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私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の今年最後となる2023年冬季昇級審査会と組手競技支部内交流試合が終了しました。今年は私の股関節の手術があったり世界大会の年だったりという事でなかなか大変な年でした。今年最後の行事を無事終了する事が出来て心からホッとしています。本日、今野譲と小枝蕗生が初段となりました。2人には私が黒帯を巻いてあげました。2人との出会った日の事はハッキリ覚えています。譲はお父さんとお母さんと一緒に見学に来て入門しました。まだ3歳だったので赤ちゃんが大きくなった感じでとても可愛かったです。柔軟体操をしている姿がとても可愛かったのがとても印象に残っています。私の長男は譲が入門する前に体験をしたのですが、最後までちゃんと稽古する事が出来なくて入門が保留になっていました。譲が入門した事で、長男をもう一度体験させて入門させました。その事もあり、譲は自分の子供と一緒の気持で接していました。蕗生は女の子と虎太朗と3人で体験に来ました。蕗生には悪いけど三人の中では1番上手く出来ない感じでした。でも稽古して行く中でなかなか運動神経が良いなと思いました。最初はチョロチョロしてる所もあり私に叱られる事もありましたが、一生懸命に稽古するし、私もとても接しやすいので、稽古中にもけっこう蕗生をイジって稽古していました。そんな2人が黒帯を巻く日が来るなんてと思い、私も感動しました。2人に黒帯を巻きながらいろんな思い出が頭に浮かび涙が止まらなくなりました。2人には本当に感謝しています。空手の先生をしていて本当に良かったと思っています。こんなに大きな感動をもらえたのも2人の頑張りがあったからです。一生懸命に頑張った姿で人を感動させた2人は本当に素晴らしい生徒です。ここまで来たのだから、もう少し私と一緒に頑張って欲しいと思います。2人が世界大会に出ている姿を思い浮かべて私も一緒に稽古して頑張りたいと思います。いつか2人と一緒に稽古の後に飲みに行きたいと思っています。
私は父とは今でも親子以上の距離があります。友達のような口を聞くことなんて、とても出来ません。父が近くにいたら少し緊張してしまうぐらいです。グリーングリーンのような親子関係ではありません。とても微妙な関係です。だから父の事は正直そんなに好きではありません。これからも会わないですむのならば会わなくてもよいと思っています。でも父の事を尊敬していますしカッコイイなと思っています。父は仕事人間であまり家にいない人でしたが、父が一生懸命に仕事している姿はとてもカッコ良かったです。俺がやらなきゃ誰がやると言う気持で仕事をしていたのだと思います。ワンマン社長で会社を経営していた父がいなければとうてい会社は回っていきません。そして会社が回らなければ会社が潰れてしまい、母も姉も私も妹もご飯を食べて行く事は出来ません。そんな物を一身に背負って父は頑張っていたのだと思います。そして自分しか出来ないと言う事に誇りを持って仕事をしていたのだと思います。家に居ても、頑固で気難しくて、いつも不機嫌そうにお酒を飲んで野球中継を見ている父でしたが、仕事をしている姿はとてもカッコ良かったです。父は口下手でしたが、言葉ではなく、生き方で私にいろいろな事を教えてくれました。父と私は性格も正反対ですし、生き方も正反対です。なので父に近付く事は出来ませんが、自分の仕事に誇りを持って取り組んでいた事だけは真似して行きたいと思います。
もう今年も残すところ半月となりました。50歳になったと思ったら、あと1ヶ月半で51歳です。この1年はなかなか大変でしたが、家族や道場生、ご父兄様のおかげで乗り越える事が出来ました。まだあと半月ありますが、自分でも本当に良く頑張ったと思います。マイナスが転じてプラスになり前進し進化出来た年でした。今年を一字でなんか表せられない!そんな年でした。今週末は今年最後の昇級審査会と支部内交流試合がありますし、29日から28日には短期集中セミナーがあるので、そこまでは気は抜けませんが、23日には忘年会があり、28日に福島に帰郷したら友達との忘年会もあるので、年末は楽しい事ばかりです。しっかり楽しんで来年を迎えたいと思います。人生は一度です。楽しむ時は思いっきり楽みたいと思います。
