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手術が終わって何日間で1番大変だった事はダントツで痛みと苦しみですが、2番目はナースコールをする事でした。ナースコールと1つにまとめましたが、1つ目は「痛い」「苦しい」と人に言わなければいけない事でした。これは本当に大変でした。痛いと言う事は自分の弱さを見せる事になります。でも痛いと言わなければ対処はしてもらえません。看護師さんもとても忙しいので、悪く言うと我慢が出来るのだなとみなされ放っておかれてしまいます。ナースコールもしなければ来てはくれませんし、ナースコールをしても忙しい時ななかなか来ては頂けません。そのナースコールを最初の日は看護師さんの顔が曇るぐらい押しました。2日目も夜中に何度も押しました。3日目も何度も押しました。今回の事で「痛い」と言う自分が1番言いたくない言葉を何度口にしたか分かりません。本当に本当に屈辱の每日でした。看護師さんに「最高に痛いのを10として今どのくらいですか?」答えは「10」それが約3日間続きました。3日目はもう我慢が出来なくて「今の痛み止めは全く効きません。打っても1時間経っても効かない、何も変わらないまま、6時間痛みを我慢している感じです。もうまる2日間一睡も出来ていません。居眠りすら出来ません。食事も出来ません。薬を飲むために仕方なく我慢して少し食べています。身体は手が痺れて力が入りません。今日もし痛みで眠れなければ肉体的にも精神的にも限界です。」と話し、身体に対する副作用に承諾し1番強い痛み止めを使用して頂いたり、腰に湿布を貼って戴いたりという対処がして頂けました。もっと痛いと言っておけば良かったなと思います。もしこれから手術などをする方がいましたら、痛いと言う事は恥ずかしがらずに大袈裟なぐらい言ったほうが良いと思います。ナースコールももう1つはトイレです。最初の2日間は尿の管が入っていますが、それがいっぱいになった事を看護師さんにナースコールで伝えなくてはいけません。管が取れると今度はもっと大変です。私はトイレが近いので1時間毎にナースコールをしてトイレに連れて行って行かなければ行けません。身体が悪くなったら人間の尊嚴などと言っていられません。1番恥ずかしい姿を見られ1番恥ずかしい事を人に言わなくてはなりません。私の恐怖は大の方でした。看護師さんに「足が安定するまでは動けけませんので、大の方はベットの上でしてもらいます。」と言われた時に、もししたくなったらどうしようと思いました。結局大の方は動けるようになってからだったので大丈夫でしたが、痛みと戦いながら、入院初日に私の隣のベットの方が1日に何度かベットで大をしている時に「臭い」と思ってしまった事を本当に本当に申し訳ない気持になり、本当に本当に反省しました。自分がどれだけ自分勝手で思いやりと優しさのない駄目な人間なのか?を思い知らされました。痛みが無くなり、自分の身体から管が全て外れた時にやっと人間らしい気持になりました。看護師さんには本当に本当に感謝しております。本当に本当に献身的に接して頂きました。本当に優しい人じゃなければ看護師にはなれないと思いました。懺悔として1つ恥ずかしいエピソードを書いておきます。夜中にトイレに行きたくなりました。小の方ですが、痛くて起き上がるのも時間がかかります。靴を履くのも時間がかかります。看護師さんをナースコールで呼んで、看護師さんが来るのも時間がかかります、看護師さんが来てトイレに連れて行って頂き、便器に移動します。それも時間がかかります。なれない体制でトイレをするのでまたまた大変です。用を足し終わり、ふと気が付くとパンツとズボンが汚れています。もう情けない気持になります。今度帰るのも看護師さんを呼んで帰るので、何とかバレない程度まで何度も何度もトイレットペーパーで拭きました。何とか看護師さんにその事はバレずに部屋に戻ると今度は着替えです。たぶん数10分かかったと思います。それも傷みと戦いながらやらなければ行けません。これから手術をする方がいましたら、そんな事は恥ずかしがらなくて良いと思います。恥ずかしい何て言っていたら身体を悪くしたら生きて行けません。もう赤ちゃんになるしか無いのだと思います。人間はそうやって生まれて来て、そうやって死んで行くしかないのだと思いました。
