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2022年06月17日(金) 入院2日目です。

手術が終わり入院2日目です。昨日の夜中は痛みであまり寝る事が出来ませんでしたが6時に起床しました。34時間ぶりにご飯を食べる事が出来たので嬉しかったです。だんだん足の痛みも引いてきて、1日中読書をしていました。私が今日読んでいた本は「空手伝真録」です。中国拳法がどのようにして始まり、沖縄に伝わったのか?を検証していく内容でした。とても面白かったです。「戦い」 と言う言葉は「叩き合い」と言う言葉から来ているそうです。何故、武術と言う物が生まれたのか?なども検証されていました。私は戦いを教える事で、戦わない人間を育成したいと思っています。私は空手をスポーツとは思っていません。もちろん格闘技と言うという物もスポーツとは思っていません。特に相手と殴り合う格闘技は特にスポーツではありえません。私は水泳やマラソンや体操の試合に出た事がありますが、それはスポーツとして捉えています。お互いの力を出し合って勝負はしていますが、相手にコンタクトしていませんし、別に相手を殴っている訳でも、意地悪している訳でも、相手を倒してやろうと思っている訳でもありません。特に体操などはお互いに良い演技が出切れば良いと相手を応援したり称賛したりする事もそんなに難しくはないと思います。しかし空手は相手と殴り蹴り合ます。しかもやらなければ自分がやられてしまいます。戦っている時には生命の危険も感じます。負ければ自分の意識が途切れ死に近い状態になったり、身体に大きなダメージを受けるような怪我もします。だから必死に相手を倒そうと自分の全てを相手にぶつけるわけです。勝った方は生物として優位に立ち相手の生命の生殺与奪の権利を得た訳ですから、相手を征服したような気持になると思います。それと同時に負けた方は相手に生き物として負けた訳で、相手に自分の1番大切な命を奪われたのと同じような敗北感を味わう事となります。やはり身体をコンタクトしないスポーツとは訳が違います。もちろん格闘技にも反則はありますが、野球やサッカーやバスケットで考えれば、あらゆる反則をお互いにやり合う訳です。だから相手と殴り合う格闘技はスポーツの範疇を超えていると私は思っています。私は空手を通して命の大切さも学びましたし、相手に勝つ事と同時に相手に負ける事を学びました。だから私は生徒達に試合は自分の全てを総動員して相手に勝てと教えています。そして勝ったても負けても同じ自分でいるようにと指導しています。その中からたくさんの事を学んで欲しいと思います。戦えなければ自分の命や自分の大切な人の命を守れないので、やはりいつでも戦える心と身体を身に付けておく必要があると思います。そして戦わなくても事を治められる人間へと成長して欲しいと思います。


2022年06月16日(木) 再スタート

朝6時30分に起きて、7時から水分が取れなくなるので、歯を磨いて髭を剃り、身支度を整えてから、少しお茶を飲みました。変わらぬ家族との朝を過ごしましたが、妻は昨日から長男の移動教室の準備と私の入院の準備とでいろいろと忙しかったと思います。家の前の道にタクシーが7時40分には来るので、移動教室に行く長男と見送りに行く妻と次男と、手術で入院する私と、家族みんなで家を出ました。長男に「人生でそう何度もある事ではないから、思いっきり楽しで来いよ!好きな人の名前も恥ずかしがらずに言うんだぞ!」と言うと、長男は「好きな人の名前なんて、もうみんなに言ってあるし。」とクールに返されました。お互いに頑張れと言い別れ、妻と長男と次男の後ろ姿を見送りながら、到着したタクシーに乗り込みました。8時前には病院に到着し、8時に病院で受付を済ませ、CT、レントゲン、PCR、肺活量の検査を受け、10時頃に入院する病室に入り、本を読んだり師ながら暇をつぶし、13時20分に手術の準備をし、13時30分に病室を出てストレッチャーで手術室に向かいました。廊下の天井を見ながら運ばれると言う経験ははあまりないので、なんか不思議な風景です。病院の天井ってパイプがたくさんあるな?とかエレベーターって思っているより重力を感じるなとか考えていました。たぶん人生の終わりにもこんな風景を見るんだろうな?なんて思ったりもしました。手術室で下半身麻酔をし眠る薬を入れてもらったので、手術中の記憶は全くなく、気が付いたらもう手術は終わって病室にいました。時計を見たら15時19分でした。17時30分ぐらいまで眠り、徐々に麻酔も切れてきたので、19時30分頃にお茶を飲んで、少し後にプロテインバーを食べました。病室では動けないので暇ですが、空手の本を読んで暇を潰しました。妻から送られてくる次男の写真に癒やされました。妻と次男は次男のリクエストで鳥貴族で食事をしたそうです。次男は釜飯を一人で食べるという夢を叶え、帰りに吐きそうになっていたそうです。小3で体重が48キロなので、大人になったら100キロ超えになってしまうのでは?と少し心配です。でも次男は空手週3回、スイミング週2回やっているので、かなり身体は動かしているはずですが、どんどん太って行ってしまいます。甘い物がそんなに食べるわけでもなく、普段は夜もご飯は茶碗一杯で我慢しているようなので、いったいどうなっているだろうと思います。でも次男がご飯を食べている姿を見ると癒やされます。そんなこんなで時間を潰し、もう消灯を迎えようとしています。たくさんの方からあたたかいメッセージを頂いたりして、人の優しさを感じ、感謝の気持を噛み締めています。ここまで来たらあとは上がるだけです。ここからまた再スタートです。


