詩的エッセイ、つづっています。...笑 満ちる

 

 

第一の習慣:主体性を発揮する - 2001年12月11日(火)

7つの習慣を読み進める。
以前から、TQ(タイムクエスト)は読んでおり、
先月からフランクリン・プランナーを使いはじめていた。

自分の大切に思っていることに、十分な時間と労力を
使えているだろうか?
そんな疑問に自分で答えを出していける、という感がある。
第一の習慣:主体性を発揮する
の成果が!
自分も周りの状況も、
その場に滞るのをやめた、という実感有り。



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感じるだけじゃダメなんだ。 - 2001年12月09日(日)

2年前に、なりたい自分探しをしてみた。
今、その「リセット」をする、時期が来た。
洗いざらい、お気に入りの出来事、物事、書き出して、
自分自身とブレインストーミングしてみるんだ。
そうして、自分の価値観を明らかにするところからはじめよう。
そこからしか、今の状況を打開する術はないことを、
私、知ってる。

感じるだけじゃダメなんだ。
今、ひとつしっかり考えてみたい。


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マイクスターンが言っていた - 2001年12月06日(木)

Mike Stern said,
'...practice slowly.'
(ゆっくり練習しろ)

本当に身に付けたいことを発見する。
優先順位をつけてく。
日々の習慣として定着させていく。

一過性の「熱病」では後に何も残らない。



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岐路 - 2001年12月02日(日)

価値観。
私の人格を形成しているものの見方。
そんなものを洗いざらい見直す時期に差し掛かった。

午後の打ち合わせはそんなことを改めて確認する作業ともいえた。

日常生活全般を根本的に変えていく決意。
進まざるは退転。
腹を決めたものだけが前に進める。

愛姉の歌声を聞きに渋谷へ。
愛姉の歌を聴きに集う人々は、どこか、似ている。
どこか素朴で、初めて会うのに、懐かしい。
♪i miss U though i haven't met you yet...moans Bjork.





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読経も、呼吸? - 2001年11月30日(金)

とある、ボイストレーニングのセミナーの掲示板に
お坊さんのお経の呼吸の乱れ?についてあったので、
こんなレスをつけました。


そのとおり!
私は毎日お経しています。
リズムと呼吸。すごく密接に関係してますよ!
なにしろ、大宇宙と小宇宙(人間のカラダ)の
リズムを合わせる目的があるからです。

うたも、お経も、特別なこと、じゃないんですね!

初めてHOVのワークショップに参加した夜の読経は、
何かが違いました。
隣にいた友人は「響いてるねぇ!!」と。
なによりとっても気持ちいいんです。
薬物とかは別として、「気持ちいい(^-^)!」『快』と感じることは、
心にもカラダにもいいと思います。


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ちいさなケーキと、マフラーと。。 - 2001年11月29日(木)

職場の仲間がそろって遅刻。
そわそわ入ってきて、
"Happy birthday!!"
小さなレアチーズケーキと、
ふわふわマフラーを選んできてくれたのです。
それから寄せ書きのカードも!!
みんなでハッピーバースディ、トゥーユー♪、
と歌いながら、キャンドル立てて、吹き消して。。
ちょっとした気遣いがとても嬉しかった。




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ほろ酔い気分の誕生日。 - 2001年11月28日(水)

仕事を終えて、うっかり「おなかすいたーっ!」とつぶやいたのをうっかり上司にきかれてしまい、
思いがけずおごらせてしまいました。。
月の雫、という豆腐料理のお店へ。
薄暗くムードのある席で、京風湯葉をつつきながら、いろいろと話せた。

誕生日、ということだけど何もこれといった予定もなく、
『いつもと同じ』水曜日。
あわただしく時はすぎていったけれど、『ひと味違う』日となった。

普段思っていることを、さらりと話す。。。それだけでいい。

年を重ねることに肯定的になれ、物心ついたころから振り返ったとしても、
今が一番幸せ。
そんな風に、自然体で思える自分がうれしくてたまらない。
愛され、認められ、のびやかにやれている。
そんな昨今だ。





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いわれのない切なさに - 2001年11月27日(火)

今夜は眠れない。

どうしたことか、切なくて仕方ないんだ。
さみしい気持ちがなかなか向こうに行ってくれない。
かなしみに向き合う機会を持たせてもらっているのかな?
それならいっそこの痛みを慈しみ育んでいきたいな。

