DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
「東京ラブストーリー」を見ています。この作品は1991年に放映されたので、その時、私は18歳でした。東京に上京する2年前です。まだこの頃は東京に上京するとは思っていませんでした。なので東京という遠い世界のお話のような気持で見ていました。でも毎週の放映を楽しみに見ていたという点では1番の思い出に残っている作品です。この作品を見て私は鈴木保奈美のファンになってしまいました。もう時効と言う事で書かせて頂きたいと思います。私は鈴木保奈美が好きで、学校の机にローマ字でSUZUKI HONAMEと彫りました。そうです、HONAMIを間違えてHONAME(ホナメ)と彫ってしまったのです。ミをEだと思ってしまったのです。ミの母音がイだからEだと思い間違えたのだと思います。隣の席の女の子に「先輩、スズキ ホナメって鈴木保奈美の事ですか?」と言われた時はとても恥ずかしかったです。苦い思い出です。勉強はちゃんとしたほうが良いですね。
手術が終わって2ヶ月が経ち、トレーニングを再開して1ヶ月と6日になるのですが、胸、腕、腹筋、背筋、首、肩、背中、全ての種目で元の重さと回数には全然戻る事が出来ません。たかだか3週間トレーニング出来なかっただけで、これだけ落ちてしまいます。これが50歳の現実だと思います。20代の頃は3週間の休みなんて1ヶ月あれば簡単に元に戻す事が出来ました。このブログは人に発信する物なので、ポジティブな事を書こうと努めていますが、手術後は元には戻れないのではないか?と絶望しかけましたし、トレーニングを再開した時も自分が思っていた以上に筋力が後退していたのでメゲそうになりました。でも諦めてしまえばそこで終わってしまいます。今やれる事を考えて一歩一歩進んで行くしかありません。一歩一歩進んで行けば、前には進めなかったとしても、最悪でも後ろには下がってはいない訳ですから、現状維持としても一歩一歩前へ進んで行く気持が大切だと思います。私の仕事は私をいつも支えとなってくれます。私は今までどれほど人に厳しい言葉を言ったか分かりません。私は今までどれほど人に励ます言葉を言ったか分かりません。だから私はその人に言った言葉に責任を持たなければ行けません。自分が吐いた言葉にケジメを付けなければ行けません。全てに責任を持てているか?全てにケジメを付けているか?と聞かれたら、ハイと答える自信はありません。でもその努力が出来なくなった時にはこの仕事を辞めようと思います。だからどんなに絶望してもどんなにメゲそうになっても、やはり一歩一歩前に進んで行きたいと思います。生徒達も子供達も妻も私の生き方を見ています。言葉より行動を見ています。だからこんな所で諦める訳には行きません。必ず完全復活した姿を見せたいと思います。
股関節を人工股関節にして8週間が経ちました。手術室に入る時にもう元の身体には戻れない事を覚悟しました。そして手術後の3日間は痛みとの戦いでした。痛みが無くなると今度は元の身体にはもう戻れないのではないか?という不安との戦いとなりました。手術後1週間の時点ではかなり厳しいと感じました。でも人間の身体の回復力は凄いです。あれから8週間が経ち、もう軽いランニング、速いペースのウォーキング、ストレッチ、ウエイトトレーニングも出来ています。自分の身体がどんどん進化している事を感じています。1度動かなくなっだからこそ感じる事が出来るようになった事もたくさんあります。今回の手術は自分にとって必要な事だったんだなと思えるようになりました。生まれた事、生きている事、健康な事、ご飯が美味しい事、幸せな事、楽しい事、全てに感謝です。今日、長男がスパーリングでとても良い動きをしていました。パンチを打つのが苦手だった長男がとても良いパンチの打ち合いをしていました。その姿を見て私も頑張ろうと思いました。あのパンチを受けてもビクともしないぐらい頑張ろうと思いました。長男は家に帰ってからギターを弾いていました。好きな事だけでも頑張ってくれたらと思います。私は今、新しい事を始めようと動き出しています。この何年間か自分の好きな事を頑張って来ました。文句を言わず私に好きな事をやらせてくれた妻には感謝しています。だからこれからは家族の10年後のために頑張ろうと思います。
