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2022年07月27日(水) そう悪くない

私は人生で1度だけ試合場で相手の上段廻し蹴りで一本負けして、試合場で意識を失った事があります。2004年4月の千葉県大会の準々決勝での試合でした。私は31歳で前年の世界大会に出場が叶わず、引退も頭に過ぎったのですが、その年のお正月に4年後の世界大会を目指そうと現役続行を決断して、1番最初の試合でした。前々年に城南支部は極真会館を脱退し、極真会館に残った仲間もみんな前年に引退し、ある意味では一人ぼっちのスタートでした。でも私はここから一人で頑張った4年が自分が1番頑張った時期だと思っていますし、この4年にたくさんの事を学ぶことが出来ました。私はこの試合に向けて、誰に叱られなくても手を抜かず稽古することが出来ました。試合の前日には39度の熱を出し一睡も出来ずに試合に臨みましたが、弱気になることはありませんでした。何故か分かりませんが、絶対に優勝する自信がありました。そして試合でも絶好調でした。2回戦3回戦では180センチ以上ある勢いのある若手2人を完封して準々決勝に臨みました。準々決勝でもほぼワンサイドで試合を進めて行きました。そして最後の決めにラッシュをかけたところで意識が途切れ、目を覚ますとそこは控室でした。私が倒れるのと試合終了の太鼓が同時だったそうです。私は試合場で意識を取り戻し、挨拶をして試合場を降りて、相手にも挨拶に行ったそうなのですが、それは記憶にはありません。私は控室で意識を取り戻した時に思った事は、「一本負けもそう悪くない」でした。それは何故かと言うと、私は試合中に一瞬も諦めることなく最後まで戦いました。もっと言ったらその年の始めから自分に厳しい時間を過ごし、自分に負けることなく試合に臨み、最後の一瞬まで諦めることなく、自分の意識が途切れたのです。たぶん私はあの場でもう二度と意識を取り戻すことがなかったとしても、悔いはなかったと思います。だから一本負けもそう悪くないと思ったのです。私は意識を取り戻し、ワールド空手のインタビューを受けました。インタビュー中に私は涙が出てきました。悲しくて悔しくて泣いたのではありません。自分に負けずに頑張って来た日々を思い出し、よく頑張ったなと感極まって涙が出てきたのです。私がこの世から去る時も同じようでいたいです。死ぬのもそう悪くないと言えたらと思います。でも私という意識がある限りは私は自分に負けないで頑張りたいと思います。私の最後の目標は「死ぬのもそう悪くない」と言ってこの世を去る事です。


2022年07月26日(火) ギリギリのラインを攻める

何処かを怪我した時に、ある一時期は安静にしておく事はとても大切なのだと思いますが、歳を取ってくると身体の回復力が遅いため、完治するまでに時間がかかります。完治するまで安静にしていたら、身体の他の場所の筋力や機能が衰えてしまい、元の状態に身体を戻すのは難しくなってしまいます。怪我した場所も完治するまで動かさないでいたら、完治した時には、神経も筋力も機能も落ちてしまい、元の動きは出来なくなってしまう可能性があります。なので私はなるべく悪いところも動かすようにしていますし、動かせるところは前以上に動かすようにしています。私は右足のアキレス腱を断裂しました。私は元に戻りたいわけではありません。前よりも強くなりたいのです。元に戻るだけなんてつまらないし、そんなところを目標にしていたら、たぶん元よりちょい下ぐらいにしか戻らないと思います。前以上を目標にすれば元に戻ることなんて簡単なはずです。私はやって見せます。49歳でアキレス腱断裂しようと前より強くなれることを証明したいと思います。練習は不可能を可能にします。私は空手家です。身体が動かなくなったらおしまいです。前以上の自分になる努力をしなくなったらおしまいです。強くなりたいという情熱がなくなったらおしまいです。やれる事とやれない事のギリギリのラインを攻めて、必ず試合に出れる心と身体を作って見せます。言ったからにはやって見せます。