手術後1週間が経ち、担当医から臨床を受けました。先ずは手術が大幅に時間がかかってしまったそうです。私は普通の人よりも倍ほど筋肉が太いのですが、その筋肉を切らないよう手術をしたために時間がかかったそうです。本当に感謝します。いい加減な人なら、もう筋肉が太くて無理だから少し筋肉を切ろうとなってしまうかもしれません。そのあと大腿骨に穴を掘った時に大量に出血してしまったそうです。大体20%ぐらいの血をうしなったそうです。なので自己血を輸血したそうです。そのために血圧が80以下に下がり貧血状態が続いているのだと言われました。だから痛みが無くなっても身体に力が入らず気持ちの悪さと疼きのような物を感じていたのかと思いました。そして手術2日間ぐらい手が真っ青で手が痺れて力が入りませんでした。貧血の具合、傷の腫れなどを考慮してあと2週間の入院と言われました。私も来週に退院しても日常生活が出来る気がしないので、しっかり入院して、しっかりリハビリしょうと思います。道場生、ご父兄様にはご迷惑をおかけしますが、あと2週間の入院になりそうです。毎日の検診で気になるのは体温が37度以上ある事と血圧が103と低い事です。あとこの1週間でメチャクチャ痩せました。でも痩せたのは少し嬉しいです。今日はショーシャンクの空に、とバットマン・ビギンズとスター・トレック・ファーストコンタクトを見て壬生義士伝を読みました。リハビリはマッサージを受け、筋トレをしました。何とスクワットが出来ました。スクワットは手術前は股関節が痛くて出来なかったので、とても嬉しかったです。そして今日から杖歩行になりました。傷口の腫れなどで痛くて出来ない事もあるけど人工股関節になった事で出来るようになった事もどんどん発見出来ています。今日は昼に長男と話し、午後は妻が面会に来てくれました。面会の15分、話は止まりません。でも妻が帰ると一気に寂しくなります。今日は自分の罪を懺悔したいと思います。私は4人部屋に入院しています。私以外の方は1人では起きる事が出来ないご年輩の方です。なのでトイレは尿管に管が入っていて大きい方もベットで行います。そして苦しさから「うう〜ん」と絶えず唸っています。入院初日、私はトイレの大をされる時に臭いと思ってしまいました。自分が手術をして痛みで苦しい時にその事を思い出し自分を恥じましたし本当に申し訳ないと思いました。自分の弱いところだけでなく自分の悪いところとも向き合いました。自分という人間は本当に自分の事しか考えていない駄目な人間だなと思いました。人に対する愛情も感謝の気持も全然無い人間だったなと思います。残りの人生で自分をもっと良くして行きたいと思います。昨日は結構ぐっすり眠れましたが、何故かやはり夜中に何度も目を覚ましてしまいます。早く長くぐっすり眠れるようになりたいです。私は今、健康の事を調べまくっています。脳梗塞、癌、心筋梗塞、糖尿病、腎臓病、肝臓病、その病気に何故なるのか?どのような予防方法があるのか?良い食べ物は?悪い食べ物は?そんな事を調べまくっています。
入院をした日から数えて1週間が経ち、手術を終えて6日となります。私は手術のあと血圧が80ぐらいに下がってしまったせいもあり、輸血をしました。そして血圧が低いせいで頭を上げる事が出来ず、強い痛み止めを使う事が出来なかったそうです。痛み止めを打つと意識レベルが下がって昏睡状態になる恐れがあったそうです。本当に今考えてもあの痛みは尋常所なかったです。あとあの喉の乾きと暑さも尋常じゃなく、身体を動かせない事で腰が猛烈に痛くしんどかったです。そしてその痛みと苦しみがその次の日もその次の日も続く事のです。あの痛みと苦しさはまだ自分の身体の中に痛みの余韻と恐怖の余韻が残っています。術後6日が経っても夜は少し痛みが戻り1時間おきに起きてしまうのであまりぐっすり眠れていません。