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2022年06月21日(火) 自分の右足への思い

自分の人生を考えると、本当にこの右足には申し訳ない事ばかりしているなと思います。中学1年生の時にバルコニーからソフトマットへバック宙で降りた時に右足を骨折、本当に今考えるととんでもなく怖い事をしていたなと思います。そして17歳の時に事故で右膝の内側側副靭帯断裂と前十字靭帯損傷の損傷、その後右膝は良く痛めていて、昨年に右膝の半月板のネズミを除去する手術、そして今回の右膝のアキレス腱断裂、本当に右足には申し訳ない事ばかりです。でも私は実は右足の方が力もバネもあります。それは左を蹴るのにいつも軸足になっていたからです。右足の強さとバネの良さがあったらか鋭く軸足を返すことが出来、左の上段回し蹴りを相手に決める事が出来ました。今は右足は本当にボロボロだけど、またこの右足と一緒に復活に向けて頑張って行こうと思います。自分が死ぬ時には、「右足のおかげで自分はたくさんの事を経験して成長する事書出来たよ!ありがとう!」と特に感謝したいなと思います。毎日松葉杖生活なので、上半身の筋肉、特に肩と上腕三頭筋がパンパンに鍛えられています。そして暑さのため家から道場に付く頃にはTシャツは汗でびっしょりです。とても良いトレーニングだとほくそ笑んでいます。ただやはり右足を地面に着けないので、身体のいろんなところで補っているため、身体中のあちらこちらが筋肉痛です。あと10日で抜糸で、あと24日で装具を装着するので、それまでもう少し頑張ろうと思います。


2022年06月20日(月) 悪夢から1週間で悪夢の1週間ではない

悪夢のアキレス腱断裂から1週間が経ちました。悪夢のアキレス腱断裂と書きましたが、悪夢のと言うのはアキレス腱を断裂した瞬間の事で、そこから今までの1週間が悪夢な訳ではありません。この1週間はいろいろと大変でしたが、1人だったら私のこの1週間はもっともっと大変な事になっていただろうと思います。家族もそうですが、病院の先生や看護師さんや、タクシーの運転手さんや、バスの運転手さんや、バスや電車で私に席を譲ってくれた方々や、私にあたたかい言葉をかけてくれた方々、皆さんのお力があり頑張る事が出来ました。この国やこの国のシステムやたくさんの物に守られて自分は生きていると言う事を感じました。自分が当事者にならないと見えてこない事がたくさんある事にも気が付く事が出来ました。やはりアキレス腱断裂と言う怪我は無駄な事ではありませんでしたし、この1週間は無駄な事では無かったと思います。引き続き頑張ろうと思います。


2022年06月19日(日) この怪我をした事に

私がアキレス腱断裂と言う怪我をしたために家族には本当に迷惑をかけています。妻は本当に献身的にいろいろと私の面倒を見てくれます。自分の妻だけど本当に優しい人だなと思います。妻を見てると私ももっと優しい人になりたいなと思います。妻は私が大きな失敗をした時にも、それが家族に迷惑をかけてしまうような事でも、私を責めるような事を言った事はありませんし、何でそうなったの?などと言うどうしようもない事を言った事もありません。これはなかなか出来る事ではないなと思います。私の人生最大の幸せは妻と結婚出来た事だと思っています。本当に本当に感謝していますし、そんな妻を本当に尊敬しています。でもだからこそ私もうだうだしている訳には行きません。朝はちゃんと起きて出来る事をしっかりやっています。アキレス腱はけっこうデリケートらしく、アキレス腱断裂をした右足を着いて体重を乗せてしまうと、また直ぐに切れてしまうそうです。なので松葉杖で歩くのも気を付けて慎重に歩かなくては行けません。自分の体重を右足にかける事が出来るようになるまでは気を抜かず慎重に行動したいと思います。私はこの怪我が完全に治るまでお酒を止めてダイエットしようと思います。体重を80キロに時代と思います。今はあまり身体を動かせないので、食事制限で体重を落とそうと思います。でも普段から食事制限をして胃を小さくして体質を改善すれば身体を動かせるようになったらもっと体重を落とせるようになると思うので頑張りたいと思います。この怪我をした事でしっかりと自分を見つめ直すことが出来ました。この怪我は私に対する神様からのサインだったのかもしれません。この先、私に起こるかもしれなかった事から私を守ってくれたのかもしれません。この怪我をした事にいつか感謝する事が出来るよう生活して行きたいと思います。もしいつか、私がこの怪我をした事に感謝出来る日が来たら、私はこの怪我を力にしたという事になりますし、この怪我には負けなかったと言う事になるのだろうと思います。そして怪我が全快したら妻にお礼をしたいと思います。妻は旅行が好きなので、1人旅行にでも行って欲しいと思います。


