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次男は折り紙やダンボールで武器を作るのが好きです。剣や盾や腕に付けるプロテクターや拳に付けるメリケンサックみたいな物も作ります。料理も好きなようです。たまに私が日曜日に寝坊して9時過ぎに起きたりすると次男が朝ごはんを作ってくれていたりします。次男は妻の片付けなどの手伝いも自分からやるみたいです。次男の良い所は優しいところです。この前の相撲大会でもいつも優勝する強い子と試合をした時に立会で怖くて当りに行けませんでした。次男は優しいから戦うことには向いていないかもしれません。でもだからこそ空手や相撲を続けて欲しいと思います。優しい事はとても良い事です。でも優しさの影にある気持の弱さを克服して欲しいと思います。それを克服して強くなっても、自分がかつて持っていた気の弱さを忘れず、気の弱い人に寄り添える人でいて欲しいと思います。そして優しさを忘れないで欲しいと思います。「気は優しくて力持ち」という人間が私は最強だと思っています。次男にはそれを目指して欲しいと思っています。
長男が中間テストでなかなか大変なようです。妻に「勉強しなさい!」と何度も言われています。私は中学1年生の1番最初の中間テストで学年で最下位を取りました。1クラス40人以上いて9クラスあったので、400人以上はいたと思います。その中で最下位を取ったのだから凄い事です。通信表も五教科はオール1です。まあ全教科ほぼほぼオール1でした。美術と体育が2くらいでしたか?という感じです。でも学年で1番頭の良い子を好きになってから頑張って勉強をするようになりました。テストのたびに順位が上がると順位の上がったぶん、好きな子に近づいていると勝手に思い、とても嬉しかったです。それから私は頑張って100番以内に入る所まで行きました。私が高校に行けたのはその子を好きになったおかげです。母に「ちゃんと時間にご飯を食べなさい!」と叱られても「今、凄く大事な所だからやめられないんだよ。」と言って勉強をしました。人間は変われば変わるものです。長男にもそんな子が現れないかな?と思いますが、このまえ長男に「移動教室の夜は好きな子の話とかしたの?」と言ったら「俺、好きな子いないから。」と言われました。頭の良い子を好きになって、馬鹿な自分を大嫌いになったら頑張るんだろうと思いますが、なかなか難しいのかな?と思います。
10月からは、また新たな気持で目標を設定して頑張りたいと思っています。もう来年の事まで考えて行かなくてはいけないと思っています。10月からは2023年最後のワンクールてす。その次の事も考えて行かないと遅れをとってしまいます。そして先の事を考えて目標を持って行かないと自分も成長して行きません。今年は世界大会の年です。と言う事はある意味で言えば極真会館にとって集大成の年です。4年後の世界大会には選手を出場させたいと思っています。その次の事はちょっと今は考えられません。次の4年は私も公式主審判員となるので、今よりさらに重要な試合で主審を行う事になります。技術委員として型の整備、型競技の審判基準の整備にも関わって行く事となります。組織の仕事、道場の仕事、家の仕事、自分のやりたい事、全てをしっかりやりたいと思っています。
手術後5週間が経ちました。6週間経てば骨もしっかりとしてくると言うことなので、あと1週間は気を抜かずに生活したいと思います。手術が終わってから、何かもう毎日が幸せ過ぎる感じです。昨日、次男の相撲大会に行く時にどのルートで行くか?で少し私がイライラして妻に接してしまった事を次男に「あれはパパが悪いと思うね。」と言われました。私も確かにと反省しました。今日は柔軟体操と呼吸法と股関節のリハビリと胸のトレーニングをしました。順調に身体は良くなっていると思います。9月は少し楽しんで、10月からまた厳しく行きたいと思っています。長男は中間テストがあるので頑張って勉強しているようです。次男も日本地図を完璧に覚えたらしく、テストで関東地区は全部漢字で書けて100店をとったそうです。私の息子としては上出来です。頑張って欲しいと思います。
