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移動稽古や型も出来るようになりました。もうほぼ膝を痛める3年前の状態にほぼほぼ戻って来ました。スパーリングでも高校生達を手玉にとって翻弄するぐらいの組手が出来ています。まともに走れない、型が出来ない、縄跳びが出来ない、ミットが蹴れない、スパーリングが出来ないと言う状態が約3年続いていましたが、私が身に付けた事は私の中でちゃんと生きていたようです。この私の身に付けた技術は誰にも奪われる事はありません。何年経とうが私の中でちゃんと生きています。私は今、ひそかな目標を経てています。それは、またスパーリングで上段回し蹴りを決める事です。手術前にはこんな事をまた目標に出来るなんて夢にも思いませんでした。でも今はそれをひそかな目標、ひそかな夢にしています。叶うか?叶わないか?それは私にも分かりません。でもそこに向かって頑張っている事がとても楽しいです。そして出来る気がしています。出来ると思い込んで頑張って見ようと思います。その夢が叶ったら、もちろんこの日記に書きたいと思います。と
今日は大田区民ホール・アプリコで行われた、長男の通っている中学校の音楽祭を妻と観に行きました。1年生6クラスの合唱を観ました。道場生や元道場生や長男の小学校からのお友達や中学校の同級生の頑張っている姿を見てとても感動しました。青春の素晴らしい1ページだったと思います。今の子は本当に溌剌として良い子が多いです。私達の中学生の頃は親は煙たいだけでしたし、親が手を振って来たら怒って無視しましたし、友達にも「お前のかーちゃん、手を振ってたぞー!」と冷やかされたと思います。でもみんなお父さん、お母さんに手を振っていました。長男も私と妻を見つけると両手を上げて笑顔で手を振ってくれました。今の子は?とか、今の教育は?とか言う言葉も良く耳にしますが、今の子の方が良い子が多いと思いますし、教育に感しても、子供達が大人に気を使いすぎる事なく溌剌としていて、とても良いなと思いました。子供を力で押さえつけたりすれば、従順になるかもしれませんが、大人を恐れたり、大人に気を使いすぎたり、大人を毛嫌いしたり、いつまでも大人と自分を対等に見れない人になり、世代交代出来ない世の中になってしまいます。そして大人はずっと子供を子供扱いしそのうえで胡座をかいて威張り散らし、自分をとんでもなく偉いと思う大人になってしまうのだと思います。今日、たくさんの子供達の溌剌とした笑顔と大人に向けて大きな声で挨拶をする姿を見て、この日本も明るい未来が待っているんだなと思いました。子供達を見ていて私も中学生の時の音楽祭の事を思い出しました。私が中学生の頃に好きだった子がピアノの伴奏をしたこと、放課後にみんなで合唱の練習をしたこと、順位は4位でみんなで悔しがったこと、同じ事をみんなで頑張ることで、男女が男女の垣根なく仲良くなって行ったこと、全ての思い出が今は宝物です。長男達も音楽祭までの練習でも、音楽祭でも、その後も、いろいろなドラマがあったんじゃないかな?と思います。
今日は6時30分に起きて、8時30分に家を出て、9時に大森道場に着いて、ストレッチと呼吸法と型の三戦と鉄騎と立禅を行い、10時から16時までほぼびっちりと個人レッスンを行いました。そのあと家に帰りお風呂にゆっくり入って、家族で夕食を食べて、今は寝室でこの日記を書いています。妻と長男と次男の話している声と長男のギターを弾いている音が聴こえます。私はけっこうこの時間が好きです。自分がまざっていないのだけれど、家族が話している声を聴いていると幸せな気分になります。頑張って仕事もして家族と夕食を食べる事が出来て、家族の話している声を聴きながら眠れるなんて、最高に幸せな休日です。
私が週間少年ジャンプを読むようになったキッカケは、お祖父ちゃんの家に置いてあった週間少年ジャンプをたまたま読んで見たら、そこに「リングにかけろ」が掲載されていて、その「リングにかけろ」と言う漫画にハマったからでした。1番好きなキャラクターは影道総帥でした。週間少年ジャンプではハマった作品がたくさんあります。「キン肉マン」「Dr.スランプアラレちゃん」「キャプテン翼」「ブラック・エンジェルズ」「風魔の小次郎」などが初期にハマった作品です。今でも週間少年ジャンプを読んでいるのですからもう40年以上読んでいると思います。
思い切って髪をバッサリと切って短くしました。長いと白髪も目立ちますし、髪を洗うのも乾かすのも大変だし、稽古やトレーニングやランニングの時も邪魔です。髪を短くして凄くサッパリしました。なので当分の間は髪を短くしようと思います。手術から69日の今日、パンチだけですがスパーリングが出来るようになりました。3分×5回の15分のスパーリングでしたが、とても充実した爽快な気持になりました。スパーリングをしながら「これこれ!この感覚だ!」と嬉しくなりました。とても自信になりました。手術の前も手術の後も極真ルールでのスパーリングはもう一生出来ないかも?と思っていましたが、なんか今は自分になら出来そうな気がしています。手術から69日でスパーリングが出来るなんて、自分って凄いかも?って思います。
