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2023年09月11日(月) 日常に戻る事が出来ました。

朝は8時に起きて朝ごはんを食べて、8時50分に家を出て、土曜日に゙退院したため入院費の会計が出来ていていなかったので、病院に行き入院費の会計をしました。2日前まで入院していた場所がもう懐かしく感じます。本当に過ぎてしまった時間は早く感じるものです。そのあと大森道場へ行きました。自分の居場所にやっと戻って来る事が出来ました。柔軟体操と呼吸法をやってジムへ行き、胸のウエイトトレーニングをしてランニングマシーンでウォーキングを30分行いました。トレーニングしてみて自分の身体の衰えにびっくりです。私も50歳なのでゆっくりでも良いから前に進んで行こうと思います。食事方法を変え高タンパクの食事を止めました。プロテインもトレーニング後のみにしました。お尻と太腿の筋肉が凄く落ちてしまいました。お尻の筋肉が無くなってしまったため自転車に乗っていてもサドルでお尻が痛いぐらいです。久しぶりに空手の稽古や指導が出来ていて本当に楽しかったです。私の居場所はやっぱりここだな!と思いました。また道場で元気に稽古や指導が出来る事を感謝しています。本当に多くの皆様に支えられて自分がこうして元気にしていられる事を感じています。日常生活は当たり前の事ではなく特別な事に感じています。なにはともあれ日常生活に戻る事が出来ました。本当に本当に感謝しています。


2023年09月10日(日) 安心

昨日、お酒を飲んだからか?家に帰って来て安心したからか?病室では6時に起きて居眠りもせず本を読んだり映画を見たりリハビリをしたり忙しくしていても12時に寝ると必ず1時間おきに目を覚ましてしまっていて、6時にはバシッと起きていたのが、今日は昨日11時に寝て夜中2回起きただけで8時までぐっすりと眠れました。やっぱり家は安心できるの場所なのかもしれません。妻と次男は相撲の勉強会が9時から17時まであるのでそれに行きました。長男は部活に行きました。私は朝ごはんを食べてからリハビリで土手の階段を昇り降りして、ウォーキングを50分行いました。お昼は部活から帰って来た長男と2人でインドカレーを食べに行きました。とても美味しかったです。長男ともいろんな話が出来ました。私がいない間、長男かわ稽古の指導をした話をしました。「教えるのって楽しいね!」と長男は言いました。私は「だろ!人に教えるのって本当に面白いよ!それが琥白の好きなギターだったらどうだ?自分の好きな事を人に教えて楽しんで、お金貰えたら、それって最高じゃない?」と言いました。長男も「そうだね!」と言っていました。今日は「峠」を見ました。この作品は小説でも読んでいます。私は河井継之助が好きです。時勢と損得を考えてよくよく品定めをして都合の良い方に身を置いて生きる人より、私は愚直に自分の信念を貫き通す生き方をする人が好きです。「この戦いは後の世に侍とは何だったのかを示す戦いだ」と言うセリフがとても好きです。信念のために命を賭ける事が出来る人が私は好きです。ある歴史評価は時代を変えようとする時に時勢を読まず、頑固な固定観念に囚われて、それを守ろうと戰う者は愚かだ。そのせいでどれだけ優秀な人材が死に、どれだけ無駄な命が亡くなり、どれだけの時間を無駄にしたか分からない。と言いました。言われてみればそうなのかもしれませんし、正論なのかもしれません。でも良く悪くもその人達がいたから、今の世の中も私達もいるわけです。もし今の世の中がもっと良くなっていたら、もしかしたら私達は存在していなかった可能性もあると思います。そしてその時代に生きていなければ分からない事もたくさんあると思います。そして私は時代に逆らうように生きた人が好きです。夕食は家族で食べました。皆でいろんな話をしながら食べるご飯は最高に美味しいです。入院中、私は妻が面会に来て、妻が帰ろうとするといつも不機嫌になっていたそうです。私はこうみえて結構シャイな人間です。知らない人に自分から話しかけたり、知らない人と自分から仲良くなったり出来ない人間です。自分の本性を見せる事が出来る人ってもしかしたら、この世で妻だけかもしれません。妻が面会に来てくれる時間だけが私にとって自分の心を開放できる時間だったと思います。だから許して欲しいと思います。夕食のあとは皆でカラオケをしました。私は、若者のすべて、燈、B・BLUEを歌いました。入院中はあんなに長く感じた時間が、今はあっという間に感じます。本当に幸せです。


