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2023年06月23日(金) 一生分使い切りたい

股関節の手術まで2ヶ月を切りました。アキレス腱の手術して1年が経ったと思ったら、その約1年と2ヶ月後に股関節が人工関節となる手術です。2021年の1月14日は右膝の手術でした。2022年の6月16日はアキレス腱を縫合する手術でした。そして2023年8月21日に股関節を人工関節にする手術を受けます。3年連続で手術です。膝が悪くなった時も少し絶望しました。手術をして少し良くなったかなと思い始めた時にアキレス腱を断裂しました。その時は少しどころではなく絶望しました。そしてアキレス腱がやっと良くなったと思ったら股関節が最悪に悪くなり遂に人工関節です。それはそれは絶望しました。でも私はずっと絶望しているわけではありません。すぐに立ち上がります。そして走り始めます。出来る事と出来ない事を整理して出来る事に取り組みます。こんな事には負けていられません。普段、道場生に「己に克つ」とか「自分に負けるな」とか言っている私がこんな事には負けていられません。こんな時こそ自分の身を持って、極真空手をやれば身体だけではなく心も強くなる事を見せなくてはいけません。私は絶対に負けません。試合に出る事も諦めていません。50歳で膝の靭帯が無くて半月板がボロボロで、アキレス腱を1度断裂して、股関節が人工関節になって試合に出た人っているのかな?いなければ幸いです。誰がやったから自分も出来るなんて考えは私にとってはとてもダサいです。誰もやった事がないからこそ、そこにやる価値はあります。正直に言えばやれる自信なんて物はありません。でもやると決めたからにはやるだけです。最初からやらないのと挑戦したけど夢半ばに倒れたのとでは大きな差があります。0は何処まで行っても0です。何も無いのですから、でも何かをやろうと頑張った事は0ではありません。でもどうせやるからには何かの形にして見せたいと思います。試合に出るのは流石に諦めたろうな?と思っている人もいるかもしれないので、あえて諦めていない事を書いてみました。私の妻には何度も何度も身体を壊して心配をかけて本当に申し訳ないと思っています。でも私の妻は、私を選んでくれた人だから大丈夫だと思っています。だって私の試合を観に来て、私が膝の靭帯を断裂して病院に運ばれたのを観て、自分も頑張ろうと思ってくれた人だから、どんなアクシデントにも一緒に戦ってくれると思っています。子供達にも怪我をしても立ち上がってまた戦う姿を見せたいです。言葉も力がありますが、自分の身を持って頑張る姿を見せる事はもっと力があります。私が生まれ変わるまで、残り2ヶ月です。悔いの残らないように私の股関節を一生分使い切ってあげたいと思います。しっかりと成仏させてあげたいと思います。


2023年06月22日(木) 空手のルーツを調べて

空手道の歴史を調べています。日本の空手は中国から沖縄に伝わりました。沖縄で出来た那覇手が本土で剛柔流空手になり、首里手が本土に伝わり松濤館空手になり、那覇手と首里手がミックスされた糸東流空手が本土に伝わり、松濤館空手を学んだ方が和道流を作り、またそこから様々な流派が出来、首里手が関西の方に伝わり日本拳法になりました。今ある流派はこの辺から分派して行ったようです。極真空手は大山倍達総裁が松濤館空手と剛柔流空手を学び、自分が学んだ物や経験を元に極真空手を創設されました。そこから極真空手の先生がタイのムエタイと戦い、その技が極真空手に大きく影響を与えました。極真空手の先生方はライバルに勝つために空手の他にウエイトトレーニングを取り入れたり、ボクシングを取り入れたり、中国拳法を取り入れたり、他の格闘技からも良い物があれば積極的に取り入れて自分の空手を作って行ったようです。極真空手のベースを守りながら各個人が自分でいろんな物を取り入れて作って行った物が極真空手なので、これが極真空手だと言うものはなく、極真会館と言う団体に所属している人がやっている空手が極真空手と言う事になります。だから正確には国際空手道連盟極真会館に所属している人がやっている空手が極真空手な訳です。なので他の類似団体の人は〜極真空手とか、極真〜空手とか正確に明記しなければいけないと思います。また世界チャンピオンもそうです。極真空手の世界チャンピオンは正確には国際空手道連盟極真会館の4年に1度の全世界空手道選手権大会のチャンピオンの事なので世界チャンピオンは11名しかいないはずです。(2連覇をした選手が1人いるため)全世界ウエイト制空手道選手権大会も軽量級、中量級、軽重量級、重量級があるので〜級世界チャンピオンと明記するべきですし、国際親善大会は世界大会ではありません。出場選手は日本代表で選抜された選手ではなく出たい人が誰でも出れる大会ですし、何十個もカテゴリーがあるので1日に何十人の優勝者が出ますから世界チャンピオンではありません。正確に言うなら10歳〜キロ級世界チャンピオンになったとか、50歳以上80キロ以下級国際親善大会優勝と正確に明記しなければいけないと思います。
なので私の最高経歴は第32回全日本空手道選手権大会ベスト16と言う事になります。大した事はありません。でも私より大した事がない人が10人以下で行われたトーナメントで優勝して全日本チャンピオン、世界チャンピオンを名乗っている人もいます。空手のルーツを調べて見て、私は今の空手家の自分の経歴の名乗り方が不正確だと言う事を思った訳です。どこの誰に習い修行し、どんな試合で活躍し今に至るのか?をしっかり書いて欲しいと思います。極真空手初段もそうです。ちゃんと〜極真空手初段と書いて欲しいと思います。私はこの極真空手という道から外れた事はありません。だから誰に恥じる事なく極真空手三段と書く事が出来ます。


