あれもできるし、 - 2002年07月29日(月) これもできる! わくわくと遊びの感覚なんだ! 毎日の暮らし、そのものが、ね! - 私、になる。 - 2002年07月28日(日) Aという理論とBという話、一見矛盾する。 でも、その背景にある言葉の「ねらい」、 そして「目的」に目を向ければ、 悪意に満ちた敵対を引き起こすことなく、 その矛盾は溶け出してしまうよ。 Aは自分のとこのが一番正しいというし、 Bはやっぱり自分達しかこの地球を救えないという。 私にとっては、AもBもどちらも真実。 それを家族にわかってもらおうと、 どう取り繕うかばかりを考えていたら 具合が悪くなってしまう。 そう、子供のころから知っていたよね、 なにか言い訳考えてるといつだって、 なんだか縮こまったへんてこな気分になるんだ。 父がこう言ったらどう言おうか、 母がこう言ってきたらなんと答えたらいいものか?? 95年に私がアメリカに渡る時、 心に決めたことをすっかり忘れかけていたよ。 無駄に命をすり減らす、「議論」でもない。「敵対」でもない。 単なる立場としての、呼び名としての、 父、でもない。母、でもない。子、でもない。 家族のひとりひとりを、「一人の人間として」安全で、 幸せいっぱいになっていく姿を胸に描き、 それにまっすぐ向かっていく。 現実に「直面」するとはそういうことだ、と気がついた。 一体、一個人の生涯として、どうなのか?ということ。 そこに焦点を当てて、必死で祈った365日だった。 そうしたら、奇跡が起こったじゃないか! 今ここに、目指す理想の家族像が描けた。 人を助けることが一家の最大の関心事。 最高にブームしている家族になる。 そして、もっと大きな空間で暮らす。 それこそが私が念願する家庭だ、って気付いた。 肩の力がすうっと抜けて、とっても楽になったんだ。 これで、直面できる。 もう大丈夫だ! 「私」がみんなを幸せにするよ。 - でもね、は禁句。 - 2002年07月27日(土) それはいとも簡単な、インバリデートの手段。 同意できない何かに、すぐに「でもね、」と返すのをやめよう。 十分なアクノレッジ(相手のいうことを受け止める)、 そして話の内容をたっぷりと理解してあげよう。 すると不思議! 目の前のかつての「敵」は跡形もなく消え、 私はこの上ない親友と向かい合っていることに気付く。 これは本当に魔法なのです。 - Q&A - 2002年07月26日(金) 「どうしよっかな〜??」 決断を他人にゆだねてしまうと、 顔もブサイクにゆがんでしまう。 うん、なんか、わかってきた! - interesting?? Nooooo!!!!! - 2002年07月25日(木) そうそう。 I should be 'intersted', NOT interesting during communicating with others. 自分自身が目覚めていればいるほど、 いくらでも周りの人を、助けてあげられる。 - スペース。 - 2002年07月23日(火) 会社の1Fのサロンでひとり、夕食をとる。 ほとんど人のいない、広い空間をみつめた。 私はこれまで、地下室とか3帖半とか、 こじんまりとしたもので満足していたけれど、 今は違う。 本来の自分という精神的大きさに見合う、 ゆとりのあるスペースを手に入れるという感覚を手に入れた。 もう、すでに、この手のひらの中に。 - 人の気をひこうとして、 - 2002年07月15日(月) 余計なことばかりしていたな。 今、いる場所に、楽にいられる。 そこにいる、ということ以外には何もしない。 そこからすべてが始まる。 それが、私がずっとほしくて仕方なかった プロフェッショナリズムに通じている。 色々と心配なことがあろうとも、 周りがどんなに騒ぎ立てようとも、 もしくは全く相手にされていないように見えても、 今、ここで求められている職務を遂行する。 素敵だ。 今まさに取り組んでいることが、 これまで求め続けていたものに似ているというのは、 これ以上ない、素敵なステキな発見だ。 - 効果的に振舞う、ということ - 2002年06月19日(水) 今、この瞬間を生きる、ということの素敵、みつけた。 社会といい、会社といい、 信じられないことばかり。 でも、イライラ憤ってもつまらない。 スイスイ、グングン進む、 軽くて丈夫な船のような私だ。 - 様々な「気づき」の海原で - 2002年06月18日(火) 毎日、毎日、波乗りをしている気分だ。 考えるというのは、低くて重くて苦しい。 遊ぶというのは、楽しくて軽〜く何でも出来てしまう! 過去のことを思い出したり、何かを考えたりするのは 自分の心の中で起こること。まさに主観的なこと。 それに対して、今周りで起こっていることを 皮膚とか目とか耳とか鼻とか舌とか使ってとらえるのは 自分の心の外で起こること。そう、それはまさに客観的。 ときに人間は、自分の心の中に迷い込んで、 自分のトーンをグイグイと下げてしまうことがあるよね。 「今」という現時点に生きることが大切なのは、 「今現在」しか、自分にコントロールできる余地は残されていないからだ。 そうしたことに、気づいている。 - 自分で、みる。 - 2002年06月06日(木) 他の誰かに言われたから、とかじゃなくて、 自分で、みる。 他の人のバラまく、一見正しそうな、 でも有害な発言に、惑わされない軌道を持つ。 しあわせだ! -
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