DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
私は食べる事にはお金を厭わないようにしています。と言っても自分で高級なレストランやお店に行く事はありません。高いお店と安いお店があったら迷わず安いお店を選びます。食べた物は体の中に入ってしまえば同じ栄養となるだけです。でも子供達はやはり好きな物はたくさん食べるので出来るだけ好きな物をたくさん食べさせてあげたいと思います。お菓子やアイスやそんな物はもちろん別です。この前、次男が鳥貴族で焼き鳥と釜飯を食べたいと言いました。お店に行くといっぱいだったので諦めようかと思いましたが、次男はどうしてもそれが食べたいと言いました。じゃあ安安で焼肉を少しだけつまんで、お店から電話がかかって来たら鳥貴族に行って本作的に食べようと言う事にしました。次男は喜んでたくさん食べていました。今はたくさん食べてたくさん動いて自分の持っているポテンシャルいっぱいに身体を成長させてあげたいと思います。余談ですが私はほんの贅沢はしません。賭け事もやらない、タバコも吸わない、家族と以外は外で飲む事もほぼありませんし、お酒も週末しか飲みませんし、何か自分の趣味にお金をかける事もしません。でも何で食べる事にお金を厭わないのかと言うとそれは父の教えです。父は私によく「無駄遣いはするな。賭け事をしたり、何かを無駄に買う事は無駄遣いだ。でも食べる事は無駄遣いじゃない、食べた物は全部栄養になって自分の身体になるんだから。」と言っていました。その時、私は本当だなと思いました。私の父も私に好きな物をたくさん食べさせてくれました。そして私がたくさん食べると父はとても機嫌が良かったです。そして「今は俺がお前に美味しい物を食べさせてあげるから、大人になったら自分で美味しい物を食べれるようになれ。」と言われました。だからなのかもしれませんが、私も子供達がたくさん食べているのを見ると安心してとても幸せな気持になります。
1月27日に左の股関節のMRIを撮り、30日にMRIの写真を見ながら、主治医の先生の診察を受けて、また後日に右の股関節のMRIを取り、また後日に主治医の先生の診察を受けて、最終的にどのようにするか?を決める事となります。今現在、開脚が出来ないのと蹴り技が出来ないのと型を全力では出来ないのと思い切り足を開くような立ち方が出来ないなど、いろいろ出来ない事はありますが、出来る事もたくさんあります。出来ない事が分かったぶん、出来る事も再確認し今まで取り組んでいなかった出来る事にも取り組んで見ようと思います。はっきり言って少し発想を変えれば出来る事だらけです。出来ない事が増えた事で出来る事も増えています。これは自分でも驚きです。やろうとする意欲があれば、どんな状況でもどんな状態でもやれる事をたくさん見つける事が出来ます。だから大切な事はその人のヤル気とその物事に取り組む姿勢なのだと思います。求めれば必ず道は拓けます。それを強く感じました。身体が悪くなるたびに私は新しい事に気付き人間的にも強くなって向上しています。身体が不自由になって制限があって見えてくる物もたくさんあります。人生死ぬまで修行です。
身体に悪い所があるからと手をこまねいているのは嫌です。やれない事がいくら増えたとしても、やれる事は必ずあります。水泳なら出来ると思い、プールに泳ぎに行きました。下半身をローリングさせるように身体を捻ってバタ足をすると股関節に痛みを感じるのと、平泳ぎの足は出来ないのと、バタフライのドルフィンキックで身体を反った所から強く蹴りすぎると股関節に痛みを感じる事がわかりました。それを確認してから、クロールでトータル1000m、バタフライをトータル100m、バタ足をトータル100m、そのあいだに歩いたり、足を上下運動したり、前蹴りをしたり、膝を回したりをしました。泳ぐのは本当に久しぶりだったので水が重くて全然上手く泳げませんでした。頑張って週一で続けて行こうと思います。水泳には本当に助けてもらっています。ヘルニアになった時、試合前に足を痛めて走れなくなった時、身体を悪くした時に水泳が出来るおかげで、頑張って身体を鍛える事が出来ました。自分が頑張った事は必ずいつか役に立ち自分を救ってくれると言う事をあらためて感じます。