私は空手の先生をしているので子供の教育に煩いのでは?子供にとても厳しいのでは?と思われると思いますが、そんな事はありません。子供の教育に関しては妻に全てを任せています。私はあくまで最後の砦です。余程の事が無い限りは、妻の教育方針に口を出す事はしません。何故か私と妻は子供の教育方針で意見が相違した事はありません。もちろん私も子供達をシメる事もありますが、今まででたぶん2〜3回ぐらいしかありません。私がシメる時は中途半端はしません。でも十中八九、私が出る必要はありません。子供達が妻に反抗する事はありませんし、妻がしっかり叱ってくれます。私は止め役の方が多いぐらいです。妻から聞いたのですが、どうやら私がいる時の方が子供達は、私が止めてくれるからと調子に乗るそうです。だから私が叱るまでもないと思います。妻にもし反抗したり、手を上げたりした時は私の出番です。その時は絶対に許しません。でもそんな事は絶対にしないと子供達を信じています。この世で1番好きな人に手を出すなんて事は絶対にしないと信じています。家では本当に楽なお父さんをやらせてもらってます。妻に聞いたら、長男は私の事を「パパは脳も筋肉で出来てるよね!」とディスっていたそうです。まあ面と向かって反抗されるより、影でディスられるぐらいが丁度よいと思っています。そしてディスり方に少し愛情を感じるので許してあげようと思います。
今日は肩のトレーニングの日でした。記録もどんどん上がり、筋肉への効かせ方もどんどん上手になりました。そのおかげで毎回のトレーニングでしっかり筋肉痛になります。身体もどんどん変わって来ています。柔軟体操も每日、朝の稽古前、指導の中で、入浴後と1日に3回は必ず行っています。もうほぼほぼ股関節を悪くする前の状態に戻って来ました。回し蹴りも頭より高い所を蹴る事が出来るようになりました。キックミットも蹴れるようになりました。今日のスパーリングでもジャストミートで上段回し蹴りを当てる事が出来ました。蹴られたのは今日も長男でしたが、帰り道で「顔を蹴られた時、蹴りが当たるまで全然見えなかっだけど、どうやって蹴ったの?」と聴かれました。「左の突きを打って右の肩が後ろに行った時に下から蹴りを滑らせるようにカウンターで蹴ったんだよ。」と教えました。他の生徒にも左の中段回し蹴りも思うように入れる事が出来ました。たぶん1年半は回し蹴りは蹴る事が出来なかったのですが1度身に付いた感覚はそう簡単には消えない物です。格闘技雑誌に閃光の左上段回し蹴りと言われた蹴りが復活しました。50歳にして青春時代のような每日を経験しています。
今日はバシッと音が出るほどの蹴りをミットに蹴る事が出来ました。飛び上がりたいぐらい嬉しかったです。新しい股関節の使い方がだんだん理解出来て来た事と、柔軟性や筋力が付いて事が要因だと思います。ビックミットも2分×3ラウンド行う事が出来ました。自分で言うのは何ですが、弾丸のようなパンチを出す事が出来ました。まだ蹴りがスムーズに出ないのでコンビネーションは繋がりませんが、良い技を出して動く事が出来たと思います。さらにさらに進化して行きたいと思います。
人は人との関わりの中で自分という物の本質を知り、人との関わりの中で自分を成長させて行く事が出来ます。私という人間は、私という人間が生まれた時に持っていた魂と身体に、今まで生きて来た中で出会った方々にたくさんの影響を与えて頂き、今の自分になる事が出来ました。駄目な所もたくさんある私ですが、なにはともあれ今まで生きて来て今の自分になる事が出来ました。今まで私と出会ってくれて私に影響を与えてくれた方々には本当に感謝しています。だから自分の人生のどの部分もとても大切に思っています。特に私の両親と兄弟、私が1番不安定だった10代の頃に私といつも一緒にいてくれた友達には本当に感謝しています。自分の事が大嫌いだった私が毎日を楽しく生きれたのは両親と兄弟と友達がいたおかげです。そして今の私が完全に作られたのは極真空手を始め東京に来てから道場を出すまでの20代です。この頃の経験が今の私を作ってくれました。私を導いてくれた師範、先生、先輩、一緒に稽古に励んでくれた同輩と後輩には本当に感謝しています。そして空手の稽古に明け暮れた生活しかして来なかった私が社会人として成長出来たのは道場を開設してからの30代40代でした。私の道場に入門してくれた道場生、ご父兄様には本当に感謝しています。最後に私の人生に幸せを与えてくれた妻と長男と次男に感謝したいと思います。私は私の人生の中で出会った方々のおかげで人生を楽しむ事が出来ました。だから私の人生はこれで良かったと思っています。どこも切り取りたくないですし、どこも良くしたいとも思いません。自分の人生は本当に本当にこれで良かったと思っています。この言葉を10年後も20年後も死ぬ時も言えるよう頑張って生きて行こうと思います。