私が今、ハマっている物は「呪術廻戦」「ワンピース」「チェンソーマン」「ジョジョランズ」です。私は自分がハマっている物に人を巻き込むと言う所があるようです。最近、妹とLINEした時に、私がボウイ、ブルーハーツ、ユニコーン、プリンセス・プリンセスが好きだった事から妹も影響を受け好きになったそうです。私がギターにハマっていた事も覚えていてくれて、ギターが結構上手かったと言ってくれました。私より上手い人をたくさん知っていたので、自分はたいして上手くないと思っていましたが、今振り返れば独学でボウイとブルーハーツは結構な曲数を弾けたので、そこそこセンスはあったのかもしれません。だとしたら長男のギター好きは私の血を弾いているのかもしれません。妻の母のお兄さんもギターがとても上手かったそうなので、長男がギターを好きになるのは必然だったのかもと思います。長男がギターを習いたいと言ったキッカケは映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の中でマイケル・J・フォックスがギターで弾いた「ジョニー・B.グット」を聴いたからでした。そんな理由でやりたいと言った長男にギターを習わせようと言った妻は本当に凄いと思います。あの時をもし逃していたら、もしかしたら長男も熱が冷めてしまったかも知れません。鉄は熱いうちに打てですね。妻のあの時の判断は正しかったのだと思います。勉強が出来ないのなら身体を鍛えて、得意な事を見つけて生きて行けば良いと思います。計算と文章などを理解する力と社会性と道徳とコミュニケーション能力があれば世の中渡って行けるはずです。
開脚をして頭が床に付くようになりました。自分でもなかなか頑張っているなと思います。股関節が良くなってから他の身体の状態もとても良くなっています。特に腰が良くなったと感じています。身体のバランスもとても良くなっています。やはり股関節を人工股関節にする手術をして良かったと思います。あの手術後の苦しみは、産みの苦しみだったのかもしれません。あの苦しみを乗り越えたから今があります。ここからさらに自分が良くなって行くと言う希望と期待に満ち溢れています。この3年間は言ってみれば頑張って守っている状態だったので、これから10年は、しっかりと攻めて行きたいと思っています。
あと1週間もすれば10月も終わります。私の股関節の状態は順調に良くなっています。前蹴上げは顔まで足が上がるようになりましたし、回し蹴り、横蹴り、後ろ蹴りは出来るようになりました。来月にはミットを蹴れるようになると思います。每日良くなって来ているのですが限界も少し見えて来ました。自分の身体の事は自分がよく理解しています。今日、柔軟体操をしていて頑張れる所の限界を知った感じがしました。この先にもう少し行くと人工股関節が脱臼するなと言う感じがしたのです。その感じは心地良い痛み、明らかに無理な痛み、伸びる感覚、詰まる感覚、つっかえる感覚などで分かります。でもここまで動くようになったのだから充分です。手術前に自分が予想していたより全然良くなっています。自分が予想していた1番良い状態よりさらに自分の身体は動くようになっています。状態もそうなる時間も自分の予想よりはるかに良くなっています。あとはこの身体を大切に少しずつ鍛えて行きたいと思います。あと4ヶ月で私も51歳になります。遂に50に1が付いて60歳へのスタートの年です。50歳は40代のゴールだと思っていましたので、51才からが60歳へのスタートだと思っています。子供達が20歳になる61歳までは絶対に死ねないので、健康に気を付けて頑張りたいと思います。
私は自分の人生は自分の物だと思っています。もっと言えばその人の人生はその人だけのためにあると思っています。だから自分の人生は自分が思うように生きれば良いと思うし、自分の人生を思いっきり楽しめば良いと思います。自分の人生を自分が思うように生きるために、自分の人生を思いっきり楽しむために、嫌な事も辛い事も苦しい事も頑張れば良いと思います。そのためになら嫌な事も辛い事も苦しい事も頑張れるのではないかな?と思います。その考えは自分の子供に対しても気持は変わりません。子供の人生は子供達の物です。決して私の物ではありません。私は子供達より先にこの世からいなくなってしまいます。でもその先も子供達の人生は続いて行きます。その時に子供達が自分の人生に後悔をしたり迷いを持っていたりしたら私は悲しいです。そしてそれを誰かのせいにしていたらもっと悲しいです。それが私のせいだったりしたらもっともっと悲しいです。だから子供達には自分の行く道は自分で決めて欲しいと思いますし、基本的にやりたい事をやらせてあげたいし、強制的に何かをやらせる事もしたくないと思っています。私の長男と次男も空手をやっているので、「将来は息子に支部を継がせるの?」と仲の良い支部長に聴かれる事がありますが、私は全くその考えはありません。長男と次男が人生を振り返って、自分は自分の思うように思いっきり楽しんで生きた、と思ってもらいたいと言うのが私の1番の希望です。
本日は私が運営する極真会館東京城南京浜支部の第22回型競技支部内交流試合と第13回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合が行われました。初めて入賞した生徒もいたので良かったと思います。型競技もセミコンタクトルールの組手も生徒達にチャンスを多くあげる事が目的なので、これからも頑張って続けて行きたいと思います。私の長男も次男も頑張って試合に参加しました。結果は入賞は出来ませんでしたが、頑張って試合に挑戦した事を褒めてあげたいと思います。長男は12月の試合で空手に区切りを付けると私に言っていたのですが、今日の試合のあと道場の仲間と遊びに行き、その仲間に「コハクが空手を止めたら寂しいから月曜と水曜の雑色道場だけでも稽古続けようよ。」と言われたそうです。長男はその話を妻にして、その考えも良いかな?と言っていたそうです。長男ももう自分の考えを持って来ています。もう親が何かを強制的にやらせる事は難しくなっています。仲間が言ってくれる言葉の方が影響を与えてくれるのかもしれません。考えてみれば私も親の預かり知らない所でいろんな人から影響を受けて大人になって来ました。その中でも友達や仲間にたくさんの影響を与えて頂きました。東京に来て友達どころか誰も知り合いがいないなか道場に行けば仲間がいたから、辛い時も道場に足が向いたのだと思います。長男に空手を続けようと言ってくれた仲間には本当に感謝しています。私の本心としてはやっぱり長男には空手を続けて欲しいと思っています。それは長男にもっともっと空手から学んで欲しい事があるからです。
kanno
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