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村上春樹の6年ぶりの長編作品「街とその不確かな壁」を読み始めました。読んでいて「あれっ!この作品は以前に読んだ事があるかも?」と思ったのは「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」ととても良く似ているからだと気が付きました。あまりいろいろ考えずにピュアな気持ちで読みたいと思います。
吉田修一の「悪人」からどうしてももう1つ書いておきたい、私の心に残った言葉があったので書いておきます。(「しっかりせんといかんよ」房枝は小さな声でそう自分に呟いた。逃げとるだけじゃ、なんも変わらんとよ。待っとても助けは来ん。このままじゃ、配給の芋を投げられて、それでも黙って拾っとったあのころと変わりゃせん。がんばらんば。馬鹿にされてたまるもんか。がんばらんば。もう誰にも馬鹿にはさせん。馬鹿にされて、馬鹿にされてたまるもんか。)この言葉は房枝がいつも乗る無愛想で運転も荒く房枝が一番苦手なバスの運転手にかけられた言葉でした。その言葉で房枝の中に何かが生まれ変化が起きました。人の言葉には力があります。人の言葉は良くも悪くも大きな力を持っています。人を勇気づける事も出来ます。人を傷つける事も出来ます。人の言葉には、自分を変える事も、人を変える事も、世の中を変える事も出来る力があります。私にも自分を変えてくれた言葉がたくさんあります。私は優しくて激しい、激しくて優しい、そんな言葉が好きです。
「暴力で世の中を変えようとするのは許せない事だ」そう言う言葉を耳にしました。本当に正論だと思います。暴力とはいったい何なんだろう?と思いました。辞書で暴力と言う言葉を調べると、1.乱暴な力・行為。不当に使う腕力。「―を振るう」2.合法性や正当性を欠いた物理的な強制力。とありました。分かるような分からないようなです。相手より腕力の強い者が自分より弱い者に殴る蹴るをするのは暴力だと簡単に分かります。でも知識のある人間が知識の無い人間にその知識という力を使って相手の何かを奪うとしたら、それは暴力ではないのだろうか?それは暴力ではないのだろうか?私には答は出ません。でも考えてみると世の中は暴力で変わって来ました。戦争、革命、源平の戦い、関ケ原の戦い、明治維新、世の中が変わる時には暴力が行われたと言っても過言ではないかも?と思います。たぶん暴力で力を勝ち取った人が教科書で英雄視されているのでは暴力は無くならず平和な世の中はこないと思います。一見平和に見えたとしても、人より知識や権力を持つ賢い狡猾な人が暴力にならない暴力で力を勝ち取るのだと思います。そしてそれは日常で行われていると思います。私は暴力は大嫌いです。でも暴力が嫌いだからこそ強くなって力を手に入れたいと思いました。腕力で人に屈したくないのであれば腕力を身に付けるべきです。知識に騙されて損をしたくないのであれば知識という力を身に付けるべきです。暴力に屈して卑屈になっていては何も始まりません。私は人を虐める人間は大嫌いです。でも人に虐められて下を向いて何もしようとしない人間も大嫌いです。それは私がそうだったからです。私は弱い人間の味方になりたいし、弱い人間に力を貸してあげたいと思っています。これは私個人の考えです。間違っているかもしれませんし、私と違う考えがたくさんあると思います。そして正解もたくさんあると思います。そして正解なんてないのかもしれません。でも答えの出ない事こそ考え続けて答えを出し続けなくては行けないのではないか?と思います。
吉田修一の「悪人」を読み終わりました。とても心に残った言葉がありました。それを書いておこうと思います。「私ね、祐一と会うまで、一日がこげん大切に思えたことなかった。仕事しとったら一日なんてあっという間に終わって、あっという間に一週間が過ぎて、気がつくともう一年.....。私、今まで何しとったとやろ?なんで今まで祐一に会えんかったとやろ?今までの一年とここで祐一と過ごす一日やったら、私、迷わずここでの一日を選ぶ.....。」もしこの言葉が気になった方はこの作品を読んでみてはと思います。私はこの作品がとても好きになりました。読んで良かったと思います。次は村上春樹が6年ぶりに新作を出したのでそれを読もうと思います。それを読み終えたら、吉田修一作品を読み漁ろうと思います。
