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34年ぶりに友達と電話で話しました。私が中学の頃から仲の良い親友が居酒屋で飲んでいたら、私が少しだけ通った高校の時のクラスメイトと知り合い、一緒に飲んでいて、私の話になり、私の高校のクラスメイトが私と連絡を取りたいと言う事になり、私の親友が私に電話をしてくれて、34年ぶりに話をする事が出来ましたという経由でした。持つべきものは友達ですね。久しぶりに話をしましたが、お互いにその頃に戻って話が出来たので、お互い何も変わらないなと言う感じで話をする事が出来ました。お互い生きていれば、離れてもまたリンクする事が出来ます。だから生きてるって楽しいです。今年の年末に一緒に飲む約束をして電話を切りました。また楽しみが1つ増えました。その日を楽しみに毎日を頑張ろうと思います。もうこの歳になると見栄を張る必要もありません。毎日頑張って良い仕事をして、たまに友達と美味しいお酒を飲んで、話したり歌ったりして馬鹿騒ぎして楽しみたいと思います。
私は谷川俊太郎さんの「生きる」と言う詩が好きです。特にこの冒頭部分の「生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ 木もれ陽がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ くしゃみすること あなたと手をつなぐこと 生きているということ」が好きです。私が20代の頃に見たTV番組で目の見えない方が出ていて、その方がこの詩を読んで「僕は目が見えないけれど、のどがかわく事が出来る、木漏れ日を温かく感じる事が出来る、ふっと或るメロディを思い出す事が出来る、くしゃみをする事が出来る、好きなあなたと手を繋ぐ事が出来る。だから僕は生きていると言う事を感じる事が出来る。生きていて楽しい」そして逆に「生きていないということ いま生きていないということ それはのどがかわくことが出来ないということ 木漏れ日をまぶしいと感じる事が出来ないということ ふっと或るメロディを思い出す事が出来ないということ くしゃみをする事が出来ないということ あなたと手を繋ぐ事が出来ないということ」とその詩を読みました。その方は目が見えないので何処にいても真暗なのだけれど、外に出れば風が気持ち良かったり、そこに行けば誰かと話せたりするので、目が見えなくても何処にいても同じではないと言っていました。そして先ほどの詩のような事を感じる事が出来るから生きていて楽しいと言っていました。そしてもし死んでしまったら、それを感じる事は出来ないんだよと言っていました。私はその時にどんなに苦しくても生きていれば楽しい事を見つける事が出来ると思えるようになりました。とはいえ自分で命を絶つ人はそれだけの辛さ苦しさがあったのですし、死んだ人を否定出来るのはそれを経験した人だと思うので、いま生きている人には否定は出来ないのだろうとも思います。でもやっぱり生きていれば美味しいビールも飲めるし、音楽も聞けるし、子供達の喧嘩の声も聞く事が出来るし、妻が子供達を怒っている声も聞く事が出来るし、ラーメン二郎も食べれるし、ワンピースも読めるしです。それを人がみんな楽しいと思うかは分からないけれど、少なくともそれを出来なくなる事は寂しい事だと私は思います。
日曜日に髪を切りました。少しイメージチェンジを狙おうと思います。それにともないダイエットも頑張って、夏にはスッキリしていたいと思います。来年の初めからガンガン稽古できるように今から身体も変えて行こうと思います。いろんな事を変えて行きます。
「今までの人生でいつが幸せ?」と人から聞かれたら、私は迷わず今と答えます。自己を肯定するために今が幸せだと言っているわけではなく、本心でそう思っています。今が1番楽しくて1番楽に生きています。もう何かのために無理して頑張る事はやめました。1日の全てを自分の好きな事に使って、楽しい時間を過ごしています。家に帰れば妻がいて、子供達がいてくれます。この幸せがいつまでも続いて欲しいと思います。
辻村深月さんの「盲目的な恋と友情」を読み終わりました。この作品を読んだきっかけは辻村深月さんの「かがみの孤城」を読み、とても良かったので辻村深月さんの作品をもっと読みたいと本屋で辻村深月さんの作品を見ていたら「盲目的な恋と友情」と言うタイトルを目にしました。そのタイトルを見た時になんか読んでみたいなと思いました。誰でも盲目的な恋をした事があると思います。というより恋というものは盲目的なものなのだと思います。逆に盲目的でないとしたら、それは恋ではないのかもしれません。私が今までにした恋愛の事を思い出すとそう思います。盲目的だったものが恋だとすると、私には恋とよべるものは、そんなに多くはありません。私が盲目的なほどに恋をしたものに共通点を見つけました。こんな事を書くと「人をそんなもので選ぶのか?」と心の乏しい人間に思われてしまいますが、私が盲目的なほどに人を好きになる時は、その人の顔です。その人を見た時に、もう好きになってしまいます。その人の良いところはそのまま良く捉え、悪いところなんて全部許せてしまいます。その人が自分の隣にいてくれるのならば、どんな事だって結局は許せてしまいます。というよりどんな事をされても嫌いにはなれないので、許すしかありません。もう許せないと思い、離れても、またどうしても会いたくなり、結局は自分が折れてしまう事になります。それが恋だと思います。そして恋が深くなり愛になるのだと思いますが、私はずっと恋が続いて行きます。だから盲目的な恋と言う言葉を目にして読みたくなったのだと思います。