2022年06月18日(土) 考える時間になる

朝6時に起床して抗生物質の点滴をし朝食をとり少しゆっくりして9時に主治医に手術箇所を診て頂き、退院の準備をすませ、11時過ぎに退院しました。タクシーで家に帰る時に長男に電話したら、次男と2人で家の前で待っていてくれ、私の荷物を持ってくれたり、買い物をしてくれたりしました。なかなかな優しい子達だなと思いました。木曜日に入院し手術をして今日までの3日間いろいろ考え今回起きた事の整理が出来ました。私はアキレス腱を断裂したと理解した瞬間、自分に怒りを感じたと書きました。もちろん自分のダラシなさであったり、自分の身体の異変の予兆のような物を見過ごしてしまった事も理由にあったと思いますが、自分の不運に怒りを感じたのだと思います。もし前日にお酒を飲んで二日酔いだったら私は稽古を休んだかもしれません。もし稽古を休んでいればアキレス腱を断裂する事は無かったかもしれません。私は自分の不運を少し感じてしまいました。稽古を休めば良かったなと思ってしまいました。でもその考えは間違っています。もちろん自分のダラシなさはあったと思いますし、もう少し早く体重を落としていれば今回の事は起きなかったと思います。でも稽古を休めば良かったは間違っています。もしそうならそもそも空手をやらなければ良かったと言う事になってしまいます。それは間違っていると思います。お酒の飲み過ぎや食べ過ぎや不摂生で身体が悪くなるのならそれは改善したほうが良いですが、自分の好きな事をやって怪我をして後悔する事ほど馬鹿な事はありません。自分の身体を大切にする事と、怪我を恐れて自分のやりたい事をやらない事は全然別の事です。私は今回の怪我でこう思いました。自分の不摂生などのダラシなさで怪我をしたり死んだりしたら、それは自分の命に対しても家族に対しても私に関わってくれる人に対しても申し訳がありません。そして後悔すると思います。でも自分がしっかりと自分に酷しく生活していて、自分が自分の好きな事のために一生懸命やった事で自分が怪我をしたり自分が死ぬ事になったとしても、後悔はしないと思います。結局は無くなる命だし、結局は無くなる身体です。この命もこの身体も使い切らなければ生まれて来た意味がありません。自分の命と自分の身体を大切にしつつ、自分の命と自分の身体を使い切って行こうと思います。


