DiaryINDEX過去の日記未来の日記
2019年11月08日(金) 極真空手は素晴らしい

極真空手は素晴らしい!と思う事の一つに、私は極真空手を通して世界各国の方達や日本の各地の方達とたくさん出会う事が出来ます。みんな極真空手が大好きな人達です。同じ物を同じように好きで大切にしているという事が、お互いの気持を結び付け絆を築いてくれます。もし私が極真空手をやらなければ、こんなに世界中の方々と出会う事はなかったのではないかと思います。本当に感謝です。


2019年11月07日(木) 長男との口論

月曜日に、長男が「太陽は東から昇って南の空を通って西に沈む」と言って来ました。太陽が東から昇って西に沈むのは知っていましたが、南の空を通ってと言うのが分からなく、私は「太陽は真上にあるのだから南も北もないんじゃないの?」と言うと、長男は頑として譲らないので口論になりました。結局その場はお互い譲らずに話が終わりました。先ほどその事を思い出し、調べてみたところ、どうやら長男が正しかったようです。学生時代に勉強をしなかった事が長男にバレてしまいますが、明日の朝、長男が起きたら、私が間違っていた事を謝ろうと思います。


2019年11月06日(水) お勧めの作品

「IT/THE END‘‘それ’’が見えたら、終わり。」を観ました。この作品は私の大好きなスティーヴン・キング原作の作品です。この作品は「IT/‘‘それ’’が見えたら終わり。」の続編と言うか完結編と言うかアンサー的なと言う作品です。私はスティーヴン・キングの小説はもちろんのこと、スティーヴン・キング原作の映画も大好きです。スティーヴン・キング原作で好きな映画は1位「スタンド・バイ・ミー」2位「ショーシャンクの空に」3位「ミスト」4位「ミザリー」5位「シャイニング」でしたが、「IT」のCHAPTER ONE、CHAPTER TWOの2作品が1位になりました。この作品は、基本はホラーなのですが、主人公の少年6人と少女1人の落ちこぼれルーザーズ(負け犬)・クラブの一人一人が自分の抱えているコンプレックスやトラウマや恐怖の源に葛藤し立ち向かっていく姿、その中で芽生えて行く友情や愛情を子供時代から大人時代まで描かれている、とても素晴らしい作品です。ホラー映画で感動で涙が出て、子供時代を懐かしく思い、今を一生懸命生きようと思える本当に凄い作品です。是非お勧めしたい作品です。R15指定の作品なので15歳以下の人は観ることが出来ませんが、私は息子達が12歳ぐらいの時には見せたいと思います。この作品の伝えたい事は、思春期の子達にこそ見て欲しいものだと私は思います。まあ何歳で見ても楽しめると思いますし、感動もすると思いますし、何かを思うことが出来る良い作品だとは思いますが、私はこの作品と12歳ぐらいで出会っていたら、もっともっと良かったのにな思いました。確かに残虐なシーンはあるのですが、この作品を見て人を傷つける事や人を殺してしまう事を増長させてしまう人がいるのかな?逆にこの作品を見た方がやらなくなるのではないか?と思います。安易にR指定にするのではなく、何を持ってR指定にするのかも考えた方が良いのではないかな?と思いました。大切なことはその作品が人の心に何を伝えたいか?なのではないのかなと思います。


2019年11月05日(火) 人間の体は心が大きく作用している

私は土日はだいたい8時か9時ぐらいには寝てしまいます。これはお酒を飲んでいても飲んでいなくてもだいたいそうです。土日は、5時過ぎにはお風呂に入り、6時ぐらいから食事をします。そうして子供達と布団の上で遊んでいるうちに眠くなり寝てしまいます。ですが平日は夜中の1時過ぎぐらいまで寝つけません。平日の方が疲れているはずなのに、平日は何故か眠くならないのです。なので眠くないけど布団に入って寝る感じです。これは朝6時半から仕事をしている時からそうでした。やはり夜に稽古をしてテンションが上がるからなのかと思います。あと飲みに行った時には朝まで飲んでいられます。どんなに飲んでもほとんど眠くなることはありません。人間の体は心が大きく作用しているのだと思います。


2019年11月04日(月) 次男の七五三

池上本門寺に次男の七五三祈願を受けに行きました。次男は祈願を受けている間、私の隣でずっと正座をして手を合わせていました。南無妙法蓮華経と唱和する所も周りに合わせてしっかりと唱和していました。なかなかしっかりしているなと感心しました。生まれる時はいろいろと大変だった次男ですが、本当に早いもので、もう5歳になり七五三です。次男が生まれたすぐ後に、私はインフルエンザになったので、その時の事を凄く良く覚えています。なぜならあれから5年、私は風邪を引いていません。


