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次男の最近のブームは「なぞなぞ」です。学校から「なぞなぞモンスター」と言う本を借りて来て、私と妻と長男になぞなぞを出します。なぞなぞが進んで来ると、手を上げてから回答しないとダメとか、結構厳しくなって行きます。誰も問題を解けないと「なんでわからないの?」と怒られたりもします。なぞなぞをしている時の次男は少し恐いです。でも怒ってる姿もなぞなぞを出して偉そうにしている姿も可愛いです。こんなふうに子供達となぞなぞを出来るのもあと何年か分かりません。だから子供達と遊ぶ時は思いっきり遊びたいと思っています。
股関節を人工股関節にすると決めたので、今日から足のトレーニングをガンガン始めました。8月の手術のだいぶ前に痛くて歩けないなどと言う事になってしまっては困るので、その辺は身体と相談してと言う事になりますが、今から手術までの半年間は頑張って大臀筋や大腿四頭筋や大腿二頭筋やカーフを鍛えたいと思います。手術後は2週間入院になり筋肉が落ちてしまうので今のうちに筋肉を蓄えておこうと思います。そして筋肉でガッシリと人工股関節を守ってあげて、術後のリハビリをスムーズにし、1日も早く道場の稽古を始めたいと思います。手術の日まで気を抜かずに頑張ろうと思います。そして手術の日は思い残す事なく1度死んだ気持ちで全てを受け入れて手術を受けようと思います。そして手術が終わったら、今までの自分は1度捨てて、新しい自分に生まれ変わって、自分の出来る事をしっかりと頑張って行こうと思います。この手術は、今までの人生で出来ていた事で出来なくなってしまった事を綺麗サッパリ忘れ、新しい自分を作って行くためのキッカケだと思っています。50歳だと言う事を認めて生きて行こうと思います。この先たぶんもっともっと出来ない事が増えて行きます。自分の中の何かを変えて行かなければならないと感じています。子供達が成人したら妻と2人でいろんな所に行きたいです。そのためにもあと20年は元気でいたいと思っています。
昨年、家族がコロナになった時、私も濃厚接触者となりずっと家にいたので、私が1週間以上、食事を作っていました。作ったのはカレーでした。カレーならなんとかなるだろうと思い作ってみたら、長男も次男も喜んで食べてくれたので、私も頑張って毎日、カレーを作りました。でも1週間ぐらいで食べる量が減って行きました。どんなに美味しい物でも毎日食べてたら飽きてくるものなんだなと思いました。妻は子供達が飽きないように毎日いろいろ考えて工夫して食事を作っているんだなと思いました。私には到底出来ないと思います。本当に妻を尊敬します。
本日の診察で股関節を人工股関節にする手術までの日程が決まりました。手術箇所は左右両方の股関節にしました。7月24日に精密検査を受け、手術が出来る事を検査し、7月31日にどのような手術になるかを先生から説明を受け、8月20日に入院して8月21日に手術、2週間入院して9月4日に退院という予定になります。何もアクシデントが無ければ道場の稽古も直ぐに行える予定です。今回、先生から提案されたプランは2つありました。1つ目は、もう何年か頑張って痛いながらも生活して行って、いよいよ歩けなくなってから手術をする案、2つ目は、特に悪い左の股関節を手術して右はまた数年後にさらに悪くなってから手術を行う案でした。でも私は今回の手術で両方の股関節を手術してもらう事をお願いしました。まず1つ目の案は私の頭の中には全くありませんでした。誤魔化し誤魔化しこれからの数年を過ごすなんて私には出来ません。年齢的に考えても元気に稽古が出来るのもあと10年あるか?ないか?分かりません。その大切な数年を無駄に使うなんて私には出来ません。そんな生き方は私らしくありません。若い頃の私なら絶対にそんな事を選択したりはしません。だから手術する事を選びました。そして2つ目の案の特に悪い左の股関節のみ手術して右はもう少し大切に使って頑張って悪くなるのを遅らせて、おそらく悪くなるだろう2年後ぐらいに手術をする案も私は頭にありませんでした。右が痛いままなら結局は私は動けないままなので、今までとさほど変わりはなくなってしまいます。もちろん両方の股関節を手術する事にリスクはあるのは分かっているのですが、今回で全部決着を付けたいと言う事とどうせやるなら一気にやった方が良いだろうと考えました。人工股関節になると出来なくなる動きも出て来ます。その辺も今からしっかりリサーチして手術後、どんな事を目標にするかを考えています。今私がやろうと思っている事はこの股関節とも8月でさようならなので、最後にしっかり使い切ってあげようと思います。手術までにもっとボロボロになるぐらい使い切ってあげようと思います。手術の前の日には両方の股関節に「今までありがとう!ご苦労さん!」と言ってあげたいです。それまでもう少し一緒に頑張ってもらおうと思います。
