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2024年01月09日(火) 自分の気持ちを人に伝える

私が、何か1つ努力をせずに身に付けられる物があるとして欲しいと思う物はコミュニケーション能力です。自分にそれがあったらもっともっとスムーズに生きていけるのになと思う事が多々あります。自分の気持をもっとスムーズに相手に伝えたり、知らない人と上手くコミュニケーションを取ってどんどん仲良くなって行けたら、もっともっと良い人生が送れたと思います。そんなに欲しいなら努力してコミュニケーション能力を身に付けろよ!と思う人もいるかと思いますが、コミュニケーション能力って努力で身に付けられるのか?分かりませんし、その努力が出来るなら、もう身に付けていたと思いますし、身に付けたとしても、たぶん私は無理をしてそれをやると思うので、無理をするのは違うような気がするので、もう今は諦めています。私は人と仲良くなるのに本当に時間がかかります。私は本当は恥ずかしがり屋で、人見知りで、寂しがり屋ですし、人に引っ張ってもらいたい方です。でもあまりグイグイ来られると逃げてしまう方です。なかなか難しい人間です。たぶん今、私が1番心を許しているのは妻で、その次は長男と次男で、その次は友達で、その次は両親と兄弟で、その次は道場の子供達だと思います。でもあまりにもコミュニケーション能力が高くなってしまったら私の良さは死んでしまうのかな?とも思うので、やはり今のままで良いのかな?と思います。でももう少し自分の気持ちを素直に人に伝えて行きたいと思います。それが今年の目標です。


2024年01月08日(月) 冬合宿が終わりました。

2024年冬合宿が終わりました。あんなに待ち遠しくて楽しみにしていたのに、終わってしまえば早いものです。本当にあっという間に過ぎてしまいました。子供達との思い出もたくさん出来ました。私も気を張っていたのか、帰宅してどっと疲れが出ました。ある意味では、ここで1年がやっと終わった感じです。また明日から頑張ろうと思います。


2024年01月07日(日) 合宿1日目

私が運営する極真会館東京城南京浜支部の2024年冬合宿が行われました。4年ぶりの泊まりでの合宿でした。初日は2時間稽古をしました。準備運動と基本稽古と移動稽古のあと5種類の足捌きからの突きを稽古しました。稽古の後は海で鬼ごっこをしたり散歩をしたり、ふるさと自然公園センターを見学したりしました。夜は演芸会を行いました。初めて合宿に来た子は、一緒に生活する中で、今までで見えなかった部分をたくさん見る事が出来ました。たったの一泊二日ではありますが、ご飯を食べていたり、笑っていたり、話していたり、普段稽古では見せない表情などを見ていると本当に可愛い子だなと思います。特に幼稚園生で参加した水蓮、歩、紗綾佳を見ていると自分の子供が小さかった頃の事を思い出し、本当に可愛い時だな、なんて思ったりします。子供達は一人一人みんな個性があって可愛い部分があります。私が部屋にいて、子供達の笑い声やみんなでワイワイ騒いでいる声を聞くと、とても面白いし、その子の個性が見えて本当に可愛いと思います。その時期のその子には今しか接する事が出来ないので、子供達と一緒にいる時間はとても貴重です。そんなこんなで合宿1日目が終わりました。


2024年01月06日(土) 家族が帰って来た

私が運営する極真会館東京城南京浜支部の冬季短期集中セミナーが終了しました。みんな頑張って新しい技を身に付けていました。子供達をセミナーに参加させて頂きましたご父兄様にも心から感謝を申し上げます。今日は家族が福島から帰ってきました。私が福島から帰って来てから飼っていた魚が一匹死んでしまったので、それを子供達に報告して謝りました。長男は帰って来てすぐ藤沢にあるギター教室に行きました。次男はお世話になっている近所のおじさんに餅やお土産を持って行ったりしていました。私は自転車のパンクを直してもらいに行ってから、次男と商店街や土手に散歩に行きました。久しぶりなのでいろんな話をたくさんしました。明日から4年ぶりの合宿です。とても緊張しています。絶対に良い合宿にしたいと思います。


2024年01月05日(金) 馬鹿な飲み方

今回の福島の帰郷は1年ぶりという事と、私が50歳になったという事と、手術を終え生きて皆とまた会う事が出来たという事もあり、とても感慨深いものになりました。友達と3日、妻の実家で1日、私の実家で2日、お酒を飲んで過ごしました。久しぶりに飲んで飲んで飲みまくりました。ひだまりというお店では、店のビールが無くなったそうです。久しぶりに飲んで記憶を無くしました。50歳にもなってそんな飲み方をするなと妻には叱られましたが、なんだろうこんな時間はそんなに何度も無いのでは?と実感した今だから、そんな飲み方をしてしまったのかもしれません。そんな私を察してか?私のとても大切な友達に必ず来年も一緒に飲もうな!と言われました。とてもありがたいことです。私は友達といる時は常にはしゃいでいます。そして別れる時は努めて笑顔でいるようにしています。その別れが最後になる可能性もあると思うからです。その時の私の姿が最後の印象になると思うので、別れる時はどんなに寂しくても笑顔でいるようにしています。笑顔でじゃあね!と元気に手を降って別れたら元気に歩いて行くようにしています。私も人の事は言えないけど、お互いに健康に気を付けて長生きして、お互いにお爺ちゃんになって、死ぬまで、みんなで仲良く楽しく一緒にお酒を飲みたいです。みんなで頑張って長生きしようね!