朝起きたら強い雨が降っていました。妻と次男は頑張って雨の中、相撲の稽古に行っていました。私も個人レッスンがあるので8時に家を出ました。雨が強いので蒲田駅の駐輪場に自転車を止め電車で大森道場へ行きました。個人レッスンはその人の稽古したい事を重点的に教えて行くので、私も楽しく指導出来ています。家に帰って次男に頑張って相撲の稽古に行った事を褒め、昨日夜ふかしをしたため、家でダラダラしていた長男に少し小言を言いました。「 パパは運が良く50歳まで生きる事が出来たけど、お前は何歳まで生きれるか?それは分からないよ。パパの友達で15歳で亡くなった人、18歳で泣く人、25歳で亡くなった人、43歳で亡くなった人がいるよ。人は何歳まで生きれるか?本当に分からないんだよ。死ぬ前になったら1日の大切さを本当に感じると思うよ。無駄に生きてしまった1日を本当に後悔すると思うよ。明日死んだとしても後悔しない1日を生きなきゃ1日が勿体ないよ。」と長男に話しました。夕食のあと長男はギターを弾いていました。何かは感じてくれたかな?と思いました。長男に話しながら私も自分にその事を再確認させていました。私も50歳です。元気に身体を動かして好きな物を食べて飲んで好きな事をやってと考えたら、もう残っている時間は20年、健康に気を付けて頑張ったって30年かな?と思います。今まで生きた半分ぐらいの時間しかありません。自分がこの世から消える日もそんなに遠くはないと考えると本当に驚愕します。子供の頃から死生観を感じて悔いのないように生きて来たつもりですが、やはり無駄にした時間もたくさんありますし、もっと頑張れたのではないかと思う事も多々あります。私は死を身近に感じ頑張って生きなければと思った瞬間を覚えています。それは東京に上京して1人で錦糸町にある母方の先祖のお墓参りをし手を合わせている時でした。日差しが眩しいくらい天気が良い日でした。手を合わせながら、このお墓に入っているお祖父ちゃんやお婆ちゃんもこんな日にここで手を合わせていた瞬間があったのだろうな?と思った時に、自分もこの世にいなくなり、誰かに手を合わせられる瞬間が必ずいつか来るとリアルに実感しました。私は自問自答するように手を合わせ目を瞑っていました。その時に必ず死ぬのだから、死ぬ時に後悔しないように頑張って生きなければ、と思いました。あの時から早いもので30年が経ってしまいました。後悔しないように生きて来たつもりですが、まだ死ぬ時に後悔しない自信はありません。まだどころかまだまだまだまだです。でもあの20歳の時にそれに気付かずに生きてしまっていたら、もっと後悔していた事と思います。私はあの日、誰かにそれを気付かせられたと思っています。お墓に手を合わせていたら急に頭にそんな事が浮かび、私は震えるほど死ぬ事に恐怖を感じたのです。そんな事は生まれて初めての事でした。不思議な体験でした。
私のウエイトトレーニングの1週間のメニューは月曜日に胸と足、火曜日に腕と腹筋をと背筋と首、水曜日に肩、木曜日に足と腹筋と背筋と首、金曜日に背中、土曜日に腹筋と背筋と首という感じです。腹筋と背筋と首は大きな筋肉を繋ぐ軸となる筋肉なので少いセット数で週3回トレーニングしています。逆に胸、足、肩、腕、背中はトレーニングの種目数も多くセット数も多くして限界まで追い込むのでトレーニングは週1回にしています。若い頃は週2回でも大丈夫でしたが、今は頑張って週2回トレーニングすると必ず怪我をしてしまいます。