DiaryINDEX過去の日記未来の日記
2021年05月20日(木) 日記を読み直す

たまに自分の日記を読み直したりします。最近も自分の日記を読み直してみました。自分で言うのもなんだけど、不器用なりに、馬鹿なりに、その時その時を一生懸命に生きているなと思いました。もちろん反省点は多々あります。でも自分や周りの人を裏切るような生き方だけはしていないと思います。これからもそうありたいと思います。自分の人生で1番辛かった時期は29歳から34歳までの5年間でした。29歳で道場を出して、自分の先生と、自分の所属していた支部がみんな組織を離れてしまい、全ての事を自分で考えてやらなくてはいけなくなり、なかなか道場の経営も運営も上手くいかず、自分の稽古も自分で考えてやるのですが、組手は相手がいないので、いろんな道場に出稽古に行かせていただきました。でも試合も思うような結果が出せず、ある意味ではずっと一人ぼっちの戦いでした。でもその時期の自分が人生で1番頑張っていたと思います。寝る時間も惜しんで一日中フル活動していました。その時期の苦労があったおかげで私は本当の意味で大人になれたと思います。34歳の終わりに妻と付き合う事になってから私の人生は激変しました。全てが楽しくなりました。そこからの私の人生はボーナスステージのように幸せです。妻や子供達のおかげで本当に楽しい毎日を過ごせています。感謝です。


2021年05月19日(水) 父に教えてもらったこと

私の父は、とても貧しい家に育ちました。兄弟が多いため歳で言えば、幼稚園児の頃一度は人の家に貰われる事となり、着る物も何も貧しくても食べる物が無くても良いから家にいたいと言って、とても遠いところから自分の足で歩いて家に帰り、自分の親に頼んで家に戻してもらったそうです。その後も学校にもあまり行けず、他の大きな畑を持つ農家に出稼ぎのような事をしたそうです。そのお金は親が前金で貰ってしまうそうです。そして家では、父がウサギを飼い、その毛を売っていたそうです。学校に行ってもお弁当を持っていけなかったそうです。家ではすいとんしか食べていないので、お弁当に出来ず、父はお弁当を忘れたと先生に言って、家にすいとんを食べに走って帰ったそうです。父は貧乏な事でとても苦労をしたそうです。ある日、父が歩いていると、農作業を終えた人がおにぎりを食べている所に偶然遭遇したそうです。その中の1人が「あの子の家は貧乏だから、おにぎりが欲しくて来たな」と言って「ほら、食べろ」と言って出したそうです。父は白飯など食べた事はほとんどないのに加え、とてもお腹が空いていて、喉から手が出るほど食べたかったけど、それを食べたら負けだと思い断ったそうです。本当はその近辺に用事があったそうですが、そのままずっと歩いて行ったそうです。悔しくて涙が止まらなかったそうです。食べ物にはとても苦労した父ですから、食べる事にはとても厳しかったです。父に「美味しいか?」と聴かれて「美味しい」と答えるのはありでしたが、食べ物に対して、私達が「美味しい」とか「不味い」とか言いながら食べていたら、「食べ物に対して美味しいとか不味いとか言わないで有難く食べろ」と言われました。でも父は「俺は貧乏でも、人にいじめられた事はない」と言っていました。父は中学もろくに出ていなく勉強は出来ないので、理論的に何かを私に教えてくれた事はありませんでしたが、男として生きて行くのに必要な事は私に対する態度で教えてくれました。


2021年05月18日(火) 行きは良い良い、帰りは怖い

私には、行く時は楽しみなのに帰りは後悔しながら帰るという場所があります。それは「ラーメン二郎」三田本店です。1人で行くのは怖いので、妻を誘ったのですが、断られたので、仕方なく1人で行きました。言ってみれば共謀者が欲しかった訳です。朝の8時過ぎに家を出て、わざわざ田町駅まで電車で行き、並んでまでラーメンを食べてしまう、自分の浅ましさを感じながら、小ブタをにんにくマシマシ、カラメ、アブラで注文し、最高のラーメン一杯を食べます。ラーメン二郎三田本店に行った事がある方なら分かると思いますが、一杯の量たカロリーがとんでもありません。その最高のカロリーをペロリと食べて「あーあ!やっぱり美味い!」と最高の気持ちになります。しかし帰り途は、最高のカロリーを食べてしまった事を後悔しながら田町駅まで歩いて帰る事となります。まあ自分がやってしまった事ですから、自分で責任を取るしかありません。摂ったカロリーは今日1日の稽古で消費したいと思います。