2023年06月21日(水) 出会い

15歳で空手を始めたので空手を始めて35年と言う事になります。ずいぶん長い時間が経ちました。自分で道場を持ってあと少しで21年なので、本当に長い時間が経ちました。私が空手の道場をなぜ始めたかと言うと空手だけで生活がしたかったからです。1日中、空手の事だけを考えて生活がしたかったからです。そして今、本当にそれが出来ています。朝起きて自分の稽古をして、道場の事務仕事をして、道場生に空手を教えてます。1日が空手の稽古で始まって、1日が空手の稽古で終わります。本当に楽しい毎日です。自分が強くなるために1日を過ごせる事は私にとってとても幸せな事です。たぶん私は普通に会社勤めは出来ない人間だと思います。そして自分の好きな事でご飯を食べて行く事が出来る極真空手を選んだのも何かの縁だと思います。本当に幸運でした。これがボクシングやキックボクシングや柔道やレスリングなどを選んでいたら、たぶん今もそれだけでご飯を食べる事は出来なかったと思いますし、出来たとしても、今でもこんなに自分が強くなるために1日を過ごしてはいないのではないかと思います。私はあまり運は良くありません。宝くじや賭事で儲けた事はありませんし、初めて何かをやって人より上手かった物もありませんし、何かを上手く利用して人より得をしている事もないと思います。でも1つだけ、たった1つだけ、人より圧倒的に運が良い物があります。もしかしたら私はそこに自分の全ての運を使っているのかも?と思うぐらいです。そして私はそれで良かったと思っています。それは人との出会いの運です。私は本当に人との出会いの運には恵まれていると思います。自分に生まれた事で両親や兄妹と出会え、友達、先生、先輩、後輩、私の道場に入門してくれた道場生、道場生のご父兄様、私の妻と長男と次男、どれも私にとってはかけがえのない大切な出会いです。だから人だけは裏切りたくないと思っています。どうしても裏切らなければいけない時は、正々堂々と誠実に裏切りたいと思います。私は今まで離れてしまった先生にも正直に正々堂々と自分の気持を伝えました。だから離れる時には自分に怒りをぶつけたり、冷たくされたりもしました。でもその先生達と偶然何処かで出会っても隠れなければ行けないような気持になった事はありません。離れた全ての先生とその後、笑って再会させて頂きました。でも何も無かったように先生方と再会はしていません。この前、全日本体重別空手道選手権大会でお会いした菊地信弘先生にも、私が道場を開設した20年前に福島まで行ってご挨拶をさせて頂きお詫びを言わせて頂きました。今回は先生の方から気付いて頂き、先生のお付きの方が私の所へ来て頂いたのですが、私はちゃんとした服装で先生に挨拶に行くため、1度支部長控室に戻りジャケットを来て、先生のいる来賓席に行き、後ろから声をかけさせて頂き、先生の前に正座で座り不義理をしたお詫びをもう1度あらためて言わせて頂きました。先生がそんな事する必要はないよと言って頂いたので、隣に座らせて頂き私の近況を報告させて頂きました。これから私の生き方で先生に必ず恩返しをさせて頂きます。先日、あらためて先生にお電話で会場でご挨拶させて頂いたお礼をしたら、先生に「末永く付き合って行こうね!」と言って頂きました。本当に嬉しかったです。人との繋がりがなければ生きている事に楽しみは無くなってしまいます。その場その場で付き合う人が変わって行く人生は私は嫌です。人とは永く仲良くして行きたいです。だからそのためにも人には誠実にいたいと思っています。この日記を読んで下さっている皆様にも末永いお付き合いをお願いしたいと思っています。