看護師さんと相談して、今日から夕食後6時すぎに飲んでいた痛み止めを寝る直前に飲むようにしてみます。ぐっすり眠りたいです。今日はスリーハンドレットとダーク・ナイトを見て壬生義士伝を読みました。リハビリでは、寝てうつ伏せになる事、横向きになる事、お尻上げ、膝を畳んで自分の方に引き寄せて膝蹴りのように上に上げる動き、膝を畳んで左右に倒す、杖での歩行訓練をしました。新しい動きがたくさん出来るようになりました。そのリハビリとは別にもう一回自分でリハビリする時間を作っています。そして7日ぶりにシャワーを浴びる事が出来ました。髪は3回洗いました。見た事が無いぐらいに髪の毛が抜けました。お湯を身体に浴びて身体をよく洗い本当に気持が良かったです。まだまだ日常生活に戻るのには時間がかかるか事は確かですが、自分がどんどん前に前進している事を感じる每日です。当たり前に出来た事を1から出来るようにしていくと今まで自分が身体をどのように動かくしていたのかがより深く理解できるようになりました。これも新たな感覚です。まだ私は貧血なようです。血圧も108とかしかありません。低い方が身体に良いわけではないようです。体温も37度ぐらいあります。まだ万全では無いんだなと思います。今日の昼に長男とテレビ電話で話しました。ギターの演奏を聞かせてくれました。私がいらぬアドバイスをしても素直に聞いてくれました。わたしが弱ってるから優しくしてくれてるのかな?と思いました。とても嬉しかったです。今日は自分という人間についての考えて見ました。何かを考えたり思ったり感じたりするは少し長けていますが、頭の回転は悪いし、何かを覚えるスピードが遅く、公式に覚えて、違う状況の中でその公式に当てはめて答えを出す事が苦手です。仕事を習ったようにしか出来ない人は長くその仕事をしていろんな状況を経験し、また同じような事が起きた時にそれに対処すれば良いと思います。私はこの同じ事を続け経験し記憶して身に付けるタイプの人間だと思います。でも長くやればそれなりの物が見えてくるのでなかなかな事が出来るようになります。もう1つは物事の公式を掴んでしまい、他の事にもどんどんその公式に当てはめて正解を予測して答えを出してしまうタイプの人間だと思います。ここにもそれなりの経験と記憶も大切なんだと思いますが、たぶんこのタイプが天才と呼ばれる人なのだと思います。このタイプの人間は実は私の周りにたくさんいます。でもけっこう要領が良すぎて損してる人も多いかもと思います。私は人の言う事は鵜呑みにはしません。必ず自分でやって見て自分なりに答えを出さないと納得が行きません。私は頑固です。1度決めたら誰に何と言われようとやります。そうなると私を止める事は誰にも出来ません。私は石橋を叩きすぎるほど叩く人間です。でも決断したら誰よりも早く行動に移し大胆に物事を行います。私は自分の事がこの世で1番大嫌いです。でも私は自分の事がこの世で1番好きです。それは自分の悪いところや弱いところを自分が1番よく知っているからです。私はコンプレックスと不満の塊です。でもそれを努力して克服した自分をよく知っているし、頑張って無理してカッコつけて生きてる事もよく知っているので、その点で自分を好きでいられます。こんな自分で50年です。これから何年生きるか分かりませんが、せっかく命を頂いて生きているのですから、もっともっと自分を好きになれるよう自分を高めて行きたいと思います。
痛みからは完全に開放されました。今痛い所は手術で切った場所の腫れだけです。でもそんなのあの痛みに比べれば、痛みが無いのと同じです。身体にダルさがあり、やはりまだあまり眠る事が出来ません。どうやらかなりの貧血でまだ熱もあるようです。でもあの痛みが無くなったので毎日快適です。景色も綺麗に見えてご飯もとても美味しいです。今日は1時間、リハビリを行いました。マッサージを受け、筋トレをして、ストレッチをして、手すりでの歩行訓練をしました。そして今日から車椅子生活にサヨナラをして、歩行器での生活になりました。今日も大きく成長しました。今日はレッドクリフとセント・オブ・ウーマンを見て、壬生義士伝を読みました。