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2023年09月15日(金) 筋肉痛は幸せ

朝は8時少し前にに起きて身支度を済ませ朝ごはんを食べて8時30分に家を出て大森道場へ向かい、朝の柔軟体操と呼吸法を行い、ジムへ移動してウエイトトレーニングをしました。今日は背中のトレーニングをしました。手術前、背中のトレーニングを最後に行った日は8月18日だったので、約1ヶ月ぶりの背中のトレーニングでした。筋肉も筋力も使わなければあっという間に落ちるものです。手術前は約90キロの自分の体重に5キロのプレートを付けて10回、チンニングが出来たのに、今日は自分の約90キロの体重から12キロ、マシーンに補助してもらってやっと10回、チンニング出来る程度になってしまっていました。ここからまたコツコツと頑張って自分を前に進めて行こうと思います。久しぶりなのに少しハードにトレーニングしすぎてしまい、筋肉がバリバリに張ってしまい、とてつもない筋肉痛になっています。でも筋肉痛も心地良いです。筋肉痛になるほどのトレーニングが出来るようになった訳ですからとても幸せな事です。


2023年09月14日(木) 自分を褒める

今日は嬉しい事がありました。ずっと休会していた道場生が今月と来月、稽古に参加したいと言って道場に来ました。ずっと休会していた道場生が突然道場に顔を出したら、ほぼほぼ99%退会をするためなのですが、2ヶ月とは言え、また一緒に稽古が出来る事はとても嬉しい事です。今日のトレーニングは下半身でした。足とお尻の筋肉は凄く落ちてしまったので、またコツコツとトレーニングを積み重ねて自分の身体をしっかりと支えられるように強くして行きたいと思います。日常生活に戻って4日目ですが、少し疲れて来ました。そんなにハードにトレーニングしているわけでもないのですが、やはり3週間も病院にいたのですから、いきなり手術前のようには行かないようです。進化した事はウォーキングをランニングマシーンで1時間やる事が出来ました。股関節もだいぶスムーズに動くようになり、足もスタスタと前に出るようになりました。夜寝る時も仰向けで足を真っ直ぐにして眠る事が出来るようになりました。股関節や腰や膝を悪くした事がない人には分からないかもしれませんが、仰向けで足を真っ直ぐにして寝る事が出来る人は股関節、腰、膝の健康な人です。私は腰を悪くしたり、膝を悪くしたり、股関節を悪くしたり、しているので布団を足の下に置いて膝を立てて寝るか横を向いて寝る事が多いです。股関節の手術後も仰向けで足を真っ直ぐにする事が出来るようになるまで10日ぐらいはかかりました。でもその体勢は少し痛みがあるので眠る事は出来ませんでした。やっと仰向けになって足を真っ直ぐにして眠る事が出来るようになりました。何年ぶりだろう?と言う感じなので、とても嬉しいです。毎日、自分が前に進めている感覚があるのも、自分がマイナスに落ちたからです。マイナスからゼロに戻すなんて面倒くさいし面白くないと言う人もいるかもしれません。でも起きた事を恨んだり、以前の自分より衰えた事を嘆くより、今の自分が前に進めている事を感謝して楽しんでしまえば、とても有意義な毎日を過ごす事が出来ます。出来ない事がこんなにみるみる出来るようになる経験は子供の時以来かもしれません。前に出来ていた事だと思わず、以前は簡単に出来ていた事でも、今の自分が出来るようになった事を素直に褒めてあげれば良いのです。結局は自分を本当に褒めてあげる事が出来るのは自分だけです。自分を本当に大切に出来るのも結局は自分です。自分を本当に愛してあげる事が出来るのも結局は自分だと思います。例えば稽古に行ったとします。稽古の中で何かを失敗したとします。もちろん失敗した自分を叱る事が必要な時があります。でもその前に頑張って稽古に行った自分を褒めてあげれば良いのです。私も本当は駄目な所もたくさんある人間です。でも今まで社会に潰されず生きて来る事が出来たのは、自分を褒めるのが上手だったからだと思います。誰も褒めてくれないからこそ自分で自分を褒めてあげたいと思うのです。