少し前に風が強い日に長男と自転車で走っている時に、私が「向かい風だね、追風だったら良かったのにな〜」と言うと、長男が「でも俺は向かい風って好きだなー!」と言うので、私が「何で?」と聞いたら、長男は「風を切って走るのが気持ち良いんだよね!」と答えました。私は、コイツなかなかカッコイイ事言うな!って思いました。でも言われてみれば私も子供の頃はそんなふうに風に逆らって走って楽しんでいた記憶があります。いつの間にやら歳を取った考えになってしまっていたようです。子供の頃の気持を思い出せて良かったです。子供達からハッとさせられる言葉って結構あります。
体重が98.3キロになりました。もう少しで97キロになります。体重は落ちていますが、トレーニングで記録が伸びているので筋肉は落ちていないので、順調に脂肪を落とせていると思います。筋肉を落とさずにダイエットをすると体重がなかなか落ちていかないのでモチベーションを保つ事が大変ですが、しっかりトレーニングをして炭水化物や脂肪を控えているのに体重がなかなか落ちないという事は自分の身体の中で筋肉と脂肪の割合や体質の変化が起きている証拠だと謂うので、ここを踏ん張って頑張りたいと思います。手術が終わって身体が良くなったら上手いビールで乾杯したいと思います。もちろん一杯目はアサヒのスーパードライです。
私は自分が頑張れていない時に見ていた夢があります。1つ目は、自分は一番最初に行った高校に通っていてそこで水泳を続けていて頑張っている夢、2つ目はタバコを吸ってしまう夢、3つ目は高校を退学になってしまう夢です。試合の前によく見た夢も何個かあります。1つ目は炭水化物を抜いてカーボローディングしている時期にご飯をたらふく食べてしまう夢、試合前日にお酒を飲んでしまう夢、試合の日に起きたら夕方になってしまっている夢、全日本空手道選手権大会の東京体育館で選手控室から試合会場のメインアリーナに行こうとするのですが、迷ってしまいメインアリーナにたどり着けなく試合に間に合わなく不戦敗になってしまう夢です。最近、私が見る1番の悪夢は、私が家族に失望されるような事をしてしまい、妻と子供達が家から出て行ってしまう夢です。この夢を見た時はウワーッと叫んで起きて「夢か〜良かった〜!」と胸をなでおろしました。おそらく何かの暗示だと思うので、そんな夢を見た時には、嫌な夢を見たというだけで終わらせずに自分の心を見つめ直して、しっかりと身を引き締めるようにしています。妻にこの夢を見た事を言ったら「夢で良かったねー!」と真顔で言われたので怖かったです。
5月も中盤に入りました。3月4月5月と言う時期は人が移動する時期です。いろんな意味で自分の住む場所を変える時期です。そんな事もあり、この時期は別れと出会いがたくさんあります。別れと言うのは寂しいものですが、出会いという嬉しいこともたくさんあるので、空手の道場を運営している事はとても楽しいですし、とても幸せな仕事だと思っています。そんな中でも今日は嬉しいことがたくさんあった日でした。朝のフィットネスクラスに初参加して下さったご父兄様がいたこと、新しい子が入門してくれたこと、18年ぶりに稽古に復帰してくれた道場生がいたこと、本当に嬉しいことばかりの1日でした。同じ道を歩いていれば、別れた人とまた再会する事が出来ます。だからこの道を歩いてきて良かったと思っています。この道以外に自分を活かす道がないから、脇道にそれずこの道を歩いて来ることが出来たと思っています。だから私に他の才能が無かった事に今は心から感謝しています。この先もこの道を歩いて行こうと思います。私は人より遠回りばかりして来たので、そのぶん誰よりもこの道を遠くまで歩いて行きたいと思っています。
努力をして得た物ほど、それを手放す時には辛いものです。努力して苦労して出来るようにした事が出来なくなる事はとても辛いです。苦労してまで出来るようにしたという事は自分は本気でそれを出来るようにしたかった訳ですし、それが出来るようになった時の喜びも大きかった訳ですし、人が出来ない事を自分が出来る事は誇りでもあった訳です。でもどう努力を続けたとしてもそれを手放さなくてはならない日が必ず来ます。身体を使え事は結構早くそれを体験する事となります。30代から衰えを感じ40代で更に堕ちて行きます。でも出来る事は沢山ありますし、これから出来るようになる事もたくさんあると信じて日々努力精進しています。でも何かを失う事にいちいち落ち込まない強い心を私は持っています。だって最初は何も持っていなかった訳ですし、最後は自分の全てを捨てなければいけません。それに私がそれを出来るようにした喜びは私の中で生き続けていますし、その事が無くなる訳でも、誰かに取られる訳でもありません。あと10年で60歳ですが、その時には動けてカッコイイ60歳になっていたいと思っています。私は何歳になろうと進化する事は辞めません。
kanno
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