今日は日帰りで京都まで行きました。目的は京都市武道センターで行われた西日本大会会場で審判資格認定試験を受けるためです。私が現在持っている審判資格は、準主審判員という資格なのですが、この審判資格は上から2番目の資格です。その上は公式主審判員という資格で、私はその資格の試験を関東大会後に受けましたが不合格になってしまいました。私が受けた公式主審判員の審判資格認定試験は100問中、95点以上が合格となります。前回は90点で不合格でした。とても悔しかったです。馬鹿な私も空手の事となると火が着きます。西日本大会で審判資格認定試験があると言うので、その試験を受けるために西日本大会と審判資格認定試験が行われる京都市武道センターまで行きました。今回はしっかりと勉強しました。第13回全世界空手道選手権大会のパンフレットに掲載されているI.K.O極真ルールの大会規約と試合規則と審判動作基準を頭の中に全部叩き込むぐらい何度も読んで勉強しました。結果は100点満点でした。と言う訳で無事に公式主審判員に合格しました。やっと汚名返上出来ました。これでまた世界大会で主審に復帰出来ます。何をやっても初めはダメな私ですが、頑張れば達成出来るのも私だと思っています。せっかく京都に行くので朝5時に起きて始発の新幹線で京都に行き、北野天満宮と二条城と武道センターの近くの平安神宮に行きました。お昼は京都に来たら必ず食べる長浜ラーメンのみよしで食べました。いつも京都に来るのは6月と8月で夏でしたが、今回は初めて冬の京都に来る事が出来ました。今年は暖かいため紅葉を見る事が出来ました。北野天満宮の史跡御土居のもみじ苑の景色は最高でした。北野天満宮に来たのも今回が初めてだったのですが、紅葉の時期に来る事が出来て良かったです。二条城はたぶん4〜5回は来ているのですが、やはり大政奉還が行われた部屋を見るとここで侍の時代が終り明治が始まったのかとノスタルジーな気持になります。平安神宮も初めてでした。京都は15年間、年2回は観光しているのでだいたいは何も見ないで電車やバスを乗り継いでいろんな所に行く事が出来ます。いつか子供達を京都観光に連れて来て日本の歴史を語りながら観光したいなと思います。
映画のスタンド・バイ・ミーじゃないけれど、本当の本当の友達と言う物は10代の頃にしか出来ないと思います。損得なしに付き合える、気を許すことができる、お互いに馬鹿なところを見せ合える、喧嘩をしても仲直りできる、一緒にいると何故か楽しくて心地よい、私にとっての本当の友達ってそんな感じです。あとは10代の多感な時にたくさんの時間を一緒にいて、たくさんの感動を共有して、その頃の思い出話をしたら一晩話しても話が尽きないという感じです。正月は私も1年ぶりにやっと福島に帰ることが出来ます。皆とまた生きて会うことが出来る事に感謝したいと思います。皆と久しぶりに馬鹿になって騒ぎたいと思います。
私は週6でウエイトトレーニングをしています。トレーニングの回数で言うと8回です。月曜日は胸、火曜日は朝に腕、夜に腹筋と背筋と首、水曜日は肩、木曜日は朝に足、夜に腹筋と背筋と首、金曜日は背中、土曜日は腹筋と背筋と首という感じで、火曜日と木曜日は2回トレーニングするので週に8回と言う事になります。私が1番ガンガン、ウエイトトレーニングをしていて重い物が上がっていたのは25歳の時でした。ベンチプレスは170キロ、スクワットは260キロを上げていました。今はその頃と比べれば全然重い物は上がりませんが、今の方が筋肉はあると思います。筋肉量は自分史上最高だと思います。その原因は1番はしっかりと休養と栄養を取れている事だと思います。選手時代はウエイトトレーニングをしても空手の稽古はもっともっとやるので休養が少なく、絶えず身体を動かしているので疲労して栄養が足りなくて筋力があまり発達していなかったのだと思います。今はトレーニングの方法も筋肉量を増やすトレーニングをし、栄養も休養もしっかり取れているので、どんどん筋肉が発達して筋肉量が増えているのだと思います。
kanno
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