2023年09月09日(土) 退院

朝6時に起きて、検温を受けてから20分のウォーキングと体操と呼吸法を行い、8時に朝ごはんを食べて、歯を磨き髭を剃り、荷物を纏め退院手続きをし10:05に無事退院し、迎えに来てくれた妻と2病室を出て人で自宅に帰りました。妻に荷物を持ってもらい、私は歩いて自宅へ帰りました。その道中、妻に「ありがとう」と伝えました。私が今回の入院で感じたこと、思ったこと、考えたことを話しながら家路に着きました。久しぶりの家はやはり良いものです。長男と次男にも感謝の気持を伝えました。皆でお昼ご飯を食べました。妻がうどんを作ってくれました。本当に美味しかったです。美味しい時には美味しいと言うようにしようと思い「美味しいね」と言いました。午後からリハビリのため土手にウォーキングに行きました。45分ウォーキングしました。私はあと3週間は絶対に転んだり、足をぶつけたり出来ないので、次男が私をサポートしようと私について来てくれました。次男がいろんな話をしてくれるので45分あっという間に時間が過ぎました。そのあと久しぶりの風呂にはいりました。やはりゆっくりと湯船に゙浸かると気持が良いです。20分、10分と2回湯につかってゆっくりと心と身体をほぐしました。やっぱり家が1番です。長男がギターから帰って来て、家族全員で夕食を食べました。病院で痛みで1番苦しい時に、この闘いが終わって無事に退院したら妻の作るハンバーグと鍋を食べたいとお願いしていたので妻はそれを作ってくれました。その料理は妻が東京に来て一緒に住むようになった最初の日に作ってくれた料理でした。私の中ではそれが妻が作る料理で1番好きな料理です。その料理は、大根おろしがたっぷり入った鍋とハンバーグです。私も久しぶりにビールとワインを飲みながらご飯を食べました。幸せってこういう事だな、こんな瞬間を幸せって言うんだな、と思いながら妻と長男と次男と幸せな大切な時間を過ごしました。幸せも毎日続くとやはりそれが当たり前となってしまい、鈍感になり感謝の気持が減り、心も目曇って本当に大切な事が見えなくなってしまいます。苦しい事や辛い事や困難な事があると感受性が強くなり、当たり前が当たり前ではなくなり、人に対する愛情や感謝の気持を強く感じるようになり、本当に大切な物や本当に大切な事が見え、本当の幸せを強く感じる事が出来るようになります。子供達に「パパは今回の手術で本当にヤバいところまで行って約12時間、ピクリとも動けない状況の中で喉の渇きと暑さと吐気と痛さと苦しさと闘ったんだよ。長かったよ。その次の日もその次の日も一睡も出来ないくらいの痛みと闘ったんだよ。その時に弥生ちゃんと琥白と真白の事を考えて頑張ったんだよ。皆の存在があったから頑張れたんだよ。」と話しました。私が入院中の可動式のベットを頭を上げたり高さを変えたり足を上げたりして一晩中、ウィーン、ウィーンってやってて最後自分が元に戻れないような格好になっていた話や、やいろいろな出来事を話すと妻と長男と次男は大爆笑していました。その時は私も必死でそんな事になっていたのですが、今こうして話すと笑い話になります。なにはともあれ大きな試練を超える事が出来ました。私の手術をしてくれた先生、私の世話をしてくれた看護師さん、入院中、私抜きで頑張って稽古を進めてくれた道場生の皆さん、ご協力頂きましたご父兄の皆様、あたたかいメッセージを下さった皆様、両親、私の兄弟、極真会館関係者の皆様、私に関わって頂いている皆様、本当に本当に心から感謝を申し上げます。この感謝の気持をしっかりと行動で皆様にお伝えして行きたいと思っております。


