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2022年04月28日(木) 日記と記憶

やはり日記と言うものは書いておいたほうが良いと思います。私が記憶力が悪いからなのかもしれませんが、自分にとって大切だった出来事や忘れたくないと思った出来事も時間が経つと自分の記憶からこぼれ落ちてしまい、とても大切な思い出を思い出す事が出来なくなってしまうどころか、いつか大切な思い出を忘れてしまった事にすら気が付けなくなってしまいます。私は自分が死んだ時に、あの世や次に自分が生まれる世界に何か一つ持って行けるとしたら、私は自分の記憶を選びます。だから出来るだけ大切な出来事は日記に書いておいて、いつかそれを思い出せるようにしておきたいと思っています。


2022年04月27日(水) 前橋妙子初段6回目の命日

本日は前橋妙子初段の6回目の命日でした。妻と2人でお墓参りに行って来ました。前橋初段の前で、前橋初段が情熱をかけて稽古をした道場を、前橋初段が愛してくれた道場を私達の居なくなった次の未来に必ず残し、私達の意思を次の未来に必ず伝える事を誓いました。帰りに妻とびっくりドンキーで食事をしビールを飲みながら、前橋初段との思い出を語り合いました。私は休みの日でも昼にお酒を飲む事は絶対にありませんが、今日は前橋初段を思い出し、妻と2人でビールを飲みました。


2022年04月26日(火) 大山倍達総裁28回目の命日

本日、4月26日は大山倍達総裁の28回目の命日でした。私が大山倍達総裁を始めて実際に見たのは、1991年に東京体育館で行われた第5回全世界空手道選手権大会の時でした。遠くからですが、大山倍達総裁を初めて見た時に「やっぱり実際にいる人なんだ!」って思いました。正しく神様を見るような感じでした。そして第5回全世界空手道選手権大会の最終日に行われた大山倍達総裁の演武、型「円転掌」を見て本当に感激しました。そして1993年に東京に上京し、その年の6月に大阪で行われた第10回全日本ウエイト制空手道選手権大会で初めて大山倍達総裁に握手をして頂き、言葉を頂く事が出来ました。一生の宝物です。1994年4月26日に大山倍達総裁が亡くなった時は本当に驚きました。それから28年が経ち、世の中も日本という国の社会も格闘技界も武道界も極真空手界もだいぶ変化しました。その中でも私は大山倍達総裁が創設された国際空手道連盟極真会館と言う正統な団体で活動し大山倍達総裁の意思を継いだ、松井章奎館長の元で支部長として組織活動をし、その極真空手を道場生に指導させて頂いている事を誇りに思っています。これからも努力精進し極真空手のために尽力させて頂きたいと思います。


2022年04月25日(月) どうしてもたまに

どうしてもたまに食べたくなる物、飲みたくなる物があります。それを書いてみたいと思います。ざっと挙げてみたいと思います。ラーメン二郎、一蘭の豚骨ラーメン、一風堂の豚骨ラーメン、喜多方ラーメンのネギチャーシューメン、びっくりドンキーのチーズバーグディッシュ、すき家のチーズ牛丼、ホヤ、牡蠣、どん兵衛、カップヌードル全種類、ペヤングソース焼きそば、コーラ、スプライト、ドクターペッパー、スターバックスのソイラテ、アサヒのスーパードライ、キリンのラガー、キリンの一番搾り、自分の健康や体重と相談しながら、それらをたまには食べて人生を楽しみたいと思います。


2022年04月24日(日) 最低でも頑張って一生懸命に生きよう

49歳になり、あっと言う間に3ヶ月が過ぎ、気が付けばあと8ヶ月で50歳になります。同級生の4分の1の人はもう50歳になったのだろうと思います。つくづく時が過ぎるのは速いものだと感じさせられます。49歳の自分が今を幸せに生きる事が出来ている事に感謝を感じています。また自分のところまで命を繋いでくれた方々や私を育ててくれた両親には深く深く感謝しています。私の人生を振り返ると、私はとても利己的な人間だったと思います。自分のために自分の人生を生きて来ましたし、自分の思いや気持や自分のやりたい事や夢や目標のために生きて来ました。だからたくさんの人にご迷惑をおかけしてしまったと思います。本当に本当にたくさんの人に支えて頂き自分の人生がある事を感じています。私は凄くラッキーな人間だと思います。好きなものとの出会い、人との出会い、自分の前に起こる試練、本当にたくさんの事に対してラッキーな人生だなと思います。特に妻と子供達との出会いに感謝しています。苦しんでいた10代の頃の自分に今の幸せを教えてあげたいです。頑張っていれば誰かが必ず見ていてくれます。一生懸命に生きていれば誰かが必ず手を差し伸べてくれます。だから最低でも頑張って一生懸命に生きる事が大切だと思います。