今日は次男の相撲大会でした。手術後始めて電車に乗って出掛けました。とても良いリハビリになりました。駅構内もスラスラ歩く事が出来ました。股関節を痛める前より歩くのも早くなりました。あと一息で完全復活出来そうです。その兆しは見えて来ました。電車に乗ったり、バスに乗ったりして、とても楽しかったです。次男は残念ながら負けてしまい、初勝利とはなりませんでした。空手と相撲と2日連続で試合に出たのだからなかなか大変だったと思います。何もかも経験です。長男は昨日はバドミントンの試合でしたが、負けてしまったそうです。もちろん勝ち負けは大切です。やる以上は勝ち負けに拘って練習に励んで欲しいと思います。でも負けたからと言って何かを失う事なんてありません。全てを良い経験にして溜めていけば良いのです。そして頑張った事はいつか自分の大切な思い出となって自分の中で一生輝いていると思います。
本日、私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2023年秋季昇級審査会および組手競技支部内交流試合が無事終了しました。スタッフとして手伝って頂いた、中村、中山、廣田、長、深野、平澤の5名の道場生には本当に感謝しています。私が入院している間、稽古を続けてくれた道場生、ご協力頂きましたご父兄様には本当に感謝しております。無事にここを乗り越えるのを見越して手術の時期を決めたので、ここを乗り越えた事は、本当の意味で自分は手術を乗り切ったと言う事だと思っています。ここを乗り越える事が出来た事を道場生、ご父兄様には本当に本当に感謝しております。私の仕事は怪我をしたとしても休んでしまえば労災保険があるわけでもなく、休業手当てがでるわけでもありません。道場を運営出来なければ、私は生活をする事は出来なくなってしまいます。ですから私は自分の身体を壊して道場を運営出来ないと言う事は、私にとって死活問題となります。道場生、ご父兄様のあたたかいご協力がなければ、この試練を乗り越える事は出来ませんでした。私がこうして生活出来ているのは道場生、ご父兄様のご協力のおかげです。本当に本当に感謝しております。私はこの恩を絶対に忘れません。絶対に一生忘れません。本当に本当にありがとうございました。
私が手術後12時間、心電図の線や酸素マスクや点滴の管が3つ付き、両足は太腿の付け根から固定され、血圧が低いため、頭を起す事も出来ず、暗い中で全く動けず、痛みと辛さと喉の渇きと苦しみの中で、思った事があります。12時間動けないのでTVも見れません。スマホを見る事も出来ません。痛みと辛さと喉の渇きと苦しみで眠る事も出来ません。本当に地獄のように長く辛く苦しい時間でした。拷問のような苦しい時間でした。その中で私はどう過ごしていたかと言えば、妻の笑顔を思い出したり、長男の笑顔を思い出したり、次男の笑顔を思い出したり、極真空手から学んだ事を思い出したり、楽しかった事を思い出したり、退院したら何をしようと考えたりしました。私の今まで得て来た物は私から誰も奪う事は出来ません。そしてそれは大きな力となって私を支えてくれます。自分がどうなろうと本当に自分の大切な物は無くならず、自分を支えて力を与えてくれるのだと思いました。そんな事を支えにして力にして12時間、頑張りました。これからも自分を支えてくれる物を自分に力を与えてくれる物を大切に生きて行こうと思います。
手術から1ヶ月が経ちました。過ぎてしまえば早いものですが、今考えても本当に大変でした。自分の事は自分で決着を着けたいと思っていたのですが、家族の助けや道場生やご父兄様のご協力があり乗り越える事が出来ました。本当に本当に人生最大の闘いでした。今まで生きて来た中で作られた自分の固定観念が全部ぶっ壊されるほどの出来事でした。自分の極限を見ました。そしてその極限の中で自分の弱さを見せつけられました。私が自分を強いと思っていたのは、ただ単に人より恵まれた身体を与えられ、その恵まれた身体のおかげで、人より辛い事や痛い事や苦しい事を経験しながら自分を成長させる事が出来ただけでした。そして肉体を通して心も鍛えられて行き、人より辛い事や痛い事や苦しい事に対するキャパシティが大きくなったのだと思います。それで自分は強いと勘違いしていたのだと思います。人と比べれば強いかもしれません。でも自分の極限の辛さ痛さ苦しさを経験した事で、自分の本質は弱いという事を知りました。その人その人で現界は違いますし、苦しさを我慢出来るキャパシティの大きさが違うのだと思います。自分が辛さ痛さ苦しさに弱い事を恥じる必要はありません。自分より強い人はたまたま恵まれていただけです。そして弱い人は強い人にどんどん頼って行くべきです。そしてたまたま人より恵まれている人は弱い人に手を貸してあげる責任があります。それが出来ないなら、たまたま恵まれて生まれた事に意味は無くなってしまいます。