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次男と2人で「ホーンテッドマンション」を観に行きました。長男も誘ったのですが、友達と「グランツーリスモ」を観ると言われ振られてしまいました。なので長男とお友達のチケットをとってあげ、ご飯代を渡しました。「ホーンテッドマンション」は本当はあまり興味は無かったのですが、結果とても面白かったし、結構感動しました。帰りに次男と一蘭でラーメンを食べました。久しぶりなのでとても美味しく感じました。本当に生きている事は幸せです。この時間をしっかり大切にしようと思います。長男が家に帰って来て、とても興奮して映画の内容を話してくれました。本当に良かったようです。感動して泣いたと言っていました。今までは休みの日もトレーニングしたりしていたのですが、家族と過ごす時間も大切と思い、休みの日は家族と一緒に過ごす事に決めました。生きているの時間は無限ではありませんし、子供達との時間を大切にしておかないと、あとで後悔すると思うので、休みの日はトレーニングはせずに家族と過ごそうと思います。
大田区相撲大会に次男が出場しました。次男が出場した4年生の部は7名出場して総当たりのリーグ戦なので、全部で21試合ありました。次男が小さくて痩せて見えるほど、みんな大きくて強そうで迫力がありました。この子達全員と次男が戦うと知った時、私は次男が壊されちゃうんじゃないか?と怖くなってしまいました。思いっきり闘って欲しいけど、怪我をしないで終わって欲しいと思いました。立会で大きい子が頭から突っ込んでくるのを見ているのは本当に怖いです。私は空手をやっているから、人が殴り合ったり、闘っているのを見るのは慣れていて、それを見ても何ともないと思うかもしれませんが、そうではありません。私は自分が闘うのは好きですが、人が闘っているのを見るのは、そんなに好きではありません。ましてや自分の子供が戦う所を見るのは好きではありません。自分が空手の試合に出て、その痛さも怖さも苦しさも知っていますし、その結果、自分の身体がどうなったのかまで知っているので、やはり自分の子供が戦っている所を見るのは好きではありません。じゃあ何故、自分の子供に空手をやらせたり相撲をやらせたりするのか?と言えば、それは自分もそこから学んだ事がたくさんあり、そこから大きく成長出来たからです。長男も次男もまだまだ成長の発展途上にいます。人の痛みが分かる人は自分の痛みが分かる人です。強くなければ優しくはなれません。優しさには勇気や強さが必要です。それを子供達に身に付けて欲しいと私は思っています。夜はみんなで食事をしました。子供達もいろんな話をしてくれるのでとても楽しいです。
日常生活に戻って、やっと1週間が終わりました。出来る事も増えて来て、少しずつ手術前の生活や股関節を悪くする前の生活に戻って来ました。まだ股関節には違和感もありますし硬さもありますが、手術前には出来なかった足の上に足を組んで乗せて足首を回すなどの動きが出来るようになりました。ウォーキングも1時間出来るようになりました。目標はランニングが出来るようになる事です。先週は妻の手料理で退院祝いをして頂いたので、今日は鳥貴族で皆で食事をして、家族へ入院中のお礼をしました。手術後の1番苦しい時に家族の存在が僕を助けてくれた事を伝えました。こうして家族で美味しいお酒を飲んで美味しい物を食べて楽しい話をして、本当に幸せです。私の人生の中でもうこれ以上何かを望む事はありません。もう充分幸せです。これ以上の何かを手にするには今ある何かを捨てなければ行けないわけです。もう今が私の幸せの完成形だと思っています。今の生活を一生懸命に続けて行きたいと思います。
朝は8時少し前にに起きて身支度を済ませ朝ごはんを食べて8時30分に家を出て大森道場へ向かい、朝の柔軟体操と呼吸法を行い、ジムへ移動してウエイトトレーニングをしました。今日は背中のトレーニングをしました。手術前、背中のトレーニングを最後に行った日は8月18日だったので、約1ヶ月ぶりの背中のトレーニングでした。筋肉も筋力も使わなければあっという間に落ちるものです。手術前は約90キロの自分の体重に5キロのプレートを付けて10回、チンニングが出来たのに、今日は自分の約90キロの体重から12キロ、マシーンに補助してもらってやっと10回、チンニング出来る程度になってしまっていました。ここからまたコツコツと頑張って自分を前に進めて行こうと思います。久しぶりなのに少しハードにトレーニングしすぎてしまい、筋肉がバリバリに張ってしまい、とてつもない筋肉痛になっています。でも筋肉痛も心地良いです。筋肉痛になるほどのトレーニングが出来るようになった訳ですからとても幸せな事です。