2021年05月17日(月) 神様を信じる

私は神様を信じています。何が神様なのか?は正直、私には分かりません。でも神様の存在を感じるような出来事を何度も経験した事があります。神様の存在を感じるような経験というのは、私に都合が良い出来事では決してありません。今までの人生を振り返って、良い事も悪い事もひっくるめて考えた時に感じることです。今があるという事は、今までがあるという事です。良くも悪くも今までが少し違えば、今は無いわけです。だから今があるって本当に奇跡です。運命か偶然かわかりませんが、すごい確率の中で自分の道を選択し、良い事あり悪い事ありで、今があります。今、自分が生きている時間や場所から、この宇宙が出来たところまで振り返って見れば、細い細い一本道が自分の所まで続いて来た事となります。その道がどこかで途切れていれば、今の自分はありません。そんなの当たり前だろ?!と思う人もいると思いますが、本当に当たり前でしょうか?私にはどうしても当たり前とは思えません。そう思った時に、やはり神様を感じずにはいられないのです。何者かに守られて今があるとしか思えないのです。自分の所に命を繋げてくれた出来事や、自分の所に命を繋げてくれた人達や、この宇宙の万物に神様を感じ、感謝して生きて行きたいと思います。


2021年05月16日(日) 心のやり取り

私が極真空手から、また極真空手の試合や、極真空手を学ぶ中で得た物は、心のやり取りと言うか、心の調和だと思います。私は極真空手の試合に出てたくさんの人と戦いました。130戦、日本人、ロシア人、ブラジル人、イラン人、カザススタン人、大きい人、小さい人、年上の人、年下の人、いろんな人と戦いました。お互いに道着を着て帯を締め、素手素足で、身体をぶつけ合いました。身体をぶつけ合うという事は、心をぶつけ合うという事です。言ってみれば究極の心のやり取りをしたと言っても過言ではないと思います。試合では、お互いの技を駆使して戦うのですが、その中で相手の心や考えを読んで、そこを突いて行かなければいけません。相手の苦手な動き、相手の得意な動き、相手の嫌がる技、相手が受けられない技、相手の強い技、などお互いの技を交換すると同時に、相手の諦めた瞬間など、ちょっとした心の動きも読んで相手を攻めて行きます。そのような心のやり取りを出来る人は、実生活でもそれを生かして行くことが出来ると思います。これは試合の中だけではなく、先輩の付き人をさせて頂いた中でも学びました。私は黒澤先生に厳しく躾けて頂いたおかげで、けっこう気が効くようになりました。相手の顔色を見るというか、気配を察知して行動が出来ました。そのおかげで先輩のセコンドや付き人をさせて頂き本当に可愛がって頂きました。この事は指導にも生きています。その生徒に今何が必要か?を察知する事が出来ます。もちろん私は神様ではありませんから間違う事もあります。でもほぼ間違う事はないと自負しています。この前も小さい道場生が道場の前で何度か泣いてしまうようになり、「じゃあ今度は頑張ろうね!約束だよ!」と帰したり、お母さんに見学して貰いながら稽古した日もありました。でもその日は今日は、泣いてしまっても稽古が遅れても、私がその子を抱いてお母さんに帰ってもらい1人で稽古させなくては、これを何度も繰り返してしまうな、今が大事だ、今が分岐点だ、今日がターニングポイントになるなと感じ、そうさせて頂きました。結果、5分ぐらい泣いていましたが、5分遅れで稽古を開始し最後まで稽古をする事が出来、笑顔で帰って行きました。その後も普通に笑顔で稽古に来ています。これは考えてわかる事ではなく、カッコ良く言えば私の中の感覚が「今が大事だよ」と囁いて教えてくれる感じです。人とガチンコで身体と心をぶつけ合ってむき合って来た中で養った極意とも言うべきものだと思っています。


