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2023年10月25日(水) 攻めて行きたい

開脚をして頭が床に付くようになりました。自分でもなかなか頑張っているなと思います。股関節が良くなってから他の身体の状態もとても良くなっています。特に腰が良くなったと感じています。身体のバランスもとても良くなっています。やはり股関節を人工股関節にする手術をして良かったと思います。あの手術後の苦しみは、産みの苦しみだったのかもしれません。あの苦しみを乗り越えたから今があります。ここからさらに自分が良くなって行くと言う希望と期待に満ち溢れています。この3年間は言ってみれば頑張って守っている状態だったので、これから10年は、しっかりと攻めて行きたいと思っています。


2023年10月24日(火) 股関節の状態

あと1週間もすれば10月も終わります。私の股関節の状態は順調に良くなっています。前蹴上げは顔まで足が上がるようになりましたし、回し蹴り、横蹴り、後ろ蹴りは出来るようになりました。来月にはミットを蹴れるようになると思います。每日良くなって来ているのですが限界も少し見えて来ました。自分の身体の事は自分がよく理解しています。今日、柔軟体操をしていて頑張れる所の限界を知った感じがしました。この先にもう少し行くと人工股関節が脱臼するなと言う感じがしたのです。その感じは心地良い痛み、明らかに無理な痛み、伸びる感覚、詰まる感覚、つっかえる感覚などで分かります。でもここまで動くようになったのだから充分です。手術前に自分が予想していたより全然良くなっています。自分が予想していた1番良い状態よりさらに自分の身体は動くようになっています。状態もそうなる時間も自分の予想よりはるかに良くなっています。あとはこの身体を大切に少しずつ鍛えて行きたいと思います。あと4ヶ月で私も51歳になります。遂に50に1が付いて60歳へのスタートの年です。50歳は40代のゴールだと思っていましたので、51才からが60歳へのスタートだと思っています。子供達が20歳になる61歳までは絶対に死ねないので、健康に気を付けて頑張りたいと思います。


2023年10月23日(月) 自分の人生は

私は自分の人生は自分の物だと思っています。もっと言えばその人の人生はその人だけのためにあると思っています。だから自分の人生は自分が思うように生きれば良いと思うし、自分の人生を思いっきり楽しめば良いと思います。自分の人生を自分が思うように生きるために、自分の人生を思いっきり楽しむために、嫌な事も辛い事も苦しい事も頑張れば良いと思います。そのためになら嫌な事も辛い事も苦しい事も頑張れるのではないかな?と思います。その考えは自分の子供に対しても気持は変わりません。子供の人生は子供達の物です。決して私の物ではありません。私は子供達より先にこの世からいなくなってしまいます。でもその先も子供達の人生は続いて行きます。その時に子供達が自分の人生に後悔をしたり迷いを持っていたりしたら私は悲しいです。そしてそれを誰かのせいにしていたらもっと悲しいです。それが私のせいだったりしたらもっともっと悲しいです。だから子供達には自分の行く道は自分で決めて欲しいと思いますし、基本的にやりたい事をやらせてあげたいし、強制的に何かをやらせる事もしたくないと思っています。私の長男と次男も空手をやっているので、「将来は息子に支部を継がせるの?」と仲の良い支部長に聴かれる事がありますが、私は全くその考えはありません。長男と次男が人生を振り返って、自分は自分の思うように思いっきり楽しんで生きた、と思ってもらいたいと言うのが私の1番の希望です。


2023年10月22日(日) 今日の出来事

本日は私が運営する極真会館東京城南京浜支部の第22回型競技支部内交流試合と第13回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合が行われました。初めて入賞した生徒もいたので良かったと思います。型競技もセミコンタクトルールの組手も生徒達にチャンスを多くあげる事が目的なので、これからも頑張って続けて行きたいと思います。私の長男も次男も頑張って試合に参加しました。結果は入賞は出来ませんでしたが、頑張って試合に挑戦した事を褒めてあげたいと思います。長男は12月の試合で空手に区切りを付けると私に言っていたのですが、今日の試合のあと道場の仲間と遊びに行き、その仲間に「コハクが空手を止めたら寂しいから月曜と水曜の雑色道場だけでも稽古続けようよ。」と言われたそうです。長男はその話を妻にして、その考えも良いかな?と言っていたそうです。長男ももう自分の考えを持って来ています。もう親が何かを強制的にやらせる事は難しくなっています。仲間が言ってくれる言葉の方が影響を与えてくれるのかもしれません。考えてみれば私も親の預かり知らない所でいろんな人から影響を受けて大人になって来ました。その中でも友達や仲間にたくさんの影響を与えて頂きました。東京に来て友達どころか誰も知り合いがいないなか道場に行けば仲間がいたから、辛い時も道場に足が向いたのだと思います。長男に空手を続けようと言ってくれた仲間には本当に感謝しています。私の本心としてはやっぱり長男には空手を続けて欲しいと思っています。それは長男にもっともっと空手から学んで欲しい事があるからです。