妻も面会に来てくれました。妻が来てくれるのが待ち遠しく、妻が来るとずっと私はしゃべっています。妻が帰る時は本当に寂しいです。妻が見えなくなるまで見ています。今日はエレベーターが閉まるまで妻を見ていました。術後初めて髭を剃る事が出来ました。身体に余裕が出て来たおかげだと思います。今日は映画を見たり本を読んでいる以外の時は空手の事をずっと考えていました。空手は言って見れば、人を殺す技術です。人を殴ったり蹴ったりする技術です。それは社会の中の法律でやっては行けない事です。では何故やっては行けない事を学ぶのでしょう。それは自分の命を守るためです。そして自分の大切な人の命を守るためです。殺さなきゃ殺されるのは自分です。自分が頂いたこの大切な命を守るために人間は生きています。生きると言う事は自分の命を守る事です。食べる事も仕事する事も生きて行くためにやっている事です。人間は生きて行くために生きているのだと思います。でも自分の命や自分の尊厳や自分の大切な物を自分の力で守らなければ行けない時があります。法律は公共を守るためにあるので、個を守る事が出来ない物です。人を殺すのは良くない事です。当たり前です。動物を殺すのは良くない事です。当たり前です。じゃあ人間は何で動物を殺して食べるのでしょう。自分の命を守るために人間は動物を殺して食べるのです。自分の大切な命を守るという事が生きると言う事だと思います。だから自分の命や自分の大切な人を命を奪おうとする事や自分の命を奪おうとする物から自分や自分の大切な人を自分で守らなくては行けません。私はそんな事が起きたら、ただでは私の命も私の大切な人の命も渡しません。全身全霊でそれに立ち向かいます。そのための修行が空手だと思います。でもそんな事に使う物を身に付けるからこそ、人間としてやっては行けない事、間違った事に力を使わない事、自分の力を使うべき事の分別や、人間としての礼儀や謙虚さや正しく生きる事を学ぶのだと思います。そして自分の身に付けた事で自分を良くして行く事が大切なのだと思います。
痛みからは開放されたものの、まだ体調が悪いせいか眠っても1時間おきに起きてしまい、やはり5時間程度しか眠る事が出来ませんでした。でも点滴で打つ強い痛み止めがいらなくなったので身体に入っていた点滴の管3つ全てが取れました。凄く身体が自由になった感じがします。朝6時に体温、血圧、酸素量の検診を受け、8時に朝食と薬を摂り、昨日のリハビリを自分でやりました。今日は劇的に体調が良くなって来たので壬生義士伝を読んだり、映画は幸福の黄色いハンカチ、バットマン・ライジングを見ました。昼ごはんと薬を摂り、15時20分から40分リハビリをしました。病院食のおかげと手術と痛みで衰弱したおかげで、たぶん体重が4〜5キロ落ちています。お腹周りなんて自分で見て分かるぐらい細くなりました。血圧も上が110ですごくよいです。手術後は血圧が80ぐらいに下がってしまい、頭を上げたら昏睡状態になってしまうため枕も出来ず、以前取っていた自己血を輸血しました。本当にヤバかったそうです。血液の酸素量もずっとアラームがなっていて、ずっと酸素マスクをしていました。そして人工股関節がまだ安定していないためピクリとも動けず、ずっと痛みと戦いました。今思い出してもあの痛みに恐怖を感じます。私は家族に支えられ頑張る事が出来ましたが、本当に本当に辛く苦しい3日間でした。一人だったら頑張れただろうか?極真空手をやっていなければ今回の手術も無いわけですが、極真空手をやっていなければ、あの痛みに耐える事が出来たろうか?と考えてしまいます。2日間は全く眠れず、3日間は一時も痛みは消えず、夜中もずっと私の腰ぐらいの高さの机に突っ伏していました。部屋は真っ暗なので心も少し落ち込みましたがその間、私がやっていた事はブログや自分の日記を書いたり家族の写真を見たり極真空手の動画を見たりしていました。そうやって終わりが見えない苦痛と戦うために自分を鼓舞していました。一瞬でも気を抜いたら弱気になっていたと思います。痛みで自殺を考える人の気持がよく分かりました。