昨日の夜、妻に自分の股関節の診断結果を伝えました。もう開脚は出来ない事、ゆくゆくは人工関節になる手術をしなければならない事、今人工関節にしてしまうと70歳ぐらいでもう1度手術をしなければいけない事、70歳の時に手術出来る体力があるかという事、いろんな可能性を考えて話しました。私が今1番悲しい事はもう2度と得意の上段廻し蹴りが蹴れなくなってしまったと言う事です。私の股関節は開脚に向いていなかった、それを無理やり開脚が出来るように努力をしたから今現在こうなったと言う事です。私の夢だった上段廻し蹴りで一本勝ち出来る選手になる夢を叶えなかったら私は今現在こうならなかったと言う事になります。その事も妻に話しました。でもやはり私は未来でこうなる事を知っていたとしても開脚を頑張って上段廻し蹴りで一本勝ち出来る選手を目指したと思います。そもそも上段廻し蹴りが蹴れないのならボクシングをやろうか?と思っていたほどです。だって松井章奎館長とアンディ・フグ選手の試合を観て感動して極真空手を始めたのですから。そして自分の希望通り夢を叶えて第32回全日本空手道選手権大会の舞台で左上段廻し蹴りで一本勝ちし、千葉県空手道選手権大会の決勝戦で左上段廻し蹴りで一本勝ちし、自分より大きな選手の顔を何度も蹴って、閃光の左上段廻し蹴りの異名ももらい、たくさんの一本勝ちと技有りを取り、稽古でも組手でも私が顔を蹴れなかった人はいないと言うほど人の顔を蹴って来ました。もしかしたら、その罪の精算をする日が来たのかもしれません。それを私が言うと妻は「もう一生ぶん人の顔を蹴ったんだから、もう十分じゃない、そんなに人の顔蹴ったんだから、そうなるのも仕方ないね」と笑って言いました。少しだけ心が楽になりました。これからは自分の身体も人の身体もいたわれる人間になろうと思います。
今日は病院で股関節の診察を受けました。レントゲン撮影を先生から診断を受けた結果はなかなか悪い状態だという事です。また後日、MRIで股関節を撮影して状態を見て、先生の診断を受けて、これからの事を決めて行く事になりますが、ゆくゆくは股関節を人工関節にする必要があるだろうと言う事です。ですが人工関節も摩耗するもので早いと20年、長く持てば30年との事です。多分私は結構動くのでも持っても20年ぐらいなんだと思います。なのであと5年はなるべく股関節を使わないようにだましだまし生活して長持ちさせて、いよいよ歩行が困難になってから人工関節にするのが良いとの事でした。ついにこの日が来たか?と言う感じです。先生が言うには、もともと私の股関節は普通の人より膨らみが大きく開脚には向いていない股関節だったそうです。それを無理やり開脚してきたから股関節の外側の軟骨が減ってしまい骨と骨がぶつかって炎症しているとの事です。私はそれを聞いて「自分の股関節は開脚に向いていなかったんだ?それなのに開脚を180度出来るようにしたんだから僕は頑張ったんだな!」と思い、すこし泣けて来ました。本当に自分の股関節に感謝です。ちゃんと180度の開脚が出来るようになり、自分より大きな人の顔を蹴れるようになってくれて、選手時代は悪くならずに頑張ってくれて、この歳まで頑張ってくれたのだから。もう開脚が出来なくなってしまうのはとても寂しいし悲しいし辛いけど、今まで酷使したぶん大切にして、もう少し頑張りたいと思います。でもこんな事には負けていられません。やれる稽古はたくさんあります。まだまだ強くなる方法はたくさんあります。閃光と言われた左上段廻し蹴りはもう蹴れないけど、高い蹴りは使わない新しいNEWスタイルの菅野秀行の組手を編み出したいと思います。
長男と次男と3人で川崎之TOHOシネマズに「かがみの孤城」を観に行きました。川崎に少し早く行きゲームをしてから映画を観ました。とても良い作品でした。中学生という時期は本当に微妙な時期です。人との関わり方に難しさも感じる時期だと思います。でもその時期に人とたくさんぶつかったり支え合ったり時には傷つけ合ったりして自分なりの人との関わりを見つけて大人になって行くのだと思います。もしそれがどうしても上手く行かなかったら、誰かに助けて貰えば良いと思います。世の中は確かに冷たいところもありますが、自分が思っている以上に世の中はあたたかいです。でも自分がSOSを出して助けてもらおうとしなければ、誰も自分を助けてくれません。だから結局は自分を助けるのは自分の力なのかもしれません。でも自分が助けて欲しいと行動を起こせば必ず誰かが手を貸してくれます。私はそう信じています。長男と次男はこの作品を観てどう感じたのかは分かりませんが、とても良い時期にこの作品を観たのではないかなと思います。帰りに3人で銭湯に行きました。私はサウナに入ったりしていたので、長男と次男は二人でお風呂に入っていたのですが、次男はサウナ室のドアが開くと音楽が聞こえるのですが、ドアが開いて音楽が聞こえるたびに歌を歌って長男を笑わせていました。長男はそれがツボに入ったらしく、次男がそれをやるたびに大爆笑していました。兄弟はこの世で一番ケンカをして一番仲良くする人だと思います。大人になっても二人で助け合って欲しいなと思います。