2023年09月13日(水) 日常生活に戻って3日目

日常生活に戻って3日目です。朝は事務仕事などを済ませてから、自転車で大森道場まで行き、柔軟体操と呼吸法を行い、ジムへ移動してトレーニングをしました。手術後、約3日間は寝たきりで眠れずほとんど何も食べる事が出来ませんでした。そこから3日間は車椅子でそのあとも徐々に少しずつ歩行器で歩けるようになり、杖をつかって歩けるようになりとなって行きましたが、通常の日常生活と比べればほぼ身体を動かせていない感じでしたので、だいぶ体力も筋力も落ちてしまいました。1番衰えたのは足とお尻の筋肉で、次が腕と肩です。今は毎日のトレーニングで大筋肉です。でも筋肉になれる事は幸せなので、筋肉が心地良く感じます。退院してから病院の食事量と同じぐらいにしています。炭水化物も以前は抜いていましたが、今はご飯を180グラム三食摂るようにしています。プロテインもトレーニング後しか飲まないようにしました。いつも少しすきっ腹ですが、これが丁度良いのだろうと思います。トレーニングの仕方も栄養の摂り方も50歳の身体に見合った物にしようと努めています。体重も90アンダーを保っています。動けるようになったら少しずつ体重も落として行きたいと思います。


2023年09月12日(火) 寂しい

やはり家は安心出来るからか、しっかりと眠る事が出来ます。何で病院では必ず1時間おきに目を覚ましてしまったのだろうと思います。まだ入院生活の余韻があり、ふと時計を見て「あ〜この時間は〜をしてる時間だな」と思ったりもします。私はなかなか内気なので入院生活の中で看護師さんとの事務的な事以外で誰かと話す事はありません。だから痛みが無くなって自分で歩けるようになってからは本当に寂しかったです。1日だけ妻が面会に来れない日があり、その日は本当に寂しく、次の日に妻が面会に来るのを凄く楽しみにしていたのですが、妻は来ると言っていた時間になっても来ませんでした。待っている時間というのは本当に長く感じるものです。その日、私は17:20からシャワーに入る予約をしていたのですが、妻が面会に来たのはもう16:50ぐらいでした。妻も忙しく大変だったなか面会に来てくれたので、妻が面会に来てくれたのはとても嬉しかったのですが、妻の顔を見たら「もうちょっとしか話せないじゃん」と私は怒ってしまいました。本当に申し訳ないなと思いますが、それだけ会いたかったし、もっと長く話していたかったのです。私も妻には結構甘えて我儘な事を言ってしまったりします。私が退院して家族で食事をした時に、子供達の前で妻に「パパの病院に面会に行くと、ママが帰る時間が近づいてくるとパパは必ず不機嫌になって怒るんだよね」と言われました。長男も次男も「エーッ!マジで!」見たいな感じでした。まあ笑い話にして成仏させてくれたので良かったです。私はこう見えて本当に内気な人間です。心の底から気を許して話せるのって妻と友達数名ぐらいしかいないかもしれません。結構寂しがりな人間なんです。だから妻には気を許して我儘言ったり、意地悪な事も言ったりしてしまうけど、許して欲しいと思います。


2023年09月11日(月) 日常に戻る事が出来ました。

朝は8時に起きて朝ごはんを食べて、8時50分に家を出て、土曜日に゙退院したため入院費の会計が出来ていていなかったので、病院に行き入院費の会計をしました。2日前まで入院していた場所がもう懐かしく感じます。本当に過ぎてしまった時間は早く感じるものです。そのあと大森道場へ行きました。自分の居場所にやっと戻って来る事が出来ました。柔軟体操と呼吸法をやってジムへ行き、胸のウエイトトレーニングをしてランニングマシーンでウォーキングを30分行いました。トレーニングしてみて自分の身体の衰えにびっくりです。私も50歳なのでゆっくりでも良いから前に進んで行こうと思います。食事方法を変え高タンパクの食事を止めました。プロテインもトレーニング後のみにしました。お尻と太腿の筋肉が凄く落ちてしまいました。お尻の筋肉が無くなってしまったため自転車に乗っていてもサドルでお尻が痛いぐらいです。久しぶりに空手の稽古や指導が出来ていて本当に楽しかったです。私の居場所はやっぱりここだな!と思いました。また道場で元気に稽古や指導が出来る事を感謝しています。本当に多くの皆様に支えられて自分がこうして元気にしていられる事を感じています。日常生活は当たり前の事ではなく特別な事に感じています。なにはともあれ日常生活に戻る事が出来ました。本当に本当に感謝しています。


