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2022年02月21日(月) 自分の身一つ

人生というものは出会いと別れの繰り返しです。出会いは本当に一期一会だなと思います。この世の中で唯一信じられる物は、自分と言うこの魂と身体です。結局は身一つでこの世の中の荒波を渡り歩いていかなければなりません。人も物も今、たまたま自分といてくれているだけで、自分の所有物ではありません。いつかは必ず別れる時が来ます。自分の人生に1年関わってくれた人がいたとしたら感謝です。それは妻に対しても子供達に対しても、そう思います。自分と一緒にいたいなと思ってもらえるように生きて行きたいと思います。その為にも常に新しいものを身に付けていく努力をして行きたいと思います。誰かに必要とされる技術を身に付けていたいと思います。誰かに必要とされる人間でいたいと思います。


2022年02月20日(日) 個人レッスンと集団で行う稽古の違い

今日は個人レッスンが2人入っていました。その人の課題を集中的に教えられるので、その人の上達を感じることが出来て、教える方としてもテンションが上がって楽しかったです。昔の空手家は弟子を一人とってマンツーマンで手取り足取り教えたと言いますから、これが古来から伝わる本来の教え方なのかもしれません。集団で稽古をすると言うのは、沖縄の糸洲安恒先生が中学生の体育で空手を教えたところから始まり、東京で空手を広めた松濤館流の船越義珍先生がやはり大学で空手を教える際に集団で稽古をされていたようです。極真会館も集団で稽古を行います。ボクシングジムなどは個人でトレーニングをし、トレーナーがミットを持ち、その日その日で同じ体格のパートナーを用意しておいてスパーリングをするそうです。ですが極真会館の流れを組むオランダのチャクリキジム、メジロジム、ボスジムなどは、階級問わず集団で稽古を行うそうです。どちらの教え方が良いか?と言うと私は集団で稽古をする事の方が学べる事は多いと思います。ですがやはり細かいところを習う為には個人レッスンも良いのかな?と思います。個人レッスンの場合の私の教え方は、レッスンを受ける人の要望をあらかじめ聞いておいて、当日までにメニューを考えておきます。ですがレッスンを進めていく中で、その人の特徴や良し悪しを見たり、その人とディスカッションしてメニューを進めて行くようにしています。なので1時間はあっと言う間に過ぎてしまいます。でもマンツーマンで休み時間がほぼないので、1時間30分だとレッスンを受ける人の体力がかなりキツイかもと思いました。でもやっぱりと言うか、子供は特に集団の稽古が良いと思います。何故なら道場は空手だけを学ぶ場ではないからです。それは学校も同じだと思います。勉強だけならリモートでも出来ますが、学校は勉強だけを習う場ではないと思います。もしかしたら勉強以外の事の方がたくさん学べるかもしれません。人は人との関わりの中でたくさんの事を学んで行きます。だから年齢も性格も環境も違う、いろいろな人がいる集団の中で何かを行う事は子供にとって本当に貴重なことだと思います。


2022年02月19日(土) どう見えている?

自分って子供達からどう見えているのだろう?と思います。優しいお父さんなのか?怖いお父さんなのか?カッコイイお父さんなのか?カッコ悪いお父さんなのか?頼もしいお父さんなのか?頼りなりお父さんなのか?どう見えているのかがとても気になります。でもそれを聴きたくはありません。私が死んだ時に子供達が私をどう思っているか?が本当の私の評価になると思うので、その時までしっかりと父親をしたいと思います。


2022年02月18日(金) 平家物語の冒頭の部分

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す」有名な平家物語の冒頭の部分ですが、時が過ぎるのは本当に早いなと思います。北京オリンピックを見ていて、それを思いました。特にスポーツ選手は現役で居られるピークは短いですし、絶頂で居られるピークはさらにさらに短いです。そしてどんどん世代交代して次のチャンピオンが次々に生まれて行き、その人に注目が集まっていきますから、その時にどんなに凄いチャンピオンだったとしても、引退したらあっと言う間に「あの人は今?」と言う世の中になってしまいます。そして現役を引退してからの人生の方がとてもとても長いので、そのスポーツで経験した事を引退したあと、どう社会の中で、どう人生の中で役立てて行くか?がとても大切になります。現役を引退した後に自分にたくさんの物が残っていたらその人はとても素晴らしい人生になると思います。


2022年02月17日(木) 呪術廻戦

妻が「呪術廻戦」を18巻まで一気読みしていました。誰が1番好きと聞いたら「釘崎野薔薇」と言っていました。私は今現在は1位乙骨優太、2位乙夏油傑、3位東堂葵、4位釘崎野薔薇、5位禪院真希、6位五条悟、7位伏黒恵、8位虎杖悠仁、9位狗巻棘、10位秤金次です。前に好きなキャラクターを書いた時とはだいぶ順位が変わりました。死滅回遊編がおもしろすぎです。


