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子供達がお友達のお家にもう1日泊まりたいという事で、令和の第1日目は妻と2人で過ごしました。丸ノ内線の国会議事堂前から桜田門を通り二重橋の皇居前まで行きました。帰りは東京駅まで歩き、品川のフライデーズで食事して帰って来ました。妻と2人の時間も楽しいけれど、2人だとなんだか時間を持て余します。やはり息子達2人がいての家族なのだと思いました。でも平成と令和の時代が変わる瞬間を妻と2人で過ごせた事はとても良い思い出になると思いますし、息子達も仲の良いお友達の家で時代が変わる瞬間を迎えた事は一生の思い出になると思います。こんな大切な時に息子達を泊めていただいたお家には本当に感謝しています。
子供達がお友達の家にお泊まりに行ったので、平成最後の日を妻とディズニーシーでデートをして過ごしました。最後にヴェネチアンンゴンドラで素晴らしい景色を妻と見る事が出来たので良かったです。令和になる瞬間は串カツ田中で飲みながら妻とカウントダウンして迎えました。この瞬間を一生忘れないと思います。時代が変わる瞬間を迎えるのも最後かもしれないので、自分の人生のイベントとして楽しませていただきました。令和が良い時代になるよう頑張りたいと思います。
次男は朝起きて開口一番、「今日も走るのー!」と泣きながら言いました。とにかく頑張ろうと私と妻と長男と次男で自転車で道場に向かいました。私は長男と次男に「昨日の自分に出来た事が、今日の自分に出来ない訳がない」この言葉がいつも私を励ましてくれた事を話しました。昨日は頑張って出来たわけだし、ご飯を食べて寝たわけだから、昨日より今日の自分の方が絶対に心も身体も強くなっているはずだよ!と話しました。長男も次男も昨日の疲れと筋肉痛で大変そうでした。長男は本当に凄い奴だと思います。今までなんども合宿に参加しましたが、1度もネガティヴな事を言った事がないし、今日もやるぞー!という感じで稽古や合宿に行きます。今日も次男と一緒に一本多く階段ダッシュを走ってくれました。それまでも10本は走っているのに良くもう一本走る気になるなと驚きました。長距離坂道ダッシュも志願して走り2位になっていました。なのに短距離坂道ダッシュではやはりビリで10本走りました。でもその姿が少し男前に見えました。次男は帰りのランニングもみんなより30分長くかかりましたが最後まで走りました。私は帰りの自転車で次男に「今日、合宿頑張って良かった?」と聞いたら、次男は「頑張って良かった!」と言いました。次男は自転車で寝てしまい、ウルトラセブンの人形を落としてしまいました。次男はセブンが無いと泣いたので、「今日は頑張ったから、セブンの人形を買ってあげるよ!」と言いました。長男も次男も本当に頑張ったと思います。
私の運営する道場の春季通い合宿でした。この合宿は選手を強化する目的で始めた合宿なのでなかなか大変な合宿です。午前に3時間、午後に3時間稽古をします。午前の稽古では池上本門寺まで3キロランニングして階段ダッシュや坂道ダッシュを行います。午後はステップワークをオーソドックスとサウスポーどちらでも出来るよう稽古しました。そらから突きや蹴りの稽古をしました。私の長男と次男も参加しました。次男は走るのがとても苦手なのでなかなか大変だったと思います。行きのランニングで、次男は私に「先生、苦しいです」と言って来ました。私は次男を一喝して走らせました。次男は泣きながら頑張って走りました。階段ダッシュや坂道ダッシュもビリでしたが最後まで頑張って走っていました。この合宿が次男の人生を大きく変えるキッカケになってくれたら嬉しいです。次男は甘えっ子で気が強いので普段は私の言うことはあまり聞かず、この前も池上本門寺に来たので、階段ダッシュを一本走ってみたらと言いましたが、キツイと言って走りませんでした。やはり合宿という環境が次男を頑張らせたのだと思います。
前橋妙子初段の3回目の命日でした。稽古のあと家族で前橋さんのお墓詣りに行きました。長男は前橋さんのお見舞いに行った事やお葬式の事などを覚えているので、その時の思い出を一緒に話しました。前橋さんは本当に稽古を一生懸命にする人でした。いろんな思い出がたくさんあります。前橋さんが「押忍!」と言って道場に来なくなって、もうだいぶ経ちますが、やはりとても寂しいものです。次男が本気で言っているのどうか分かりませんが、とても嬉しい事を言いました。「マシロ君は、極真空手をやるために生まれて来たんだ」私は「じゃあパパと一緒だな」と言いました。前橋さんも極真空手をやるために生まれて来た人だと思います。次の世代の人も育って来ています。私達が素晴らしいと思うこの極真空手の精神を必ず繋げてみせます。見ていて欲しいと思います。
今日は大山倍達総裁の25回目の命日でした。極真空手を生きがいにしている事、極真空手を糧にさせて頂いている事、その事に感謝して稽古をしました。もしこの世に極真空手が存在しなければ、私はつまらない人生を送っていた事と思います。極真空手と始めて出会った衝撃は今でも忘れません。極真空手のおかげで私は道を外す事なく人生を歩んでくる事が出来ました。本当に感謝しています。
毎日の稽古の中で、いろんな自分の変化を感じることが出来ます。自分の心や身体の変化を空手の技を通して感じることが出来ます。私も空手を始めてから31年が経ちました。本当に今までで一つの事を続けてきて良かったなと思います。出来れば70歳までは元気に稽古をしたいと思っています。その時には自分がどんな事を感じているのかとても楽しみです。
6月2日に大阪で行われるセミコンタクトルール全国交流大会に出場する事を決めエントリーしました。国際親善大会が終わったあと二日間は、なかなか自分の気持ちに整理がつかず直ぐに6月の試合にとは気持ちが動かなかったのですが、やはりここはあえて自ら厳しい道を進もうと思い出場を決めました。土曜日と日曜日に暴飲暴食した体重は頑張って落としました。残り38日頑張りたいと思います。
負けた瞬間から戦いが始まっています。負けた瞬間から出来る事が沢山あります。負けた事を素直に認め相手を讃える事です。そして自分に勝った相手の試合を見て学ばせてもらう事です。私は型競技で予選落ちをしたので、決勝に残った方々と握手させてもらい頑張って下さいと自分の完敗の気持ちを伝えました。決勝の型を見学したくさんの事を学ばせて頂きました。そして入賞した方々にお祝いの挨拶をさせて頂きました。今日はその反省をもとに型の稽古を行いました。やはり悪いところがたくさんあった事に気が付きました。今回の試合で負けた事に感謝しています。自分の空手を根底から見直す機会となりましたし、自分という人間を根底から見直す機会となりました。という訳で、前言を撤回して、今後も型競技の試合に挑戦させて頂きたいと思います。
私の長男と次男も国際親善大会に出場しました。私を含め親子三人で国際親善大会に出場出来た事を嬉しく思います。私が大好きな極真空手を長男と次男が好きになってくれて、それを妻がサポートしてくれている事に感謝しています。私の正直な気持ちとして彼らの勝ち負けは、どうでも良いと言ったら何ですが、勝ったから偉いとか、負けたから駄目だとかは全然思いません。彼らが悔しいと思い、頑張りたいと思うなら頑張れば良いだけの話です。長男がはじめて、休みの日に私と稽古がしたいと試合のあとに言いました。正直、休みの日ぐらいは空手から離れたいのですが、親としては、この機を逃さないであげたいなと思います。休みの日はちょっと優しく稽古してあげようかなと思います。
kanno
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