2023年09月10日(日) 安心

昨日、お酒を飲んだからか?家に帰って来て安心したからか?病室では6時に起きて居眠りもせず本を読んだり映画を見たりリハビリをしたり忙しくしていても12時に寝ると必ず1時間おきに目を覚ましてしまっていて、6時にはバシッと起きていたのが、今日は昨日11時に寝て夜中2回起きただけで8時までぐっすりと眠れました。やっぱり家は安心できるの場所なのかもしれません。妻と次男は相撲の勉強会が9時から17時まであるのでそれに行きました。長男は部活に行きました。私は朝ごはんを食べてからリハビリで土手の階段を昇り降りして、ウォーキングを50分行いました。お昼は部活から帰って来た長男と2人でインドカレーを食べに行きました。とても美味しかったです。長男ともいろんな話が出来ました。私がいない間、長男かわ稽古の指導をした話をしました。「教えるのって楽しいね!」と長男は言いました。私は「だろ!人に教えるのって本当に面白いよ!それが琥白の好きなギターだったらどうだ?自分の好きな事を人に教えて楽しんで、お金貰えたら、それって最高じゃない?」と言いました。長男も「そうだね!」と言っていました。今日は「峠」を見ました。この作品は小説でも読んでいます。私は河井継之助が好きです。時勢と損得を考えてよくよく品定めをして都合の良い方に身を置いて生きる人より、私は愚直に自分の信念を貫き通す生き方をする人が好きです。「この戦いは後の世に侍とは何だったのかを示す戦いだ」と言うセリフがとても好きです。信念のために命を賭ける事が出来る人が私は好きです。ある歴史評価は時代を変えようとする時に時勢を読まず、頑固な固定観念に囚われて、それを守ろうと戰う者は愚かだ。そのせいでどれだけ優秀な人材が死に、どれだけ無駄な命が亡くなり、どれだけの時間を無駄にしたか分からない。と言いました。言われてみればそうなのかもしれませんし、正論なのかもしれません。でも良く悪くもその人達がいたから、今の世の中も私達もいるわけです。もし今の世の中がもっと良くなっていたら、もしかしたら私達は存在していなかった可能性もあると思います。そしてその時代に生きていなければ分からない事もたくさんあると思います。そして私は時代に逆らうように生きた人が好きです。夕食は家族で食べました。皆でいろんな話をしながら食べるご飯は最高に美味しいです。入院中、私は妻が面会に来て、妻が帰ろうとするといつも不機嫌になっていたそうです。私はこうみえて結構シャイな人間です。知らない人に自分から話しかけたり、知らない人と自分から仲良くなったり出来ない人間です。自分の本性を見せる事が出来る人ってもしかしたら、この世で妻だけかもしれません。妻が面会に来てくれる時間だけが私にとって自分の心を開放できる時間だったと思います。だから許して欲しいと思います。夕食のあとは皆でカラオケをしました。私は、若者のすべて、燈、B・BLUEを歌いました。入院中はあんなに長く感じた時間が、今はあっという間に感じます。本当に幸せです。