2021年05月15日(土) 唐手術

まだ空手が唐手術と呼ばれていた頃の本を手に入れました。この本からどんな事が学べるのか?とても楽しみです。


2021年05月14日(金) ラッキー

私は1987年の11月に極真空手の第4回全世界空手道選手権大会を見て、極真空手というものを知りました。そこから映画「地上最強の空手」「地上最強の空手パート2」漫画「空手バカ一代」を見みて、大山倍達総裁の本を読みあさり、極真空手のビデオや格闘技雑誌などを読むようになり、完全な格闘技オタクというか極真空手オタクになりました。その時に、福島の街で誰が1番喧嘩が強いか?などという事に強さの価値観を持っていたのが、その今まで自分が持っていた強さの価値観を完全にブッ壊されたのです。世界一強い男は誰だ?それが私の価値観となりました。当時の私は身長172センチで体重は70キロ前後でした。体重無差別で素手素足で世界中の空手家が200人以上集まって大会を開く極真会館の試合が私には世界最強を決める場だと思いました。極真空手を始める事で、そこに自分もエントリーした気持ちになりました。そして忘れもしない1991年の第5回全世界空手道選手権大会を観に行き、自分と2つしか年の変わらないフランシスコ・フィリョ選手がアンディ・フグ選手を左上段廻し蹴りでノックアウトするのを見て、「自分も頑張らなくては行けない!」と思い、次の年には空手に全てを賭けようと東京に出てきました。当時の私の仲間で、極真空手の漫画や映画を観た時に「こんなの嘘だよ」とか「こんなの八百長だ」とか言った人もいました。それは本当にもったいない事だと思います。バカになって信じて騙させてみたら良いと思うのです。バカになって突き進んでいけば良いと思うのです。10代の私は極真空手にまんまと騙されました。それを私はラッキーだと思っています。若者の心を捉え騙せるような男に私もなりたいと思います。


2021年05月13日(木) 中野

何度かこの日記にも書いているとは思いますが、私は東京に来て28年になります。28年前ですから1993年に東京に来たという事になります。この年はJリーグやK-1グランプリが開催されたり、レインボーブリッジが開通したりした年でした。私は最初の2年は中野に住んでいました。その頃は中野のサンモール商店街や新中野や中野富士見町のあたりでよくご飯を食べていました。中野はけっこうお笑い芸人の方が住んで、私が東京に来て初めて見た芸能人もお笑い芸人の方でした。少し前にお笑い芸人の方が1993年に中野に住んでいた時のアパートに行くという番組があり見ていたら、私がよく言っていたお店の外観がチラッと映りすぐ場面が変わったのですが、私はすぐそのお店だと分かりました。そのあともう一度そのお店が少し大きく写るのを確認したらやはりそのお店でした。とても懐かしい気持ちになりました。26年経った今もそのお店があった事に驚きでしたし、心にグッと来るものがありました。近々そのお店に行って見ようと思います。あの頃よく食べていたメニューを食べたいと思います。いったいどんな味がするのでしょう?


2021年05月12日(水) シフトチェンジ

今年の一月の半ばに右膝を手術して四か月が経ちました。先月の半ばまでは順調に回復していることを実感していたのですが、膝が良くなって来たと思い、少しトレーニングの強度を上げたら、また膝に水が溜まって腫れが出てきてしまいました。予定では五月には膝を完治させ本格的に稽古を始めようと思っていたのですが、私ももう48歳ですし、今までも身体を酷使して来たと言う事もあるからなのか?私の右膝は私の重い通りにはなってくれないようです。ダイエットのほうはゴールデンウィークはちょっとリラックスとリフレッシュしたので体重は89キロです。六月までまた頑張ってダイエットして80キロを目標にしたいと思います。まあでも今までの人生でやりたいことはほぼやったと思っているので、ここからは世のため人のために頑張ることにシフトチェンジしても良いかな?と思っています。いい機会なので、自分が競技に挑戦するなど、表舞台に立つことは終わりにしようと思います。これからは極真会館に恩返しをすること、家族を応援すること、道場生の目標達成のお手伝いに自分の力を注いでいきたいと思います。


2021年05月11日(火) 何をしている時が楽しい?

長男と次男が母の日に私の母と電話で話していました。「何をしている時が楽しい?」と聞かれ、長男はギター、次男はプールと言っていました。空手ではないのか?と少し思いましたが、考えてみれば私も水泳をやっていた時期もありギターをやっていた時期もあったので、ある意味では2人とも私と同じ物を好きになっているのだと思います。健康や自分を律するためにも空手は一生続けて欲しいけれど、空手の選手になって欲しいとか、私の後を継いで道場をやって欲しいと思っている訳ではありません。自分が一生かけてやりたい事や生業にしたい物を早く見つけて生きて行ってくれればそれで良いです。長男は友達とバンドを組んでいるようで、その練習している動画を見せてもらいました。いつか長男がライブをやったら見てみたいなと思います。


kanno

My追加