2019年11月03日(日) 入間基地航空祭

家族で入間基地の航空祭に行きました。昨年も行ったので2回目でした。長男も次男もブルーインパルスは大喜びで見ていました。どこかに行った時は好きな物を買ってあげるのですが、長男は悩みに悩んだ挙句に双眼鏡を買っていました。帰りは電車の中でずっと双眼鏡で、外のいろんな物を見ていました。本当に面白い子だなと思います。次男は戦車やヘリコプターや戦闘機の入っているおもちゃを買っていました。


2019年11月02日(土) 子供達との時間

平日は子供達と一緒にお風呂に入れないので、土曜日と日曜日は必ず長男と次男と三人でお風呂に入るようにしています。長男も次男も私が髪も体も洗ってあげます。髪や身体を洗ってあげながら、子供達の成長を知る事が出来ます。子供達の成長は本当に早いです。長男なんてあと何年かしたら一緒にお風呂に入ってくれなくなるかもしれません。まあその時々の子供達との付き合い方があり、その時々を楽しめば良いとのだといますが、やはり今しか出来ない事もたくさんあるので、後悔しないよう今という時間を子供達と楽しみたいと思います。


2019年11月01日(金) 11月1日

今日から11月です。2019年(令和元年)も残すところあと2ヶ月です。朝の稽古を行い、とても良い形で11月をスタートする事が出来ました。今、自分が頑張れている事に感謝したいと思います。


2019年10月31日(木) 稽古とは?

もう少し稽古に付いて書きたいと思います。稽古をする心構えとして「守・破・離(しゅ・は・り)」という言葉があります。守は(まもる)、破は(やぶる)(超える)という意味です。離は(はなれる)です。とにかく何かを始めた時は守る事が大切です。物事をやり易いようにやったり、自分に都合が良いように解釈したり、自分の都合が良いように工夫したりするのは良くありません。何故かと言えば人間は物事を道理が分かるようになる前に工夫してしまうと自分の都合が良いように楽なように工夫してしまいます。先ずは習う時にはその道理と言うか真理という物を理解するまでは教えられた事を守りきる事が大切です。空手で言えば自分の精神的な悪い所や、身体的な悪い所を矯正し、言って見れば悪い癖を取るために、良い癖を上書きするからです。それが出来たら次は破の段階に入ります。一から十まで習った事が出来るようになったら、また一に立ち返るのですが、自分のやっている稽古に常に疑問を持って行い、何度も稽古する中で自分の特徴に合った物に変化を加えて行き自分の奥義を見出します。それが出来たならば今度は、教えてくれる人から離れ、自分の習得したものを人を教えて育ててみると良いと思います。その教えるという作業からまた新たな気付きや新たな事を学び習得する事が出来ます。では守破離のその先は何にたどり着くのでしょう?これは私の考えですが、やはりまた新たな何かを始め守に立ち返る事が大切なのではないかと思います。学びに終わりは無いのではないかと思います。それが私の師匠である廣重毅師範が私に贈ってくれた本にサインをした「求道無限」という事なのだと思います。「求めれば道は無限に通ずる」のだと私は思います。4回に渡り稽古と言うものについて私の今の思いや考えを書いてみました。ですがこれが完成形だとは少しも思いません。数年後の自分はさらにさらに進化していて、この日記を見て、この頃の自分は未熟だと思える自分になれるよう日々精進して生きて行きたいと思います。


2019年10月30日(水) 稽古とは?

 この菅野日記で2回に渡り稽古とは?という題で私の稽古に対する考えを書いてきましたが、もう少し稽古に付いて書いてみたいと思います。「稽古照今(けいこしょうこん)」という言葉があります。この 稽という字は 「考える」 という意味があります。なので稽古照今とは「今について昔と照らし合わせ、考えなおしてみる」 という意味になります。温故知新にも似ている言葉だと思います。なので伝統や文化や格式を重んじ礼儀作法を守り先人達への尊敬と感謝の気持を持って稽古する事が大切なのですが、常に稽古している事に疑問を持って稽古する事が大切ですし、今の学びをさらに研鑽し前に進め、最終的には自分の極意というものを掴まなければならないと思います。なので稽古の作法などは別として、稽古自体が神のように絶対なものになっては行けないと思います。数学や化学反応のようにこれをやれば必ずこうなるという稽古方法は無いと私は思います。だからこそ自分のやっている稽古に常に疑問を持ち稽古する事が大切だと思います。そしてやはり一から十を学んだ後に、また一に戻ることも大切だと思います。それはまた新たな気づきを得る事が出来るからです。なので同じ所をグルグル回るのでは無く、螺旋階段を登って行くような感じになると思います。人間の素晴らしさは学んだ事をさらに前へ進め、それを次の世代に渡す事が出来る事です。自分のやっている事が数百年後にもっともっと素晴らしいものになっていたら、それは本当に素晴らしい事です。その中に自分もいたという事は、この世に生まれ生きた価値があったという事になると思います。


kanno

My追加