2023年10月21日(土) 奇跡

手術からちょうど2ヶ月が経ちました。その手術からちょうど2ヶ月の今日、何か記念になる事をやろう、そう思って頑張って来ました。そしてそれが出来るようになりました。壁に手を着いてですが、回し蹴りが出来るようになりました。2ヶ月で回し蹴りが出来るようになるなんて、手術後の自分には想像も出来ませんでした。イヤ、それどころか回し蹴りは一生出来ない。そう思いました。だから私にとって今日、回し蹴りが出来るようになった事は大きな奇跡です。私は奇跡を起こしました。これは結果論ですが、股関節が悪くなってから手術までの期間やるタイミング、リハビリを始めるタイミングや頑張りによっては一生、回し蹴りが出来なくなった可能性は大です。現に手術後2年ぐらい経過しても回し蹴りどころか開脚やランニングが出来ない人もたくさんいます。その方々は運が悪かったのだと思います。私はこんな事には運が良い方です。18歳で右の前十字靭帯と内側側副靱帯を断裂した時も、もう空手の試合は無理と言われたのですが、その後16年間試合に出場していました。運が良かった事と自分の決断と努力が上手く合わさってくれた結果の奇跡だと思います。奇跡は自分が起こさなければ、奇跡は起きません。人から見たら大した事の無い事かもしれません。でも私にとっては大きな奇跡です。これからも奇跡を起こしまくって行きたいと思います。


2023年10月20日(金) 長男と次男の他愛もない会話

次男がスマホを充電しながらスマホでゲームをしていたら、長男が次男に「スマホを充電しながらゲームするのはやめたほうがいいよ。」と言いました。次男が「なんで充電しながらゲームやっちゃダメなの?」と問返すと、長男は「充電しながらスマホを使うとバッテリーが悪くなるんだよ。」と言いました。また次男が「なんでバッテリーが悪くなるの?」と問返すと、長男は「考えてみろ?充電しながらスマホを使うと言う事はな、カレーを食いながらマラソンしてるのと同じなんだぞ。良いわけねーだろ。」と言っていました。次男は何も言い返さなかったので、どうやら納得したようでした。2人とも馬鹿だなー!と思いながらその隣部屋で夕食を食べながら少し幸せな気持になりました。なんてことない会話でしたが、2人の会話が馬鹿すぎて可愛かったので日記に残しておこうと思います。十年後も二十年後も仲良くそんな他愛もない馬鹿な会話を2人にはしていて欲しいなと思います。


2023年10月19日(木) 次男の自転車と3年越しに出来るようになったこと

遂にこの日が来ました。ランニング30分と縄跳びとシャドーが出来るようになりました。特にランニングは3年前に膝を悪くしてから出来なくなってしまっていたので、とても嬉しいです。2020年の9月に膝を壊し2021年の1月に膝を手術して、2022年の6月にアキレス腱を断裂して、2022年の11月に股関節が悪くなり、もうダメかと諦めそうにもなりましたが、今日やっと3年越しにランニングが出来るようになりました。自分でもよく諦めないで頑張ったなって思います。自分に努力賞をあげたいぐらいです。でもこれで調子に乗るとまた右膝を悪くしそうなので、あまり身体に負担をかけないように少しずつ頑張って行こうと思います。先週、次男は大人用な自転車を買いました。青の自転車でした。今までの自転車は全部、長男のお下がりだったので、自分の自転車を初めて買えて嬉しかったと思います。次男は本当に優しい子です。何でもかんでも長男のお下がりですが、文句を言わず喜んで使ってくれます。次男には本当に感謝しています。それと次男に新しい道着を買ってあげました。今日は体調が悪く道場に来る事は出来ませんでしたが、私に新しい道着を着て見せてくれました。次男はどんどん身体が大きくなっているので、たぶん背も私より大きくなると思います。