2024年01月04日(木) 明日から戦いが始まる

今日は午前中はゆっくりと過ごし、昼から3時間30分ほど柔軟体操、呼吸法、型、ウエイトトレーニングを行いました。帰ってから洗濯と料理をし風呂を沸かして入り、夕食をとりました。一人暮らしが長かったので、なかなか手際は良いのですが、やはり面倒なものです。誰かにやってもらってしまうと当たり前にしていたことも面倒になってしまいます。でも妻はこれを毎日何度もやっているのだと思うとかなりの負担だろうなと思います。自分がそれをやらないとその人の負担も分からないので感謝の気持も無くなってしまいます。たまには苦労もするものだなと思います。明日から短期集中セミナーが始ります。心と身体の準備は出来ました。明日からまた戦いが始ります。


2024年01月03日(水) 東京へ

福島を始発の新幹線で立ちました。福島へ帰る新幹線はあんなにワクワクして乗ったのに、東京へ戻る新幹線に乗る時はやはり寂しいものです。父と母に駅まで送って頂いたのですが、駅の中に入る前に私が1度振り向くと、まだ母が見送ってくれていました。私は今までは1度挨拶をしたら振り向かずに駅に入っていました。それは振り向かえると寂しくなるからです。東京に出ると決めたのは自分ですし、振り返った所で寂しさが増すだけで帰らないわけには行かないので、そうしていました。私も50歳になり弱くなったのでしょうか、今回は振り向いてしまいました。やはり寂しさが増しました。父と母ももう80歳です。それもあるのかもしれません。でもやはり福島に帰るわけには行きません。自分にしか出来ない仕事をしていますし、俺がやらなきゃ誰がやると言う思いで極真空手の仕事に取り組んでいます。でもやはりこの歳になると親と会えるのはあと何度だろう?友達とこうして元気に飲めるのはあと何度だろう?と考えてしまいます。この時間が永遠に続かない事を実感する歳になってしまいました。昨日に友達と2人で温泉に入りに行った時にお互いの健康の事などを話しました。友達の健康もとても心配になりました。友達を失う事はとても辛い事です。そんな事を考える歳になりました。そんなこんなんもあり、福島を離れるのがとても寂しく感じました。仕事も頑張らなくては行けないけど、これからは年に何回かは福島に帰りたいと思います。東京に着き、そんな寂しさを振り払うように稽古を3時間ほどしました。家に帰って風呂に入り、ご飯を作って食べました。1人でお酒を飲みながら食事をしました。本当に1人は寂しいものです。


2024年01月02日(火) 福島での最後の日

地震での災害があったり、羽田空港での事故があったりと年の始めから大変な事が起きています。被害にあっている方々を思うと心苦しい思いです。私は今日は朝はゆっくりと両親と過ごし、昼からジムへ行きトレーニングを2時間30分行い、昼はまた両親と過ごし、夕方は親友と温泉に行きゆっくりして、夕食は両親と一緒に食べました。明日は朝一の新幹線で東京に帰るのでゆっくりと過ごしました。明日から東京に戻って、心と身体を慣らして、セミナーや冬合宿の事を考えて行きたいと思います。


2024年01月01日(月) あけましておめでとうございます。

2024年が始まりました。妻の実家でお世話になり、新しい1年の始まりを迎えました。午後からはジムで2時間10分ほどトレーニングをしました。今年は生徒達と全力で稽古して行きます。そのために昨年の手術をしたので、今年は本気で頑張りたいと思います。昨年は自分の身体の事だけはではなくいろいろな事で大変でした。今年は辰年なので、龍のように昇って行く年にしたいと思います。先ずは5日・6日の短期集中セミナーを一生懸命頑張って指導して、4年ぶりとなる泊まりでの合宿を成功させたいと思います。心機一転して合宿所も変えました。稽古にレクリエーションに盛り沢山で皆が楽しめるようにしたいと思います。


2023年12月31日(日) 1年最後の日

福島に帰って来て3日間は好きな事をさせて頂いたので、今日からは家族と一緒に過ごそうと思います。今日は妻と子供達が私の実家に来てくれて、私の両親と私の家族でいろいろな話が出来ました。夜は妻の実家で過ごしました。1年の最後にはとても良い日になったと思います。いろいろな事があった年でしたが、一生忘れられない年になりました。私に関わって頂いた全ての方々に感謝しております。本当に本当にありがとうございました。


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