トレーニングの負荷は10回を狙って3〜5セット出来る重さで8回上がらなくなったら重さを下げて、また10回を狙って、10回を3セット楽勝で上がったら次回は少し重さを上げる感じです。これも重いのを上げようと頑張って1回上がる重さや、3回〜5回上がる重さでトレーニングすると怪我をしてしまいます。私の身体は結構ボロボロなので、あまり負荷をかけず健康で自分の身体が扱いやすくなるカッコイイ身体を作る事を目標にトレーニングしています。プロテインもトレーニング後と指導の合間と1日2回摂るようにして、食事3度であまり高タンパクにしないようにしています。炭水化物は3度摂るようにしました。リバウンドしない丁度良い感じになっています。有酸素運動も通勤や空手の稽古で出来ているので、週1回ウォーキングするぐらいにしています。頑張り過ぎないようトレーニングして行きたいと思います。
今日は13日の金曜日だったんだなと家に帰宅してから気が付きました。もちろんジェイソンは現れませんでしたし、幸いにも悪い事は起きませんでした。あっ!よくよく考えたら悪い事が1つありました。大森道場のルンバが壊れてしまいました。朝に大森道場に着いて、柔軟体操と呼吸法と型を行い、ジムに移動するのでルンバを可動させようとスイッチを入れてもうんともすんとも言わず電源すら入りませんでした。もう10年も使っているルンバなのでお疲れ様ですって感じです。まだ長男が3歳になるかぐらいの時に道場に連れて来るとルンバを笑いながら追いかけたりして喜んでいました。「こっちに来ちゃダメだよ!」とルンバに話しかけたりしていた長男の姿が懐かしいです。やっぱり物にも情は移りますね。今いる道場生でもこのルンバより先にいた人はそんなに残ってはいないと思います。なので少し寂しいです。
私が帰宅して夕食を摂っていると長男が私の席の前に座りギターを弾いてくれました。結構難しくて速いフレーズを目を瞑ってつっかえる事なくスラスラと弾いて見せました。私は「お前、天才だな!ギターリストなれるんじゃない?!」と言うと、長男に「これくらい弾ける奴は結構いるよ。」と言われました。私は単純なのでその人に少しでも才能があると思ったら「頑張ってプロを目指したら?」と言います。それは今まで友達に対しても、生徒に対してもそうでした。少しでも才能があるのなら、挑戦しなかったら勿体ない、諦めたら勿体ないと思うのです。良く友達にも「秀行って、すぐ頑張ってプロ目指したら?!」 って言うよね。と言われた事があります。だって好きな事で生きて行けたら最高じゃん!って私は思うのです。その話を以前、妻に話したら「そんな事を言ってくれる人がそばにいたら人生変わったかも?」 と言われました。長男には情熱を持って諦めないで続ければ絶対にプロになれると言いました。最大の敵は情熱を無くしてしまう事と諦めてしまう事だよと言いました。最大の敵はいつも自分の中にいます。周りが就職して社会人になり、飲みに行ったり、遊びに行ったり、旅行をしたり、結婚をしたり、車を買ったり、し始めた頃に、自分はこのままで良いのか?と不安や疑問を抱いたり、周りと同じように遊びたくなったりしたら、もう夢の終焉です。人生は何とかなります。ただひたすらに自分と夢と情熱を信じて進んで行けば良いと思います。たぶん何かにはなれます。そんな生き方をしていれば誰かを感動させる事が出来るのではないかな?と思います。長男にはどんな形であれ歳をとってもギターを弾いていて欲しいなと思います。
久しぶりに「海辺のカフカ」を読んでいます。私は村上春樹さんの作品が大好きで全ての作品を読み漁りましたが、1番最初に読んだ村上春樹作品は「海辺のカフカ」でした。たぶん1番最初に読んだのが「海辺のカフカ」だったから、他の作品も読みたくなったのだと思います。村上春樹作品で1番好きなのは「羊をめぐる冒険」2番は「ダンス・ダンス・ダンス」3番は「スプートニクの恋人」4番は「海辺のカフカ」5番は「ノルウェイの森」6番は「1973年のピンボール」7番は「風の歌を聴け」8番は「1Q84」9番は「ねじまき鳥クロニクル」10番は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」です。他の作品も好きですが、パッと浮かんだ好きな作品を書きました。