2022年02月16日(水) 極真空手

「極真空手をやれば何を身に付ける事が出来ますか?」そんな質問をされた事があります。私は「その人が身に付けたいと求める物を身に付ける事が出来ます。」と答えます。私達が極真空手を始めた1980年代は、「極真空手を始めれば喧嘩が強くなる」「極真空手を始めれば世界最強の男になれる」そう言われていました。そんな言葉を聞いて、それをやってみたいと思わない奴は男じゃない!と思いました。なので私が極真空手を始めた理由は、喧嘩が強くなりからですし、世界最強の男になりたいからでした。極真空手の素晴らしいところは、そんな不埒な理由で極真空手を始めた私をそれだけで留まらせず、礼儀や挨拶や長幼の序や道徳や常識や知識や知恵や克己心や尊敬すや感謝や忍耐などなどが私に身に付くよう私を導いてくれました。それもこれも私を導いてくれた先生や師範のおかげです。私もそうなりたいと思っています。北京オリンピックで羽生選手の試合前、試合中、試合後の立ち振る舞いやインタビューを見て、本当に素晴らしいと思いました。今の格闘技界には羽生選手のような選手はいません。何故なら強い人が悪い見本を示すからです。子供は強い人に憧れます。悪い事までカッコ良く見えてしまい、それを真似してしまいます。たぶんフィギュアスケートの子供達は羽生選手に憧れて良い方向に進んで行くと思います。私も羽生選手のような選手を必ず育てたいと思います。それが極真空手への恩返しになると思います。そして格闘技界も変えたいと思います。格闘技をやっている人は強いからこそもっともっともっと謙虚に振る舞うべきです。その人の生き方はその人の立ち振る舞いに滲み出て現れます。人に対する優しさや謙虚さが滲み出る選手を私は自分が生きている間に育てて見せます。


2022年02月15日(火) 別れの言葉

私は別れの言葉は「さようなら」より「じゃあ、またね」の方が好きです。どちらも同じ別れの言葉なのですが、私は「じゃあ、またね」の方が「また会おうね」「また会いたいね」と言う明日への希望を感じるからです。「さようなら」と言う言葉には悲しさや寂しさを感じます。「さよなら」は「然様ならば、これで別れましょう」と言う意味で「それならば、別れるしかありませんね」と言う感じらしいです。(さらばと言う言葉は、然様ならば、を短くした言葉だそうです。)だから私は誰かと別れる時は「じゃあ、またね」と言うようにしています。もちろん私が、この世を去る時にも「じゃあ、またね」と笑顔で言いたいと思います。


2022年02月14日(月) 私の個性

これは私にとって良いか?悪いか?は分かりませんが、何かを始める時や何かをやる前に「自分には無理だろうな?」とか「自分のには出来ないだろうな?」と思う事はありませんでした。なので失敗も多かったかもしれません。でもそのおかげで思い切り良く飛び込む事が出来て、そのおかげで何かを形にする事が出来た事もたくさんあります。だから両親や先生や大人に「そっちに行ったら危ないよ」「そっちに行ったら怪我をするよ」「出来るわけがないよ」「出来なかったらどうするの」などと言われると「やってみなければ分からないじゃないか!」「俺なら出来る!」と思い、その事を余計にやってみたくなってしまいました。少なくともやる前に出来ないなどと思った事はありません。それは今でもそうです。「俺になら出来る!」いつもそう思って物事に取り組んでいます。たぶん私が今、小学生なら何らかの病気や障害だと言われると思います。そのぐらい人と同じようには物事をする事が出来ませんでした。でもその個性ががあったから今の私がいると思います。


2022年02月13日(日) 稽古法

空手の稽古をする時に意識をしなければいけない大切な要素があります。目付、心眼、弾力性、腰、美しさ、締め、破壊力、速さ、私もこの八つの事を意識しながら稽古するようにしています。特に基本稽古を行う時には、足から起きた力を腹.腰で増幅させて、その力を背中や脇の筋肉を締め、腕を伝って、拳を固め、その力が拳から出ていくようなイメージで行っています。この複雑な動作を一致させるのにとても大切になるのが呼吸です。呼吸で身体の緩み締め、伸び縮みなどの強弱をスムーズに一瞬で行うことが出来ます。これを移動稽古でも型でもミットでも意識して稽古していけば、いつかは無意識に組手の中で出来ていると思います。ここまで言葉として意識しているかは分かりませんが、一流と言われる選手はそれが出来ています。でも意識して出来るようにした人じゃないと、このことを意識できない人には教えることが出来ないと思います。


2022年02月12日(土) 自分の思い描いた夢

もう2月も半ばになろうとしています。うかうかしていたらあっという間に時間が過ぎて行ってしまうと言う恐ろしさを感じています。このまま何も残す事なく時間だけが過ぎて行く事に対して本当に恐怖を感じています。自分が思い描いた夢は、自分の頭を働かせて、自分の手で自分の足で自分の身体を動かして、自分で汗をかいて、自分が苦労をして実現させて行くしかありません。この夢を実現させられるか?この夢を実現させられないか?はこの10年の頑張りにかかっていると思います。時間を惜しんで頑張りたいと思います。


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