2022年04月23日(土) 長男のギター

長男は今日から藤沢にあるギター教室の本部に通う事になりました。私と次男は空手の稽古が終わり銭湯でお風呂に入りました。長男はギター教室から帰って来て、銭湯の前で私と次男を待っていてくれました。そのあと3人でご飯を食べたのですが、長男はずっとギター教室での話をしてくれました。ギターの技術や先生に習った事を話してくれました。本当に楽しそうに話をしていました。長男は本当にギターが好きなんだと思います。帰りに長男と次男と肩を組んで歩いている時に、長男に「パパ、酔ってる?」と言われました。なんかとても幸せな気持になりました。長男は家に帰ってから私に練習した曲を弾いてくれました。そのあともずっとギターを弾いていました。好きな事が出来れば人間はこんなに変わるのかと驚いています。


2022年04月22日(金) 親睦会

今日は一般部の稽古時間に一般部の親睦会を行いました。12名の生徒が参加しました。みんなといろいろな話もできてとても楽しかったです。高校1年生はあと5年、小学6年生はあと9年で一緒に酒が飲めるようになります。是非それまで空手を続けて欲しいものです。


2022年04月21日(木) 次男の夢

次男の夢は水泳の世界チャンピオンになって、お寿司屋さんになる事だそうです。それを書いて妻に見せたそうです。水泳は私も好きなので、いつか次男が水泳の試合に出るのを楽しみにしたいと思います。次男にそれを聞いた時に私は老婆心を出してしまい「お寿司屋さんは朝は早く夜遅くまで働くから労働時間は長いし、礼儀も厳しくて、最初は丁稚奉公で給料も安くて大変だよ」なんて馬鹿なことを言ってしまいました。でもすぐ思い直し「でも好きな事を学ばせてもらえて、お金が貰えて、ずっと好きなお寿司屋の修行が出来るんだから楽しいだろうね!」と言いました。これからその道を行こうとする人に「その道は大変だからやめたほうが良いよ」などという事ほど馬鹿な事はありません。「この道を行けば、どうなるものか?危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し、踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる、迷わず行けよ!行けば分かるさ!」自分の好きなその言葉を忘れていた自分を恥ずかしく思いました。長男も次男も空手のチャンピオンや空手家にはならないようなので、私も肩の荷が下りた気がしました。空手家は私一代で終わらせたいと始めから思っていましたし、自分の行く道は自分で決めて欲しいと思っていたので、次男には自分で決めた道を真っしぐらに歩いて行って欲しいと思います。


2022年04月20日(水) 長男のギター

長男がギターを始めた事はとても嬉しいです。ギター教室の月謝は空手と比べたらかなり高いのですが、私は長男が「ギターを始めたい」と言った時に二つ返事で「イイよ」と言いました。経済的に無理なものは無理なのですが、子供のやりたい事のためなら、少しぐらいの無理はしてあげたいと思っています。長男はそれまでに空手と水泳と体操をやっていましたが、どれも私が得意だった物なのでついつい余計な口出しをしてしまいます。でも私があまり上手くいかなく挫折したギターを長男が始めた事で、私もニュートラルな気持ちで長男を応援してあげる事が出来ます。ギターを弾いている時の長男はとてもカッコ良いです。ギターを弾いている時の長男が、私は1番大好きです。長男の夢が叶うかは長男次第です。自分のために是非夢を叶えて欲しいと思います。


2022年04月19日(火) 長男の教育方法

私は長男に対する教育方法で、これは間違ってしまったなと思った事があります。小さな間違いなどは日々たくさんあるものですが、これは決定的に間違ってしまったと思った事は、長男が小学1年生の頃で組手競技クラスに参加した頃でした。半ば私が無理矢理説得した形で参加させたのですが、毎回泣いて帰っていたそうです。最終的に長男は空手を辞めたいと言ったそうです。その事を妻から聞いて、私は自分の間違いに気が付き、妻から何が嫌なのかを長男と話してもらいました。長男は競技クラスに参加するのが嫌で他のクラスは楽しいと言ったそうです。長男は妻と話し合い、競技クラスは辞めると私に報告してきました。私も長男に競技クラスは辞めてもいから、他のクラスで楽しく頑張ろうと話しました。それからは長男に空手の事で無理強いする事はしないようにしています。それからは長男も自分のペースで楽しく空手の稽古を頑張っています。自分が好きで続けていればそれなりに上手くもなって来るものです。このまま行けばおそらく大人まで続けてくれるだろうと思います。でももし私があの時に長男に無理に苦しい稽古をさせていたら、今はもう空手を辞めてしまったかもしれません。自分の意思を示してくれた長男にも感謝していますし、長男と話し合い長男が空手を続ける道を探してくれた妻にも感謝しています。


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