2023年09月09日(土) 退院

朝6時に起きて、検温を受けてから20分のウォーキングと体操と呼吸法を行い、8時に朝ごはんを食べて、歯を磨き髭を剃り、荷物を纏め退院手続きをし10:05に無事退院し、迎えに来てくれた妻と2病室を出て人で自宅に帰りました。妻に荷物を持ってもらい、私は歩いて自宅へ帰りました。その道中、妻に「ありがとう」と伝えました。私が今回の入院で感じたこと、思ったこと、考えたことを話しながら家路に着きました。久しぶりの家はやはり良いものです。長男と次男にも感謝の気持を伝えました。皆でお昼ご飯を食べました。妻がうどんを作ってくれました。本当に美味しかったです。美味しい時には美味しいと言うようにしようと思い「美味しいね」と言いました。午後からリハビリのため土手にウォーキングに行きました。45分ウォーキングしました。私はあと3週間は絶対に転んだり、足をぶつけたり出来ないので、次男が私をサポートしようと私について来てくれました。次男がいろんな話をしてくれるので45分あっという間に時間が過ぎました。そのあと久しぶりの風呂にはいりました。やはりゆっくりと湯船に゙浸かると気持が良いです。20分、10分と2回湯につかってゆっくりと心と身体をほぐしました。やっぱり家が1番です。長男がギターから帰って来て、家族全員で夕食を食べました。病院で痛みで1番苦しい時に、この闘いが終わって無事に退院したら妻の作るハンバーグと鍋を食べたいとお願いしていたので妻はそれを作ってくれました。その料理は妻が東京に来て一緒に住むようになった最初の日に作ってくれた料理でした。私の中ではそれが妻が作る料理で1番好きな料理です。その料理は、大根おろしがたっぷり入った鍋とハンバーグです。私も久しぶりにビールとワインを飲みながらご飯を食べました。幸せってこういう事だな、こんな瞬間を幸せって言うんだな、と思いながら妻と長男と次男と幸せな大切な時間を過ごしました。幸せも毎日続くとやはりそれが当たり前となってしまい、鈍感になり感謝の気持が減り、心も目曇って本当に大切な事が見えなくなってしまいます。苦しい事や辛い事や困難な事があると感受性が強くなり、当たり前が当たり前ではなくなり、人に対する愛情や感謝の気持を強く感じるようになり、本当に大切な物や本当に大切な事が見え、本当の幸せを強く感じる事が出来るようになります。子供達に「パパは今回の手術で本当にヤバいところまで行って約12時間、ピクリとも動けない状況の中で喉の渇きと暑さと吐気と痛さと苦しさと闘ったんだよ。長かったよ。その次の日もその次の日も一睡も出来ないくらいの痛みと闘ったんだよ。その時に弥生ちゃんと琥白と真白の事を考えて頑張ったんだよ。皆の存在があったから頑張れたんだよ。」と話しました。私が入院中の可動式のベットを頭を上げたり高さを変えたり足を上げたりして一晩中、ウィーン、ウィーンってやってて最後自分が元に戻れないような格好になっていた話や、やいろいろな出来事を話すと妻と長男と次男は大爆笑していました。その時は私も必死でそんな事になっていたのですが、今こうして話すと笑い話になります。なにはともあれ大きな試練を超える事が出来ました。私の手術をしてくれた先生、私の世話をしてくれた看護師さん、入院中、私抜きで頑張って稽古を進めてくれた道場生の皆さん、ご協力頂きましたご父兄の皆様、あたたかいメッセージを下さった皆様、両親、私の兄弟、極真会館関係者の皆様、私に関わって頂いている皆様、本当に本当に心から感謝を申し上げます。この感謝の気持をしっかりと行動で皆様にお伝えして行きたいと思っております。


