DiaryINDEX過去の日記未来の日記
2021年09月08日(水) 研究

今は本部朝基先生の書かれた本を読んで空手道の研究をしています。本部朝基先生の本は何冊か読んでいるのですが、今読んでいる本からもたくさんの事が学べています。1番感銘を受けた言葉は、突く手が八の力で突くとしたら、引く手は十の力で引きなさい。と言う言葉でした。


2021年09月07日(火) 飛び込む

これは1973年生まれ、48歳の私の小中高生時代の話なので、今とは全然違いますし、今ならどんでもない問題になってしまうだろうと言う話ですが、私たちの時代は男なら1度ぐらい喧嘩をした事があるのが当たり前でした。私達の時代は1対1で決着が着くまで喧嘩をする事をタイマンと言うのですが、それをした事がないと「お前、タイマン張った事もねーの?」と馬鹿にされたものでした。多分、私達の時代に生まれた男なら、それをした事がない人は、それをコンプレックスにしている人も多いのではないか?と思います。実際それが極真空手を始めた理由だと言う生徒はたくさんいました。そして極真空手を始めて試合を経験した生徒はそのコンプレックスを解消する事が出来たと思います。何故なら極真空手の試合は怖いし痛いし苦しいからです。そこから逃げ出したい自分の弱い心に立ち向かって試合場に上がる事は過酷な事です。要は男として1番怖い事を避けて生きてきた、1番怖い事から逃げて生きてきたと言う事がコンプレックスになるのだと思います。どんな怖い事でも痛い事でも苦しい事でも、ゴチャゴチャ考えないで勇気を出して飛び込んでしまえば良いのです。あとは野となれ山となれです。何も考えずに飛び込んでしまえばあとは必死にもがくだけです。結果なんてあとからついて来るだけの物です。後先考えず勇気を出して飛び込む事が出来るかどうかです。


2021年09月06日(月) インプットとアウトプット

自分と言う人間はインプットとアウトプットを繰り返し、そこの中で起こる体験や経験から自分の中に何かが積み重ねられ作られ行くのものだと思います。自分が自分の中に何を積み重ねる事が出来るかで、その人の運命も人生も変わって行くと思います。だから、どんなに仕事が忙しかろうと新しい物や新しい事を学んだりするインプット時間を大切にし、常にそれを怠らないようにしたいと思います。


2021年09月05日(日) 小競り合い

長男と次男が6時30分になっても家に帰って来ないので、タイヤ公園に私が迎えに行くと、まだ2人で遊んでいました。15分ほど2人が何をして遊んでいるのか?を少し離れた所に隠れて見ていると、次男が長男に「もう暗くなっし、ご飯の時間だから帰ろうよ」と言いました。長男は次男に待ってろと言い、大山滑り台の所にある柵に座って、大山滑り台で遊んでいる子をジッと見ていました。その間、私は少し次男に接近し幽霊が出てくる時の音を口笛で「ひゅ〜」と吹きました。何度か繰り返しましたが、次男はあまり反応はしませんでした。そのうち長男も「そろそろ帰ろうか」と言って歩いてきたので、私が後ろから「ウワッー!」と叫んで長男を脅かすと、長男は持っているしゃべるを振り回して踊るように飛び回って驚いていました。その驚きように私は笑ってしまいました。次男は「幽霊が出てくる時の音を口笛で吹いてたのパパでしょう」と聞いてきたので「そうだよ」と答えると、次男は「やっぱりおかしいなーと思ったんだよなー!」と言っていました。帰り道、長男と次男に何をして遊んでいたのかを聞いたら、次男の持っていたしゃべるを取って意地悪をした子がいたので、長男が「俺の弟のしゃべるだから返せ」と言いに行き、言い合いになり、ブランコで勝負をしたそうです。その後もその子達と何度か小競り合いをしていたそうです。話を聞いていると本気で喧嘩をしたのではなく、それも遊びのうちでお互いに楽しんでやっていたような感じでした。男の子だからそんな小競り合いも遊びのうちです。そうやって何度か顔を合わしているうちに友達になる事もあるのだろうと思います。何はともあれ、そんな遅くまで一緒に遊んでくれた、その子達には感謝しています。


2021年09月04日(土) 自転車の後部座席

久しぶりに次男を自転車の後ろに乗せて家に帰りました。次男は小学2年生ですが、体重ら小学5年生の長男と同じ41キロあるので、なかなか重いです。長男が小学2年生の時は全然普通に乗せる事が出来ましたし、長男だったら今でも自転者の後ろに乗せる事が出来ます。次男はこのまま行くと来年ぐらいには自転車の後ろに乗せてあげる事は出来なくなりそうです。そうなるともう自転車の後部座席はいらなくなります。それはそれで寂しいです。あと1年たくさん次男を自転車の後ろに乗せて走ろうかなと思います。


