DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
全日本体重別空手道選手権大会で出張していた期間もお酒を飲みませんでした。自分でもこの大阪出張が自分が崩れてしまうか?の大きな分岐点になると思っていました。大阪は食べ物が美味しいですし、仲の良い支部長と食事をするので、とてもお酒が飲みたくなります。ここまで体重も頑張って12キロ落としたし、1年に何度もない機会なんだから少しぐらい気を抜いてお酒を飲んで楽しんでも良いのではないか?となりそうな所です。ですが私は頑張ってお酒を飲まず、2日間は出張中もトレーニングをし、たくさん歩いてあまり食べ過ぎないようにしました。そのおかげもあり出張から帰宅して体重を計ると96.1キロとほとんど体重は増えていませんでした。手術まであと2ヶ月です。2ヶ月で10キロ落としたいと思います。手術まではしっかり稽古をして身体を使い切って、手術後に自分がどうなっていようと悔いが残っていないような毎日を過ごしたいと思います。8月15日に大田区の花火大会が開催されるそうです。悔いが残らないように、そこだけはお酒を飲んで楽しみたいと思っています。無事に手術が終わったら、生まれ変わったと思って、また頑張って生きたいと思います。
長男は土曜日と日曜日はテレビも見ないで、ずっと勉強していたそうです。そして慣れないことをしたものだから首を痛めたそうです。人間は変われば変わるものだなと思います。長男に「何でそんなに勉強するの?」と聞いたら、長男は「夢を叶えるためだよ」と言いました。私が「夢はギターなんじゃないの?」と言うと、長男は「勉強をちゃんとしないと高校に行けないじゃん。高校に行けなきゃ、ギターも出来なくなるじゃん。だからだよ。」と言っていました。なかなか大人な事を言うようになったものです。
2023オープントーナメント全日本体重別空手道選手権大会最終日が終わりました。私は女子重量級準々決勝の4試合と軽軽量級準々決勝4試合の主審と女子軽量級、女子中量級、女子重量級、男子軽軽量級の決勝戦4試合の副審を勤めさせて頂きました。昨日、会場前に飾られてある大会のお祝いの花に私が15歳の時に空手を習った菊地信弘先生名義のお花がありました。とても懐かしく思いました。いつか先生とお会いする事があるかも?と少し思いました。最初の主審を勤めた試合が終わり試合場をおりて支部長席に座っていると、後ろから「ヒデタカさん」と名前を呼ばれました。私が振り向き、その方の所へ行くと、その方は私の福島の10代の頃の後輩だと言っていました。少し話をすると今は菊地先生の道場で稽古しているとの事でした。そして菊地先生も会場に来賓として来ていると聞き、私はその方と先生の所に挨拶に行かせて頂きました。私が「菅野です」と挨拶すると、先生は「頑張ってるんだね!嬉しいよ!」と言ってくれました。私は「先生に不義理をして道場を辞めてしまい、申し訳ありませんでした。」と改めてお詫びをしました。先生は「そんな事ないよ!」と言ってくれました。「主審をしている菅野を見て嬉しかったよ!」と先生は言いました。私は先生の事はホームページなどを見てご活躍を知っていたとお伝えしました。そして「自分だって分かりましたか?自分の事なんて忘れていると思っていました。」と言うと、先生は「すぐ分かったよ」と言ってくれました。最後に握手をして頂き、名刺を頂き、一緒に写真を撮って頂き、私が福島に帰ったさいにはご挨拶させて頂く約束をさせて頂きました。本当に本当に嬉しかったです。私はどれだけの人に不義理をして生きて来たか分かりません。そしてこれでその不義理が許されたとも思っていません。これからも自分の生き方で恩返しをして行くしかないと思っています。でもこの道を歩き続けて来たから、またこのような形で先生とお会いする事が出来たと思います。苦しい事も辛い事も悲しい事もたくさんあったけど、そんな物はこのような事があるから全部忘れる事が出来ます。本当にこの道を歩み続けて良かったです。
2023全日本体重別空手道選手権大会初日でした。私は朝の選手計量の審判員と男子中量級1回戦8試合、女子重量級2試合の副審と女子重量級2回戦8試合の主審を勤めました。この48回全日本大会から世界大会ゆ含む7年間、第1試合の主審を勤めたり、この何年かは4回戦の主審、決勝戦の副審なども勤めて経験を積んで来たので、落ち着いて審判をする事が出来るようになりました。全国支部長会議で前の席に座られていた、八巻師範に「菅野、安定感があって、主審とても良かったよ」と言って頂き、とても嬉しかったです。これはやった人にしか分からないと思いますが、全日本大会や世界大会の主審は本当に緊張します。もう緊張で前日からピリピリしてしまいます。選手も自分の人生を賭けて試合に臨んでいるのだから、それを裁く審判もその選手の思いに答え、観客が納得する審判をしなければいけません。明日も主審と副審に入っているので、全身全霊で試合を裁かせて頂きたいと思います。