昨日で退院してから1ヶ月が経ちました。この1ヶ月間、日に日に自分の身体が手術前より良くなって行っている事を感じます。私の身体はたくさんの偶然とたくさんの必然のおかげでこの世に私の身体として生まれて来ました。その事に先ずは感謝したいと思います。50年も生きていれば楽しい事も嬉しい事も苦しい事も悲しい事もたくさんたくさんありました。でもやはりそれもこれも自分という人間として自分がこの世に生まれて来たから感じれた事なので、楽しい事や嬉しい事だけではなく、苦しい事や悲しい事にも感謝したいと思っています。昨年の11月ぐらいから下半身のストレッチは全く出来ないほど悪くなってしまいました。なので約10ヶ月まともにストレッチが出来なかったのですが、人工股関節になった今は下半身のストレッチが出来るようになりました。日に日に自分の身体が変化しています。目に見えるぐらい日に日に自分の身体が柔らかくなっています。空手を始めた頃に頑張ってストレッチしていた事を思い出します。もう35年前の事ですが、身体が覚えています。昨年アキレス腱断裂後に頑張ってストレッチをしていた時は嫌な痛さだったのですが、今回は痛いのですが、自分の身体が柔らかくなっている事を感じる心地良い痛さです。その空手を始めた頃のストレッチの心地良い痛さを自分の身体が覚えていました。身体が良くなってからは、前と同じようにほぼほぼ生徒と一緒に身体を動かして稽古しながら指導にあたっています。私は毎日進化する50歳です。私は毎日希望に燃えている50歳です。
立川市の立飛で行なわれた第26回全国少年相撲選手権大会に次男が出場しました。次男は4年生男子の部に出場しました。4年生男子の部は出場者が多くて64名が出場していました。みんな次男より背も体格も良く強そうです。6年生男子の部には身長が180センチ以上ある事がいました。身体の大きい子が相撲をやろうと言う気になるのだと思いますし、身体の大きい子が誰かに勧められて相撲をやるのだと思います。とにかく規格外に身体の大きい子がたくさんいました。次男は1回戦は不戦勝で始めて勝名乗りを受けました。試合に勝った選手は相手と礼をしたあと土俵に残り蹲踞をして勝名乗りを受ける事が出来ます。不戦勝ですが初めて勝名乗りを受けたのだから嬉しかったのではないかと思います。2回戦はベスト32なのでかなり強い子と当たりました。負けてしまいましたが、試合に挑戦した勇気をまず褒めてあげたいです。試合から何かを学んで次に繋げて成長してくれたら嬉しく思います。1番は怪我なく試合場から帰って来てくれたので良かったです。相撲もそうですが空手も柔道も剣道も試合場に1人で入り、相手と一対一で向かい合って、相手と、心と心、身体と身体、力と力、技と技、魂と魂を思いっきりぶつけ合って戦います。そして自分の背負っている物、プライド、尊厳を賭けて戦います。どんなに小さい子でも頭で理解していなくても、それを感じて試合場に入っていると思います。試合場の中では誰も助けてはくれません。相当な勇気がなければ出来ない事です。団体競技も素晴らしい事もあります。でも1人で試合場に入り、1人で戦い、1人で試合場から帰って来る事から学べる事も素晴らしいです。だから本当にその子のためを思うのなら試合中はアドバイスはせずに、その子が1人の力で結果を出して欲しいと思います。そして試合が終わったら、勝っても負けても先ずは身体の心配をしてあげ、試合に出た事と頑張って戦った事を労ってあげて欲しいと思います。そのあとに答え合わせとしてアドバイスをしてあげたら、その子はどんどん成長して行くのではないかなと私は思います。
kanno
|