個人レッスンを2名やりました。2人とも一生懸命に稽古してどんどん上達士ていました。1時間の稽古でこれだけ上手くなるのだから才能があるのだろうと思います。どんなに一生懸命に教えられても、どんなに一生懸命に稽古しても私は不器用だったので、1時間の稽古で大きく上達する事はありませんでした。毎日毎日薄皮を剥ぐような進歩を積み重ねてやっと上手くなるぐらいでした。そんな才能を授かって生まれて来る事が出来たのだから、頑張って世に名を成して欲しいと思います。昼からは、東京に遊びに来ている私の親友の息子と一緒にサウナに行き汗を流して、その後一緒に飲みました。何故そうしたかというと私が福島に帰るとその親友は私を銭湯やサウナに連れて行ってくれてそのあと飲みに連れて行ってくれくれるからです。その親友の息子は私も若い頃からよく一緒に遊んだり、私の道場で稽古をしたりもしたので気心もしれているので、ある意味今はもう友達みたいな感覚です。現在私が50歳で親友の息子は27歳だからなかなかの歳の差ですし、人付合いが苦手な渡しと話していてもなんの違和感もなく楽しんでいろいろ話してくれるので、なかなかのコミュニケーション能力だと思います。本当にしっかりしていて良い男だと思いました。親友の息子は北海道に移住するらしいので、これからはなかなか会えなくなってしまうかもしれないけど、何処に行ってもしっかり生きて行くだろうと思います。とりあえず水曜日にラーメン二郎を一緒に食べに行こうと思います。
今日は、旧城南支部で一緒に稽古させて頂いた、数見先輩と竹石先輩と一緒に食事をさせて頂きました。話す内容は昔一緒に稽古した時代の事です。話しても話しても話はつきませんでした。あの時代を逃げずに頑張ったから作れた財産だと思っています。あの時には逃げずに頑張ったメンバーは10人ぐらいしかいません。その中に自分も入れた事は私の勲章です。毎日、本当に大変だったけど頑張って良かったです。でももうあの時には戻りたくありません。あんなに辛い事は一生一度で十分です。本当にあっという間の楽しい夜でした。
15歳から空手を始めて35年間、本当に身体を酷使して来ました。20歳で東京に来てから34歳までの14年は1番身体を酷使した時期でした。ほとんどはその頃の怪我が原因となって、その後少しずつ少しずつ悪くなって行ったのだと思います。本当に身体はボロボロです。頚椎と腰椎にヘルニアを持ち、尚且つ腰部は脊柱管狭窄で両膝が悪く、両股関節も悪く、手と足は変形し脛の骨も凹んで変形し肩も悪く、もう良い所がないぐらい悪い所だらけです。だからウエイトトレーニングをして筋肉をつけ、筋肉という鎧で身体を守ろうと思って頑張っています。この股関節も今年中に手術して決着を付けたいと思います。8月に手術をするので、それまでに身体を鍛えて、体重も落としておきたいと思います。でも股関節を人工関節にする手術を決断してから、私は希望しかありません。この何年か膝が悪い、股関節が悪い、アキレス腱断裂と身体のあちこちが悪かったために思い切り稽古が出来ませんでした。でもこれをやれば治るんだと思えば、もうあとは希望しかありません。人工関節がいつ壊れて再手術になるか?それが70歳か?80歳か?そんなの分かりません。もしかしたらそれまで生きてないかもしれないし、それまでにはもっと凄い医療が生み出されてるかもしれないし、それは誰にも分かりません。こんなのくよくよ心配しても仕方がありません。結局は人の人生なんてなるようにしかなりません。なるようにしかならない事をくよくよ悩むなんて馬鹿らしいです。なったその時にまた考えて対処すれば良いだけです。それに私はどうなろうと絶対に負けない自信があります。極真空手をやったおかげで、普通の人の数十倍は修羅場をくぐりました。それにも負けず今までも生きて来たのだから、これからもきっと負けないはずです。もうこの股関節を人工関節にする事も笑いにしてしまっています。子供達に「先生はサイボーグになるぞ!機械の身体に改造してもらってさらに強くなるぞ!ワンピースのフランキーみたいな感じだな!」と話しています。そして本当にそんな気持になっています。股関節が良くなったら今まで出来なかった稽古もたくさん出来ます。だから今は希望しかありません。