2023年09月08日(金) 変わる努力を

入院20日目、術後19日目、明日は無事に退院する事が出来そうです。長かったような短かったような感じです。入院するために家を出て病院までの事はけっこう鮮明に覚えているのですが、病院に入ってからの事は、これと言って思い出せる事はありません。家族にTV電話した事ぐらいしか覚えていません。手術日の事はよく覚えています。6時に起きて点滴が始まり、朝ごはんは食べる事は出来なくて9時には水分も取れなくなり、12時過ぎぐらいからバタバタし始め7階の病室からエレベーターで4階に行き、13時ピッタリに手術室の前に付いた事、手術室の前でいろんな事の確認を受けた事、手術室に入る時に「自分はしっかり生ききった。今までの人生に悔いはない、この手術に向けてもやれる事はしっかりやった。あとは先生と神様に全てを委ねよう。」そう思い、手術室に自分の足で入り、手術台に寝て麻酔の点滴をされて意識が無くなる前に妻と長男と次男と極真空手の事を考えました。次の瞬間には手術が終わり看護師さんに意識確認をされていました。「生きていたんだ。」と思ったあとは頭がぼーっとして何も考えられないような感じでした。それから19日、本当に長かったような短かったようなです。今、1つ確実に言える事はもうこの20日間をやり直したくはないと言う事です。そのぐらい大変な毎日でした。手術後の痛みもそうですが、自分の身体が元に戻るのか?と言う不安や、どうにもならないもどかしさや、痛みを人に訴えなくてはならない屈辱や自分の恥ずかしい部分を人に見せなくてはならない屈辱、自分の弱さを見せつけられた屈辱、夜の寂しさ、とにかくいろんな事がありました。人生最大の苦痛を味わいました。その中で人の優しさやに触れ自分という人間は沢山の人のおかげで生かされている事を感じました。妻と長男と次男の存在の大きさも感じました。妻と長男と次男の存在があったからこの試練を乗り越える事が出来ました。本当に本当に痛くて苦しい時、妻と長男と次男の顔を思い出し歯を食いしばって頑張る事が出来ました。今回の事で見える景色も感じ方も考え方も人に対する思いも大きく変わったと思います。だから本当に本当に貴重な体験だったとは思います。でもやはりもう1度この20日をやり直しと言われたら、それはもう無理です。そのぐらい大変でした。明日は家でご飯を食べる事が出来ます。本当に本当に楽しみです。妻の手料理とビールとワインで乾杯です。今日は朝起きてウォーキング20分と体操と呼吸法をやり、朝食後にリハビリをし、昼食後にストレッチと筋トレとウォーキング30分、夕食後に筋トレをしました。最後に今回の入院で180度考えが変わった事は苦しい時には苦しいと言って良い、辛い時は辛いと言って良いと言う事です。頑張れない時は頑張らなくて良いです。誰かに話を聞いてもらったり、手を貸してもらったりして助けてもらえば良いと思います。弱い人ほど人に助けてもらう権利があると私は思います。それは恥ずかしい事ではありません。きっと誰かが助けてくれるはずです。そして今、元気な人は弱っている人や困っている人に進んで手を貸してあげて欲しいと思います。助けてあげようとして手を貸して、その手を振り払う人もいるかも知れませんが、だからと言ってそれで損をするわけでも恥をかくわけでもはありません。おせっかいだったか?と笑えば良いと思います。でもこりずにまた手を貸してあげて欲しいと思います。世の中にはルールがあります。公共のルールは公共のためにあるもので、誰かのためにあるものではありません。そんな時に自分がどう判断してどう行動して良いか?分からい時もあると思います。そんな時は、その自分の行動が会社員としてとか、先生としてとか、社長としてとか、その自分の立場で考えるのではなく、人としてどう判断して行動すれば良いのか?を考えれば良いと思います。もしかしたらその事でバカを見る事になるかもしれません。でも人が人を思う愛情や感謝の気持がないような判断をして行動をする事が1番やってはいけない事なのではないか?と私は思います。私もいっぱいいっぱいで手を貸してあげる事が出来ない事もあるかもしれません。でも貸してあげる手があれば必ず、その手は人に差し伸べます。だから何か悩みがあれば話して欲しいと思います。これから急に変われるか?は分かりません。でも変わる努力は必ずします。