次男には最近、口癖があります。その言葉は「バッチバチ」です。例えば「バッチバチに走って来た!」とか「バッチバチに食べた!」と言う感じに、何かの言葉に「バッチバチ」を付けます。たぶん私達の頃で言えば「バリバリ」にとかと一緒なのかと思います。次男は赤ちゃんの頃から怒りん坊だったけど、今でも怒りん坊です。そして凄く良くしゃべります。休みの日なんて朝起きていきなりハイテンションでずっとしゃべっています。次男は運動するのがあまり好きではないのですが、頑張って空手を週三回、水泳を週二回通っています。でもそのぶんたくさん食べるので全然痩せませんが、いっぱい動いていっぱい食べて心も身体も大きな人になって欲しいと思います。
あと17日で50歳になります。50歳になるまで「強くなりたい!」この情熱は消えませんでした。今でも飽きることなく毎日強くなる稽古をしています。自分でも本当にビックリです。でも小さい頃は、だいたいの男の子はウルトラマンとか仮面ライダーとかヒーローが好きで「強くなりたい!」と思っていたと思います。私達の中学生高校生の時代は不良全盛期で喧嘩が強い人が1番尊敬され女の子にもモテました。その頃の男子生徒の半分はバリバリじゃなくてもカッコつけて不良ファッションをして喧嘩なんかもしていたと思います。でも普通はみんな何処かでお金持ちになりたい、好きな子と結婚したい、旅行したい、カラオケに行きたい、飲みに行きたい、それをやるためにはお金が必要で、お金を稼ぐためにみんな普通に働き始めます。それが普通だし当たり前です。そして夢とか言っている場合ではなくなるのが普通だと思います。でも私は「強くなりたい!」そのためならお金持ちどころかお金なんてなくても良いと思っていました。だからちゃんと就職して会社員になった事はありません。結局この50歳まで「強くなりたい!」それだけで生きて来ました。私は「強くなりたい!」そう目を輝かせて入門してくる子供達が大好きです。そしてそういう子供達に空手を教える事も大好きです。でもみんなどこかで大人になるのか?夢を諦めて道場を去って行きます。それが当然と思いながら、いつも寂しく思い道場を辞めていく子を見送ります。子供の頃から「強くなりたい!」その気持をいろんな理由で何処かで諦める人をずっと見送って来ました。でもまた「強くなりたい!」と夢を持って新しい道場生が入門して来るので寂しくはありません。私は誰が去ろうと自分で決めたこの道をどこまでも突き進むだけです。この世から去るその日まで自分で決めたこの道をどこまでも突き進みたいと思います。そして私が高校の卒業文集に書いたように「人より遠回りしたぶん、人より遠くまで行きたい」と思っています。
現在、股関節が悪いためにあまり激しく動く事は出来ないのですが、上半身のストレッチ、呼吸法、型、ウエイトトレーニングはしっかりやっています。お正月の暴飲暴食で体重が100キロになってしまいましたが、着実にダイエットして身体を整えています。上半身のウエイトトレーニングは記録も伸びていますし、身体にも大きな変化が現れています。ベンチプレスは90キロ10回余裕で上がるようになったので、今年の目標は100キロ10回、MAX120キロを目指したいと思います。肩もダンベルショルダープレスで30キロ12回上がるので35キロ10回を目指したいと思います。背中は懸垂で自分の体重を10回上がるので自分の体重+10キロ10回を目指したいと思います。そうなると今のジムでは最重量のダンベルは30キロなのでジムを変えなくてはいけないかもしれません。体重が100キロでも腹筋の上の方は割れているので以前の身体と今の身体の筋肉量は今の方が上だと思います。久しぶりにあった空手の後輩にも「先輩、現役時代の身体に戻りました!」と言われました。夏に向けて脂肪を落としてカッコイイ50歳になりたいと思います。
久しぶりに妻と二人でタパスタパスにランチしに行きました。いつもは子供達がいるので二人というのは、少し照れくさい感じがします。でもいろいろな話も出来て楽しかったです。たまには二人でランチするのも良いなと思いました。これからは毎週1回はランチに誘って見ようかなと思っています。妻が行きたくなるような美味しいお店をリサーチしようと思います。
kanno
|