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2020年01月07日(火) 今日から全力で

今日から全力で指導に稽古に事務仕事に取り組みました。総本部の合宿で学んだ事や感じた事や思いついた事などを生徒に伝えながら指導しました。挨拶や返事を大きい声でする事や、一生懸命に稽古するだけではなく常に自分の体や動きを意識して行う事や、如何に一生懸命稽古するか?の「如何に」を常に考えて稽古する事の大切さを話しました。私自身もそれを常に考えて稽古に励みたいと思います。返事も組手につながるという話もしました。相手の話を理解した時などにしっかりと返事をする事は、相手の話の間を読んで返事をする事になります。その間を読んだりする事が出来る人は、組手でも絶妙な間で技を返すことが出来ると思います。相手に「分かった」と促されて返事をするようでは駄目です。卓球のラリーに返事を出来なければいけません。太鼓だって叩いたら音が鳴ります。叩かれたら音が鳴るように返事が出来なければいけません。「分かった」と促されないと返事が出来ない人は言ってみれば、太鼓を叩いて、「叩いたよ」と言われないと音を出さないのと同じです。損な太鼓はありません。稽古で行う全ての事が組手につながるのです。そういう気持ちで取り組める人は、必ずそれが身に付いて、空手をやった事が社会に出てから役に立ち、人から重宝される人間になることが出来ます。明日からもこの熱い思いを生徒たちに指導していきたいと思います。


2020年01月06日(月) 総本部冬合宿最終日

総本部冬合宿3日目、朝の寒稽古では昨日より寒かったそうですが、身体が慣れたのかあまり寒さを感じませんでした。3年ぶりに下山と滝浴びを出来ました。今年は例年より水の量が多かったです。私は滝の水を1番たくさん浴びる場所で正拳突き三十本行いましたが、それほどの苦痛を感じる事はありませんでした。自分が強くなれたと思える時間を過ごす事が出来ました。この経験を明日から生徒達に伝えて行きたいと思います。


2020年01月05日(日) 総本部冬合宿2日目

総本部冬合宿2日目、朝の寒稽古は雪が残る中で行われました。とても寒くて手が霜焼けになってしまいました。寒かったですが自分の心が寒さに動かされる事はありませんでした。46歳になりなかなか自分も強くなって来たなと思います。肉体的には弱くなった部分もあり、出来なくなった事もたくさんありますが、心は確実に強くなっていると感じました。


2020年01月04日(土) 総本部冬合宿

今日から三峰神社で行われる極真会館総本部の冬合宿に参加しました。1年の初めに自分に喝を入れるために毎年参加しています。寒い苦しいと言う状況の中で自分の身体が心がどのような反応を起こすのかを知ることができる最高の場です。今日は館長の稽古と講話がありました。とても有意義な時間でした。


2020年01月03日(金) 稽古をして、空手を学ぶ中での思い出ラスト

大森道場へ行き2時間30分ほど稽古をして鷲神社に初詣に行きました。明日からは総本部の冬合宿に参加します。考えてみたら2020年に入り毎日稽古をしています。7日から道場が始まり10日は全国支部長技術講習会で11日は総本部鏡開きで12日13日は支部の冬合宿なので18日まで休みが無いことに気が付きました。とても良い出だしだなと思います。休んでいる間も空手の本を読んだりyoutubeで空手の映像を見たりしていました。そこで廣重師範が指導する「この稽古でチャンピオン達は生まれた」というビデオの映像を見ました。私も蹴り技の受け返しなどのモデルをしていました。ビデオ撮影は2日間かけてやったと思います。多摩川で基本稽古やランニングや組手の映像を撮影し道場で空手の技術的な映像を撮影しました。普段の稽古の様に撮影を行ったので、けっこう廣重師範からダメだしをされながら解説されて行きます。撮影の緊張は全く無かったのですが、廣重師範のダメだしにとても緊張しながら撮影をした記憶があります。そしてそのビデオの内容は私が指導していたマニュアルですので今でももちろん頭の中に全て入っていますし、それを基に今でも指導しています。本当に貴重な体験をさせて頂いたと思います。


2020年01月02日(木) 正月気分も終わりだからこそ昨年を振り返ってみる

2019年は後半に面白い映画が集中していた様に思います。2019年に観た映画で1番良かったのは何と言ってもSTARWARSスカイウォーカーの夜明けです。これは私が5歳から観てきた映画なので今までの8作を含めての評価となるので、申し訳ありませんが圧倒的に第1位となりました。最後の作品のラストシーンは涙なしには観る事が出来ません。ここに行き着いたことで今までの作品全てが救われた気がしました。第2位はITです。この作品も凄く良かったです。何回見ても色褪せない良い映画です。もちろんラストシーンは泣けます。映画を観終わった後に友達に電話したくなってしまいます。第3位はジョーカーです。この作品も大好きです。母親にハッピーと呼ばれるアーサーがジョーカーに変化していく様を演じたホアキン・フェニックスの狂気が凄まじかったです。第4位はワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドです。タランティーノ作品のカッコ良さがしっかり出ていました。タランティーノ作品のワンカットの中でダラダラと会話して時間が進んでいく感じとかが大好きです。第5位はドクタースリープです。スティーヴン・キング作品でシャイニングの続編と言うのもあり、ダニーが最後に救われた事がとても良かったです。1月1日も2日もしっかりと2時間稽古をしました。正月気分も終わりです。正月気分も終わりだからこそ少し空手のこと以外で昨年を振り返ってみました。