2023年09月07日(木) 手術に臨み覚悟

私は今回の手術に1度自分の人生のリセットをする覚悟で臨みました。もしこの手術で命を落とす事になろうと、もし手術が失敗して一生車椅子になろうと、今までの人生に悔いはないと言う気持ちで手術に臨みました。だから手術が終わり目を覚ました時に「生きていたんだな」と思いました。と同時に「ヨシっ新たな人生を頑張るぞ!」と思ったのも束の間でそのあとは痛みと苦しみとの闘いで精一杯でした。手術の前に何故そのような気持になったのかを考えてみたら、それは私の師匠の言葉でした。これは師匠が私に言った訳でもなく、それを師匠が言った場所に私がいた訳ではありません。これは私の先輩に師匠が言った言葉です。その先輩は膝を人工股関節にする手術を受けたのですが、腎臓が悪く人工透析をしているために命の危険もある手術だったそうです。そのために手術するかを迷っていたそうです。その事を師匠に話すと、師匠は「死ぬにしても麻酔で眠っている間に死ぬわけで、苦しんで苦しんで死ぬわけではないんだから悪い死に方ではないし、手術が上手く行けば今より歩けるようになるんだろ。何も悪い事はないじゃないか?!良い事尽くめじゃないか?!悩むことなんて何もないだろ!」そう言ったそうです。手術の前に師匠の言葉を考えて、私は手術を決めたわけでは亡いけれども、私の考えは師匠と似ていたと思います。師匠の言葉は私の中に潜在的に生きているのだと思います。人生50年ですがら、私はここで手術をして生きていたと言う事は、神様に第2の人生を頂いたと思い、新たな気持で毎日に感謝して一生懸命生きて行きたいと思っています。人に対する愛情と感謝の気持を忘れず、弱い人や弱っている人に自分の手を差し伸べて生きて行きたいと思っています。私は今までは自分にも厳しいかわりに人にも厳しさを求めていましたし、努力しない人や一生懸命じゃない人や強くなろうとしない人は、ズルをしている、自分に甘えている、サボっている、自分に負けている人だと思っていました。自分が頑張ろうとしなければ誰も手は貸してはくれないよ、と思っていました。でも今回の手術とこの入院でお年寄り弱っている人をたくさん見て、その考えは大きく変わりました。変わりたくても変われない人、弱い人、自分は駄目だと分かっていてもどうにもならない人、頑張りたくても頑張れない人、もたくさんいると思います。そんな人に優しく接してあげたり、何も言わずに手を貸してあげたり、寄り添ってあげたり出来る人間になりたいと思っています。せっかく命を頂いたのだから、自分の人生を思いっきり楽しんで、人の役に立って生きて行きたいと思います。今回の手術も入院も私に取っては修行のような物でした。人と話す時間が少ないぶん、自分と話す時間が増えたり、本を読んだり、いろんな事を思ったり、いろんな事を感じたり、いろんな事を考えたりする時間をたくさん過ごす事が出来ました。リハビリでは、まだ歩けない子供が歩けるようになって行くような感じで、何も考えずに出来ていた事をもう1度1から出来るようにする努力をしました。自分の身体はこうやって動かしていたんだ、ここが痛くて動けないと上手く歩けないんだ、などいろんな事を考えながら自分の身体を動かす、とても良い勉強になりました。今回の手術と入院で「亀の甲より年の功」をたくさん身に付ける事が出来たと思っています。この経験を社会に出てたくさん役に立てなくては行けないなと思います。明後日は退院なので、朝起きて20分ウォーキングと体操と呼吸法、リハビリを40分とウォーキング10分、昼食後に筋トレとウォーキング30分、夕食後に筋トレをしました。だいぶ自然に歩けるようになりましたし、手術前よりはスムーズに歩けるようになったと思います。でもマダマダ自分の身体に馴染んでいない感じもします。手術跡の痛みとコルセットをしているような圧迫感と新しい足が自分に付いたような感覚が少し残っています。退院して終わりでは無いのでしっかり自分でリハビリをして人工股関節を自分の身体に馴染ませて行きたいと思います。輪違屋糸里を読み終わりました。もう明後日で退院ですが、明日からマイク・タイソン著の真相を読みたいと思います。


2023年09月06日(水) 人工股関節の重さと体重

朝起きて朝食前にウォーキング20分、朝食後に読書、昼食後にウォーキング30分、リハビリを40分、夕食後に筋トレをしました。こんな感じで退院に向けて結構頑張っています。足の傷口の腫れもだいぶ引いて来ました。痛みもなく夜も1時間おきに起きてしまうものの12時から6時の起床までしっかり眠れています。リハビリ室に体重計があったので計ってみたら88キロになっていました。私の股関節に入っている人工股関節は、カップ(約50g)ライナー(約20g
)骨頭(約60g)ステム(約100g)の4個のパーツで出来ていて合計約230gの重さがあります。私は両股関節が人工股関節なので両方の合計は460gとなります。ですが大腿骨も削って大腿骨の骨董の骨頭も取って、股関節の方も削ってるのでそれを引くと400g重くなっているそうです。
400gの物と調べて見たら豆腐一丁、缶コーラ1個とかが400gらしいです。片足豆腐半丁ずつ足が重くなっていると考えれば良いのかもしれません。400g重くなったとしても手術前より2キロは体重が減っています。手術後の苦しみと病院食のおかげかもしれません。これはハッキリとではないのですが、手術後の痛みと苦しみが無くなってから鏡を見てふと気付いたのですが白髪が凄く増えました。特にもみあげの所がほぼ白髪になったように感じます。北斗の拳のレイを思い出しました。一晩痛みに耐えて部屋から出て来たレイの髪は真っ白になっていたシーンを思い出しました。まああそこまでは行きませんが、痩せて白髪が増えるほどのダメージは受けたのだと思いました。6時に起きて規則正しい生活はしているので、心も身体もさほど鈍ってはいないと思います。退院しても残り3週間は絶対に転んだり出来ないので気持を引き締めて行きたいと思います。今回の手術をして本当にいろんな事に気付けたので手術して良かったなと思っています。自分、命、生きる、死ぬ、歳を取る、健康、愛情、感謝、本当にいろんな事を思い、いろんな事を感じ、いろんな事を考えさせられました。退院したら心も身体も50歳らしい人間になっているはずです。退院の日は家まで歩いて帰り、妻の手料理でビールとワインで乾杯したいと思います。