今日は嬉しい事がありました。ずっと休会していた道場生が今月と来月、稽古に参加したいと言って道場に来ました。ずっと休会していた道場生が突然道場に顔を出したら、ほぼほぼ99%退会をするためなのですが、2ヶ月とは言え、また一緒に稽古が出来る事はとても嬉しい事です。今日のトレーニングは下半身でした。足とお尻の筋肉は凄く落ちてしまったので、またコツコツとトレーニングを積み重ねて自分の身体をしっかりと支えられるように強くして行きたいと思います。日常生活に戻って4日目ですが、少し疲れて来ました。そんなにハードにトレーニングしているわけでもないのですが、やはり3週間も病院にいたのですから、いきなり手術前のようには行かないようです。進化した事はウォーキングをランニングマシーンで1時間やる事が出来ました。股関節もだいぶスムーズに動くようになり、足もスタスタと前に出るようになりました。夜寝る時も仰向けで足を真っ直ぐにして眠る事が出来るようになりました。股関節や腰や膝を悪くした事がない人には分からないかもしれませんが、仰向けで足を真っ直ぐにして寝る事が出来る人は股関節、腰、膝の健康な人です。私は腰を悪くしたり、膝を悪くしたり、股関節を悪くしたり、しているので布団を足の下に置いて膝を立てて寝るか横を向いて寝る事が多いです。股関節の手術後も仰向けで足を真っ直ぐにする事が出来るようになるまで10日ぐらいはかかりました。でもその体勢は少し痛みがあるので眠る事は出来ませんでした。やっと仰向けになって足を真っ直ぐにして眠る事が出来るようになりました。何年ぶりだろう?と言う感じなので、とても嬉しいです。毎日、自分が前に進めている感覚があるのも、自分がマイナスに落ちたからです。マイナスからゼロに戻すなんて面倒くさいし面白くないと言う人もいるかもしれません。でも起きた事を恨んだり、以前の自分より衰えた事を嘆くより、今の自分が前に進めている事を感謝して楽しんでしまえば、とても有意義な毎日を過ごす事が出来ます。出来ない事がこんなにみるみる出来るようになる経験は子供の時以来かもしれません。前に出来ていた事だと思わず、以前は簡単に出来ていた事でも、今の自分が出来るようになった事を素直に褒めてあげれば良いのです。結局は自分を本当に褒めてあげる事が出来るのは自分だけです。自分を本当に大切に出来るのも結局は自分です。自分を本当に愛してあげる事が出来るのも結局は自分だと思います。例えば稽古に行ったとします。稽古の中で何かを失敗したとします。もちろん失敗した自分を叱る事が必要な時があります。でもその前に頑張って稽古に行った自分を褒めてあげれば良いのです。私も本当は駄目な所もたくさんある人間です。でも今まで社会に潰されず生きて来る事が出来たのは、自分を褒めるのが上手だったからだと思います。誰も褒めてくれないからこそ自分で自分を褒めてあげたいと思うのです。
日常生活に戻って3日目です。朝は事務仕事などを済ませてから、自転車で大森道場まで行き、柔軟体操と呼吸法を行い、ジムへ移動してトレーニングをしました。手術後、約3日間は寝たきりで眠れずほとんど何も食べる事が出来ませんでした。そこから3日間は車椅子でそのあとも徐々に少しずつ歩行器で歩けるようになり、杖をつかって歩けるようになりとなって行きましたが、通常の日常生活と比べればほぼ身体を動かせていない感じでしたので、だいぶ体力も筋力も落ちてしまいました。1番衰えたのは足とお尻の筋肉で、次が腕と肩です。今は毎日のトレーニングで大筋肉です。でも筋肉になれる事は幸せなので、筋肉が心地良く感じます。退院してから病院の食事量と同じぐらいにしています。炭水化物も以前は抜いていましたが、今はご飯を180グラム三食摂るようにしています。プロテインもトレーニング後しか飲まないようにしました。いつも少しすきっ腹ですが、これが丁度良いのだろうと思います。トレーニングの仕方も栄養の摂り方も50歳の身体に見合った物にしようと努めています。体重も90アンダーを保っています。動けるようになったら少しずつ体重も落として行きたいと思います。