私は家族がいたから、そんな考えには一瞬たりともなりませんでした。でも一人だったら分からないなと思いました。人間なんてそんなに強くないです。でも人間はそんなに弱くもないと思います。自分のためだけなら頑張れなくても誰かがいてくれたら頑張れるものです。愛している人がいれば自分がどんな状態でも頑張って生きようと思えます。今日はその痛みから完全に開放された喜びの中を生きていました。だから考えもポジティブになり青空がとても輝いて見えました。妻が面会に来てくれた時は女神に見えました。昨日、手術後にはじめて夢を見るぐらい少しですが深く眠る事が出来ました。喧嘩している長男と次男を「バカヤロー!」と怒鳴る夢で、たぶん私は実際にもバカヤローと怒鳴っていて、その自分の声で目を覚まし、もう眠れなくなってしまいました。長男と次男をあんなに愛しているとか世界一可愛いと言っておいて、手術後にはじめて眠れて見た夢が長男と次男をバカヤロー!と怒鳴る夢なんて笑ってしまいます。痛みが無くなったせいか、そのあと1人で笑いが止まらなくなってしまうぐらい笑らいました。私は退院したら2人をハグして「愛しているよ!ありがとう!2人のおかげでがんばれたよ!」と言います。でもやっぱりまた普段の日常になったら2人に「バカヤロー!」と言って、食べているゆで卵を投げちゃったりするんだろうと思います。私は昨日の夜中にある事を考えていました。それは自分が50歳だと言う事を受け入れて生きて行こうと言う事でした。先ずは体重を80キロぐらいにして、筋肉量を増やすようなトレーニングも止めて1日のタンパク質の量も100グラムぐらいにして、トレーニングも稽古も50歳と言う年齢に見合ったトレーニングと稽古をして行こうと思います。道場生にもチャンピオンを目指す人、初心者、中級者、上級者、幼年、壮年、女性に合わせた最高の稽古メニューを作りたいと思います。その人が健康に行えるメニューを考えたいです。でもやはり若い人には、たった1度の人生なのだからチャンピオンを目指してもらいたいと思います。私も自分の身体がこうなっても、あの時頑張った事が自分の財産だし、あれがなければ自分の人生はつまらないものだったと思っています。だから身体を壊しても良い覚悟がある人にはそんな指導もしたいです。そして生徒一人一人にもっともっと愛情を持って指導したいと思います。心や身体の弱い人にこそ優しく丁寧に愛情を持って指導したいと思います。そしてもっと生徒一人一人とコミュニケーションを取って行きたいと思います。悩みがある人や困っている人の話を聞いてあげたりしてあげたいと思います。私はけっこう強いので、人に差し伸べられる手は持っていると思います。その手を差し伸べないのなら、その手を持っていないのと同じです。だからこの手をもっともっと人に生かして行こうと思います。今日のリハビリでは歩行器無しで歩けるようになりました。まだトボトボですが少し歩けました。歩行器で病棟を一周しました。当たり前で無くなれば、当たり前に出来た事にも喜びを感じる事が出来ると思いました。私の人生は今たぶん、自分が登って来た山を降っている状況にあると思います。でもちゃんとその景色を楽しんで喜びを感じて生きて行く事が出来ると今回の出来事で確信しました。そんな事も空手を通して生徒一人一人に伝えて行きたいと思います。廣重師範が亡くなる3日前にお会いした時も師範は「寝ながらでもやれる稽古があるんだよ。今まで稽古を続けて来たからそれが出来るんだよ。」と言っていました。その時の言葉も思い出しました。今日は20歩ぐらい前に成長出来た1日でした。幸福の黄色いハンカチを久しぶりに見て泣いてしまいました。本当にいい映画だなと思います。私が子供の頃の大人の男ってあんな感じでした。本当にお勧めしたい作品です。あと夜中に中島みゆきの歌やラジオのトークを聴いて泣いてしまいました。痛みから開放されたおかげでいろんな事を感じたり考えたり思ったり出来るようになりました。そして時間はたくさんあるのだから本を読んだり映画を見たりしていろんなコトを感じて考えて思って自分を高めて行こうと思います。痛みが無くなったおかげで明日がとても楽しみです。明日が輝いています。明日も朝起きて青空を見るのがとても楽しみです。