2022年07月25日(月) 結局は

ここ数年、私の身体にいろいろなアクシデントがありました。1昨年の10月に右膝を痛め昨年の1月に手術をし、昨年の末に腰部脊柱管狭窄症になり、治ったと思ったら6月13日に右足アキレス腱断裂です。1昨年からコロナ禍となっている中で、結構たくさんの人と接触する仕事をしているのに、何故かコロナとは無縁で、それとは関係のないところで身体を壊して大変な思いをして来ました。結局、私達人間はどんなに気を付けてもコロナにかかる時はかかるし、怪我をする時はするし、事故にあう時は事故にあうんだし、死ぬ時は死ぬんだと思います。もちろんそれらに気を付けて生きて行った方が良いと思います。でもそのリスクを気にしすぎたり、そのリスクにおびえて生きるのは、私は嫌です。自分が出来る事は気を付けながら、自分のやりたい事をやりたいと思います。お酒を飲みたい時は飲めば良いと思います。友達と会いたい時は会えば良いと思います。走りたい時は走れば良いと思います。結局どんなに健康に気を付けても人間は死ぬんです。生きているうちにこの人生を楽しまなければ、生まれて来た意味を失ってしまいます。たぶん何歳まで生きても、もう少し生きたいと思うのでしょうし、何歳まで生きても夢なかばで死ぬことになるのだろうと思います。だからこそ私は死は身近にあるんだと自分にいつも言い聞かせて毎日を生きています。身体に気を付けて何もしない人生より、身体に気を付けていろんな事をやる人生のほうが私は良いと思います。気を付けるところは気を付けて、羽目を外す時は羽目を外して、自分の身に何かアクシデントがあった時には受け入れる生き方をしたいと思います。


2022年07月24日(日) 気持ちの糸

アキレス腱断裂から46日が経ちました。自分で言うのはなんですが、かなり頑張って来ました。感じ的に言うと、今まで作っていたパズルを完成間近にガシャーンと壊されて、気持が折れそうな所をその瞬間から気持を切り替えて、1からコツコツ頑張って来た感じです。しかし私も普通の人間なのでそれなりに疲れもストレスもたまります。頑張り過ぎると気持ちの糸が切れてしまうので、それを解消するために今日は川崎の一蘭にラーメンを食べに行きました。あまり箍を外すと気持ちの糸が緩むのではなく、逆に気持ちの糸が切れてしまうので、替玉は1回でスープは飲まない事に決めて、長い時間食べれるようによく噛んで味わって食べました。また明日から2週間気合を入れて頑張ろうと思います。


2022年07月23日(土) 長男のギター演奏

長男がギター教室で先生方と演奏した映像を見ました。長男がギターを演奏している姿を見て感動してしまいました。とてもカッコ良かったです。長男にギターをやらせて本当に良かったと思いました。私も中学生の頃にギターをやっていたのですが、今の長男の演奏を見たら恥ずかしくてギターをやっていたなんて、とても言えません。私の周りにも当時の私からは上手いと思う友達はいましたが、思い出してくらべても長男はなかなか上手いと思います。小学校6年生でエレキギターを弾ける人が私の周りにいたら、それはもう憧れていた事だと思います。私にはギターのセンスはありませんでしたが、長男にはどうやら、私よりはセンスがあるようです。長男はもう自分の意志をしっかり持っているようです。長男は親の言いなりにはならないと思います。私もそうだったから仕方ないと思いますが、男がこうと決めて進み出したら誰も止める事は出来ないのだと思います。親に出来る事は見守って応援してあげる事だけです。


2022年07月22日(金) 私達の世代

ついに来週で7月も終わりとなります。1年生の半分が瞬く間に過ぎて行きました。来週と再来週は短期集中セミナーがあるので全力で指導に当たりたいと思います。8月7日から8月15日までは道場の稽古がお休みになるので少しゆっくり休みたいと思います。私達は沖縄本土復帰と日中国交正常化とオイルショックと言う時代が目まぐるしく変わる時に生まれた第二次ベビーブームの団塊ジュニアと言われました。その私達もついについに50歳です。私達は、団塊の世代と言う戦後の高度経済成長、バブル期を労働者として、消費者として、戦後の日本に大きな影響を及ぼしてきた凄い世代の人達の子供に生まれ、子供が多いため何をするのも競争率が高く、学歴社会、学歴偏重主義と言われるとても窮屈な中で子供時代、青春時代を過ごしました。成人するとバブルが崩壊し、なかなか大変な時期を社会人として生きなければいけませんでした。得だった事は人が多い事もあり時代の流行りは私達の世代と共に進んで来た事でした。そんなこんなで生きてきた同じ歳の皆と、今度の休みには、お疲れ様とお互いを労いあいたいと思います。