さっきまで思いつめたこと、もうからっきし思い出すことすらできない。

なんだろう?この感覚。
なんだろう?この思い。

完璧でなくていい、
そう言い聞かせて、生きる。



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頭を垂れる - 2001年11月26日(月)

母とは血がつながっているが、父は違う。
父と意見が合わないと、母と私の結束が固くなる傾向がある。

19でアメリカに渡るまで、母をいじめる父が嫌いだった。
何かと母をかばい、父を敵対していたところがある。

不和を絵にかいたような家庭だった。

渡米直前にひどい言い争いをして、父は私に
「日本に帰ってきてもうちに帰ってくるな」
と言い放った。

ある恩人に相談したところ、
「キミはアメリカに行きなさい。
 夫婦間の問題はあくまで夫婦が解決しなければ。
 娘として、母をかばうでもなく、父を憎むでもなく、
 一人一人の幸せを祈っていきなさい。
 その祈りは海を越えて通じるから、
 キミは安心してアメリカに行ってきなさい。」
と背中を押された。

アメリカでは一日も欠かすことなく父、母を単なる立場を越えて
それぞれひとりの人間としての幸せを祈っていた。
不思議なことに、渡米していたほぼ丸1年間夫婦げんかはなかったそうだ。

あの頃、必死で祈り現実に勝ち取った一家和楽。
帰国後はすぐに実家を出て独立した。
たまに帰る実家の父は、なんでも話せるよき相談相手になっていた。
判断に迷うことがあれば父に電話をしている自分がいた。

そして今、幸いにも再び両親と同居することになり、
まだたったの数日。
父を父親、という立場でしかみることができなくなりそうになっていた。
気づけば父の嫌な面をあれこれ口にしている母に同調していた。
別に母も、悪気があるわけじゃないだろう。
でも、母を味方、父を敵にまわしたところで何もいいことなんてない。

父の心境はいくばかりか?
それぞれが一個の人間として、
家族が家族らしく互いに尊敬しあい暮らしていくことは
あたりまえのようでいてこれがなかなか難しい。

渡米の折に誓ったように、
父の、そして母の幸福境涯を祈っていこうと思っている。

相手がどうか、ではない。
まず、自分が深々と頭を垂れることから始まるのかもしれない。
頭を垂れる、とは、「感謝」の二字に他ならない。








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共同生活はムズカシイノダ - 2001年11月25日(日)

6畳一間にうま〜い具合に持ち物を収納していたため、
自分の荷物はとても少ない、と思い込んでいたのです。
これは、女性特有の?「空間能力のなさ」を象徴した現象かしら??
(『地図の読めない女〜』参照)
45Lのゴミ袋に20袋ほどもゴミにしたというのに、
新居に入りきらないほどの荷物の山に辟易。。
出迎えた両親も唖然、かなりのヒンシュクを買ってしまった。
しかも、私の使う部屋は床の工事が終わっていないため、
モノはほとんどリビングやベランダに置かざるをえず、
あふれかえるダンボールに自己嫌悪。。。
翌朝起きてから父に、荷物の多さをあれやこれやと言われて
「もう、わかったから、ちゃんと時間つくって片付けるからそれ以上言わないでよ!」
と言ってしまい、「バカヤロウ!」と怒鳴られる始末。
親の気もわからないわけでもないけれど、ここ数週間の多忙な日常の中、
これでも精一杯やってきたのだ。
捨てるべきものをすべて仕分けしているだけの時間はなくて、
全部まとめて持ってきてしまってもいる。
また、両親と住むには不要なものもある。
キッチン用品とか、バス用品、洗濯用品、薬など。
これは母に見せて欲しいものをとってもらって、あとは全部処分するしかないだろう。
共同生活。
互いの大切に思っているものの違いがあるから大変。
母は、いわゆる日本人形(怪談ばなしで髪がのびたりしそうなやつ)の大きいのを
気に入って私の部屋に飾っているし。。お水までお供えしている。。。
なんだか不気味だから片付けて欲しいけど、自分勝手は言えない。

スッキリとシンプルに暮らしたい理想と
持ち物が想像以上に多い、という現実にストレスがたまるばかり。
今週の午前中はとにもかくにも片付けに追われそうだ。


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