昨日は1時間おきに起きてしまうけど、何とか眠れました。やっと痛みから開放されて本当に幸せです。朝起きて公共スペースから見た青空がとても特別な物に見えました。痛みが消えた事で見える景色も変わる物です。この景色を見てもそうは見えない人も世の中にはたくさんいるのだと思います。自分が変れば同じ景色を見ても見え方が変わるのだと思います。これからはそういう人に手を貸せる人になりたいです。今日は1時間リハビリをしました。昨日までは生きている事で精一杯でした。自分が普通の生活に戻れるなんてイメージが出来ませんでした。これはもう完全な動きが出来る身体には戻れないんじゃないかと不安でした。でも今日のリハビリで10歩ぐらい前に進めた感じがしました。今回の事で極真空手をやっていて本当に良かったと思いました。苦しい時は極真空手の映像を見ました。僕はたくさん苦しい事も痛い事も頑張って来たんだから、この試練に克てない訳はないと思い頑張りました。私の尊敬する先人達も皆、たくさん怪我しています。皆それに耐えて乗り越えているのだから、僕も乗り越えられる、いや乗り越えなくてはならない!と思い頑張りました。極真空手に感謝です。前橋さんも癌になって亡くなる時に極真空手をやっていたから病気と戦えていると言っていたのを思い出しました。私も何とか弱い己に克つ事が出来ました。自分の弱さと向き合った3日間でした。今日も妻が面会に来てくれました。15分しか会えないので本当に時間が早く感じます。子供達ともテレビ電話で話しました。次男はたくさん私を笑わせてくれます。長男もいつもより優しく接してくれます。本当に家族に感謝です。私も家族の力にもっともっとなってあげなくてはと思いました。今日はご飯も美味しく感じました。夜も眠れると思います。道場生やご父兄様や極真会館の緩傾斜の皆様にも感謝しています。
今日も痛みで眠れなかった。6時間おきの痛み止めを全然効かなくて本当に終わりが見えない苦しさと辛さとの戦いでした。2日間眠れない痛みなんて、人生で初めての体験でした。ベットの横にある高い机にずっと突っ伏して夜を過ごしました。たぶん股関節の手術の所と背中と腰の筋肉がガチガチで痛かったのだと思います。11時過ぎに湿布を貼って頂きロキソニンとその後に少し強い痛み止めの点滴を打ってもらったら、そこから徐々に良くなって行きました。やっと痛みから開放されたのですが、何か身体の中に痛みの余韻があるのと、また薬が切れたらあの痛みが戻るのか?という不安がありました。でも少し楽になりました。そして今日のリハビリでは足の曲げ伸ばしや、歩行訓練をし、車椅子も看護師さんの付き添い無しで乗れるようになりました。1人でトイレに行けるし、公共の場に1人で行って家族と電話したり自動販売機で飲み物を買ったり出来たので、良かったです。妻も面会に来てくれました。本当に有難いです。身体を悪くして思う事は人への愛情と感謝の気持ちです。無事退院したら妻を本当に大切にしたいです。子供達にもたくさん愛していると言いたいです。ちゃんと言葉にしてハグもして、もうなんならチューしまくりたいです。両親へも感謝しています。たくさん心配かける息子で申し訳ないと思っています。やっと今日、母と話せました。長男と次男ともテレビ電話で話せました。次男は歯に麻酔をして抜歯したそうです。私も今、痛みに耐えているから、次男をうんと褒めてあげました。今回の手術は人生最大にキツかったけど、そのおかげで学べた事があります。それは自分より力のない人は身体の弱い人やお年寄りや困っている人や心が病んでる人や寂しがっている人に自分から手を差し伸べてあげなくてはならないと思いました。私はけっこう強いです。だから沢山の人に手を差し伸べられるはずです。たくさんの弱い人や困っている人に手を差し伸べてあげられるはずです。人より辛い事も苦しい事も痛い事も悲しい事も挫折も苦労もしたのだから、せっかくしたその経験を人に活かして行かなくては、せっかくしたその経験が無駄になってしまいます。そんな活動をして行きたいです。先ずは退院したら妻と子供達にたくさん「愛している」と言います。両親へ感謝の挨拶に行きます。道場生やご父兄様にも感謝をちゃんと言葉にして言いたいです。今回の事で弱い人や苦しんで入る人の気持がとても良く分かりました。せっかくこんなにしんどい思いをしたのだから絶対に無駄にしないようにしたいです。今日は何とか眠れると思います。