2022年07月21日(木) 20周年

本日、不動産屋へ行き、大森道場の10回目の更新を行いました。ついに大森道場を開設して20周年となりました。あの時に踏み出した1歩が今日と言う日に繋がりました。始めから20年続くと思っていたか?と言われたら、20年続くと思っていたわけではありませんが、この世界で生きて行けなかったら、他に生きて行く道はないと思い、苦しい時も辛い時も、負けてたまるかと歯を食いしばって踏ん張って頑張りました。どんな悩みを抱えても、何とかなるだろうとポジティブに明るく生きて来ました。でもこうしてやって来れたのもたくさんの方々のおかげです。極真空手と言う私の生き甲斐を作って下さった大山倍達総裁、私が極真空手を始めたいと思ったキッカケとなった大会で優勝され、私を支部長に任命してくださった松井章奎館長、私を導いてくださった師範、先生、先輩、私と一緒に稽古してくれた仲間達、極真会館に関わる支部長や指導員や道場生の皆様、私の道場に入門してくれた道場生、道場生のご父兄様、私の家族、私の両親、私の人生に関わってくださった全ての方々に感謝しております。道場の更新が終わり不動産屋を出たあとに自然に涙が出て来ました。本当なら祝杯をあげたいところでしたが、アキレス腱が治るまではお酒を止めると決めたので、祝杯はあげませんでした。ここから15年しっかり頑張って行きたいと思います。今日、長男に「明日、世界が滅亡するとしたら、何をしたい?」と聞いたら、長男は「ギターを弾きたい」と言いました。自分のやりたい道を突き進んで欲しいと思います。


2022年07月20日(水) 出来る事を増やしていく

右足に装具を装着して6日目となりました。だんだん出来る事が分かって来ました。松葉杖歩行は基本的に今まで通りの腕の力だけでの松葉杖歩行をしています。その方が速く歩けるのと、その方が楽なのと、上半身のトレーニングにもなるので、それで行っています。自転車は普通に乗れるようになりました。なので今日からジムでエアロバイクを始めました。家の中や道場の中では松葉杖を使わずに歩行しています。右足だけハイヒールを履いて歩いている感じなので剣道の時の歩き方みたいになるのと骨盤がいつも傾いているので腰と股関節にすごく負担がかかります。足首は伸ばす事は出来るので、正座の練習を始めました。足の浮腫と腫れがいまいち取れないのでなるべく足の指などを動かすようにしています。アキレス腱を再断裂しないよう気を付ける事も大事ですが、私も来年50歳です。怖がって動かなければ、出来る事も出来なくなってしまいます。動かさずにいたら二度と出来なくなってしまうかもしれません。無理せずに常に出来る事を探し、出来る事を増やし、出来る事はどんどん取り入れて行こうと思います。こんな怪我に負けてたまるかと毎日頑張っています。


2022年07月19日(火) 好きな言葉を改めて書きます

何度かこの日記には書いた言葉だと思いますが、改めて私の好きな言葉を2つ書きたいと思います。1つは「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」です。たとえどんな状況に置かれようとも将来の希望を育てる事は素晴らしい、たとえどんな状況に置かれようとも、一歩一歩着実に歩みを進める事は素晴らしい、いま自分にできることを精一杯やっていこうというと言う意味だと私は思っています。もう一つは「カルペ・ディエム(その日を摘め)」です。一日の花を摘め、その瞬間を楽しめ、とも訳されます。その瞬間を謳歌しろ、人生を謳歌しろ、と言う意味だと私は思っています。この言葉を十代に知ることが出来たことは私にとってとても幸運でした。その時、私が2つの言葉を聞いて思ったことは、自分には明日、世界が滅亡しようとも、植えたいと思える木はあるか?明日、世界が終わるとしてもやりたいと思えることはあるか?その瞬間を謳歌させる事が出来るものが自分にはあるか?自分の人生を謳歌されられるものが自分にはあるのか?と言う事でした。それから30年が経ち、今ならはっきりと言えます。私には明日、世界が終わるとしても植えたい木があります。自分の人生を謳歌させてくれるものがあります。と自信を持って言えます。私はたとえ明日、世界が滅亡しようとも空手の稽古をするでしょう。自分がこの世から去る時に空手をやって本当に良かった。空手のおかげで人生を謳歌出来た。そう言えると思っています。私の長男と次男にも明日、世界が終わるとしてもやりたいと思える素晴らしいものを見つけて欲しいと思います。人生を謳歌出来るものを見つけて欲しいと思います。


2022年07月18日(月) 合宿終える

私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2022年夏季通い強化合宿でした。道場生と長い時間接する事で、その人の知らなかった、新たな一面を見る事が出来たりして、とても有意義な合宿でした。今回はパンチに課題を絞って稽古をしました。合宿で習って終わりにならずに、また明日からの稽古で試して行って欲しいと思います。合宿に参加した道場生の皆さん、本当にお疲れさまでした。子供達を合宿に参加させて頂きましたご父兄の皆様、本当にありがとうございました。また明日から、頑張って稽古に励みたいと思います。


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