2022年06月17日(金) 入院2日目です。

手術が終わり入院2日目です。昨日の夜中は痛みであまり寝る事が出来ませんでしたが6時に起床しました。34時間ぶりにご飯を食べる事が出来たので嬉しかったです。だんだん足の痛みも引いてきて、1日中読書をしていました。私が今日読んでいた本は「空手伝真録」です。中国拳法がどのようにして始まり、沖縄に伝わったのか?を検証していく内容でした。とても面白かったです。「戦い」 と言う言葉は「叩き合い」と言う言葉から来ているそうです。何故、武術と言う物が生まれたのか?なども検証されていました。私は戦いを教える事で、戦わない人間を育成したいと思っています。私は空手をスポーツとは思っていません。もちろん格闘技と言うという物もスポーツとは思っていません。特に相手と殴り合う格闘技は特にスポーツではありえません。私は水泳やマラソンや体操の試合に出た事がありますが、それはスポーツとして捉えています。お互いの力を出し合って勝負はしていますが、相手にコンタクトしていませんし、別に相手を殴っている訳でも、意地悪している訳でも、相手を倒してやろうと思っている訳でもありません。特に体操などはお互いに良い演技が出切れば良いと相手を応援したり称賛したりする事もそんなに難しくはないと思います。しかし空手は相手と殴り蹴り合ます。しかもやらなければ自分がやられてしまいます。戦っている時には生命の危険も感じます。負ければ自分の意識が途切れ死に近い状態になったり、身体に大きなダメージを受けるような怪我もします。だから必死に相手を倒そうと自分の全てを相手にぶつけるわけです。勝った方は生物として優位に立ち相手の生命の生殺与奪の権利を得た訳ですから、相手を征服したような気持になると思います。それと同時に負けた方は相手に生き物として負けた訳で、相手に自分の1番大切な命を奪われたのと同じような敗北感を味わう事となります。やはり身体をコンタクトしないスポーツとは訳が違います。もちろん格闘技にも反則はありますが、野球やサッカーやバスケットで考えれば、あらゆる反則をお互いにやり合う訳です。だから相手と殴り合う格闘技はスポーツの範疇を超えていると私は思っています。私は空手を通して命の大切さも学びましたし、相手に勝つ事と同時に相手に負ける事を学びました。だから私は生徒達に試合は自分の全てを総動員して相手に勝てと教えています。そして勝ったても負けても同じ自分でいるようにと指導しています。その中からたくさんの事を学んで欲しいと思います。戦えなければ自分の命や自分の大切な人の命を守れないので、やはりいつでも戦える心と身体を身に付けておく必要があると思います。そして戦わなくても事を治められる人間へと成長して欲しいと思います。


2022年06月16日(木) 再スタート

朝6時30分に起きて、7時から水分が取れなくなるので、歯を磨いて髭を剃り、身支度を整えてから、少しお茶を飲みました。変わらぬ家族との朝を過ごしましたが、妻は昨日から長男の移動教室の準備と私の入院の準備とでいろいろと忙しかったと思います。家の前の道にタクシーが7時40分には来るので、移動教室に行く長男と見送りに行く妻と次男と、手術で入院する私と、家族みんなで家を出ました。長男に「人生でそう何度もある事ではないから、思いっきり楽しで来いよ!好きな人の名前も恥ずかしがらずに言うんだぞ!」と言うと、長男は「好きな人の名前なんて、もうみんなに言ってあるし。」とクールに返されました。お互いに頑張れと言い別れ、妻と長男と次男の後ろ姿を見送りながら、到着したタクシーに乗り込みました。8時前には病院に到着し、8時に病院で受付を済ませ、CT、レントゲン、PCR、肺活量の検査を受け、10時頃に入院する病室に入り、本を読んだり師ながら暇をつぶし、13時20分に手術の準備をし、13時30分に病室を出てストレッチャーで手術室に向かいました。廊下の天井を見ながら運ばれると言う経験ははあまりないので、なんか不思議な風景です。病院の天井ってパイプがたくさんあるな?とかエレベーターって思っているより重力を感じるなとか考えていました。たぶん人生の終わりにもこんな風景を見るんだろうな?なんて思ったりもしました。手術室で下半身麻酔をし眠る薬を入れてもらったので、手術中の記憶は全くなく、気が付いたらもう手術は終わって病室にいました。時計を見たら15時19分でした。17時30分ぐらいまで眠り、徐々に麻酔も切れてきたので、19時30分頃にお茶を飲んで、少し後にプロテインバーを食べました。病室では動けないので暇ですが、空手の本を読んで暇を潰しました。妻から送られてくる次男の写真に癒やされました。妻と次男は次男のリクエストで鳥貴族で食事をしたそうです。次男は釜飯を一人で食べるという夢を叶え、帰りに吐きそうになっていたそうです。小3で体重が48キロなので、大人になったら100キロ超えになってしまうのでは?と少し心配です。でも次男は空手週3回、スイミング週2回やっているので、かなり身体は動かしているはずですが、どんどん太って行ってしまいます。甘い物がそんなに食べるわけでもなく、普段は夜もご飯は茶碗一杯で我慢しているようなので、いったいどうなっているだろうと思います。でも次男がご飯を食べている姿を見ると癒やされます。そんなこんなで時間を潰し、もう消灯を迎えようとしています。たくさんの方からあたたかいメッセージを頂いたりして、人の優しさを感じ、感謝の気持を噛み締めています。ここまで来たらあとは上がるだけです。ここからまた再スタートです。