2023年09月05日(火) 痛みと闘っていた数日を思い出し

入院17日、術後15日となりました。私は寝る時と食事と映画を見る時以外は病室にいたり、ベットの上にいないように心がけています。今日は朝に20分間病棟をウォーキングし、リハビリを40分間、リハビリのあと10分ウォーキングしました。リハビリでは外を歩きました。横断歩道を渡ったりと少し長い距離を歩きました。晴れていて暑かったのですが、その暑さがとても心地よかったです。今日はシャワーを浴びる事が出来ました。あの痛みや苦しみの経験があったから、普通の事が普通ではなくなり、何をしても幸せと感じるようになりました。そこで今日は私が痛みと闘っていた数日の事を改めて思い出して見ようと思います。先ずは手術室で目を覚ました。18時ぐらいだったと思います。手術が終わったんだなと言う事は足と腰の痛みと共に直ぐに分かりました。ただ頭はぼーっとしてあまり考える事は出来ない状態でした。手術が終わったんだなと書きましたが、正確には「生きていたんだな」と思いました。そのままHCU(高度治療室)に運ばれ、身体には点滴の管が3本、尿の管が入り、心電図の電極が胸の辺りに沢山付けられていて、酸素マスクをし、右の指には酸素濃度計が付けられ、足は足を固定するパットの上に乗せられて身体はピクリとも動かせません。足は局部麻酔がしてあり足の感覚はあまりありません。頭がぼーっとしている、吐気、足と腰の痛み、身体に力が入らない、そんな状態でした。手には痛み止めのボタンとナースコールのボタンをずっと握っていました。痛み止めのボタンは押すと痛み止めが出るのですが、あまり効きません。そして押しても30分に1回しか痛み止めは出ないようになっています。血圧が低いので病室で輸血も行いました。身体がとても暑く、息苦しく、頭を上げたいのですが血圧が低いため上げる事が出来ず、強い痛み止めが使えず、足を下に下ろせず。身体を動かす事が出来ず、そして夜中からは喉の乾きの苦しさも加わって来ました。口の中が完全に乾いている状態がずっと続いていました。血圧が上がって来たので夜中の12時頃に少し強い痛み止めを打てるようになりましたが、それは全然効きませんでした。朝の6時に水が飲めるようになり、8時に朝食でしたがほぼ食べる事は出来ませんでした。でも食べないとロキソニンの痛み止めを飲めないので、痛みを和らげたいために、必死におかゆだけ食べてロキソニンを飲みました。でも痛みは全然変わりませんでした。9時に一般病棟に戻るので心電図の電極、酸素マスク、点滴の管が1本、身体から外れました。一般病棟に戻りここで足を乗せていたパットから足を外し、足を下に下ろす事や頭を上げる事や身体を動かす事が出来るようになりました。ここからは自由に飲み物を飲んだり、スマホを見たりDVDを見たり出来るようになりました。でもここからも次の日のお昼ぐらいまで痛みとの闘いとなりました。ずっと机の上に突っ伏していました。気を紛らわすため、身体をうちわで仰いだり、腰をさすったり、飲み物を飲んだり、スマホでブログや文章を書いたり、家族の写真を見たり、していました。月曜日、火曜日は一睡も出来ませんでした。点滴や尿の管が付いているため基本ベットの上から動けません。水曜日のお昼の検診で痛みの酷さを相談し、昼過ぎに1番強い点滴の痛み止めを使ってもらいました。ここからは徐々に痛みが減って行きました。でも水曜日の夜もほぼ眠る事は出来ませんでした。木曜日は痛みから完全に開放され楽になりました。手術後の痛みとの闘いはこんな感じでした。痛みや苦しみとの闘いの中で自分を1番支えてくれたのは家族への愛情でした。家族の存在がなければ私は痛みに打ち克つ事は出来なかったかもしれません。痛みとの闘いは弱い自分との闘いでした。弱い自分の本性を見ました。その時に自分を支えてくれ、自分を強い気持ちにさせてくれたのが妻と長男と次男の存在でした。一緒にいなくても妻と長男と次男がこの世に存在している事だけで私に力を与えてくれます。そしてもう1つ痛みと戦う中で感じた事は自分に関わってくれた方々への感謝の気持でした。愛情と感謝が私の支えとなってくれました。心が頑張って身体を支えてくれました。その原動力が愛情と感謝と言う力でした。人間の本性は本当に弱いけれど、愛情と感謝が人を強くしてくれるのだと思いました。結局は自分のためなのですが、自分のためだけなら頑張れない事も愛する人のためなら頑張れると言う事です。だから自分自分と言う人は自分の持っている60%の力を100%と思い込み、自分の最大限頑張っているんだけど結局60%しか頑張れていないと言う感じて、愛する人のためと思って頑張っている人は自分の限界を大幅に超え、自分の力を120%出せてしまうと言う感じだと私は思います。これから亡くなる人や戦争に行く人が最後に残す言葉は誰かに対する愛情と感謝だと言う事が、私も今回の事で身を持って知りました。痛みと闘っている時に、亡くなってしまった前橋さんの言葉を思い出しました。癌になったのが旦那さんや息子さんではなく、自分で良かったと前橋さんは言いました。その言葉の意味が私は痛みと闘いながら、本当にそうだなと思いました。私は死にたくないです。もっともっと生きたいです。でも妻や長男や次男の命が自分の命と交換に助かると言われたら、迷わず自分を選ぶと思いますし、愛する人にこの苦しみを感じさせたくないと思わない人はいないと思います。痛みと苦しみの中で眠れない時間に本当にいろんな事を思い、いろんな事を感じ、いろんな事を考えました。この体験を絶対に無駄にしないように生きて行こうと思います。