2022年06月15日(水) 心機一転

アキレス腱を断裂したと理解した瞬間に私は自分に対して怒りを感じました。それは何故かといえば、私はこの怪我は自分のダラシなさから起きた事だと思ったからです。前日はお酒を飲まずストレッチもしお風呂に入って筋肉を温め、軽いマッサージをして筋肉を解しました。確かに前日は、規則正しい生活をしていましたし、ここ最近、ダイエットもして体重を減らしてはいましたが、少し前から90キロの体重では身体のいろんなところに負担がかかるから80キロまでは落とさなくてはならないと思っていましたし、当日も稽古前にストレッチをよくやってから稽古に入ったのですが、自分の身体の固くなっているところを感じながらストレッチはしていませんでした。自分の身体に怪我の予兆はあったはずです。それを察知出来なかった自分の心と身体の緩みに怒りを感じたのだと思います。そのせいで家族や道場生やご父兄様や極真会館の各方面の方々にご迷惑をおかけしてしまっていることを本当に申し訳ないと思っています。今日は明日からの入院することや手術することも含めて、自分を心機一転させるため髪の毛をバッサリと切りました。今日からしっかりと気合いを入れて物事に臨んで行きたいと思います。


2022年06月14日(火) アキレス腱断裂から1日が経つ

明後日の16日に手術のため入院するので、朝もしっかり早く起きて、今やっておかなければならない事務的な仕事をしました。私は本当に家族に恵まれています。妻は道場の事やいろいろと私を助けてくれますし、子供達は逆に何事も無かったように接してくれます。私が帰宅すると「パパ!アキレス腱切ったんでしょ!痛くないの!?」と聴いてきたので、私は「痛いけど病院にはいたくないから帰って来たよ!」と答えました。苦しい時こそ笑いが必要です。子供達も、普段の私と変わらないのを見て安心したのか、いつものように喧嘩したり、騒いでいました。私が怪我をしたから気を遣って良い子になられても私も嫌なので、普通にしていて欲しいです。妻も動揺した所も見せずいつものように振る舞ってくれています。私が妻の立場なら、昨年初めに手術して、昨年末に腰部脊柱管狭窄症になり、今年初めに財布を無くし、自転車を盗まれ、支部長スーツをなくし、今回はアキレス腱断裂、お金はかかるし家族の負担は妻の負担はふえるしで「何やってるのよ!」の一言ありそうですが、いたって明るく振る舞ってくれています。本当に感謝しています。もうここからはやることをやるだけです。どれもこれも自分のダラシなさが起こしたことですので、しっかりと自分を見つめ直してあらためて行きたいと思います。自分に不幸が続くと神頼みやお祓いなどを考えてしまいそうになりますが、原因はそこにはありません。原因は全て自分の中にあります。先ずは体重です。そして自分の年齢をしっかりと自覚して受け入れる事です。90キロの体重は重すぎますし、若い頃の感覚で動いたら、それは怪我をするのは当たり前です。怪我を治すと同時に必ず80キロまで体重を落とし、無理な動き方をしないようにしたいと思います。でも困難こそ自分を奮い立たせるチャンスです。自分の中で何かに火がついた感覚があります。