2023年09月08日(金) 変わる努力を

入院20日目、術後19日目、明日は無事に退院する事が出来そうです。長かったような短かったような感じです。入院するために家を出て病院までの事はけっこう鮮明に覚えているのですが、病院に入ってからの事は、これと言って思い出せる事はありません。家族にTV電話した事ぐらいしか覚えていません。手術日の事はよく覚えています。6時に起きて点滴が始まり、朝ごはんは食べる事は出来なくて9時には水分も取れなくなり、12時過ぎぐらいからバタバタし始め7階の病室からエレベーターで4階に行き、13時ピッタリに手術室の前に付いた事、手術室の前でいろんな事の確認を受けた事、手術室に入る時に「自分はしっかり生ききった。今までの人生に悔いはない、この手術に向けてもやれる事はしっかりやった。あとは先生と神様に全てを委ねよう。」そう思い、手術室に自分の足で入り、手術台に寝て麻酔の点滴をされて意識が無くなる前に妻と長男と次男と極真空手の事を考えました。次の瞬間には手術が終わり看護師さんに意識確認をされていました。「生きていたんだ。」と思ったあとは頭がぼーっとして何も考えられないような感じでした。それから19日、本当に長かったような短かったようなです。今、1つ確実に言える事はもうこの20日間をやり直したくはないと言う事です。そのぐらい大変な毎日でした。手術後の痛みもそうですが、自分の身体が元に戻るのか?と言う不安や、どうにもならないもどかしさや、痛みを人に訴えなくてはならない屈辱や自分の恥ずかしい部分を人に見せなくてはならない屈辱、自分の弱さを見せつけられた屈辱、夜の寂しさ、とにかくいろんな事がありました。人生最大の苦痛を味わいました。その中で人の優しさやに触れ自分という人間は沢山の人のおかげで生かされている事を感じました。妻と長男と次男の存在の大きさも感じました。妻と長男と次男の存在があったからこの試練を乗り越える事が出来ました。本当に本当に痛くて苦しい時、妻と長男と次男の顔を思い出し歯を食いしばって頑張る事が出来ました。今回の事で見える景色も感じ方も考え方も人に対する思いも大きく変わったと思います。だから本当に本当に貴重な体験だったとは思います。でもやはりもう1度この20日をやり直しと言われたら、それはもう無理です。そのぐらい大変でした。明日は家でご飯を食べる事が出来ます。本当に本当に楽しみです。妻の手料理とビールとワインで乾杯です。今日は朝起きてウォーキング20分と体操と呼吸法をやり、朝食後にリハビリをし、昼食後にストレッチと筋トレとウォーキング30分、夕食後に筋トレをしました。最後に今回の入院で180度考えが変わった事は苦しい時には苦しいと言って良い、辛い時は辛いと言って良いと言う事です。頑張れない時は頑張らなくて良いです。誰かに話を聞いてもらったり、手を貸してもらったりして助けてもらえば良いと思います。弱い人ほど人に助けてもらう権利があると私は思います。それは恥ずかしい事ではありません。きっと誰かが助けてくれるはずです。そして今、元気な人は弱っている人や困っている人に進んで手を貸してあげて欲しいと思います。助けてあげようとして手を貸して、その手を振り払う人もいるかも知れませんが、だからと言ってそれで損をするわけでも恥をかくわけでもはありません。おせっかいだったか?と笑えば良いと思います。でもこりずにまた手を貸してあげて欲しいと思います。世の中にはルールがあります。公共のルールは公共のためにあるもので、誰かのためにあるものではありません。そんな時に自分がどう判断してどう行動して良いか?分からい時もあると思います。そんな時は、その自分の行動が会社員としてとか、先生としてとか、社長としてとか、その自分の立場で考えるのではなく、人としてどう判断して行動すれば良いのか?を考えれば良いと思います。もしかしたらその事でバカを見る事になるかもしれません。でも人が人を思う愛情や感謝の気持がないような判断をして行動をする事が1番やってはいけない事なのではないか?と私は思います。私もいっぱいいっぱいで手を貸してあげる事が出来ない事もあるかもしれません。でも貸してあげる手があれば必ず、その手は人に差し伸べます。だから何か悩みがあれば話して欲しいと思います。これから急に変われるか?は分かりません。でも変わる努力は必ずします。