やはり家は安心出来るからか、しっかりと眠る事が出来ます。何で病院では必ず1時間おきに目を覚ましてしまったのだろうと思います。まだ入院生活の余韻があり、ふと時計を見て「あ〜この時間は〜をしてる時間だな」と思ったりもします。私はなかなか内気なので入院生活の中で看護師さんとの事務的な事以外で誰かと話す事はありません。だから痛みが無くなって自分で歩けるようになってからは本当に寂しかったです。1日だけ妻が面会に来れない日があり、その日は本当に寂しく、次の日に妻が面会に来るのを凄く楽しみにしていたのですが、妻は来ると言っていた時間になっても来ませんでした。待っている時間というのは本当に長く感じるものです。その日、私は17:20からシャワーに入る予約をしていたのですが、妻が面会に来たのはもう16:50ぐらいでした。妻も忙しく大変だったなか面会に来てくれたので、妻が面会に来てくれたのはとても嬉しかったのですが、妻の顔を見たら「もうちょっとしか話せないじゃん」と私は怒ってしまいました。本当に申し訳ないなと思いますが、それだけ会いたかったし、もっと長く話していたかったのです。私も妻には結構甘えて我儘な事を言ってしまったりします。私が退院して家族で食事をした時に、子供達の前で妻に「パパの病院に面会に行くと、ママが帰る時間が近づいてくるとパパは必ず不機嫌になって怒るんだよね」と言われました。長男も次男も「エーッ!マジで!」見たいな感じでした。まあ笑い話にして成仏させてくれたので良かったです。私はこう見えて本当に内気な人間です。心の底から気を許して話せるのって妻と友達数名ぐらいしかいないかもしれません。結構寂しがりな人間なんです。だから妻には気を許して我儘言ったり、意地悪な事も言ったりしてしまうけど、許して欲しいと思います。
朝は8時に起きて朝ごはんを食べて、8時50分に家を出て、土曜日に゙退院したため入院費の会計が出来ていていなかったので、病院に行き入院費の会計をしました。2日前まで入院していた場所がもう懐かしく感じます。本当に過ぎてしまった時間は早く感じるものです。そのあと大森道場へ行きました。自分の居場所にやっと戻って来る事が出来ました。柔軟体操と呼吸法をやってジムへ行き、胸のウエイトトレーニングをしてランニングマシーンでウォーキングを30分行いました。トレーニングしてみて自分の身体の衰えにびっくりです。私も50歳なのでゆっくりでも良いから前に進んで行こうと思います。食事方法を変え高タンパクの食事を止めました。プロテインもトレーニング後のみにしました。お尻と太腿の筋肉が凄く落ちてしまいました。お尻の筋肉が無くなってしまったため自転車に乗っていてもサドルでお尻が痛いぐらいです。久しぶりに空手の稽古や指導が出来ていて本当に楽しかったです。私の居場所はやっぱりここだな!と思いました。また道場で元気に稽古や指導が出来る事を感謝しています。本当に多くの皆様に支えられて自分がこうして元気にしていられる事を感じています。日常生活は当たり前の事ではなく特別な事に感じています。なにはともあれ日常生活に戻る事が出来ました。本当に本当に感謝しています。
昨日、お酒を飲んだからか?家に帰って来て安心したからか?病室では6時に起きて居眠りもせず本を読んだり映画を見たりリハビリをしたり忙しくしていても12時に寝ると必ず1時間おきに目を覚ましてしまっていて、6時にはバシッと起きていたのが、今日は昨日11時に寝て夜中2回起きただけで8時までぐっすりと眠れました。やっぱり家は安心できるの場所なのかもしれません。妻と次男は相撲の勉強会が9時から17時まであるのでそれに行きました。長男は部活に行きました。私は朝ごはんを食べてからリハビリで土手の階段を昇り降りして、ウォーキングを50分行いました。お昼は部活から帰って来た長男と2人でインドカレーを食べに行きました。とても美味しかったです。長男ともいろんな話が出来ました。私がいない間、長男かわ稽古の指導をした話をしました。「教えるのって楽しいね!」と長男は言いました。私は「だろ!人に教えるのって本当に面白いよ!それが琥白の好きなギターだったらどうだ?自分の好きな事を人に教えて楽しんで、お金貰えたら、それって最高じゃない?」と言いました。長男も「そうだね!」と言っていました。今日は「峠」を見ました。この作品は小説でも読んでいます。私は河井継之助が好きです。時勢と損得を考えてよくよく品定めをして都合の良い方に身を置いて生きる人より、私は愚直に自分の信念を貫き通す生き方をする人が好きです。「この戦いは後の世に侍とは何だったのかを示す戦いだ」と言うセリフがとても好きです。信念のために命を賭ける事が出来る人が私は好きです。ある歴史評価は時代を変えようとする時に時勢を読まず、頑固な固定観念に囚われて、それを守ろうと戰う者は愚かだ。そのせいでどれだけ優秀な人材が死に、どれだけ無駄な命が亡くなり、どれだけの時間を無駄にしたか分からない。と言いました。言われてみればそうなのかもしれませんし、正論なのかもしれません。でも良く悪くもその人達がいたから、今の世の中も私達もいるわけです。