2022年06月13日(月) アキレス腱断裂する

朝の稽古でアキレス腱を断裂してしまいました。アキレス腱を断裂した瞬間は、転んだのと脹脛の下の方に「バンッ!」という衝撃があったので、初めは自分は何かにぶつかって倒れたのだと思いましたが、近くにはぶつかるような物は何もありませんでした。自分の右足を見て触るとアキレス腱がある場所がヘコんでいたので、アキレス腱を切ったと思いました。その瞬間に思った事は、自分に対する怒りでした。昨日も規則正しい生活をし、お酒も飲んでいませんし、しっかりお風呂にも入りストレッチやマッサージもして寝て、今日も頑張って朝の稽古をしたのに、こんな事になるなんて、ホント自分って何なんだろう!と自分に対して失望と怒りを感じました。ですがその後は頭がとてもクリーンになり、今自分が出来る事、これから出来なくなる事、これからやらなければいけない事など、道場の行事のスケジュール、極真会館の行事のスケジュールの事などを考えて、脳がフル回転し、今やれる事をやろうと、救急車の中でお知らせのブログのアップをしたり、自分の責務が果たせなくなる各方面へのお詫びの連絡を済ませました。手術は木曜日になるので、入院はしない事にし、道場の稽古を行いました。でも不幸中の幸いです、木曜日に手術をし土曜日に退院し、7月1日に抜糸をして、7月15日にギプスを外し装具を付けるので、審査会、試合、合宿、セミナーなどの道場の行事は滞りなく行う事が出来ます。怪我して救急車の中でも思った事は、自分が起きた事に動揺せず冷静に迅速に淡々と対応処置が出来ている事に気付きました。またこの最悪とも言える事態に自分が全然落ち込んでいない事に気付き、「自分ってけっこう強いかも?!」って思いました。ただ、とは言っても、道場生、ご父兄様、極真会館の関係者の方々に自分の不注意で起きた怪我でご不便をかけてしまう事に申し訳ない気持です。今回起きた事をこのまま終わらせません。必ずこの経験を自分の力にしてみせます。この怪我の不便さを出来る限り対処して行く事、この怪我を反省し無理をしない事、必ずまた復活して稽古復帰する事、そしてさらに強くて優しい人間に成長する事、それを今、自分の心に誓っています。


2022年06月12日(日) 人生は

人生は登山に似ているなと思います。そして武道も登山に似ているなと思います。登って頂上が終わりではなくそこから下ってスタート地点まで戻ってそこが終着点となります。人生で言えば生まれた瞬間が出発点として死ぬ瞬間が終着点だと言えると思います。私も来年50歳になります。人生100年時代と言う事で言えば、今が半分と言う事になりますが、私はどうもそうは思えません。人生を起承転結で考えた時に、今はもう結の手前まで来ているのではないかと思っています。残った人生はまさしく余生となるのだと思います。もちろんその余生も楽しみたいと思います。その余生をどう楽しむか?の準備もそろそろしなければいけないと思います。自分が死んだあとの事を考えないわけにはいかない歳になってしまいました。やりたいと思う事は悔いのないようにしっかりやろうと思います。会いたい人にはしっかり会っておこうと思います。行きたいところにも行ける限り行きたいと思います。自分が死んだあとの事でもう決めている事があります。それはもう家族には伝えてあります。一つは私が死んだらお葬式はしないで欲しいと言う事と、私が死んだらお墓には入れないで欲しいと言う事と、私に戒名はいらないと言う事です。菅野秀行で生まれて菅野秀行で死んでその後はもう何も無いと思っています。私が死んだあとに妻と長男と次男で美味しい物でも食べながら、私のバカ話で盛り上がってくれたらそれだけで私はもう充分です。私が生まれて来て生きた価値はあったと充分に思えます。あとは私の生きた証は極真空手にたくさん残したいと思います。