2023年09月07日(木) 手術に臨み覚悟

私は今回の手術に1度自分の人生のリセットをする覚悟で臨みました。もしこの手術で命を落とす事になろうと、もし手術が失敗して一生車椅子になろうと、今までの人生に悔いはないと言う気持ちで手術に臨みました。だから手術が終わり目を覚ました時に「生きていたんだな」と思いました。と同時に「ヨシっ新たな人生を頑張るぞ!」と思ったのも束の間でそのあとは痛みと苦しみとの闘いで精一杯でした。手術の前に何故そのような気持になったのかを考えてみたら、それは私の師匠の言葉でした。これは師匠が私に言った訳でもなく、それを師匠が言った場所に私がいた訳ではありません。これは私の先輩に師匠が言った言葉です。その先輩は膝を人工股関節にする手術を受けたのですが、腎臓が悪く人工透析をしているために命の危険もある手術だったそうです。そのために手術するかを迷っていたそうです。その事を師匠に話すと、師匠は「死ぬにしても麻酔で眠っている間に死ぬわけで、苦しんで苦しんで死ぬわけではないんだから悪い死に方ではないし、手術が上手く行けば今より歩けるようになるんだろ。何も悪い事はないじゃないか?!良い事尽くめじゃないか?!悩むことなんて何もないだろ!」そう言ったそうです。手術の前に師匠の言葉を考えて、私は手術を決めたわけでは亡いけれども、私の考えは師匠と似ていたと思います。師匠の言葉は私の中に潜在的に生きているのだと思います。人生50年ですがら、私はここで手術をして生きていたと言う事は、神様に第2の人生を頂いたと思い、新たな気持で毎日に感謝して一生懸命生きて行きたいと思っています。人に対する愛情と感謝の気持を忘れず、弱い人や弱っている人に自分の手を差し伸べて生きて行きたいと思っています。私は今までは自分にも厳しいかわりに人にも厳しさを求めていましたし、努力しない人や一生懸命じゃない人や強くなろうとしない人は、ズルをしている、自分に甘えている、サボっている、自分に負けている人だと思っていました。自分が頑張ろうとしなければ誰も手は貸してはくれないよ、と思っていました。でも今回の手術とこの入院でお年寄り弱っている人をたくさん見て、その考えは大きく変わりました。変わりたくても変われない人、弱い人、自分は駄目だと分かっていてもどうにもならない人、頑張りたくても頑張れない人、もたくさんいると思います。そんな人に優しく接してあげたり、何も言わずに手を貸してあげたり、寄り添ってあげたり出来る人間になりたいと思っています。せっかく命を頂いたのだから、自分の人生を思いっきり楽しんで、人の役に立って生きて行きたいと思います。今回の手術も入院も私に取っては修行のような物でした。人と話す時間が少ないぶん、自分と話す時間が増えたり、本を読んだり、いろんな事を思ったり、いろんな事を感じたり、いろんな事を考えたりする時間をたくさん過ごす事が出来ました。リハビリでは、まだ歩けない子供が歩けるようになって行くような感じで、何も考えずに出来ていた事をもう1度1から出来るようにする努力をしました。自分の身体はこうやって動かしていたんだ、ここが痛くて動けないと上手く歩けないんだ、などいろんな事を考えながら自分の身体を動かす、とても良い勉強になりました。今回の手術と入院で「亀の甲より年の功」をたくさん身に付ける事が出来たと思っています。この経験を社会に出てたくさん役に立てなくては行けないなと思います。明後日は退院なので、朝起きて20分ウォーキングと体操と呼吸法、リハビリを40分とウォーキング10分、昼食後に筋トレとウォーキング30分、夕食後に筋トレをしました。だいぶ自然に歩けるようになりましたし、手術前よりはスムーズに歩けるようになったと思います。でもマダマダ自分の身体に馴染んでいない感じもします。手術跡の痛みとコルセットをしているような圧迫感と新しい足が自分に付いたような感覚が少し残っています。退院して終わりでは無いのでしっかり自分でリハビリをして人工股関節を自分の身体に馴染ませて行きたいと思います。輪違屋糸里を読み終わりました。もう明後日で退院ですが、明日からマイク・タイソン著の真相を読みたいと思います。


2023年09月06日(水) 人工股関節の重さと体重

朝起きて朝食前にウォーキング20分、朝食後に読書、昼食後にウォーキング30分、リハビリを40分、夕食後に筋トレをしました。こんな感じで退院に向けて結構頑張っています。足の傷口の腫れもだいぶ引いて来ました。痛みもなく夜も1時間おきに起きてしまうものの12時から6時の起床までしっかり眠れています。リハビリ室に体重計があったので計ってみたら88キロになっていました。私の股関節に入っている人工股関節は、カップ(約50g)ライナー(約20g
)骨頭(約60g)ステム(約100g)の4個のパーツで出来ていて合計約230gの重さがあります。私は両股関節が人工股関節なので両方の合計は460gとなります。ですが大腿骨も削って大腿骨の骨董の骨頭も取って、股関節の方も削ってるのでそれを引くと400g重くなっているそうです。
400gの物と調べて見たら豆腐一丁、缶コーラ1個とかが400gらしいです。片足豆腐半丁ずつ足が重くなっていると考えれば良いのかもしれません。400g重くなったとしても手術前より2キロは体重が減っています。手術後の苦しみと病院食のおかげかもしれません。これはハッキリとではないのですが、手術後の痛みと苦しみが無くなってから鏡を見てふと気付いたのですが白髪が凄く増えました。特にもみあげの所がほぼ白髪になったように感じます。北斗の拳のレイを思い出しました。一晩痛みに耐えて部屋から出て来たレイの髪は真っ白になっていたシーンを思い出しました。まああそこまでは行きませんが、痩せて白髪が増えるほどのダメージは受けたのだと思いました。6時に起きて規則正しい生活はしているので、心も身体もさほど鈍ってはいないと思います。退院しても残り3週間は絶対に転んだり出来ないので気持を引き締めて行きたいと思います。今回の手術をして本当にいろんな事に気付けたので手術して良かったなと思っています。自分、命、生きる、死ぬ、歳を取る、健康、愛情、感謝、本当にいろんな事を思い、いろんな事を感じ、いろんな事を考えさせられました。退院したら心も身体も50歳らしい人間になっているはずです。退院の日は家まで歩いて帰り、妻の手料理でビールとワインで乾杯したいと思います。


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