2020年01月01日(水) 2020年令和二年が始まる

例年通り、稽古をしながら年を越しました。凄く綺麗な星空の下で稽古が出来た事、また稽古の帰り道では、その凄く綺麗な星空を眺めながら今年1年の自分の目標や道場の活動方針を考える事が出来、今年1年がとても素晴らしい1年になる希望でいっぱいな気持ちになりました。改めて、明けましておめでとうございます。2020年令和二年は東京オリンピックがあります。極真会館では昨年の第12回全世界空手道選手権大会が終わり、また新たな4年ワンクールの始まりの年です。世界大会を頂点とし4年をワンクールとし発展し新陳代謝を繰り返して成長して来た団体なので、今年はその始まりと言うとても大切な1年と言えます。東京城南京浜支部も4年後の第13回全世界空手道選手権大会に選手を出場させる事が出来るよう活動して行きたいと思います。その為にも自分自身が先頭に立って稽古に励み、道場の運営と指導に全力で取り組みたいと思います。


2019年12月31日(火) 令和元年が終わる。思い出を語る

2019年令和元年が終わります。休み中も柔軟体操、ウエイトトレーニング、エアロバイク、基本稽古、型稽古などのその日に決めた事を約3時間ほど行っています。特に柔軟体操は毎日行っています。毎日、柔軟体操をしないと怪我をしてしまいますし、身体のコンディションを良く保つ事が出来ません。今日も極真空手を学んできた中での思い出を語ろうと思います。城南支部ではと言うか、極真会館では、後輩と食事に行ったら先輩が払ってあげる、もしくは多くお金を出すと言うのが伝統です。私も若い頃は先輩方のお世話になりました。良くご馳走していただいたのは、石澤先輩、笹岡先輩、数見先輩、竹石先輩でした。お金がない時などはとても助けて頂きました。そして先輩にしてもらった事は後輩に返す事が、先輩への恩返しだと教えられました。私もそれだけは守っています。私は23歳で黒帯になり指導員になりました。給料も5〜7万でしたので、とても貧乏でしたが、年上の人やサラリーマンの人や会社の社長であろうと相手が後輩なら自分がお金を出していました。それが先輩としての責任と義務だと思い頑張りました。社会的には生徒や後輩の方が偉い人もたくさんいましたし、当時の私よりみんなお金を持っていましたが、道場では自分の方が先輩だと言う教えと意地だけはしっかり通していました。このような伝統もこの社会に残して行きたいと思います。


2019年12月30日(月) 空手を学んで来た中での思い出を語る

城南支部では毎月最後の金曜日には蒲田道場で必ず飲み会がありました。道場で飲んだ後にカラオケに行き、梅屋敷駅の近くの居酒屋で朝まで飲むというパターンが多かったと思います。城南支部は先輩と後輩の礼儀はしっかりしていましたが、先輩と後輩が仲良く稽古したり飲みに行ったり出来る環境でした。支部の成り立ちとして、朝練に参加する選手と夜の帯研に参加する選手とその道場の一般稽古に参加する一般の道場生という感じで別れていました。朝練に参加する選手は内弟子が多かったので夜は指導に入っていました。また夜の帯研に参加する選手も各道場の指導に入っている人が多かったです。それとは別に各選手が後輩とチームを作って自主トレをしたり食事をしたりして後輩の面倒を見て、後輩を自然に育てて行くという伝統がありました。そして自分達で稽古して作った動きが間違っていないか?的が外れていないか?などを見て貰い軌道修正する役が廣重師範だったように思います。なので廣重師範の指導は本当に空手らしい稽古でした。身体の使い方、運足、腰の位置、呼吸、姿勢、意識、そんな所を1番注意されたように思います。


2019年12月29日(日) 極真空手を学んできた中での思い出を語る

城南支部に移籍してから、しばらくの間、月・水・金は数見先輩が指導をする5時〜6時30分の部で稽古し稽古終了後は数見先輩と自主トレをし、火・土は帯研という感じでした。その後、川原先輩に声をかけて頂き、5時〜6時30分は川原先輩をリーダーに塚本先輩、鈴木先輩、重盛先輩、志田さん、と稽古をし、7時〜8時30分の稽古に出るようになりました。川原先輩チームの稽古は、顔面有のスパーリングをし極真ルールのスパーリングをしミットなどを行いました。私の組手の原型は川原先輩との稽古から作られたと言っても過言ではありません。川原先輩からステップワークやパンチの打ち方やコンビネーションや技の使い方やカウンターの取り方などを習いました。そして1番はいろいろな稽古方法を習いました。一緒に稽古していた川原先輩と塚本先輩が第26回全日本大会で入賞した事もその後、私も本気で頑張ろうと思うキッカケとなりました。川原先輩との稽古のおかげで私は城南支部の新人の登竜門となる茶帯のトーナメントの重量級で2回優勝する事が出来ました。分裂後、川原先輩は現在の新極真会に行く事になり、私は極真会館に行く事になったので川原先輩と一緒に稽古する事は出来なくなりました。川原先輩は後にボクシングでもミドル級で全日本新人王になり日本タイトル戦に挑戦しました。川原先輩の身長は私と同じ172センチですから、リーチが命となるボクシングのミドル級で全日本新人王になったのは凄い事だと思います。川原先輩のパンチはとても強かったです。川原先輩の左フックで私は肋骨を3本折られました。現在はお互い違う組織にいますが、私にとってはいつまでも大切な先輩です。


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