朝6時に起きて7時から8時30分までジムでストレッチと有酸素運動を行い、六波羅蜜寺と建仁寺を観光しホテルに戻り、チェックアウトして、三条へ行き、坂本龍馬寓居跡の酢屋、池田屋事件跡、桂小五郎寓居跡、武市半平太寓居跡、佐久間象山殉難の地を見ました。六波羅蜜寺で見た空也上人の口から南無阿弥陀仏が出ていたのと平清盛像は痩せていて穏やかな顔をしていました。酢屋では坂本龍馬の住んでいた部屋を見ました。その後、いつも京都に来たら必ず食べる「みよし」のラーメンを食べて京阪電車で淀屋橋まで行き、そこから御堂筋線でなんばに向かいました。2時30分から審判講習会からエディオンアリーナには13時には着いてしまいました。私は観光もそうですが時間を調べ予定を立てて、その通りに動くのが好きです。だから私は先に先に動き立てた予定より前倒しで予定を進めて生きます。だから必ずゴールも早くなります。私はこう見えて時間にはけっこう真面目で几帳面です。エディオンアリーナでは審判講習会と型講習会が行われ、そのあとなんばの串カツ屋で食事をしました。明日から頑張ろうと思います。
家族といなければ、何処で何をしていたって一人ぼっちだなと思います。妻と長男と次男がいないと何処にいて何をしていても楽しさは半分です。今日は1日前に京都に来て観光をしました。今回は嵐山の天龍寺と竹林の道と渡月橋、太秦の広隆寺で弥勒菩薩像を見て、あとは新選組を巡る観光をしました。壬生寺、新徳寺、八木邸、前川邸、光縁寺、油小路の変跡、伊藤甲子太郎殉難の地、を見て、坂本龍馬寓居跡、後藤象二郎寓居跡、坂本龍馬と中岡慎太郎殉難の地の近江屋跡を見て、夜の祇園と四条から三条の河原沿いを散歩しました。最近、歴史的な場所を観光していて思う事は、その場所がその時のままではない方が自分の想像力が働くと言う事でした。八木邸で案内の方から「この辺は町外れで田畑がばかりで、でも二条城に一本道で行けるから、新選組の屯所になったのだと思う。」と言う話を聴いて、頭の中でこの辺は田畑に囲まれていてと想像すると少しその時に自分が行けたような気がしました。でもなまじっかその時のように建て直した物なんかは見たままにしか自分に入って来ません。やはり想像は見た物に勝ってしまいます。じゃあ観光の必要は無いと思う方もいるかもしれませんが、その人達が歩いただろう場所を想像しながら自分がそこに居る事が自分の感性と想像力を高めて、その時に少し自分を連れて行ってくれるのです。私が新選組で好きなのはベタですが、土方歳三、斎藤一、近藤勇、沖田総司の順です。
95.2キロになりました。もう少しで94と言う数字を見る事が出来ます。でもいろいろ思い出して考えてみれば、私は以前は90キロになるとお腹が出っ張って苦しくなり、お腹が窮屈で後ろに転がった時に足が地面につかなくなり、ギックリ腰にもなっていました。でも今は95キロですがお腹が窮屈ではありませんし、後ろに転がって足が頭の上にしっかりとつきます。たぶん筋肉量が40代の頃より圧倒的に増えているからだと思います。この感じで85キロになれば、40代の80キロ以下にも匹敵する身体を手に入れる事が出来ると思います。これで107キロから12キロ落とした事になるので、あと一息頑張りたいと思います。妻にもお腹回りがずいぶんスッキリしたね!と言われました。それを励みに頑張ろうと思います。今日、ジムで鏡に映る自分の姿を見て「50歳には見えないなー!」と自分で思いほくそ笑んでいました。
昨年の6月13日月曜日に私は右足のアキレス腱を断裂しました。今日で1年が経ちました。だから今日は自分にケジメをつける1日にしたいと思い、朝から代官山道場へ行き、10時から11時30分の剛柔流の稽古に参加しました。稽古の前に昨年の事が少し頭を過りましたが、1時間30分間、稽古に没頭して時間が過ぎ去りました。あの時はどうなるのだろう?と不安にもなりましたが、今の私はあの時の自分より心も身体も技術も進化していると胸を張って言えます。だから8月に股関節が人工関節になろうと、私はもっと強くなれると信じています。
体重も順調に落ちていますしトレーニングの重量や回数もアップしているので筋肉量や筋力もアップしていると思います。筋肉量を落とさず脂肪だけを落とす計画なのでこの1ヶ月は本当に0.1キロ落とすのに苦労しています。ですがスーツのズボンを履いてみて痩せた事が顕著にわかりました。4月終わりの審査会で履いた時にはキツくて苦しかったズボンのウエストが、ジャストぐらいになってなっていました。朝の呼吸法で行っている火の呼吸からナウリをしてもそれは顕著に分かりました。しっかりとお腹を凹ませて腹筋を出す事が出来るようになりました。2ヶ月半で約12キロ落としたので、あと2ヶ月で頑張って10キロ落としたいと思っています。私は夜は炭水化物を取らないので、肉と野菜などで夕食を用意してくれる妻はなかなか大変だと思います。本当に感謝しています。
なかなか充実した休日でした。朝6時30分に起きて、朝ご飯を食べ、支度をして8時に家を出ました。雨が降っていたので合羽を着て自転車で、次男を平和島の相撲場に連れて行き、そのまま大森道場へ行き、個人レッスンを3回指導して、子供達とお昼ごはんを食べて、15時から長男を床屋に連れて行き、そのあと川崎に長男のバドミントンのシューズを買いに行きました。本当に1日があっと言う間に終わりました。忙しいと言うことは幸せな事です。人から必要とされなくなり、自分が1人になったら、暇な毎日になってしまいます。私は独身時代には休みの日は誰とも話すことなく1日が終わってしまった事があります。本当に寂しいものでした。その時代があったから、忙しい今を幸せと思う事が出来ます。
kanno
|