2023年09月04日(月) 退院日が決まる

今日、担当の医師の臨床を受けて9月9日(土)に退院出来る事となりました。でも医師に絶対に転ばない事、足を捻るような動きはしない事を言われました。もし人工関節が入っている部分の大腿骨がもし割れてしまったら、もう元の身体には戻れないと言われました。大腿骨に穴を開けてそこにステムと言われる物を深く埋め込んでいるのですが、そのステムと大腿骨が馴染むまでは大腿骨はとても弱いそうです。ステムの周りの骨は薄くなって入るので転んだりして、そこに衝撃が加わると骨は割れたり砕けたりしてしまうそうです。ステムと大腿骨が馴染むまでには6週間はかかるそうです。なのでそこまでは絶対に気を抜かないで欲しいとの事でした。自分が思っていたより事は重大な局面なようです。医師には「痛くなくなって動けるようになってからの方が気を抜いて転んでしまうので本当に怖いからね。そんな時に限って悪い事が起こるから本当に気を付けてね。」と言われました。その話を聞いて凄く怖くなりました。絶対に気を抜かないよう生活しょうと思います。自転車には乗れるけれども転んだら駄目なので絶対に自転車には乗らないよう言われました。まだここから少し不便をおかけしてしまう事になりそうです。道場生、ご父兄様にご協力頂きながら、道場を運営して行きたいと思います。今日は傷口を保護するテープが取れました。傷口は綺麗にくっついていました。もし傷口に菌が入ったら事によっては死に至る事もありますし、菌を取り除くために大変な手術になると聞いていたので、あまり動いて汗をかいたりしないよう気を付けてリハビリをしていました。傷口に関してはこれで一安心です。今日は、リハビリでも手術前より楽に上手く歩けるようになった感覚がありました。手術前はお尻の横と内股の当たりが痛く前側が突っ張って足が前に進まない感じでしたが、今日のリハビリでの歩行訓練では足が前に出て踵から地面に着地しえ爪先で最後に地面を蹴ってテンポよくスタスタ歩ける感じがしました。本当に嬉しかったです。本当にいろんな人にいろんな事にいろんな物に感謝です。人はいろんな人に手を貸して頂き、いろんな人に支えてもらい守られて、沢山の人にご迷惑をおかけして、沢山の人にお世話になって生きていると言う事を感じています。自分が生きている事に感謝しかありません。
今日は心と言う事について考えてみたいと思います。心っていったい何処にあるのだろう?と思います。心って人間の身体の何処にあるのだろう?と思います。私は心って、自分が何かを思う所にあるような気がします。誰かを愛していると思った時に胸がキュンとなります。何かを頑張ろうと燃えた時に胸が熱くなります。だから私は勝手に心は胸のあたりにあると思っています。人間は頭で考え、心で思い、腹で決め、身体の全ての機能で感じる、と私は考えています。人間の身体は何が動かしているのか?私は心で動かしていると思います?だから心が折れてしまうと身体はもう動きません。だから心が健康じゃないと身体も健康じゃなくなります。もちろん身体が健康じゃないと心も健康じゃなくなくなります。心と身体は密接に繋がっています。私はその事を今回の手術後に痛みや苦しみと戦いながら感じました。痛みや苦しみの中でもう現界だと思う場面でも妻や長男や次男の事を思うと私の心はつよくなり、現界間近の身体を支えてくれました。人は自分のためだけに生きているように感じますが、以外に自分のためじゃない物のためにのほうが頑張れるのではないかなと思いました。これからは誰かの心の支えになったり、誰かの心を解してあげたり、誰かの心を軽くしてあげたり、誰かの心を熱くさせるような人になりたいと思います。