2021年09月03日(金) ねじまき鳥クロニクル

久しぶりに村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいます。ほぼほぼストーリーを忘れているので、読んでいてとても新鮮です。もしかしたら「ねじまき鳥クロニクル」を読んだ事をこの日記にも書いているかもしれません。少し探してみようか?と思います。


2021年09月02日(木) それはそれで良し

少し前に長男と次男とエヴァンゲリオンを観に行ったのですが、私はほとんど理解できませんでした。でも長男はけっこう理解していて、映画が終わってから、あれはああだった、これはこうだったと教えてもらいました。自分の理解力が小学5年生の理解力に負ける事に少し驚きましたが、まあ自分が理解力が人より劣る事は子供の頃から分かってはいたことなので、いたしかたなしです。理解力がないから何度も何度も見る事が出来るのだと思うし、そこから深い理解を得る事もあるので、それはそれで良しとしたいと思います。


2021年09月01日(水) 目的と意志を持って

今日から9月ですなんて日記は今日は書きません。何故なら今日は絶対に書いておきたい事があるからです。それを書きたいと思います。パラリンピックを見ていて、本当に凄いなと感動した事がありました。それは障害者だから凄いとか、障害を乗り越えて頑張っているから感動したとか、そういう事ではありません。同じ人間として尊敬していますし、同じ人間として、人間の持っている可能性の素晴らしさや、人間の持っている生命力の逞しさを見せて頂き、凄いと思わされ、感動させられ、尊敬させられた感じでした。特に「最年少記録は一度しか出せないけど、最年長記録は何度でも出せますよね」という言葉に感動しました。その記録は、別に世界記録でなくても良いし、日本記録でなくても良いと思うのです。自分が何歳になっても自分を高めようと言う意志があれば、自分の可能性を伸ばして行けると思いますし、自分の心と身体を高めて行く事が出来るのでは?と思うのです。誰かと比べなくても良いと思うのです。しっかりと目的を意志を持って一つの事を諦めずに続けて行けば良いのではないかと思うのです。私も自分の身体がどうなろうと、しっかりと目的と意志を持って、空手道の道を突き進みたいと強く思いました。


2021年08月31日(火) あの頃を愛おしく思う

15歳で空手を始めて、20歳で東京に来て、22歳で全日本ウエイト制大会でデビューして、23歳で黒帯を取得して指導員になり、その同じ年に無差別の全日本大会にデビューして、25歳で千葉県大会で優勝して、27歳で全日本大会でベスト16に入り、29歳でロシア大会でベスト8に入り、29歳で大森道場を開設し、同じ年に東京城南京浜支部の支部長になりと書き出せば、かなり順風満帆の人生に見えますが、私の意識の中では、34歳までは水面から顔を出すためにアップアップして頑張ってもがいているような人生だったと思っています。34歳までは常にお金に困っていて、お金の心配をしていましたし、試合でも勝っては負け、負けては勝ちと、自分の思い通りにはいかなく、いつもジレンマと戦っていました。29歳で道場を出して支部長になってから、試合を引退する34歳までの約5年間は本当に大変でした。道場の運営と、お金の心配と、稽古での疲れと、試合で思うような結果が出ないジレンマと、人間関係にいつも悩ませられている状態でした。でも良かった事はいろいろな方に協力はして頂いた中でも、しっかりとその悩みに、自分で考えて自分で行動して対処して来た事だと思います。その経験が今の私を作ってくれました。若い頃を懐かしく思う事はたくさんありますが、その頃に戻りたいとは思いません。というか思えません。思いたいけど思えないと言う感じです。あんな苦しい思いもうしたくないです。そして今が1番幸せだと思っているからです。今だって裕福ではないけど、それなりの暮らしは出来ていますし、妻と子供達とご飯を食べてお酒を飲んで、妻や子供達とおしゃべりをして、子供達に「パパ、アイス食べたいから一緒に買いに行こう!」なんて甘えられて、もう今が最高に幸せです。でもこの幸せもそのアップアップ一生懸命にもがいていた毎日があったおかげだと思うので、戻りたくはないけど、やはりあの頃を愛おしく思います。


2021年08月30日(月) 立て直すのは

一度崩れた物を立て直すのは本当に難しいと感じます。それまで習慣にしてやっていた事でも、一度楽してしまうと、それまでの習慣が当たり前ではなくなり、それをやる事が大変な事になってしまいます。それをまた習慣にして当たり前の事にするまで、かなりの努力と時間を必要とします。私もいまだにそうです。子供達は夏休み明けが大変なのがいまだに分かります。


kanno

My追加