2022年06月15日(水) 心機一転

アキレス腱を断裂したと理解した瞬間に私は自分に対して怒りを感じました。それは何故かといえば、私はこの怪我は自分のダラシなさから起きた事だと思ったからです。前日はお酒を飲まずストレッチもしお風呂に入って筋肉を温め、軽いマッサージをして筋肉を解しました。確かに前日は、規則正しい生活をしていましたし、ここ最近、ダイエットもして体重を減らしてはいましたが、少し前から90キロの体重では身体のいろんなところに負担がかかるから80キロまでは落とさなくてはならないと思っていましたし、当日も稽古前にストレッチをよくやってから稽古に入ったのですが、自分の身体の固くなっているところを感じながらストレッチはしていませんでした。自分の身体に怪我の予兆はあったはずです。それを察知出来なかった自分の心と身体の緩みに怒りを感じたのだと思います。そのせいで家族や道場生やご父兄様や極真会館の各方面の方々にご迷惑をおかけしてしまっていることを本当に申し訳ないと思っています。今日は明日からの入院することや手術することも含めて、自分を心機一転させるため髪の毛をバッサリと切りました。今日からしっかりと気合いを入れて物事に臨んで行きたいと思います。


2022年06月14日(火) アキレス腱断裂から1日が経つ

明後日の16日に手術のため入院するので、朝もしっかり早く起きて、今やっておかなければならない事務的な仕事をしました。私は本当に家族に恵まれています。妻は道場の事やいろいろと私を助けてくれますし、子供達は逆に何事も無かったように接してくれます。私が帰宅すると「パパ!アキレス腱切ったんでしょ!痛くないの!?」と聴いてきたので、私は「痛いけど病院にはいたくないから帰って来たよ!」と答えました。苦しい時こそ笑いが必要です。子供達も、普段の私と変わらないのを見て安心したのか、いつものように喧嘩したり、騒いでいました。私が怪我をしたから気を遣って良い子になられても私も嫌なので、普通にしていて欲しいです。妻も動揺した所も見せずいつものように振る舞ってくれています。私が妻の立場なら、昨年初めに手術して、昨年末に腰部脊柱管狭窄症になり、今年初めに財布を無くし、自転車を盗まれ、支部長スーツをなくし、今回はアキレス腱断裂、お金はかかるし家族の負担は妻の負担はふえるしで「何やってるのよ!」の一言ありそうですが、いたって明るく振る舞ってくれています。本当に感謝しています。もうここからはやることをやるだけです。どれもこれも自分のダラシなさが起こしたことですので、しっかりと自分を見つめ直してあらためて行きたいと思います。自分に不幸が続くと神頼みやお祓いなどを考えてしまいそうになりますが、原因はそこにはありません。原因は全て自分の中にあります。先ずは体重です。そして自分の年齢をしっかりと自覚して受け入れる事です。90キロの体重は重すぎますし、若い頃の感覚で動いたら、それは怪我をするのは当たり前です。怪我を治すと同時に必ず80キロまで体重を落とし、無理な動き方をしないようにしたいと思います。でも困難こそ自分を奮い立たせるチャンスです。自分の中で何かに火がついた感覚があります。