2022年06月11日(土) 好きは最強

私は空手に対してはけっこう真面目だと思います。朝の稽古やトレーニングなど自分で決めた事は休まず続けています。空手の指導は仕事ですし、それでお金を稼がせて頂いているので、やるのが当たり前ですが、自分の稽古やトレーニングはある意味で言えば仕事ではありません。(自分が稽古をする事で新しい事に気付いたり、新しい型を覚えたり、自分がトレーニングする事でより良い指導が出来るので、厳密に言えばそれも仕事とも言えます。)ですが経済活動に直接関わる事ではないので、お金にもならない事を良くやるなと思う人もいるのかもしれません。なのに選手を引退しても何故、それを続けて来る事が出来たか?と言えば、それは好きだからです。私と同世代で私よりは一時優れていた空手家はたくさんいると思います。でも今でも私より優れている空手家はなかなかいないのでは?ぐらいの自負はあります。好きじゃなかったらここまで続けてくる事は出来なかったと思います。そう考えると好きって最強ですね!長男はギターと言う好きな事を見つけましたが、次男を見ていると空手も水泳もなんか中途半端な気持でやっている感じがします。空手は身を守り自分の心と身体を鍛えるため一生やって欲しいと思います。水泳は全ての泳ぎ方が出来るようになれば本人が止めたければ止めても良いと思っています。次男は長男の影響でギターがやりたいと言って来ました。もしかしたら兄弟だから、次男もギターにハマるかも?という期待を込めて、水泳を週一にしてギターをやらせようと思っています。2人と私の子なので、良い高校に行って良い大学に行って良い会社に就職と言うのはとても窮屈で楽しい人生にはならないと思うので、好きな事を見つけてあげる手助けをしてあげたいと思っています。


2022年06月10日(金) 子供というものは

自分の子供というものは、自分の似て欲しいところは全然似ないで、自分の似て欲しくないところが似るものです。それは何故なのだろうと考えたところ、こんな言葉が頭に浮かびました。7「その人がはじめから持っていた性格やはじめから持っていた才能は子供に遺伝するが、その人が親の躾や人との関わりの中で身に付けた性格や、その人が努力で身に付けた才能は子供に遺伝しない。」でした。ということは子供の悪いところこそ私の本質だと言えるのかもしれません。子供達には本当に申し訳ない思いでいっぱいです。でも私だってその大嫌いな自分を変えて生きてきたのだら、私の子供達もそれが出来ると信じています。そして私を超えていってくれると信じています。


2022年06月09日(木) 生きた証を

この前、奈良の平城宮跡と飛鳥京跡とキトラ古墳と高松宮古墳を見ました。キトラ古墳では
7世紀の壁画の実物を見ることが出来ました。約1300年前のものを見て、個としての人間の命の儚さと生きている時間は一瞬にも満たないと感じました。それと同時に1300年以上もかけて人が人に文化や技術や思いを繋いで行く事が出来るという事に無限とも言える可能性を感じました。人間を個として考えたらちっぽけなのでしょうが、人間を集団として考え、そしてそれを何世紀にも渡って何かを伝え残し、またそれを次の人達が発展させて行くとするならば、それは本当に凄いことですし素晴らしいことです。一人の人間の一生はとても短く大したことは出来ないけれども、何かを人から頂き、それを一生懸命に発展させて、次の人達に繋いでいくことが出来たとしたら、それはちっぽけなことではないと思います。私もそうなりたいです。私などという人間はとてもちっぽけですが、この命を極真空手にかけて燃やし尽くしたい、私個人で生きた証など残すことは出来ないかもしれないけれど、1000年先の未来に極真空手が残っているのならば、私がこの世に存在したことには大きな価値が有ったと言えると思います。私の生きた証を残せたと言えると思います。遺跡の前で、それが誰なのかは分かりませんが、「僕も貴方たちが一生懸命に生きて何かを残したように、僕も一生懸命に生きて何かを残せるように頑張って生きてみせます。」と誓って来ました。


2022年06月08日(水) ダイエット報告

体重が89.8キロになりました。大阪では3日間お酒を飲みましたが、金曜日は平城宮跡で2時間半、春日大社で30分、電車の乗り継ぎなどあれやこれやでたくさん歩いたので、あまり体重が増えていなかったようです。これからお盆休みまではお酒を断つつもりなので、8月までには体重を80キロぐらいにしたいと思っています。今よりスマートな自分になって格好良くなっている事を想像して頑張りたいと思います。頑張って腹筋割りたいと思います。


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