50歳になって思う事はこの歳まで生きる事が出来て感謝していると言う事です。こんなに幸せな未来があるなんて10代の頃の自分には想像も出来ませんでした。大好きな極真空手を仕事に出来て、その好きな事を道場生に教える事が出来て、自分の稽古も毎日出来て、大好きな妻がいつも一緒にいてくれて、大好きな子供達がいつも一緒にいてくれて、これ以上の幸せはありません。私は今が1番幸せです。これ以上を求めたら今の生活はなくなってしまうと思うので、もう私はこれ以上は望みません。だから私はこれ以上は頑張らないって決めました。もう何かを犠牲にして自分以上の自分になる必要もありませんし、誰かと自分を比べて無理をして頑張る必要もありません。私は私のまま頑張ります。一歩一歩自分のペースで頑張りたいと思います。昨日、次男が「僕が具合悪くなったせいで、ママとデート出来なくなってゴメンネ!」と言っていました。本当に可愛い子です。長男も馬鹿な事ばかりしてるけど、馬鹿な所は私に似ての事だから、その部分も愛してあげたいと思います。昨日、家に帰ると皆でパッピーバースデーの歌を歌ってくれました。本当に幸せだなと思いました。子供達にも50歳の時には幸せでいて欲しいと思います。
50歳になりました。私を生んで独り立ちするまで育ててくれた両親には本当に感謝しています。私の先祖や私を導いてくれた方々や私にかかわってくれた全ての方々に感謝しています。今日は妻と食事に行く予定でしたが、次男が体調をくずし学校を休んだため、中止となってしまいました。私はトレーニングに行き、床屋に行き、銭湯でサウナに入り、稽古に行きました。たくさんの道場生におめでとうを言って頂きました。本当にありがとうございます。帰宅すると妻と長男と次男が電気を消してケーキのローソクに火を付けて待っていてくれました。そしてサウナハットをプレゼントしてもらいました。もう少しで泣くところでした。50歳まで生きて来て本当に良かったと思いました。妻と長男と次男には本当に感謝しています。50歳最初の日は最高の1日でした。50歳は最高のスタートを切る事が出来ました。
今日が49歳の最後の1日となりました。考えてみると47歳で右膝が悪くなり、48歳で右膝の手術、その年の10月終わり頃に腰部脊柱管狭窄症になり、半年ほど薬を飲み、次の年の5月頃に良くなり、稽古を始めたら6月に右足のアキレス腱を断裂しアキレス腱の縫合手術をし、股関節は2年ほど前から痛かったのですが、昨年末にいよいよ悪くなり今年の8月に人工関節の手術をする事に決めました。考えてみると48歳、49歳、50歳と3年連続で手術をしていると言う事になります。自分の罪の精算をここで一気にさせて頂き、ここから復活させて頂こうと思います。不安は全く無いか?と言われたらもちろん不安はあります。youtubuで股関節の人工関節手術の映像などを見ると、これは大変な手術なんだなと言う事が分かります。でもやっぱりこれは自分がやって来た事の中で起こった事なので、自分でしっかりケジメをつけたいと思っています。だからこのことには家族は極力関わらせないようにしたいです。右膝の時もアキレス腱の時もそうだったように1人で病院に行って1人で帰って来ようと思っています。今日は明日は妻と食事に行くため、明日の分までトレーニングをしました。現在22時26分です。あと2時間34分で50歳になります。かと言って明日から、全く新しい自分になる訳でも、自分の何が変わる訳でもありませんが、50歳と言う年齢に恥じない生き方や立ち振舞をしたいと思います。40代は本当に充実して楽しい時間でした。次男が生まれたり、ウエイトトレーニングを始めたり、マスターズの試合に出たり、型の試合に出たり、新しい事にもたくさん挑戦しました。本当に楽しかったしたくさん思い出も作りました。何も悔いはありません。50代は先ずは身体を治して、身体を労りながら、新しい事を修得して、また10年突っ走りたいと思います。明日が楽しみです。
kanno
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