昨日の苦痛の夜が明け、朝が来て一般病棟に移りました。楽になったのは水を飲めた事とマスクや管が外れた事です。あと足を下に下げられるようになったので、ずいぶん楽にはなりましたが、まだ痛みとの戦いは続いています。朝御飯は痛みでほぼ食べれる事が出来ませんでした。痛いとご飯も食べれないと初めて知りました。痛み止めのロキソニンを飲むために頑張っておかゆだけ食べました。でもロキソニンは全然効きませんでした。いつになればこの痛みが終わるのか?終わりの見えない苦痛がつづきます。その後も痛み止めは飲んだり点滴したりしますが、痛みが強いため、ほぼほぼ聴きません。でもベットの頭を上げたり足を下げたり出来るので少しは気持が楽です。でも痛みは治まりません。何とかお昼ゴハンは全部食べてロキソニンを飲みますが、やはり痛みは止まりません。14時40分からリハビリが始まりました。ベットから車椅子に乗る練習、車椅子で移動する練習、車椅子からトイレに移る練習、腿上げ、膝上げ、爪先上げ、全て出来ました。私がリハビリをしている時に妻が面会に来てくれました。妻が買って来てくれたコーラとコーヒーと烏龍茶は最高に美味かったです。妻と面会室で話している時間は少し痛みが楽になりました。あと子供達や妻の写真を見ていると少し頑張れました。愛情は痛みを楽にするのかも?と思いました。妻が帰り、痛みとの戦いがまた始まりました。夜ご飯は頑張って全部食べました。ロキソニンは全く効かないので22時頃に点滴の痛み止めをしてもらいました。でも痛みはあまり軽減されず、一睡も出来ません。12時ぐらいから、また痛みは酷くなりました。次に痛み止めの点滴が出来るのは2時なので、なかなかキツイです。そんな時にこの日記を書いています。他の事に集中すると少し楽な気がします。明日は立って歩行するリハビリをします。明日は手術から2日なので、少しは痛みが楽になっていると幸いです。今日、長男と次男が写真を送ってくれました。本当に力をもらいました。私も頑張って痛みを我慢して笑顔でピースして写真を送りました。今は12時58分です。あと1時間と2分頑張れば痛み止めの点滴をしてもらえるのでそれまで頑張ります。弱い自分との闘いです。取り敢えず眠りたいです。
朝から暇でしたが緊張していました。不安と緊張と期待が入り交じっていました。まるで試合のようでした。自分の足で歩いて手術室に入りました。いろいろな確認を受けて、手術台に寝て麻酔を受けたら、もう起きた時には手術は終わっていました。13時に手術室に入り、終わったのは18時だったので、けっこう時間がかかったようです。やはり私の筋肉が太い為だったそうです。麻酔をする時は、妻と長男と次男の事を考えました。これが終わったて身体が良くなったら家族を大切にしようと思いました。そして極真空手にももっと貢献出来るように頑張ろうと思いました。手術が終わった日はHCUと言う治療室で過ごしました。痛みと喉の乾きとの戦いでした。痛み止めはしてもらってるのですが、使える量が決まっているのと、痛みが強いためほとんど効かず、一晩中痛くて辛くて一睡も出来ませんでした。とても辛かったです。試合や稽古の辛さとは訳が違いました。逃げる事の出来きず終わりが見えない辛さでした。稽古や試合など自分が望んでやっている事だし、終わりもあります。試合なんてたったの数分です。今回の痛みとの戦いは本当に人生で1番の辛さでした。手術をする事を松井館長に報告した時に「両方だとかなり痛いし辛いよ。片方ずつにした方が良いよ。」と言われた事が頭に浮かび、館長の言う事を聞けば良かったと思いました。