2023年06月20日(火) 自分が崩れる分岐点を

全日本体重別空手道選手権大会で出張していた期間もお酒を飲みませんでした。自分でもこの大阪出張が自分が崩れてしまうか?の大きな分岐点になると思っていました。大阪は食べ物が美味しいですし、仲の良い支部長と食事をするので、とてもお酒が飲みたくなります。ここまで体重も頑張って12キロ落としたし、1年に何度もない機会なんだから少しぐらい気を抜いてお酒を飲んで楽しんでも良いのではないか?となりそうな所です。ですが私は頑張ってお酒を飲まず、2日間は出張中もトレーニングをし、たくさん歩いてあまり食べ過ぎないようにしました。そのおかげもあり出張から帰宅して体重を計ると96.1キロとほとんど体重は増えていませんでした。手術まであと2ヶ月です。2ヶ月で10キロ落としたいと思います。手術まではしっかり稽古をして身体を使い切って、手術後に自分がどうなっていようと悔いが残っていないような毎日を過ごしたいと思います。8月15日に大田区の花火大会が開催されるそうです。悔いが残らないように、そこだけはお酒を飲んで楽しみたいと思っています。無事に手術が終わったら、生まれ変わったと思って、また頑張って生きたいと思います。


2023年06月19日(月) 勉強

長男は土曜日と日曜日はテレビも見ないで、ずっと勉強していたそうです。そして慣れないことをしたものだから首を痛めたそうです。人間は変われば変わるものだなと思います。長男に「何でそんなに勉強するの?」と聞いたら、長男は「夢を叶えるためだよ」と言いました。私が「夢はギターなんじゃないの?」と言うと、長男は「勉強をちゃんとしないと高校に行けないじゃん。高校に行けなきゃ、ギターも出来なくなるじゃん。だからだよ。」と言っていました。なかなか大人な事を言うようになったものです。


2023年06月18日(日) この道を歩み続けて来たから

2023オープントーナメント全日本体重別空手道選手権大会最終日が終わりました。私は女子重量級準々決勝の4試合と軽軽量級準々決勝4試合の主審と女子軽量級、女子中量級、女子重量級、男子軽軽量級の決勝戦4試合の副審を勤めさせて頂きました。昨日、会場前に飾られてある大会のお祝いの花に私が15歳の時に空手を習った菊地信弘先生名義のお花がありました。とても懐かしく思いました。いつか先生とお会いする事があるかも?と少し思いました。最初の主審を勤めた試合が終わり試合場をおりて支部長席に座っていると、後ろから「ヒデタカさん」と名前を呼ばれました。私が振り向き、その方の所へ行くと、その方は私の福島の10代の頃の後輩だと言っていました。少し話をすると今は菊地先生の道場で稽古しているとの事でした。そして菊地先生も会場に来賓として来ていると聞き、私はその方と先生の所に挨拶に行かせて頂きました。私が「菅野です」と挨拶すると、先生は「頑張ってるんだね!嬉しいよ!」と言ってくれました。私は「先生に不義理をして道場を辞めてしまい、申し訳ありませんでした。」と改めてお詫びをしました。先生は「そんな事ないよ!」と言ってくれました。「主審をしている菅野を見て嬉しかったよ!」と先生は言いました。私は先生の事はホームページなどを見てご活躍を知っていたとお伝えしました。そして「自分だって分かりましたか?自分の事なんて忘れていると思っていました。」と言うと、先生は「すぐ分かったよ」と言ってくれました。最後に握手をして頂き、名刺を頂き、一緒に写真を撮って頂き、私が福島に帰ったさいにはご挨拶させて頂く約束をさせて頂きました。本当に本当に嬉しかったです。私はどれだけの人に不義理をして生きて来たか分かりません。そしてこれでその不義理が許されたとも思っていません。これからも自分の生き方で恩返しをして行くしかないと思っています。でもこの道を歩き続けて来たから、またこのような形で先生とお会いする事が出来たと思います。苦しい事も辛い事も悲しい事もたくさんあったけど、そんな物はこのような事があるから全部忘れる事が出来ます。本当にこの道を歩み続けて良かったです。