もし今の世の中がもっと良くなっていたら、もしかしたら私達は存在していなかった可能性もあると思います。そしてその時代に生きていなければ分からない事もたくさんあると思います。そして私は時代に逆らうように生きた人が好きです。夕食は家族で食べました。皆でいろんな話をしながら食べるご飯は最高に美味しいです。入院中、私は妻が面会に来て、妻が帰ろうとするといつも不機嫌になっていたそうです。私はこうみえて結構シャイな人間です。知らない人に自分から話しかけたり、知らない人と自分から仲良くなったり出来ない人間です。自分の本性を見せる事が出来る人ってもしかしたら、この世で妻だけかもしれません。妻が面会に来てくれる時間だけが私にとって自分の心を開放できる時間だったと思います。だから許して欲しいと思います。夕食のあとは皆でカラオケをしました。私は、若者のすべて、燈、B・BLUEを歌いました。入院中はあんなに長く感じた時間が、今はあっという間に感じます。本当に幸せです。
朝6時に起きて、検温を受けてから20分のウォーキングと体操と呼吸法を行い、8時に朝ごはんを食べて、歯を磨き髭を剃り、荷物を纏め退院手続きをし10:05に無事退院し、迎えに来てくれた妻と2病室を出て人で自宅に帰りました。妻に荷物を持ってもらい、私は歩いて自宅へ帰りました。その道中、妻に「ありがとう」と伝えました。私が今回の入院で感じたこと、思ったこと、考えたことを話しながら家路に着きました。久しぶりの家はやはり良いものです。長男と次男にも感謝の気持を伝えました。皆でお昼ご飯を食べました。妻がうどんを作ってくれました。本当に美味しかったです。美味しい時には美味しいと言うようにしようと思い「美味しいね」と言いました。午後からリハビリのため土手にウォーキングに行きました。45分ウォーキングしました。私はあと3週間は絶対に転んだり、足をぶつけたり出来ないので、次男が私をサポートしようと私について来てくれました。次男がいろんな話をしてくれるので45分あっという間に時間が過ぎました。そのあと久しぶりの風呂にはいりました。やはりゆっくりと湯船に゙浸かると気持が良いです。20分、10分と2回湯につかってゆっくりと心と身体をほぐしました。やっぱり家が1番です。長男がギターから帰って来て、家族全員で夕食を食べました。病院で痛みで1番苦しい時に、この闘いが終わって無事に退院したら妻の作るハンバーグと鍋を食べたいとお願いしていたので妻はそれを作ってくれました。その料理は妻が東京に来て一緒に住むようになった最初の日に作ってくれた料理でした。私の中ではそれが妻が作る料理で1番好きな料理です。その料理は、大根おろしがたっぷり入った鍋とハンバーグです。私も久しぶりにビールとワインを飲みながらご飯を食べました。幸せってこういう事だな、こんな瞬間を幸せって言うんだな、と思いながら妻と長男と次男と幸せな大切な時間を過ごしました。幸せも毎日続くとやはりそれが当たり前となってしまい、鈍感になり感謝の気持が減り、心も目曇って本当に大切な事が見えなくなってしまいます。苦しい事や辛い事や困難な事があると感受性が強くなり、当たり前が当たり前ではなくなり、人に対する愛情や感謝の気持を強く感じるようになり、本当に大切な物や本当に大切な事が見え、本当の幸せを強く感じる事が出来るようになります。子供達に「パパは今回の手術で本当にヤバいところまで行って約12時間、ピクリとも動けない状況の中で喉の渇きと暑さと吐気と痛さと苦しさと闘ったんだよ。長かったよ。その次の日もその次の日も一睡も出来ないくらいの痛みと闘ったんだよ。その時に弥生ちゃんと琥白と真白の事を考えて頑張ったんだよ。皆の存在があったから頑張れたんだよ。」と話しました。私が入院中の可動式のベットを頭を上げたり高さを変えたり足を上げたりして一晩中、ウィーン、ウィーンってやってて最後自分が元に戻れないような格好になっていた話や、やいろいろな出来事を話すと妻と長男と次男は大爆笑していました。その時は私も必死でそんな事になっていたのですが、今こうして話すと笑い話になります。なにはともあれ大きな試練を超える事が出来ました。私の手術をしてくれた先生、私の世話をしてくれた看護師さん、入院中、私抜きで頑張って稽古を進めてくれた道場生の皆さん、ご協力頂きましたご父兄の皆様、あたたかいメッセージを下さった皆様、両親、私の兄弟、極真会館関係者の皆様、私に関わって頂いている皆様、本当に本当に心から感謝を申し上げます。この感謝の気持をしっかりと行動で皆様にお伝えして行きたいと思っております。
kanno
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