2023年09月03日(日) 入院15日目

今日で入院15日です。1ヶ月の半分を病院で過ごしたという事になります。こんなに長く入院したのは17歳の時に膝を手術した時以来です。その時に入院した病院は外のコンビニにも買物に行けましたし、病院内を何処でも自由に行く事が出来たので、何か自由にやっていました。屋上で稽古したり、友達もたくさん面会に来てくれたり、もう時効と言う事で話せば、私がどうしてもびっくりドンキーでハンバーグが食べたいと言うと友達が車でびっくりドンキーに連れて行ってくれました。時代もあってその辺が緩かったのか?若さもあったのか?本当に自由にやっていました。その病院に入院した時の事で凄く覚えている事があります。1つは手術後先生の臨床を受けて内側側副靱帯の完全断裂と前十字靭帯断裂の部分断裂で手術が上手く行ったとは言え空手の試合に出ると言う事は、再断裂する可能性が高いから止めたほうが良いと言われました。私はその話を聞いても絶対に空手の試合に出るんだと思いましたし、自分なら絶対に出来るという自信も何故かありました。私の右足にはその時のチタン製のピンが今でも入っています。もう身体の一部になっているので取れないそうです。私はその日の夜、病院の屋上で基本稽古の手技と拳立てをやりました。拳立てをしながら涙が出てきました。絶対に空手をやるという事を自分に知らしめるために稽古をしたんだと思います。稽古をしてこれからどうなるか分からない不安と闘っていたんだと思います。稽古をする事で弱い自分と闘っていたんだと思います。もう1つは入院中に辰吉丈一郎選手の試合を公共スペースのTVで見た事です。私はその時、自分もいつか空手の試合でTVに出て見せるとその時一緒にいた友達に言いました。それから10年後、本当に私は空手の試合でTVに出る事が出来ました。ブラウン管の中にいる自分を見て、その時の事を思い出しました。今回入院している病院は自分の入院している病棟以外は何処にも行けないので、その点は本当に暇ですが、私も50歳になって落ち着いたのか?本を読んだり映画を見たりして、ちゃんとルールを守ったうえで時間を有効利用しています。17歳の時も入院中に本や雑誌を読みました。影武者徳川家康と格闘技通信とパワー空手を読んでいました。今回は壬生義士伝を読み終え輪違屋糸里を読んでいます。これを読み終えたらマイク・タイソン著の真相を読もうと思っています。今日は死と言う事について考えていました。死と言うものを今回の入院でとても近い物に感じましたし、痛みや苦しみと闘っていた時や自分で自分の身体を動かす事が出来ないためトイレの事など介護を受けている時に、死ぬ時もこんな感じなんだろうな?!と思いました。でもその苦しみの中でたぶん家族や自分に関わってくれた人達への愛情や感謝を感じているだろうと思います。死ぬと言う事から逃げる事は出来ません。死ぬと言う事は生きて行く先に必ずある物で、この世に生を受けた以上、それから逃げる事は出来ません。どんな人にも唯一、平等に訪れる物です。死ぬと言う事を深く考えて行くと、じゃあどう生きるか?と言う事にたどり着きます。死というものは生きる事の終着点で、生と死は分けるものではなく、生の最後の一部なのかもしれません。だから死にたどり着くまでにどう生きて行くか?それを考える事が死を考える事になります。私は死にたどり着くまでにどう生きて行くか?を毎日考えています。今回の手術での事でそうですが、同じ病棟に入院している方々を見る事で、死を身近な物として感じる事が出来ています。死を間近に意識して、これから自分の人生の先にある死までどう生きてそこに辿り着こうか?そう真剣に考えた時に私の頭に浮かんだ事はとてもシンプルでした。もう欲しい物もやりたい事も行きたいところもありません。私はもうそれを手に入れていますから、それをいかに大切に生きて行くか?です。極真空手と道場と家族を大切に一生懸命に真摯に生きて行きたいと思います。
私は死と言う物は自分の終わりと捉えています。生まれ変わりもあるのかもしれませんし、輪廻転生も否定はしませんが、私は死は自分の完結だと思っています。無から始まって両親のおかげでこの世に生を受けて、死んで無に戻るのが人生という物だと思っています。私は今回の手術で麻酔をされる時に悔いを残さないように極真空手と妻と長男と次男の事を考えました。その次の瞬間が5時間後です。でもそれは次の瞬間ではなく5時間後なのですが、私にとっては次の瞬間でした。もしあのまま目を覚まさなかったとしたら死んでいる時間はずっと瞬間なんだと思います。そう考えると死はそんなに恐ろしい物ではないのかもしれません。死は恐ろしい物ではないとしても、私は生きれるならずっと生きたいです。自分の身体が動くうちは生きていたいです。生きていたいとおもえるものがこの世界にはいっぱいあります。極真空手、家族、友達、ワンピース、呪術廻戦、チェンソーマン、映画、音楽、青空、桜、妻の料理、ラーメン、ビール、ワイン、コーヒー、こんなに素晴らしい物がたくさんあるこの世から去りたい訳がありません。だからこの世に生きている時間を今まで以上に大切にしたいと思います。好きな人には好きってたくさん言おうと思います。本当に死を意識したら残る物は愛情と感謝と楽しむ事だけです。この世の不満なんて全部吹っ飛びます。今日はリハビリで14日ぶりに外を歩きました。夏の暑さが心地よかったです。退院の日、私は家まで歩いて帰る事に決めました。新しく生まれ変わった自分の足で太陽の暑さを感じて汗をかいて歩ける事に感謝して一本一本地面を踏みして家に帰りたいと思います。


