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2022年11月28日(月) 最後まで気を抜かず

今日が終わり、あと2日で11月が終わります。今年は12月28日まで稽古を行いますので、正月休みまであと1ヶ月です。今年と来年はとことん突っ走ろうと思います。まだ残り1ヶ月ありますが、今年はなかなか大変な年でしたが、そのおかげで一生懸命頑張れた年でした。凄く成長出来た年でした。1年を良い年だったと言えるよう、最後まで気を抜かず頑張りたいと思います。


2022年11月27日(日) 型競技・I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合

第19回型競技支部内交流試合と第10回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合が終わりました。初参加者や初優勝者が生まれた良い試合となりました。何かをキッカケにヤル気が出たり目標を持てたりしたら良いなと思い、東京城南京浜支部では型競技とセミコンタクトルールの支部内交流試合も行っています。強くなりたいと言う気持はみんな持っていると思うので、いろんなアクセス方法で強くなってくれたら良いなと思います。1人でも多くの生徒が強くなれるよう頑張りたいと思います。


2022年11月26日(土) もうひと暴れ

もうクリスマスソングを耳にする時期になって来ました。年末も来年ももうすぐそこまで来ています。自分でアグレッシブに行動していても時は経ってしまいますが、その反対にボケーっと何もしないでいても同じように時間は経ってしまいます。生きて来た時間よりもこれから生きるだろうという時間が少なくなったからこそ時間を大切に生きたいと思います。何も起こさずに決まった同じ毎日をただ過ごすのは私は嫌です。仕方なく何かに引きずられるように生きて行くなんて私は絶対に嫌です。毎日をダラーっとして過ごし時間に後から押し出されるように生きて行くなんて私は絶対に嫌です。常に目的を持って自分の力で一歩一歩前に進んで行くような生き方をしたいと思っています。来年は50歳になりますが、もうひと暴れしてこの世の中に生きた証と生きた爪痕を残したいと思います。


2022年11月25日(金) 妻に言われた一言

第54回全日本空手道選手権大会で私は1回戦5試合と4回戦8試合で主審を務め、男子と女子の決勝戦の副審を務めました。今回の大会を妻も観に来ていました。妻から「12年前は試し割りの審判や審判補佐だったのにずいぶん出世したよね」と言われました。考えてみればそうだよなと思います。12年前にの自分は、12年後に自分が主審をしたり決勝戦の審判に入るなんて想像も出来なかったと思います。特に決勝戦の審判というのは過去の世界大会や全日本や全日本ウエイト制のチャンピオンや入賞者で構成されています。実際に今回の決勝戦の審判も世界大会や全日本や全日本ウエイト制でチャンピオンになった人や入賞した人で構成されていました。その実績がなかったのは私だけです。そこに選んで頂いたのだから主催者や選手の期待に応える良いジャッジをしようと臨みました。私が支部長になれたのは、自分の先生が組織を脱退したからですし、今こうして技術委員や演武プロジェクトチームに係ることが出来たり、全日本や世界大会で主審に入れるようになったのも、誰かが組織を抜けて、そこを埋めるために抜擢して頂いた物であったりもします。だから私はとても運が良いと思います。でもその運を掴むところに自分がいたのも事実です。先生が組織を抜けた時に道場を持っていなければ支部長にはなれていません。主審が出来る人が手薄になった時に主審判員の資格を取得していなければそこに抜擢してもらうことも出来ません。組織が型の再編成をする時に、自分が型をたくさん知っていてそれを自分で演じる事が出来なければ技術委員に入ることは出来ません。だから組織がそれを必要とするチャンスにその力を私が持っていたと言う事になります。でもやはりそこに運を感じるし運命を感じます。これからもしっかり努力して力を蓄え、自分を必要とするチャンスに備えたいと思います。最後に妻に言われた一言を書いておきます。「決勝戦の審判もして、主審もするんだから、そうとう出世したのに、審判を呼び出す係もいまだにやってるんだね。あなたらしいね。」


2022年11月24日(木) 次男の可愛いところ

次男はなかなか可愛いところがあります。妻と次男が話しているのを聞いていると「ママと同じ時代に生まれてたら、僕はママと結婚してたな!」「ママみたいにカワイイ人と結婚したいな!」と次男が言っていました。お世辞でもそんな事を言われたら嬉しいだろうと思います。将来はお寿司屋さんかラーメン屋さんになりたいと言っているので、お客さんに愛想が良くてお客さんに愛される定員さんになって欲しいと思います。味と人の良さでお客さんの心を和やかに楽しませて欲しいと思います。


2022年11月23日(水) 稽古から長男のギター発表会

今日は勤労感謝の日ですが、朝7時30分に起きました。雨が降っているので次男と8時29分のバスに乗って蒲田駅まで行き、そこから電車で大森道場へ行きました。9時過ぎに道場へ到着し呼吸法とストレッチを行いながら生徒を待ち10時から12時まで23名の道場生と稽古をしました。稽古後急いで電車に乗り、藤沢にある新堀ギター音楽院へ長男が出演するギターの発表会へ行きました。長男はトップバッターで登場し格好良くギターを引いていました。長男はどんな景色を見ているのだろう?どんな気持ちなのだろう?と思いながら演奏を見ていました。いつもはダメなところだらけの長男ですが、ギターを引いている姿は少し大人っぽく見えてとてもカッコイイです。私も度胸を決めれば、どれだけ人が多かろうと人前で何かを披露するのは嫌いではないのですし、時には楽しめる事もあるので、長男もその私の血は引いているのかも知れません。発表会後に長男に「緊張した?」と聞いたら、長男は「少しね!」と言っていたので、私より度胸はあるようです。頑張って夢を叶えて欲しいと思います。