でも松井館長も数見先輩も頑張ったんだから僕も負けたくないと思いました。私はチャンピオンになれなかったけど、尊敬する松井館長と数見先輩に近づくために頑張ろうと思いました。私を助けてくれたのは家族でした。妻の事や長男や次男の事を考え、強くいようと思いました。家族に感謝です。面会に来た妻が帰る時に、私はガラじゃないけど、こんな時だからこそ大真面目に言っておこうと思い「弥生ちゃん、いつもありがとね。愛しているよ。琥白と真白にも愛しているよと伝えて。僕の両親に感謝してると伝えて。」と言いました。私の本心でした。私が1番辛い時に考えた事は、私に関わる人への感謝でした。この気持を忘れないで生きて行きたいと思います。
今日から入院です。朝はゆっくり8時半頃に起きました。今日は長男のギターのライブなので家族は9時半に家を出ました。最近気付いたのですが、長男は声変りしていました。昨日、長男と次男に明日から入院だから暫く会えないねと言いました。そして私が戻りまでに何か成長していて欲しいと伝えました。私がいなくても筋トレを2人で続けるように言いました。私が「パパがいなくても寂しくないだろ」と言うと2人とも寂しいと言うので、「じゃあ、パパに1ヶ月会えないのと、ママに1ヶ月会えないの、どっちが嫌だ」と聞くと、長男は何故か「パパに付いていくよ。」と言いました。私と妻が別れたらと言うふうに勘違いしてこたえたようです。まあ面白いので、私が「何で?」と聞くと長男は「ママ1人で俺達を育てるのは大変でしょ?真白は絶対にママと言うから、俺はパパに付いてくよ。」と言いました。経済的な事を考えたようです。私が「ママと別れたとしても、お前らが生活するお金はパパが出すに決まってるだろ。」と言うと長男はあっさりと「じゃあママだな!」と言いました。まあ嘘でも1度は私に付いてくると言ってくれたので嬉しかったです。2人とも家を出る時は「じゃあね!手術頑張ってね!」と出て行きました。私はそのあとパジャマなどを買いに行き、家に戻ってからお風呂に入り、昼ごはんを食べて13時30分に家をでました。タクシーを呼ぶアプリでもタクシーを捕まえられず家の前でもタクシーが捕まえられなかったので、入院時受付時間の13時50分に間に合わないと嫌なので、歩いて環八まで行きそこでタクシーを捕まえました。タクシーに乗っていたのはたかだか5分でしたが、涼しかったし時間に間に合ったので良かったです。でもせっかく家でお風呂に入ったのに病院に着いた時は汗だくでした。病院に予定通りの時間に入り受付をしました。看護師さんと病室へ入り、入院病棟の説明を受け、血圧や体温を計り、手術までの予定の説明を受け、提出する書類を渡しました。まあ暇でしたが、本を読んだり映画を見たりしました。本は「壬生義士伝」を読み、映画は北野武監督の「ブラザー」を見ました。6時に手術前最後の食事を取りました。7時40分にシャワーを浴び、あとはゆっくりしました。22時消灯なので夜寝れるかが心配です。明日は食事も出来ませんし、9時から水分も取れないので、点滴をします。12時30分ぐらいから忙しくなると思います。13時に手術室に入る予定です。手術後はHCU(高度治療室)に1日いる事になります。もう明日を待つだけです。昨日と今日の朝に体温が気になって何度も体温を計っていました。最初に計った時に37度でした。熱があったら手術が出来なくなるので少し焦りました。なので私が少しナーバスになって何度も体温を計っていると、妻に「手術するのが嫌なんでしょ?」と言われました。私は「手術出来なくなったら、また手術の時期を決めたり、沢山の人に迷惑をかける事になるから、手術出来なくなった方が良いなんて思うわけないじゃん。」と答えました。なんか試合前の感覚に似ています。自分がベストな状態で臨めるか?試合場に無事上がれるか?今回の手術もそんな感じです。あとは手術をする先生と看護師の方々に全てを委ねるだけです。私は最後まで強い気持ちで手術室に入りたいと思います。
kanno
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