2023年06月17日(土) 2023全日本体重別空手道選手権大会初日

2023全日本体重別空手道選手権大会初日でした。私は朝の選手計量の審判員と男子中量級1回戦8試合、女子重量級2試合の副審と女子重量級2回戦8試合の主審を勤めました。この48回全日本大会から世界大会ゆ含む7年間、第1試合の主審を勤めたり、この何年かは4回戦の主審、決勝戦の副審なども勤めて経験を積んで来たので、落ち着いて審判をする事が出来るようになりました。全国支部長会議で前の席に座られていた、八巻師範に「菅野、安定感があって、主審とても良かったよ」と言って頂き、とても嬉しかったです。これはやった人にしか分からないと思いますが、全日本大会や世界大会の主審は本当に緊張します。もう緊張で前日からピリピリしてしまいます。選手も自分の人生を賭けて試合に臨んでいるのだから、それを裁く審判もその選手の思いに答え、観客が納得する審判をしなければいけません。明日も主審と副審に入っているので、全身全霊で試合を裁かせて頂きたいと思います。


2023年06月16日(金) 大阪に

朝6時に起きて7時から8時30分までジムでストレッチと有酸素運動を行い、六波羅蜜寺と建仁寺を観光しホテルに戻り、チェックアウトして、三条へ行き、坂本龍馬寓居跡の酢屋、池田屋事件跡、桂小五郎寓居跡、武市半平太寓居跡、佐久間象山殉難の地を見ました。六波羅蜜寺で見た空也上人の口から南無阿弥陀仏が出ていたのと平清盛像は痩せていて穏やかな顔をしていました。酢屋では坂本龍馬の住んでいた部屋を見ました。その後、いつも京都に来たら必ず食べる「みよし」のラーメンを食べて京阪電車で淀屋橋まで行き、そこから御堂筋線でなんばに向かいました。2時30分から審判講習会からエディオンアリーナには13時には着いてしまいました。私は観光もそうですが時間を調べ予定を立てて、その通りに動くのが好きです。だから私は先に先に動き立てた予定より前倒しで予定を進めて生きます。だから必ずゴールも早くなります。私はこう見えて時間にはけっこう真面目で几帳面です。エディオンアリーナでは審判講習会と型講習会が行われ、そのあとなんばの串カツ屋で食事をしました。明日から頑張ろうと思います。


2023年06月15日(木) 感性と想像力がその時に自分を連れて行ってくれる

家族といなければ、何処で何をしていたって一人ぼっちだなと思います。妻と長男と次男がいないと何処にいて何をしていても楽しさは半分です。今日は1日前に京都に来て観光をしました。今回は嵐山の天龍寺と竹林の道と渡月橋、太秦の広隆寺で弥勒菩薩像を見て、あとは新選組を巡る観光をしました。壬生寺、新徳寺、八木邸、前川邸、光縁寺、油小路の変跡、伊藤甲子太郎殉難の地、を見て、坂本龍馬寓居跡、後藤象二郎寓居跡、坂本龍馬と中岡慎太郎殉難の地の近江屋跡を見て、夜の祇園と四条から三条の河原沿いを散歩しました。最近、歴史的な場所を観光していて思う事は、その場所がその時のままではない方が自分の想像力が働くと言う事でした。八木邸で案内の方から「この辺は町外れで田畑がばかりで、でも二条城に一本道で行けるから、新選組の屯所になったのだと思う。」と言う話を聴いて、頭の中でこの辺は田畑に囲まれていてと想像すると少しその時に自分が行けたような気がしました。でもなまじっかその時のように建て直した物なんかは見たままにしか自分に入って来ません。やはり想像は見た物に勝ってしまいます。じゃあ観光の必要は無いと思う方もいるかもしれませんが、その人達が歩いただろう場所を想像しながら自分がそこに居る事が自分の感性と想像力を高めて、その時に少し自分を連れて行ってくれるのです。私が新選組で好きなのはベタですが、土方歳三、斎藤一、近藤勇、沖田総司の順です。


2023年06月14日(水) 50歳には見えないなー!

95.2キロになりました。もう少しで94と言う数字を見る事が出来ます。でもいろいろ思い出して考えてみれば、私は以前は90キロになるとお腹が出っ張って苦しくなり、お腹が窮屈で後ろに転がった時に足が地面につかなくなり、ギックリ腰にもなっていました。でも今は95キロですがお腹が窮屈ではありませんし、後ろに転がって足が頭の上にしっかりとつきます。たぶん筋肉量が40代の頃より圧倒的に増えているからだと思います。この感じで85キロになれば、40代の80キロ以下にも匹敵する身体を手に入れる事が出来ると思います。これで107キロから12キロ落とした事になるので、あと一息頑張りたいと思います。妻にもお腹回りがずいぶんスッキリしたね!と言われました。それを励みに頑張ろうと思います。今日、ジムで鏡に映る自分の姿を見て「50歳には見えないなー!」と自分で思いほくそ笑んでいました。


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