2022年11月22日(火) 身体の変化

自分でも自分の身体の変化には気がついていましたが、2022国際親善大会と第54回全日本空手道選手権大会でお会いした支部長に「現役時代みたいな身体になったね!」とか「凄い身体だね!」と言っていただけると自分の身体の変化に改めて気付くことが出来ます。45歳から本格的にトレーニングを再開したので約5年ですが、頑張って来て良かったなと本当に思います。


2022年11月21日(月) 全国支部長会議

東京体育館第一会議室で全国支部長会議がありました。各委員会から1年の活動報告が発表されたり、1年間の活動の反省点や改善点に対する意見を出し合ったりととても有意義な会議となりました。今現在、空手界は、極真を勝手に名乗る団体や、小さな団体が無秩序にくっついたり離れたりして競技会を開いたりしていたりします。武道を名乗っている人達が礼儀も規律も守れずに所属している団体に不義理をして、自分の利益のために自分の都合の良い団体にくっついたり離れたりしている道場がたくさんあります。それこそどこの誰に空手を習ってどんな団体のどんな規模の大会で実績を作ったのかも分からない人達が道場を作り大きな競技団体に加盟しその名前で道場を宣伝していたりします。大山倍達総裁が創設された団体は国際空手道連盟極真会館です。大山倍達総裁が後継者に選んだのは松井章奎館長です。私はその団体で道場を出していると言う誇りと自負を持っています。そして国際空手道連盟極真会館は100年後にも必ず誰かが引き継いで今の規模を維持して活動していると思います。本物は必ず残ります。利益だけを追求したり、流行を追いかけているような団体は一時は輝いているように見えても20年後には消滅していると思います。そうなれば残念ですが、そこで活躍した選手の名前も団体と共に忘れられてしまいます。その団体が残っていればこそ、そこで活躍した選手の名前もじっせきも残って行きます。国際空手道連盟極真会館はこれからも必ず発展して行くと確信しています。そうなるように私も命を賭けて活動して行きます。


2022年11月20日(日) 私が世界の真中だと思う場所

第54回全日本空手道選手権大会が終わりました。数年ぶりの有観客の東京体育館でした。やっぱり極真会館の全日本空手道選手権大会は東京体育館が良いですね。私も31年前からほぼ毎年来ている場所なので、正しく聖地です。とても素晴らしい戦いがたくさんあり素晴らしい大会でした。私は今回も第一試合の主審でした。選手も命を賭けて頑張っているのだから私も良いジャッジをしよう、大会を良くしようと思いとても緊張しました。第一試合の主審が1番緊張します。私は1回戦5試合、4回戦8試合を主審しました。4回戦8試合は1番多く審判をするので試合場の上に40分以上いました。それと今回は初めて決勝戦の副審に入りました。男子女子の決勝戦を特等席で観れたので、これは審判の特権だと思いました。そして私の道場生にもあの試合場に立たせてあげたいと心から思いました。今回の全日本空手道選手権大会では行われませんでしたが2日目の決勝日に残ったベスト32の選手は開会式で1人ずつ試合場の真中で選手紹介をされます。私は人生でその場所に2回立ちました。1度目は私が27歳の2000年に行われた第32回全日本空手道選手権大会でした。私は試合場の真中に立った時に、自分が18歳の時に第5回全世界空手道選手権大会を観た2階観客席が目に這入りました。あの時はあの場所からいつかこの場所に立ちたいとこの場所を見ていた、でも今自分はその場所に立つ事が出来たんだと思いとても感動しました。2回目は私が33歳の2006年に行われた第38回全日本空手道選手権大会でした。その時はもう次の年の世界大会での引退を決めていたので、この場所からこの景色を見るのは人生最後かもしれないから、一生消えないように目に焼き付けよう!でも頑張って来年の世界大会でこの場所からこの景色を見るぞ、と思いました。ですが、その10年後の私が43歳の2016年に行われた第48回全日本空手道選手権大会で第一試合の主審をし、試合場の真中に立ち、またこの景色を見る事が出来たと思いました。私の人生は極真空手と共にあったと言って良いと思います。私の感動は極真空手と共にあったと言って良いと思います。


2022年11月19日(土) 2022国際親善大会

2022国際親善大会でした。東京城南京浜支部からは馮旭、今野頼、松井真生、紫牟田芽生、馮瞭、小枝怜生、菅野陽生、小枝蕗生、今野讓、菅駿斗、三尾理音、大野陽丘の12名が出場しました。馮瞭が準優勝、馮瞭、小枝怜生、三尾理音がベストエイトであと一息でした。みんな良く頑張りました。この経験を絶対に無駄にしないで次に繋げて頑張って欲しいと思います。第10コートのスタッフとして働いてくれた、松村俊輔、長恵里花、岸之上侑正の3人には本当に感謝しています。


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