。空手家でも選手を辞めたら稽古しなくなる人がいます。その人は空手が好きと言うよりもチャンピオンになるという目標のために稽古していたのだと思います。だから目標が無くなったら稽古する必要はなくなるわけです。チャンピオンになるのが好きだったと言うことなのだと思います。その人の行動は何が好きか良く分かります。働くのも何のために働いてるのかが分かります。お金持ちになりたいから、旅行がしたいから、車が欲しいから、美味しい物を食べたいから、お酒を飲みたいから、そのためなら仕事も頑張れると言うわけです。空手道場を経営している人の中でも、指導をたくさんする人は指導が好きなのだと思います。他の事業をやる人や道場を増やして経営を頑張る人はお金持ちになりたいのだと思います。指導もしっかりやって自分の稽古もしっかりやる人はの本当に空手が好きなんだと思います。私には他の事業やゴルフやゲームやパチンコやギターをやる時間があるならその時間を自分が稽古する時間に使いたいです。ある意味で言えば自分が稽古する時間を作るために道場を経営していると言ってもいいかもしれません。空手道場の経営者は時間は有り余っています。その有り余っている時間を何に使うか?でその人の空手に対してというか生き方が見えてくると思います。ラーメン屋さんで朝から仕込みをして営業して営業が終わったらラーメンの研究をするラーメン屋さんをTVで見た時に、私はこの人見たくなりたいと思いました。まあとはいえ霞を食べて生きていけませんので、経営に行き詰まれば、空いている時間を働く事でお金を稼ぐしかありません。それは素晴らしい事です。でもそうじゃない場合はやはりその人はお金儲けが好きなんだと思います。私は空手屋ではなく空手家でいたいと思っています。長男もギターリストで有名になりたい、とかギターリストでお金持ちになりたいと思うのではなく、ギターが好きなギターリストになって欲しいと思います。もしそうなら一生ギターリストで入れるはずです。プロじゃなくても空いている時間にギターを弾いてライブしてお客さんが来てくれて誰かを感動させられるなら立派なギターリストです。そこだけは私に似て欲しいと思っています。
10代は毎日がお祭りでした。20代は毎日が戦いでした。毎日が青春でした。もう戻る事は出来ない大切な時間でした。でも今だって、その取り戻せない大切な一瞬を生きています。だから悔いの残らないように毎日を思っきり楽しんで一生懸命に生きていたいと思っています。そして今、自分と一緒にいてくれる人を大切にしたいと思います。いつか今を思い出した時に取り戻す事の出来ない素晴らしい思い出になっていて欲しいと思います。長男にも次男にも勉強もして欲しいと思いますし、習い事も頑張って欲しいと思います。でも1番は毎日を一生懸命に楽しんで欲しいです。1度しかない青春を思いっきり楽しんで欲しいと思っています。私は思いっきり青春しました。10代の頃の仲間や20代の頃の空手の先輩や後輩とあってその頃の話をしたら話しても話しても話は尽きる事はありません。そのぐらい濃い時間を過ごしました。だから後悔はありません。本当に人生を一生懸命に楽しんで来ました。子供達にもそう生きて欲しいと思います。そして友達を大切にして欲しいと思います。一生付き合って行ける友達を作って欲しいです。たくさんの感動を一緒に共有した友達を作って欲しいと思います。だから私は「スタンド・バイ・ミー」を子供達によく見せます。
kanno
|