強いと思っている人も極限状態になれば弱いものです。ただ人それぞれその極限の場所が違うだけです。私も弱かったです。自分一人の力では到底この試練を乗り越える事は出来ませんでした。妻や子供達の存在が極限状態で私に力を与えてくれました。本当に苦しい時に妻が私の手を握ってくれたから私は頑張れたのです。自分一人だったら私はこんなに苦しいのなら死にたいと思ったと思います。そんな事も何度も自分の頭によぎりました。その度に妻の笑顔や長男の笑顔や次男の笑顔が私の頭に浮かび、そのよぎったものを消し去ってくれました。自分ってこんなに弱かったのか?!と思いました。本当にたまたま人より身体能力が優れていて辛さや痛さや苦しさに鈍感で、極真空手を始めて人より辛い事や痛い事や苦しい事を経験し、少し人より心と身体が強かっただけだと思いました。でも極真空手で経験した事が極限の状態で私を踏ん張らせてくれました。本当に極真空手をやっていて良かったなと思います。手術から1ヶ月が経ち、ウエイトトレーニングやウォーキングやエアロバイクや柔軟体操や基本稽古はもうだいぶ出来るようになっています。驚くほど身体はどんどん良くなっています。まだ股関節に圧迫感と硬さと動きづらさが残っていますが、1ヶ月でここまでこれたのだから上出来です。手術後1週間の時は妻にも「元のように動けるようになるの?」と言われましたが、自分でももう元には戻らないのかも?と思うほどしか動けませんでした。そこからここまでこれたのですから、これからの1ヶ月はもっともっと良くなって行くはずです。11月ぐらいには、移動稽古や型やランニングなんかも出来ているんじゃないかな?と自分では思っています。毎日を特別な1日だと思って感謝して生きて行こうと思います。
長男が移動教室から帰って来ました。私が「移動教室でのギター演奏上手く行った?」 と聞くと、長男は「上手く行ったよ。」で終わり、私が「移動教室で何か面白い事あった?」と聞くと「んー特に無いかな?」で終わってしまいます。なかなか男同士の会話というのは弾まないものです。妻にはもう少しいろいろ話すようですが、まあ中学生にもなればこんな感じかな?とも思います。でもやっぱり寂しいものです。少し前までパパ、パパと懐いていたのになーと思います。あーあ、本格的に親離れし始めて来たか?と思います。でもまだ妻には甘えているようですし、いろいろ話すようなので、その辺は妻に任せています。子供達に面倒くさい事言ったり、せっかく話してくれたのに、つまらない返しをしたり、私もするので仕方ないのかな?と思います。次男はまだ、一緒に銭湯に行ったり、映画に行ったりしてくれます。子供達に、あんまりうるさい事言って遠ざけられないようにしたいなと思います。でも父親だからガツンと行かなければ行けない事もあるし、子育てはなかなか難しいものです。
2016年に国際親善大会の決勝で観空をやっている映像を見ました。7年前ですから私は43歳でした。結果は決勝で4位だったようです。今だから言えるけど、何でこの演武で4位だったのだろうと思います。自分的にはその後、国際親善大会で準優勝した時より、全日本で優勝を2回した時より、良い型が出来ていました。これはその後しっかりと結果を残して今言うから負け惜しみにならない訳です。でもその時は自分に足りない物をしっかりと探して次に向けて稽古をし自分を向上させようと努力しました。その型を見ると、蹴り足が高く上がってピシッと決めがあってバランスも凄く良く片足で立つ所も身体にブレがなく力強さがあり迫力がありとても良い型でした。自分の型の全盛期はあの時だったように感じます。こんなキレイな蹴りを蹴れていたんだな!と感心してしまいました。でもその時、負けて良かったと思います。負けたおかげで自分が勝てる型を考え、審判が好む動きを研究した事で、たくさんの事を学ぶ事が出来ました。自分が思う良い型と審判が思う良い型は違います。そして点を出すのは自分ではなく審判です。審判に良い点を出してもらわなければ勝つ事は出来ません。それは組手よりも難しい部分です。そこを知る事が出来た事は、その後の私の人生に大きく影響を与えてくれました。そして今の私がいます。主審をする時にも、自分が周りからどう見えているか?も考えて主審をする事が出来るようになりました。あの時、負けて不貞腐れていたら今の自分はいないわけです。受け入れ難い結果も受入れて前に進んで行けば必ず自分は進化して行きます。
kanno
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