2023年09月02日(土) 入院14日目

今日で入院から2週間と手術後13日となりました。朝と夜の検診での体温は平熱になったのですが、血圧が低く、まだ貧血なようです。リハビリは前に進んでいます。寝て足を揃えて膝を立ててそこから膝を開いて行く事が出来るようになりました。階段の昇り降りも少しですが出来るようになりました。そしてやっとぐっすりと眠る事が出来るようになりました。12時に眠り3時半ごろトイレのため1度目を覚ましましたが、トイレから戻りもう本当に眠り、朝の6時までしっかりと眠る事が出来ました。まあ元気なのですが、血圧が今日は98とかなり低く出てしまっています。輸血をしたとはいえ、一時は血液の20%を失ったのですから、そう簡単には元には戻らないのかもしれません。掌が白くてアッカンベーをした目の下が白いのでやはりまだ本調子では無いのかもしれません。今日はリハビリ以外に朝の体操と病棟10周ウォーキングと昼の病棟10周ウォーキング、夜の筋トレで20秒腹筋35回、足上げ腹筋30秒×3、スクワット20回×2、カーフレイズ100回、腕立て伏せ30回×3、ディップス30回×3、首筋70回をやりました。今日から輪違屋糸里を読み始めました。今日も妻が面会に来てくれました。妻はいつも15時から16時ぐらいに来てくれるのですが、それまでが待ち遠しく、妻が帰ると一気に寂しくなります。夜は家族とテレビ電話で話します。子供達の顔を見て話せる事はとても楽しいのですが、やはり電話を切ったあとはとても寂しくなります。1人とは寂しいもんだなと思います。長男と次男の喧嘩してる声も悪くない気持になります。今週1週間が終わり生徒達も頑張って稽古してくれているようです。本当に嬉しいです。あと1週間入院する事となりますが、道場に戻ったら全力で頑張ろうと思います。これから20年、道場生と元気に稽古をするために今回の手術を決めたので、戻ったらまた皆と楽しんで稽古して行こうと思います。


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