2022年06月13日(月) アキレス腱断裂する

朝の稽古でアキレス腱を断裂してしまいました。アキレス腱を断裂した瞬間は、転んだのと脹脛の下の方に「バンッ!」という衝撃があったので、初めは自分は何かにぶつかって倒れたのだと思いましたが、近くにはぶつかるような物は何もありませんでした。自分の右足を見て触るとアキレス腱がある場所がヘコんでいたので、アキレス腱を切ったと思いました。その瞬間に思った事は、自分に対する怒りでした。昨日も規則正しい生活をし、お酒も飲んでいませんし、しっかりお風呂にも入りストレッチやマッサージもして寝て、今日も頑張って朝の稽古をしたのに、こんな事になるなんて、ホント自分って何なんだろう!と自分に対して失望と怒りを感じました。ですがその後は頭がとてもクリーンになり、今自分が出来る事、これから出来なくなる事、これからやらなければいけない事など、道場の行事のスケジュール、極真会館の行事のスケジュールの事などを考えて、脳がフル回転し、今やれる事をやろうと、救急車の中でお知らせのブログのアップをしたり、自分の責務が果たせなくなる各方面へのお詫びの連絡を済ませました。手術は木曜日になるので、入院はしない事にし、道場の稽古を行いました。でも不幸中の幸いです、木曜日に手術をし土曜日に退院し、7月1日に抜糸をして、7月15日にギプスを外し装具を付けるので、審査会、試合、合宿、セミナーなどの道場の行事は滞りなく行う事が出来ます。怪我して救急車の中でも思った事は、自分が起きた事に動揺せず冷静に迅速に淡々と対応処置が出来ている事に気付きました。またこの最悪とも言える事態に自分が全然落ち込んでいない事に気付き、「自分ってけっこう強いかも?!」って思いました。ただ、とは言っても、道場生、ご父兄様、極真会館の関係者の方々に自分の不注意で起きた怪我でご不便をかけてしまう事に申し訳ない気持です。今回起きた事をこのまま終わらせません。必ずこの経験を自分の力にしてみせます。この怪我の不便さを出来る限り対処して行く事、この怪我を反省し無理をしない事、必ずまた復活して稽古復帰する事、そしてさらに強くて優しい人間に成長する事、それを今、自分の心に誓っています。


2022年06月12日(日) 人生は

人生は登山に似ているなと思います。そして武道も登山に似ているなと思います。登って頂上が終わりではなくそこから下ってスタート地点まで戻ってそこが終着点となります。人生で言えば生まれた瞬間が出発点として死ぬ瞬間が終着点だと言えると思います。私も来年50歳になります。人生100年時代と言う事で言えば、今が半分と言う事になりますが、私はどうもそうは思えません。人生を起承転結で考えた時に、今はもう結の手前まで来ているのではないかと思っています。残った人生はまさしく余生となるのだと思います。もちろんその余生も楽しみたいと思います。その余生をどう楽しむか?の準備もそろそろしなければいけないと思います。自分が死んだあとの事を考えないわけにはいかない歳になってしまいました。やりたいと思う事は悔いのないようにしっかりやろうと思います。会いたい人にはしっかり会っておこうと思います。行きたいところにも行ける限り行きたいと思います。自分が死んだあとの事でもう決めている事があります。それはもう家族には伝えてあります。一つは私が死んだらお葬式はしないで欲しいと言う事と、私が死んだらお墓には入れないで欲しいと言う事と、私に戒名はいらないと言う事です。菅野秀行で生まれて菅野秀行で死んでその後はもう何も無いと思っています。私が死んだあとに妻と長男と次男で美味しい物でも食べながら、私のバカ話で盛り上がってくれたらそれだけで私はもう充分です。私が生まれて来て生きた価値はあったと充分に思えます。あとは私の生きた証は極真空手にたくさん残したいと思います。


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