2023年10月18日(水) 東京ラブストーリー

「東京ラブストーリー」を見ています。この作品は1991年に放映されたので、その時、私は18歳でした。東京に上京する2年前です。まだこの頃は東京に上京するとは思っていませんでした。なので東京という遠い世界のお話のような気持で見ていました。でも毎週の放映を楽しみに見ていたという点では1番の思い出に残っている作品です。この作品を見て私は鈴木保奈美のファンになってしまいました。もう時効と言う事で書かせて頂きたいと思います。私は鈴木保奈美が好きで、学校の机にローマ字でSUZUKI HONAMEと彫りました。そうです、HONAMIを間違えてHONAME(ホナメ)と彫ってしまったのです。ミをEだと思ってしまったのです。ミの母音がイだからEだと思い間違えたのだと思います。隣の席の女の子に「先輩、スズキ ホナメって鈴木保奈美の事ですか?」と言われた時はとても恥ずかしかったです。苦い思い出です。勉強はちゃんとしたほうが良いですね。


2023年10月17日(火) 完全復活した姿を

手術が終わって2ヶ月が経ち、トレーニングを再開して1ヶ月と6日になるのですが、胸、腕、腹筋、背筋、首、肩、背中、全ての種目で元の重さと回数には全然戻る事が出来ません。たかだか3週間トレーニング出来なかっただけで、これだけ落ちてしまいます。これが50歳の現実だと思います。20代の頃は3週間の休みなんて1ヶ月あれば簡単に元に戻す事が出来ました。このブログは人に発信する物なので、ポジティブな事を書こうと努めていますが、手術後は元には戻れないのではないか?と絶望しかけましたし、トレーニングを再開した時も自分が思っていた以上に筋力が後退していたのでメゲそうになりました。でも諦めてしまえばそこで終わってしまいます。今やれる事を考えて一歩一歩進んで行くしかありません。一歩一歩進んで行けば、前には進めなかったとしても、最悪でも後ろには下がってはいない訳ですから、現状維持としても一歩一歩前へ進んで行く気持が大切だと思います。私の仕事は私をいつも支えとなってくれます。私は今までどれほど人に厳しい言葉を言ったか分かりません。私は今までどれほど人に励ます言葉を言ったか分かりません。だから私はその人に言った言葉に責任を持たなければ行けません。自分が吐いた言葉にケジメを付けなければ行けません。全てに責任を持てているか?全てにケジメを付けているか?と聞かれたら、ハイと答える自信はありません。でもその努力が出来なくなった時にはこの仕事を辞めようと思います。だからどんなに絶望してもどんなにメゲそうになっても、やはり一歩一歩前に進んで行きたいと思います。生徒達も子供達も妻も私の生き方を見ています。言葉より行動を見ています。だからこんな所で諦める訳には行きません。必ず完全復活した姿を見せたいと思います。


2023年10月16日(月) 手術後8週間、家族の10年後のために

股関節を人工股関節にして8週間が経ちました。手術室に入る時にもう元の身体には戻れない事を覚悟しました。そして手術後の3日間は痛みとの戦いでした。痛みが無くなると今度は元の身体にはもう戻れないのではないか?という不安との戦いとなりました。手術後1週間の時点ではかなり厳しいと感じました。でも人間の身体の回復力は凄いです。あれから8週間が経ち、もう軽いランニング、速いペースのウォーキング、ストレッチ、ウエイトトレーニングも出来ています。自分の身体がどんどん進化している事を感じています。1度動かなくなっだからこそ感じる事が出来るようになった事もたくさんあります。今回の手術は自分にとって必要な事だったんだなと思えるようになりました。生まれた事、生きている事、健康な事、ご飯が美味しい事、幸せな事、楽しい事、全てに感謝です。今日、長男がスパーリングでとても良い動きをしていました。パンチを打つのが苦手だった長男がとても良いパンチの打ち合いをしていました。その姿を見て私も頑張ろうと思いました。あのパンチを受けてもビクともしないぐらい頑張ろうと思いました。長男は家に帰ってからギターを弾いていました。好きな事だけでも頑張ってくれたらと思います。私は今、新しい事を始めようと動き出しています。この何年間か自分の好きな事を頑張って来ました。文句を言わず私に好きな事をやらせてくれた妻には感謝しています。だからこれからは家族の10年後のために頑張ろうと思います。


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