最近の私の楽しみは、長男から学校で起きた事の話を聞く事です。新しい友達が出来たり、楽しい事があった話を聞くと、とても嬉しいです。長男から「今日、新しく出来た友達が髪の毛を丸刈りにしてきたんだよ」と聞きました。私は偶然その子を見た事を長男に話しました。私が大森道場から雑色道場に自転車で行く時に、バス通りの所で、長男が通う中学校のジャージを来て歩いている2人の子が下校していました。私は「そう言えばコハクもジャージで学校に行っていたな、この子も1年生だな」と思いました。その1人の子が丸刈りでとても凛々しい顔をしていました。私がその子を見かけた場所とその子の特徴を長男に言うと、長男はとても驚いていました。こんな偶然ってある物なんだなと思いました。
お酒を止めてから1週間が経ちました。朝もスッキリと起きて道場へ行きました。今日は10時から15時30分まで個人レッスンでした。個人レッスンは生徒の稽古したい事を重点的に稽古して行きます。その人の事だけを考えて、私の経験からいろいろな稽古方法で、悪い所を修正したり良い所を伸ばして行く事が出来ます。やはりその人だけにスポットを当てて、いろんな稽古の仕方でアプローチ出来るので、どんどん上手くなって行きます。だから教える方としてもとても面白いです。来週も個人レッスンが3件入っているので頑張ろうと思います。お酒を止めたのと毎日身体を動かして食事制限しているので、体重が99キロになりました。何と1週間で7キロ落としてしまいました。国際親善大会まであと2週間なので、それまでにあと4キロ落としたいと思います。
4月も半分が終わりました。今日は雨が降っていたのと寒いせいで股関節と膝がとても痛みました。でも久しぶりに飴の中を長男と2人で傘をさして歩いたり、バスに乗ったりして道場へ行けたので、少し懐かしい気持ちで楽しかったです。夜は妻は友達と飲みに行ったので、長男と次男と3人で食事をしました。
とても暖かくなり、桜もすっかり散ってしまいました。マスクを外している人も増えて来て、だんだんですが、コロナ前の世の中に戻りつつある事を感じています。昨日のフィットネスクラスは5名の方が参加してくれました。皆さんマスクを外して稽古しました。ゴールデンウィークが終わると夏まであと少しとなります。暑くもなく寒くもない気持ちの良い、この春を楽しみたいと思います。
1人で自分を見つめ直したり、1人で自分を作り上げる作業をする事はとても大切だと思います。でも他人と関わる事で自分と言う人間の本質が見えたり、他人と関わる事で自分が作り上げられて行ったりします。だから他人と関わる事はとても大切です。空手で言えば、柔軟体操や基本稽古やウエイトトレーニングなどは自分を見つめ直したり自分を作り上げて行くと言う作業だと思います。そして他人と組手をする事で、自分の心の弱さや身体の弱い所や技の弱点や悪い所などが見える事によって自分の本質がより見えて来ます。人間も時間も世の中も止まってはいません。常に動いています。その生きて動いている物の中でよく自分の本質を見極めて、自分をどのようにマッチングさせて自分を活かして行くか?という事が出来なくては行けないのだと思います。
体重が102キロになりました。3日で5キロ減なのでなかなか頑張っていますが、逆に言えばあっという間に5キロ落ちるほど、自分のキャパシティを超えるほど肥ってしまっていたとも言えます。国際親善大会までは休みなく運動して体重を落として行きたいと思います。私がお酒を止める事と外食を止めてお金を貯めるぞ!と宣言した時に次男が私の顔を見て「えーっ!」と言ってとても嫌そうな顔をしました。私も少し可哀想に思い「じゃあ月に1回は外食をしよう」と言いました。私ももう50歳です。子供達のためにお金を貯めておいてあげる事を真剣に考えなくてはいけません。
kanno
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